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2章
知りたいことが知りたくはなかったことと同じだったとき【1】
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つかさが倒れた日から――つかさがキグレボクシングジムに顔を出さなくなってから1週間以上が経った、ということが話題になったのは、4月29日の火曜日のことだった。祝日だが、キグレボクシングジムは5月の大型連休と盆休と年末年始を除いて定休日は無しである。ただし、日曜と祝日の練習時間はすこし時間を短縮しての営業である。
話題に上げたのはサトルだった。15時の開店時間になろうとしている。今日は来るだろうか……。つかさが入会してから約3週間。休日は開店時間より早くに来ているのが当たり前になっていただけに、そこにいないと寂しい――。いや、入会してから約3週間、二日とおかずに通っていたつかさが姿を見せないことに、寂しさを通り越して不安に思い始めていた。
もっとも、そう思っているのはサトルだけのようで、
「……高校生だからな。そんなこともあるだろう。別に、1週間や10日どころか、3ヶ月とか半年くらい経ってからひょっこりと顔を出す会員だって珍しくないことは、お前だって何度も経験しているだろう?」
楽観的な口調で言うのは、リングサイドに腰かけている川内であり、
「高校生ですからね。ひょっとしたらどこかの部活から勧誘されたのかもしれませんね。ボクシングみたいに殴り合いをやるスポーツよりも、テニスとかバスケとかバレーの方がメジャーだし、おシャレだし」
と軽い口調で言ったのは、サトルの横で腕組みして立っているキリカである。
川内とキリカの物言いからは、さほど心配している様子はない。というより、つかさがボクシングを辞めるとは全く思っていないのかもしれないと思い、サトルは腹を立てて声を荒げた。
「もし、本当に彼女がボクシングやめるとか言い出しても平気なんですか!」
本人がやる気があっても、ボクシングは危険なスポーツだ。家族が嫌がって続かないケースだってままある。母子家庭のつかさが家庭事情で辞めてしまわないとは限らないのだ。
「そういうフォローを俺らがしなければならないんでしょう!!」
「そうは言うけれど、どうしようもないじゃない。会員さん個々人に、それぞれ事情ってものがあるんだからさ」
「そういうことだ。何かあったとしても、本人が言ってこないことにはどうにもならんさ。俺は父親じゃないし、お前は兄貴じゃないんだ」
どこか冷たさを感じる言い方で突き放すキリカと、サトルをたしなめるように語る川内。サトルがつかさに入れ込みすぎだとでも言いたそうだ。いや、実際にそう言っているのだろう。
「彼氏ならちょっと話は違いますけれどね」
と、キリカはにやっと人の悪い笑みを浮かべて言った。サトルはうっと鼻白む。どうやら話の方向を、つかさのことからサトルをからかうほうに切り替えたらしいキリカ。その言葉を引き継いで、川内が言葉を続ける。
「一応、ジム内は自由恋愛だけれど、スタッフと会員の関係であることは十分に自覚して行動をしろよ」
「そんなんじゃありません!」
話があらぬ方向に行き、焦ったサトルをジムに入ってきた男性会員の挨拶が救った。少し前にセットしたばかりのタイマー時計が、タイミングよく鳴り響く。
「いらっしゃい」
にこやかな営業スマイルを浮かべながらカウンターのほうへと歩いていくキリカ。話はこれで終わりとリングサイドから立ち上がる川内。そんな2人の姿を見ながら、サトルは内心、何だか冷たくはないか……と思っていた。
同時に、2人が言うように、自分には何ができるというわけではない事だって、よく自覚はしているのだ。
* * *
祝日の練習は15時から20時までになっている。アルバイトのサトルとキリカは簡単な掃除を済ませたところで川内に先にあがるように言われた。それがいつもの流れだった。それから手早く着替えたサトルが正面玄関から出たのは20時30分になったころだった。
昼間の明るい時間帯は裏のスタッフ用で入り口から入るようになっているが、夜になると外は暗いので、街灯がある通りに面した会員が出入りする正面玄関から帰るのがルールである。遅れてキリカも同じところから外に出てくる。
「……それじゃ。また」
「ええ。気をつけて」
と簡単な挨拶を交わしてキリカは駅側に向かう。彼女の家はここから5分ほどのところだ、と聞いている。その背中をしばらく見送ってからサトルは逆方向に歩いて――行こうとした。
「サトルさん」
ちょうどジムの看板の横を通り過ぎたところで、後ろから突然女の声で名前を呼ばれ、ぎくりと身を竦めた。
