古への守(もり)

弐式

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二十三.

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「あれは……人間に飼われていた犬なんですね?」

 何度も振り向きながら奈津は尋ねる。まだ距離は遠く姿は見えないが、複数の目が距離を取りながら追ってきていることを示している。その数は少し減っているような気がするのは、気のせいではないことを祈りたい。

「ああ。引っ越しなどの家の事情で飼えなくなったもの、単に飽きて捨てられたもの、大きくなりすぎて手に負えなくなったもの。事情は色々だろうが、人間の身勝手でここにいる。可哀そうな犬たちだ」

「酷い……。こんな田舎でも、そんなことをする人がいるんですね」

「どこにだって不心得者はいるものだ。それに、街から時間をかけて車で捨てに来る人だっている」

 その身勝手やのせいで奈津は真夜中に森の中を彷徨うことになった。可哀そうなのは私たちじゃないか。奈津は内心で顔も知らない誰かのことを考え、恨んだ。祟りとかは信じていないが、もしここで自分が死んだら、きっとその顔も知らない誰かのことを探し出して呪い殺すことだろう。

「捨てられた犬の大半は長く生きられない。人間に育てられた犬は餌の獲り方が分からない。でも、野生に適応できた犬だって少なからずいる。幸いにすぐに餌にありつけた者だっていただろう。同じように捨てられたペットを食べたり、自殺した人間を食ったり」

 それを聞いて、少し前に見た首つり死体の、ぽっかりと開いた吸い込まれそうな真っ暗な眼窩を思い出す。

「あの自殺していた人も食べられたんでしょうか」

「足の甲を齧り取られた形跡があったからな。多分、食われたんだろう。一度人間の味を覚えた肉食動物は、人間を襲うようになる。あいつらも、多分そうだ」

「……人間て、美味しいんでしょうかねぇ」

「あらゆる動物の中で一番栄養価の高いものを食べて、実生活の中で適度に運動しているわけだからな。不味いということはないだろう」

 淡々とした口調でそんなことを言われ、奈津は思わず両手で両肩を抱いた。自分の味を想像して、自分が狩られる獲物でではなく、単なる餌になっているのだと実感する。

「……この森の中には、野犬の天敵とかはいないんですか? 熊とか……」

「いないことはないが、もしここで熊とばったりでくわしたとして、熊が俺らを助けて野犬たちと戦ってくれると思うか? 俺らが死んだあと死体の取り合いになるかもしれんが」

「言ってみただけです……」

「この森の中をみれば動物の餌は潤沢にあるからな。わざわざ、餌の獲りあいをする必要もないからこそ、あの野犬たちだって生き延びてこれたんだ」

「平気で犬を捨てるような人たちのとばっちりを、何で私たちが負わなければならないんですか!」

 奈津は声を潜めつつ、吐き捨てる。

「それは、君が見境なく走り出したからだ」

 春人の呆れたような声で、話が振り出しに戻され「う……」と呻いた。

「だってぇ……」

「それに、昔の人間が、そんなにモラルの高い人間ばかりだったと思うか? 犬だったり猫だったり鶏だったりを、野生に返すと称して捨てている人間は、明治の時代だろうが江戸の時代だろうが、いたに違いない。でも、生き延びることはできなかったか、子孫を残すことはできなかった。それは、森に、突然放り込まれた異邦者を、受け入れる余力がなかったからだ」

「今は、余裕があるってことですか?」

「ニホンオオカミが滅んだことで、シカやイノシシ、サルといった野生動物が繁殖し、森の木々や生態系に大きな悪影響を及ぼした。かつて、日本でもシベリアオオカミを人工的に繁殖させて、崩れた生態系を元に戻そうという計画があったが、ニホンオオカミよりも大型のシベリアオオカミが増えることで起こりかねない弊害の危険性が大きいとして実行はされなかった。一度崩れた自然界のバランスを人間の手で作り直そうという試みは何度も実行されたが、増えすぎた生き物を人間が殺してバランスを取ろうという対処療法ではその場しのぎにしかならない。絶妙なバランスの上に成り立った食物連鎖という椅子取りゲームの中で、オオカミという種が消えたことで生まれた空席に滑り込んだのが……こいつらだったわけだ」

 ふいに春人が足を止め、

「俺たちの先祖が今に至るまで、どんなに頑張って森を守ろうとしたところで、捨てる奴は捨てるし、汚す奴は汚す。壊すのを止めることはできても、壊れることは止められない。変えないように頑張ったところで、変わらないものなんてない。そして、そのツケを払うのは、実行した本人ではない」

 怒りを隠すことなく言い放った。

 奈津は春人が足を止めた理由に気付いて息を呑んだ。

 かなり歩いたような気もするし、あまり歩いたわけではないような気がする。あたりは暗闇の上に、どこも同じ景色なのだから、距離感も方向感も、ほとんど失ってしまっていた。

 しかし、後ろから追ってくる野犬たちとの距離は、頼りになるのは相手の光る眼だけとはいえ、縮まっていないはずだと思っていた。しかし、いつの間にか、正面に金色に光る小さな目が幾つか浮かび上がっていた。

 奈津は振り返る。

 先程まで付いてきていた野犬たちの目も確かに、さっきと同じくらいの距離をとってそこにあった。
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