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2章
知りたいことが知りたくはなかったことと同じだったとき【5】
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時間は20時を回りかけたところだった。思ったよりも料理に時間がかかってしまったな、と思いつつ、「お疲れ様。何か飲む?」と尋ねる。熱かったわけではないはずだが、つかさの額にうっすらと汗が滲んでいるのに気付いた。
「あ……いえ。お構いなく。……いい匂いですね。晩御飯ですか?」
「ああ。少し多く作ったから食べて行くか?」
「うちでも用意していると思いますから……」
と断りの言葉を口にしかけたつかさだったが、「でも、おいしそうですね」と言った。
「……やっぱり、いただいてもいいですか?」
「どうぞ。でも、けっこう遅くなったし、ご自宅には連絡を入れておいたら?」
「そうですね。今、何時ごろですか?」
壁掛けや置時計の類はどこにもないので、サトルは自分の胸ポケットから銀色の二つ折りの携帯電話を取り出して、つかさに手渡しながら、先ほど確かめた時間を口にした。
「今、20時を回ったところ。あと、固定電話はないから、これで連絡して」
「ありがとうございます」
つかさの手の中に移った携帯電話が、ぱかっと音を立てて開かれた。
皿によそうためにフライパンの炒飯に視線を移したサトルの耳に「あの……」という声が聞こえた。顔を上げたサトルの目に、戸惑ったようなつかさの顔が飛び込んできた。
「え……と。使い方が分からないので……」
「……貸して」
おずおずと言ったつかさに、一言だけ返したサトルの掌の中に携帯電話が戻ってきた。
「自宅の電話番号を教えて?」
尋ねてから、携帯電話の中には通信履歴が残るのだという常識を思い出した。自分で打ち込むのはとにかく、電話番号を直接言うのは嫌かもしれないと思ったが、つかさはあっさりと自宅の電話番号を口にした。
「今時の女の子は、男に電話番号を教えるのを……少しくらいは躊躇ったりしないものなのかな」
呟きつつ発信ボタンを押して手渡す。
「? 何か言いましたか?」
サトルの呆れが混じった呟きがよく聞き取れなかったらしく聞き返してきたが、それと同時に通話が繋がったようで携帯電話を耳に押し当てて「もしもし」と話し始めた。
人の電話を立ち聞きするの憚られたので、皿に炒飯をよそった自分の部屋の小さなガラステーブルに運ぶことにした。
「もしもし。……うん。ちょっと、今、人と一緒にいて、晩御飯はいただいて帰るから」
が、結局、皿に盛りつけている間、立ち聞きする格好になってしまった。
「誰って? サトルさん……ジムのスタッフの……」
横で何気なくつかさの話している声を聞いていたサトルは内心焦る。そんなことに気付いた様子なく、つかさは話を進める。
「え……サトルさんの家だけれど」
ひやり、と背中に冷たいものが流れる。電話の向こうでは何と返答があったのだろう。迷惑をかけてはいけない、とたしなめられているのだろうか。さっさと帰って来なさい、と折檻されているのだろうか。あるいは……。
明日あたりつかさの母親が怒鳴り込んで来るかもしれないな、などと考えて頭を抱える。しかし、つかさの話している様子では、電話の向こう側の声が怒っている様子はない。電話を代われ、などと言われるのではないかと
びくびくしていたが、そんな話の流れになる雰囲気でもなく、終始和やかな様子で、
「じゃぁ、あんまり遅くならないようにするから」
と最後に言って電話が切られた。
サトルは、自分でも安心したのか、肩透かしをくらった気分なのか、よく分からないままがっくりと肩を落とした。
「……どうしたんです?」
サトルは……相手の男と代われ! などという修羅場展開を覚悟して身構えていたので、意味が分からないときょとんとしたようなつかさの顔を見て「なんでもない」と肩を落としたまま、さしだされた携帯電話を受け取った。
それにしても、年頃の、しかしまだ自立しているとは言い難い年齢の自分の娘が、男の家にこの時間までいても何も言わないというのは、どういうことなのだろう。あるいは何も言えない……のか。
それだけつかさが信用されているのだろうか。それとも、単に放任と無関心を取り違えた親子関係なのか……。毅然と叱ることが出来ない事情があるのか……。
サトルの部屋でガラステーブルを挟んで、座布団にちょこんと正座したつかさは、サトルが渡した使い捨てのプラスチックのスプーンを握って炒飯を頬張った。つかさは、サトルが胸の中でしている問いかけに気付く様子もなく、「わぁ、おいしい!」と感嘆の声を上げ、子供っぽい年齢相応の笑顔を顔いっぱいに広げた。