「だだだ……誰だ!」
「私です。わ・た・し」
ビビりつつ振り返るとそこには、子供っぽい白いキャスケットで頭をすっぽり覆った小柄な女の子の姿があった。桃色のやや季節はずれのサマーセーターとジーンズでさらに子供っぽさが強調されている。
話題に上げたのはサトルだった。15時の開店時間になろうとしている。今日は来るだろうか……。つかさが入会してから約3週間。休日は開店時間より早くに来ているのが当たり前になっていただけに、そこにいないと寂しい――。いや、入会してから約3週間、二日とおかずに通っていたつかさが姿を見せないことに、寂しさを通り越して不安に思い始めていた。
もっとも、そう思っているのはサトルだけのようで、
「……高校生だからな。そんなこともあるだろう。別に、1週間や10日どころか、3ヶ月とか半年くらい経ってからひょっこりと顔を出す会員だって珍しくないことは、お前だって何度も経験しているだろう?」
楽観的な口調で言うのは、リングサイドに腰かけている川内であり、
「高校生ですからね。ひょっとしたらどこかの部活から勧誘されたのかもしれませんね。ボクシングみたいに殴り合いをやるスポーツよりも、テニスとかバスケとかバレーの方がメジャーだし、おシャレだし」
と軽い口調で言ったのは、サトルの横で腕組みして立っているキリカである。
川内とキリカの物言いからは、さほど心配している様子はない。というより、つかさがボクシングを辞めるとは全く思っていないのかもしれないと思い、サトルは腹を立てて声を荒げた。
「もし、本当に彼女がボクシングやめるとか言い出しても平気なんですか!」
本人がやる気があっても、ボクシングは危険なスポーツだ。家族が嫌がって続かないケースだってままある。母子家庭のつかさが家庭事情で辞めてしまわないとは限らないのだ。
「そういうフォローを俺らがしなければならないんでしょう!!」
「そうは言うけれど、どうしようもないじゃない。会員さん個々人に、それぞれ事情ってものがあるんだからさ」
「そういうことだ。何かあったとしても、本人が言ってこないことにはどうにもならんさ。俺は父親じゃないし、お前は兄貴じゃないんだ」
どこか冷たさを感じる言い方で突き放すキリカと、サトルをたしなめるように語る川内。サトルがつかさに入れ込みすぎだとでも言いたそうだ。いや、実際にそう言っているのだろう。
「彼氏ならちょっと話は違いますけれどね」
と、キリカはにやっと人の悪い笑みを浮かべて言った。サトルはうっと鼻白む。どうやら話の方向を、つかさのことからサトルをからかうほうに切り替えたらしいキリカ。その言葉を引き継いで、川内が言葉を続ける。
「一応、ジム内は自由恋愛だけれど、スタッフと会員の関係であることは十分に自覚して行動をしろよ」
「そんなんじゃありません!」
話があらぬ方向に行き、焦ったサトルをジムに入ってきた男性会員の挨拶が救った。少し前にセットしたばかりのタイマー時計が、タイミングよく鳴り響く。
「いらっしゃい」
にこやかな営業スマイルを浮かべながらカウンターのほうへと歩いていくキリカ。話はこれで終わりとリングサイドから立ち上がる川内。そんな2人の姿を見ながら、サトルは内心、何だか冷たくはないか……と思っていた。
同時に、2人が言うように、自分には何ができるというわけではない事だって、よく自覚はしているのだ。
* * *
祝日の練習は15時から20時までになっている。アルバイトのサトルとキリカは簡単な掃除を済ませたところで川内に先にあがるように言われた。それがいつもの流れだった。それから手早く着替えたサトルが正面玄関から出たのは20時30分になったころだった。
昼間の明るい時間帯は裏のスタッフ用で入り口から入るようになっているが、夜になると外は暗いので、街灯がある通りに面した会員が出入りする正面玄関から帰るのがルールである。遅れてキリカも同じところから外に出てくる。
「……それじゃ。また」
「ええ。気をつけて」
と簡単な挨拶を交わしてキリカは駅側に向かう。彼女の家はここから5分ほどのところだ、と聞いている。その背中をしばらく見送ってからサトルは逆方向に歩いて――行こうとした。
「サトルさん」
ちょうどジムの看板の横を通り過ぎたところで、後ろから突然女の声で名前を呼ばれ、ぎくりと身を竦めた。
「だだだ……誰だ!」
「私です。わ・た・し」
ビビりつつ振り返るとそこには、子供っぽい白いキャスケットで頭をすっぽり覆った小柄な女の子の姿があった。桃色のやや季節はずれのサマーセーターとジーンズでさらに子供っぽさが強調されている。
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