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4章
思いっきりぶつかって、思いっきり受け止められて【8】
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ゴングを鳴らすのも忘れてサトルがリングに飛び上がり、赤コーナーに駆け寄る。コーナーに寄り掛かったままのつかさの前に膝をついた。俯いたままなので、つかさの顔がよく見えない。
「しっかりしろ、おい」
つかさの顔を上げようと肩に伸ばしたところで、川内に止められた。
「よせ。下手に動かすな。脳震盪を起こしているかもしれない」
「でも……」
「大丈夫ですよ」
と赤コーナーに寄り掛かったままで、つかさは言い、へらっと笑った。それからゆっくりと顔を上げる。
「疲れた……。しばらく、このままにさせてください」
「意識はあるな」
ほっとしたサトル右隣に、サトルと同じように、川内が腰を下ろし膝をついた。手首を止めたマジックテープをべりりとはがしてグローブをはずした川内は「何本だ?」と人差し指と中指を立てて見せた。
「2本。まだ、足に力はいらないけれど、頭ははっきりしてます」
その顔には、悔しさも混じっているけれど、何となく嬉しそうでもあった。
「本当に大丈夫か?」
そんなつかさの様子を見ていたサトルが、改めて尋ねる。
「本当に大丈夫ですよ」
サトルはじっとつかさの眼を見て、
「ほ・ん・と・う・に?」
「本当ですって」
耐え切れずにぷっと吹き出したつかさは、
「大体、まともにもらったのは、最後のフックだけでしたし。それだって振り切られなかったみたいですし。倒れたときは流石に少しくらくらしましたけれど、倒れたときに頭を打ったりもしてませんし」
「よく考えると、確かにまともにもらったのは一発だけだったか。君のパンチは一発も当たらなかったが」
「そんなことはないですよ」
つかさは、自分で自分の頬を突いて、にっと笑みを返した。
「ちゃんと、届いてましたから」
何のことだ? とサトルは川内の方に目を向け、「あっ」と声を上げた。川内の唇の端から血が流れていた。
「最後のアッパーは、ちゃんと届いていたんだな」
と言ったのは川内だった。
首を捻ったのはサトルの方だった。
「目的は達した、と思っていいの、かな? まぁ……本人がそれでいいのなら」
「もちろん、かすったらそれでいいなんて考えていなかったんですけれど……。思いっきり暴れたら、少しはスッキリした気がします」
「何だ……それは」
呆れたような川内が言うが、サトルにはつかさの気持ちが、何となくわかるような気がして、彼女のグローブをはめたままの手を取った。白いグローブを外している間、つかさはじっと押し黙っていた。それから、つかさの顎を上げさせて顎ひもを外し、後頭部のマジックテープをはがして、ヘッドギアをぐいと引き上げて取り外した。
「……手にしびれとかはないか」
サトルの後ろから声を掛けてきた木暮会長に、つかさは小さく頷きを返した。気が付くと、全員がつかさを中心に集まっている。キリカと、由美子と幸治はリングの外から。
「思えば20年前、俺が日本タイトルマッチでもらったのも左フックだったなぁ……」
木暮会長は腕組みをして遠い目をした。
「あの日俺は、絶対にひくものかと攻めて攻めて攻めまくった。チャンピオンは逃げ回ってばかりだった。俺はダウンも取って、後一歩のところまで追い詰めていた。だが……」
そこまで言ったところで、いつの間にかリングに上がっていたキリカが後ろから木暮会長の肩を掴んだ。
「いいお話になりそうですが、そのお話はまた後日に」
と言うと、引きずるようにしながらリングから下した。
「早くしないと、そろそろジムを開く時間ですよ。鈴木コーチ一人に任せるつもりですか?」
「待て待て。せっかく俺が……」
と、木暮会長は不満そうにしながらも、「まぁいい。夏の飲み会でしっかりと聞かせてやる」と不穏なことを言い残して地下練習場を出ていった。
同じように地下練習場を出るときにキリカがデジタルビデをカメラを見せながら、「しっかり撮ったから、後で見せてあげる。編集して、ジムのPRビデオとかにも使えるかもね」と笑ってみせた。
サトルは「やれやれ……」とそんな2人を見送ったが、よくよく考えると、今日のシフトに入っているのは自分もだったと思い出した。それに、自分もまた部外者。これ以上は邪魔者だ。
自分もさっさとここから退散しようと、外された2人分のグローブとヘッドギアをかき集めようとした時、さっきまで白いグローブの中に納まっていた、まだバンテージを外していないつかさの小さな手が差し出された。
「起こしてください」
笑いながらそう言ったつかさの目が、サトルにこの場に残ってほしいと訴えているように見えるのは、自惚れすぎだろうか。そんなこと思いながら、彼女の手を握り、力を込めて引き上げた。
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