サトルはといえば、そんなつかさを見ながら、詮索はすまいと思いながらもずっと考え続けていて、炒飯の味も、食卓を挟んでつかさが何を話していたのかも、ほとんど分からなかった。
* * *
「あ……いえ。お構いなく。……いい匂いですね。晩御飯ですか?」
「ああ。少し多く作ったから食べて行くか?」
「うちでも用意していると思いますから……」
と断りの言葉を口にしかけたつかさだったが、「でも、おいしそうですね」と言った。
「……やっぱり、いただいてもいいですか?」
「どうぞ。でも、けっこう遅くなったし、ご自宅には連絡を入れておいたら?」
「そうですね。今、何時ごろですか?」
壁掛けや置時計の類はどこにもないので、サトルは自分の胸ポケットから銀色の二つ折りの携帯電話を取り出して、つかさに手渡しながら、先ほど確かめた時間を口にした。
「今、20時を回ったところ。あと、固定電話はないから、これで連絡して」
「ありがとうございます」
つかさの手の中に移った携帯電話が、ぱかっと音を立てて開かれた。
皿によそうためにフライパンの炒飯に視線を移したサトルの耳に「あの……」という声が聞こえた。顔を上げたサトルの目に、戸惑ったようなつかさの顔が飛び込んできた。
「え……と。使い方が分からないので……」
「……貸して」
おずおずと言ったつかさに、一言だけ返したサトルの掌の中に携帯電話が戻ってきた。
「自宅の電話番号を教えて?」
尋ねてから、携帯電話の中には通信履歴が残るのだという常識を思い出した。自分で打ち込むのはとにかく、電話番号を直接言うのは嫌かもしれないと思ったが、つかさはあっさりと自宅の電話番号を口にした。
「今時の女の子は、男に電話番号を教えるのを……少しくらいは躊躇ったりしないものなのかな」
呟きつつ発信ボタンを押して手渡す。
「? 何か言いましたか?」
サトルの呆れが混じった呟きがよく聞き取れなかったらしく聞き返してきたが、それと同時に通話が繋がったようで携帯電話を耳に押し当てて「もしもし」と話し始めた。
人の電話を立ち聞きするの憚られたので、皿に炒飯をよそった自分の部屋の小さなガラステーブルに運ぶことにした。
「もしもし。……うん。ちょっと、今、人と一緒にいて、晩御飯はいただいて帰るから」
が、結局、皿に盛りつけている間、立ち聞きする格好になってしまった。
「誰って? サトルさん……ジムのスタッフの……」
横で何気なくつかさの話している声を聞いていたサトルは内心焦る。そんなことに気付いた様子なく、つかさは話を進める。
「え……サトルさんの家だけれど」
ひやり、と背中に冷たいものが流れる。電話の向こうでは何と返答があったのだろう。迷惑をかけてはいけない、とたしなめられているのだろうか。さっさと帰って来なさい、と折檻されているのだろうか。あるいは……。
明日あたりつかさの母親が怒鳴り込んで来るかもしれないな、などと考えて頭を抱える。しかし、つかさの話している様子では、電話の向こう側の声が怒っている様子はない。電話を代われ、などと言われるのではないかと
びくびくしていたが、そんな話の流れになる雰囲気でもなく、終始和やかな様子で、
「じゃぁ、あんまり遅くならないようにするから」
と最後に言って電話が切られた。
サトルは、自分でも安心したのか、肩透かしをくらった気分なのか、よく分からないままがっくりと肩を落とした。
「……どうしたんです?」
サトルは……相手の男と代われ! などという修羅場展開を覚悟して身構えていたので、意味が分からないときょとんとしたようなつかさの顔を見て「なんでもない」と肩を落としたまま、さしだされた携帯電話を受け取った。
それにしても、年頃の、しかしまだ自立しているとは言い難い年齢の自分の娘が、男の家にこの時間までいても何も言わないというのは、どういうことなのだろう。あるいは何も言えない……のか。
それだけつかさが信用されているのだろうか。それとも、単に放任と無関心を取り違えた親子関係なのか……。毅然と叱ることが出来ない事情があるのか……。
サトルの部屋でガラステーブルを挟んで、座布団にちょこんと正座したつかさは、サトルが渡した使い捨てのプラスチックのスプーンを握って炒飯を頬張った。つかさは、サトルが胸の中でしている問いかけに気付く様子もなく、「わぁ、おいしい!」と感嘆の声を上げ、子供っぽい年齢相応の笑顔を顔いっぱいに広げた。
サトルはといえば、そんなつかさを見ながら、詮索はすまいと思いながらもずっと考え続けていて、炒飯の味も、食卓を挟んでつかさが何を話していたのかも、ほとんど分からなかった。
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