ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

文字の大きさ
19 / 48
2章

知りたいことが知りたくはなかったことと同じだったとき【5】

しおりを挟む
 時間は20時を回りかけたところだった。思ったよりも料理に時間がかかってしまったな、と思いつつ、「お疲れ様。何か飲む?」と尋ねる。熱かったわけではないはずだが、つかさの額にうっすらと汗が滲んでいるのに気付いた。

「あ……いえ。お構いなく。……いい匂いですね。晩御飯ですか?」

「ああ。少し多く作ったから食べて行くか?」

「うちでも用意していると思いますから……」

 と断りの言葉を口にしかけたつかさだったが、「でも、おいしそうですね」と言った。

「……やっぱり、いただいてもいいですか?」

「どうぞ。でも、けっこう遅くなったし、ご自宅には連絡を入れておいたら?」

「そうですね。今、何時ごろですか?」

 壁掛けや置時計の類はどこにもないので、サトルは自分の胸ポケットから銀色の二つ折りの携帯電話を取り出して、つかさに手渡しながら、先ほど確かめた時間を口にした。

「今、20時を回ったところ。あと、固定電話はないから、これで連絡して」
 
「ありがとうございます」

 つかさの手の中に移った携帯電話が、ぱかっと音を立てて開かれた。

 皿によそうためにフライパンの炒飯に視線を移したサトルの耳に「あの……」という声が聞こえた。顔を上げたサトルの目に、戸惑ったようなつかさの顔が飛び込んできた。

「え……と。使い方が分からないので……」

「……貸して」

 おずおずと言ったつかさに、一言だけ返したサトルの掌の中に携帯電話が戻ってきた。

「自宅の電話番号を教えて?」

 尋ねてから、携帯電話の中には通信履歴が残るのだという常識を思い出した。自分で打ち込むのはとにかく、電話番号を直接言うのは嫌かもしれないと思ったが、つかさはあっさりと自宅の電話番号を口にした。

「今時の女の子は、男に電話番号を教えるのを……少しくらいは躊躇ったりしないものなのかな」

 呟きつつ発信ボタンを押して手渡す。
 
「? 何か言いましたか?」

 サトルの呆れが混じった呟きがよく聞き取れなかったらしく聞き返してきたが、それと同時に通話が繋がったようで携帯電話を耳に押し当てて「もしもし」と話し始めた。

 人の電話を立ち聞きするの憚られたので、皿に炒飯をよそった自分の部屋の小さなガラステーブルに運ぶことにした。

「もしもし。……うん。ちょっと、今、人と一緒にいて、晩御飯はいただいて帰るから」

 が、結局、皿に盛りつけている間、立ち聞きする格好になってしまった。

「誰って? サトルさん……ジムのスタッフの……」

 横で何気なくつかさの話している声を聞いていたサトルは内心焦る。そんなことに気付いた様子なく、つかさは話を進める。

「え……サトルさんの家だけれど」

 ひやり、と背中に冷たいものが流れる。電話の向こうでは何と返答があったのだろう。迷惑をかけてはいけない、とたしなめられているのだろうか。さっさと帰って来なさい、と折檻されているのだろうか。あるいは……。

 明日あたりつかさの母親が怒鳴り込んで来るかもしれないな、などと考えて頭を抱える。しかし、つかさの話している様子では、電話の向こう側の声が怒っている様子はない。電話を代われ、などと言われるのではないかと
びくびくしていたが、そんな話の流れになる雰囲気でもなく、終始和やかな様子で、

「じゃぁ、あんまり遅くならないようにするから」

 と最後に言って電話が切られた。

 サトルは、自分でも安心したのか、肩透かしをくらった気分なのか、よく分からないままがっくりと肩を落とした。

「……どうしたんです?」

 サトルは……相手の男と代われ! などという修羅場展開を覚悟して身構えていたので、意味が分からないときょとんとしたようなつかさの顔を見て「なんでもない」と肩を落としたまま、さしだされた携帯電話を受け取った。

 それにしても、年頃の、しかしまだ自立しているとは言い難い年齢の自分の娘が、男の家にこの時間までいても何も言わないというのは、どういうことなのだろう。あるいは何も言えない……のか。

 それだけつかさが信用されているのだろうか。それとも、単に放任と無関心を取り違えた親子関係なのか……。毅然と叱ることが出来ない事情があるのか……。

 サトルの部屋でガラステーブルを挟んで、座布団にちょこんと正座したつかさは、サトルが渡した使い捨てのプラスチックのスプーンを握って炒飯を頬張った。つかさは、サトルが胸の中でしている問いかけに気付く様子もなく、「わぁ、おいしい!」と感嘆の声を上げ、子供っぽい年齢相応の笑顔を顔いっぱいに広げた。

 サトルはといえば、そんなつかさを見ながら、詮索はすまいと思いながらもずっと考え続けていて、炒飯の味も、食卓を挟んでつかさが何を話していたのかも、ほとんど分からなかった。

     *     *     *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

私がガチなのは内緒である

ありきた
青春
愛の強さなら誰にも負けない桜野真菜と、明るく陽気な此木萌恵。寝食を共にする幼なじみの2人による、日常系百合ラブコメです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...