美味しいだけでは物足りない

のは(山端のは)

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 孤児院

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「おはようございまーす!」
 職場につくと、下働きの少年が箒を持って元気に挨拶をしてくれた。ナジュアムも笑顔で挨拶を返す。
 あまり早く来ると彼らの仕事の邪魔になるのだが、昨日は急な飲み会だったため、片づけなければならない仕事があった。というのは半分言い訳で、家に居づらかったというのもある。
 ともかく来たからには真面目にやるつもりだ。ナジュアムは書類に目を向けた。
 
 調子が良かったのは最初の一時間だけで、眠気は遅れてやってきた。
 客の前であくびをするわけにもいかないから、背を向けたときこっそりとかみ殺した。それをよりによって面倒な先輩に見られてしまった。
 自分だって朝から酷い顔をしていたくせに、今はピークが過ぎて目が覚めてきたらしく、ナジュアムにチクリと嫌味を言った。

「その顔、客の前で見せんなよ。評価が下がるぞ」
 はい、気をつけますとでも言っておくのが正解なのだろうが、ナジュアムは頷くだけにとどめた。それが偉そうだとでも感じたらしい。彼はムッと顔をしかめた。

 こういうのが積もり積もって彼の不興を買うのかもしれないな。
 あとで謝っておくかと思っていたのだが、外回りが入ったり、なんだかんだ忙しくしているうちに忘れてしまった。
 忘れていたなと気づいたのも三日後のことで、終業時間ギリギリに外回りから戻ったナジュアムは偶然、先輩が文句を言っているのを聞いてしまった。相手はどうやら下働きの少年だ。本来ならすでに帰宅している時間だ。無茶な仕事を頼まれたわけでないといいのだが。

 ナジュアムはそのとき廊下にいて、執務室から自分の名前が聞こえてきたので思わず立ち止まってしまったのだ。面倒だなと思って。
 結果、立ち聞きするような形になってしまった。

「あいつがいねえから、全部俺に仕事がまわってくるじゃねえか」
「全部じゃないですよね。皆さん同じように働いてらっしゃいます」
「負担が増えたってことだよ。なにかにつけてナジュアムナジュアムって言いやがって」
「人気者ですよね、ナジュアムさん。僕も何回も聞かれましたよ。あの金髪のお兄さんはいないのかって」

 どうやらナジュアムの不在を嘆く声が多いらしく、先輩はそれが気に入らないようだ。
 それにしてもなんだろう、この雰囲気は。
 下働きの子はジノというのだが、すごく要領のいい子で、ナジュアムも手元に菓子でもあればついあげたくなる。彼は先輩とも仲がいいらしい。ぽんぽん言い返しても不思議と先輩が怒る様子はない。
 少年の口調がのんびりしているせいだろうか。それとも、意外と子供に弱いのか。

「顔だよ顔! そんなもん、アイツの顔がいいからに決まってる!
「それは違いますよ、ナジュアムさんはたしかにキレイだけど、それだけじゃ人から感謝なんてされないです。ナジュアムさんは優しいんです」
「俺が優しくないみたいに言うなよ」
「人に優しくされたかったら、まずは自分から優しくしないと。ほら、こうですよ、先輩」

 先輩が黙った。
 いったい何をしたんだろう。すごく中を覗きたい。さすがにダメだと思って必死にこらえた。
 それにしてもあの先輩を黙らせるとはなかなかやる。
 そうか、優しくされると黙るのか。

 わかったところで優しくできるのかと聞かれれば、心情的にちょっと無理かもしれないが、彼を見習って今度からはもうすこしうまくやろう。
 ナジュアムも大人げなかったかもしれない。子供から学ぶこともあるものだ。

 ジノのおかげで、先輩に対して抱え込んでいた苛立ちもだいぶ薄らいだ。
 そして、ふと、久しぶりに孤児院の子供たちに会いたくなった。

 週末、オーレンがいないあいだにキッチンを使わせてもらうことにした。
 ナジュアムの家ではあるのだが、食材の管理をすべて彼に任せている以上、なんとなく勝手に使うのをはばかられるのだ。

 材料は小麦粉、バター、ナッツ、それに砂糖。
 ナジュアムはクッキーを作るつもりだ。
 ナッツを細かく刻んで、ボウルにバターと砂糖を加えて混ぜる。ナッツも加えてたら、スプーンで天板に落としていく。あとはオーブンで焼くだけ。
 不格好でも、とにかくそこそこの味で、量があればいい。
 普段オーレンが作ってくれる料理よりだいぶ雑だが、それでもナジュアムのクッキーはいつも取り合いになるほど人気だ。形が悪いのも焦げているのも全部入れてやる。
 キッチンには甘い匂いだけが残った。
 
 オーレンは、昼になっても戻ってこなかったが、昼食は例によって用意されている。スープを温め、少々味気なく思いながらパンをかじる。
 孤児院では今、十六人の子供たちが共同生活を送っている。院長先生はみんなの母親代わりだ。ナジュアムにとっても、もちろんそうだ。
 子供たちからは大歓迎をしてもらった。久しぶりに顔を出したから、忘れられているかもと思ったのだが、クッキーと紐づけられた記憶はなかなか強烈なようだ。まとわりついてくる子供たちに「あとでね」と挨拶してクッキーを手渡すと歓声を上げて走っていく。 院長先生はいつも通り穏やかに迎え入れてくれた。ヤランのことがあったから、ずいぶん心配をかけていたようだ。もっと早く来ればよかった。

「ヤランのことは残念だったけど、あなたが無事で良かったわ、ナジュアム」
 ヤランのことを謝ったら、反対にそう慰められてしまった。
 彼はみんなに好かれていたわけじゃないけれど、少なくとも院長先生にとっては、大事な生徒であったはずだ。
 彼のことで泣くのは、これでもう最後。
 ようやっと、終わりにできた気がした。
 来て良かった。

 院長先生としばらく話をした後、ナジュアムは子供たちに捕まった。
 癒されたのも本当だが、全力で遊んだからクタクタだ。
 まっすぐ帰ろうかと思ったけど、宣言していたよりも多くナッツを使ってしまったから、買い足したほうがいいだろうか。そんなふうに思って少し寄り道した。

 その時、遠目にオーレンを見かけた。
 彼は女性と一緒だった。燃えるような赤い髪の女と連れ立ってカフェに入っていった。
 声をかけることはできなかった。
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