ダンシング・オメガバース

のは(山端のは)

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7 根に持ってる

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 非常に現金な話だけど、僕は先生の前ではこの世界の仕組みがどうとか、そういう面倒なことは考えない。
 先生の発するローズマリーの香りに癒され、彼のリズムを感じ取れば自然と体を揺らしている。

 ミラロゥと会うために異世界からやってきて、オメガになったんだとしたら、ほ、ほかに理由なんっ……、あぶばばぼば。

「ルノン?」

 ソファーでミラロゥに肩を抱かれながら、一緒にスマホを見ていたところだった。
 急にクッションに顔をうずめた僕を見て、ミラロゥは変に思ったことだろう。
「どうしたんだ? そんなに言いづらい台詞なのかい、これ」
 声を聞いた限りでは、僕の奇行に驚いている様子はない。そろりと顔をあげれば、ミラロゥはスマホを覗き込んで首を傾げていた。

 画面にはマンガが表示されている。もちろんいかがわしくない奴だ。
 日本語をこちらの言葉に翻訳して、ときには文化の説明なんかも交えつつ、一緒にマンガを読んでいるのだ。
 説明と言っても日本の学校に飛び級はなくて留年も理由がない限りないとか、作中で食べているものの解説とか、そんなんだけど。

 それでも、この勉強方法を始めてから言葉がメキメキ上達した気がする。好きなことを語りたいという気持ちは、すさまじいエネルギーになるのである。

 おかげで違和感なくこちらの言葉で会話を続けることができた。
「ごめん、べつの理由」
「別の?」
「こうしてふたりでいると……、すごくしあわせだなって、思って」
「今の、そういう反応だったか?」
 ものすごく怪訝な顔をされてしまった。
「こっちの人にはない感覚かもね。しあわせって、照れ臭いだけじゃなくてちょっと、うしろめたいんだよね」
「うしろめたい? どういうことだ」

「ええーと、ちょっと待って」
 混乱すると、やっぱりまだうまく話せない。僕は日本語に切り替えて話を続けた。

「お国柄のせいかな。日本という国は、しあわせであることをあまり、周りにアピールしないんだよ。しちゃいけないみたいな空気すらある」
「……なぜ?」

 ミラロゥは思い切り顔をしかめた。そうだよね、訳がわからないよね。

「みんなで手を繋いで大きな輪を作ったとする。僕が幸せだって飛び跳ねることで輪にうねりができて、対岸の誰かが叫ぶんだ。私は今とっても悲しいのに! って。そしたら周りの人たちが、人が悲しんでいるのに喜ぶとはけしからんとか言い出して、嬉しい人、幸せな人は口をつぐまなきゃいけない。そういう空気みたいなものが、日本にはある」

 言い過ぎかなって反省して、僕は「といっても」とミラロゥに首を振って見せた。

「僕が感じ取った、日本の一部に過ぎないんだけどね。どこにいようと幸せな人は、幸せだし。不幸な人は不幸だし」

 ヤバい、なんか暗くなっちゃった。絶対困ってるな、ミラロゥ。
「あ! つづき、続き読もう」
「ルノン」

 ミラロゥが顔を近づけるので、キスをする気かと僕は目をつぶった。
 期待は外れて、額同士がコツンとぶつかる。

「ごめん、気にしないで。文化の差だし、僕だってふだんそれほど気にしているわけじゃない」
「ルノン」
 もう一度、今度はさっきよりもハッキリと、ミラロゥは僕の名を呼んだ。彼は青灰色の瞳で静かに僕を覗き込んだ。
 ローズマリーの香りが強くなり、僕は知らず、全神経を彼に向けてしまっていた。

「一つ確認なんだが、君はいま、幸せなんだな?」
「うん。そうだよ」
「だったら、どうして謝るんだ?」
「あ……」
「君の幸せが、私の幸せなのだから、君がそうして隠してしまうのは困るな。もっとも、君は良くも悪くも隠し事があまり得意ではないようだから、不安も苦しみも喜びも、滲みだしてしまうだろうけど」

「そ、それは……。素直であろうとしてるからってのもあるんだよ。揉めるのイヤだし。けど、――そんなに僕、わかりやすい?」
「ああ」
 だから、とミラロゥは僕の耳元でささやいた。
「いつもみたいにハッキリ言ってくれないか? 今さらだろ?」
「好きだって?」
「よろしい」

 先生が、先生みたいな口調で頷くから、僕もたまらず笑ってしまった。
 先生のフェロモンのせいかもしれない。彼の前では僕、いつも必要以上に甘えてしまう。

「じゃあ教えちゃおうかな。僕ね、最近とっても調子に乗ってるんだよ」

 僕は、先生のつがいの座は渡さないと脳内でダンスを決めてることとか、先生のためにこの世界に来たのかもなんて浮かれてること。こうして一緒にいるだけで、ものすごく幸せなんだってことをすなおに全部しゃべってしまった。

 気持ちがすごくすっきりしたけど、今度は逆に、先生がソファーに突っ伏してしまった。

「……君が怪我さえしていなければ、いますぐダンスに誘ったのに」
「ダメなの?」
「激しい運動はダメだと言われているだろ」
「激しくしなきゃいいんじゃない?」
「無理だな」

 ミラロゥは犬歯が覗く、ちょっと荒っぽい笑い方をした。そんな顔もするんだと見とれていたら、僕の頬に手をかけて触れるだけのキスをした。

「ルノン、私も。――君と出会えて幸せだよ。けれどまだ、満ち足りているとは言えないな」
「え?」
「もっと、もっと君を愛したい。不安なんて感じる暇がないくらい君を幸せで満たしてしまいたい。大事にするよ、ルノン。これからもずっと」

 変なうめき声をあげそうになって、僕はミラロゥの胸板に額を押しつけた。

「お、踊りたいね……」
「ああ」

 こんなバカみたいな根競べある?
 だけど、大事にされてるっていう、この上もない証拠でもある。



 ……あの日は、あんなにいい感じだったのに、いま僕とミラロゥは静かな攻防を繰り広げている。

「明日出かけるって言うのに、先生のフェロモンをたっぷりまとっちゃうってのは、どうなんだろう」
「だからだよ。ダンス大会の期間中に求愛ダンスを仕掛けてくるのはマナー違反だが、それでもまったくないとは限らないし」

 でた。ダンスに係わる謎マナー。

「で、でもビィくんと会うんだよ。子供の前でそんな」
「子供なんだろ? だったら問題ない。フェロモンを感知する力もそれほど育っていないだろうから」

 ビィくんと出かける三日前にはもう怪我もすっかり良くなっていた。こらえていたぶん、もちろん二人でイチャイチャしまくった。
 なのにミラロゥはまだ足りないらしかった。

 明日からはダンス大会に合わせて学校もお休みだ。学校だけでなく、ほとんどの店や会社が休みになるというから驚きだ。ダンスにかける情熱がすごい。

「本当なら、保護者同伴と行きたいところなんだ。それを向こうの都合で私についてくるなというのだから、虫よけは念入りにしておいたほうがいいだろう?」
「でも、今日踊ると三日連続だよね。ヒートでもないのに爛れてるよ!」
「このくらい普通のことだよ」

 本当かなあ!?
 微妙にうさんくさい笑顔に見えるのは気のせいだろうか。
「も、もう、充分しみ込んだんじゃない?」
「まだだ、ルノン。君が誰のつがいなのか、ハッキリわからせないといけない」

 ミラロゥの目がすっと細められ冷気が漂い始める。僕はようやく気がついた。
 ミラロゥは、僕が「デート」って言ったこと根に持っているんだって。
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