絶滅危惧種のアイロニー

のは(山端のは)

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2 シティ

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 俺の住む町はある日、変な宗教に支配された。■曜日にすべての穢れを払い、かわりに清らかな力をその身に宿す――とかいう。

 朝からマイクロバスや自家用車でみんなゾロゾロとどこかへ出かける。夕方まで町がガランと空になる。
 そのことに不安を覚えつつも、それ以上に俺は高揚した。
 俺はいつも行動を制限されていた。高校生だからって。だけどその日だけはだれにもなにも言われない。自由だ。

 最初の探検に選んだ場所は、学校だった。
 俺は高校生なのに、校舎に足を踏み入れたことがない。
 体育館とか、図書室とか、図工室とか。地域住民の集会所として使われているのだ。
 もう数のいない若い者には必要ない設備だろうと、追い出されたわけだ。

 薄暗く静まり返った校舎は、どこか不気味だ。それに、枯れた臭いが染みついてしまっている。
 俺は四階まで行ってみた。
 信じがたいことだが、昔は高校生という生き物がたくさんいて、この教室を埋めていたらしい。教室に机を並べて、同じ方向を見て同じ教科書で学んだとか。
 繫殖は強制ではなく、するもしないも自由だった。
 それはすこし羨ましい。
 教室はどこもがらんとしていてなんだか物足りなかったので、俺は埃だらけになりながら、机と椅子を引っ張り出して、教室に置いてみた。窓際にぽつんと一つだけ。
 それでも、この席に自分が座る姿は、想像できなかった。

 次の週は、コインランドリーに行ってみた。
 俺にはこっちのほうが気に入ったので、次の週も、洗濯物を持って出かけた。
 ほかに客があるとは思ってもみなかった。
 それも、俺と同じ年頃の男だ。それだけでも興味津々なのに、彼はシティからわざわざこんなところまで来る変わり者なのだ。

 だけど俺にキスして以来、彼は姿を見せなくなった。俺に興味をもったとか言ったくせに。
 狭いはずの待合室が、妙に寒々しく感じるのは、たぶん気のせいだ。自分に言い聞かせるのはあまりうまくいかなくて、気づけば俺は、自分のくちびるを指でなぞっている。

 あの日交わしたキスのこと、俺はほとんど覚えていない。驚きしか残っていない。感触とか、温度とか、ちっとも思い出せないのだった。それが少し残念だ。

「どうせなら、もっと味わっとくんだった」
 自分のつぶやきにハッとして、俺は慌ててあたりを見回す。
 もちろんだれもいない。
 恥じらいが去れば、退屈だけが残る。
 前からそうだったはずなのに、やけに身に沁みる。

 一か月が過ぎても彼は現れず、不満は怒りに変わり、俺はとうとう洗濯物を放置して外に飛び出した。



 実のところ、シティに出入りするのは簡単だ。塀があるわけでもない、検問があるわけでもない。
 新人類と旧人類などと分けてみたところで、両者にそれほど違いはない。

 ……そう思っていたのに。俺はすぐに怖気づいた。

 まぶしかった。
 若い男女。子供のはしゃぐ声。真新しい建物。明るくて清潔な世界の中で、俺だけが異質だった。

『行くな!』
『そっちに行っちゃいかん!』
『おまえはこっち側だろう』

 俺の頭の中で町のみんなが騒いでいた。
 しわだらけの、関節の曲がった、カサカサの老人たちの手がどこまでも付いてくるようだ。
 俺には彼らが澱(よど)みのように。まとわりついている。
 俺は、町でたったひとりの子どもだから。
 彼らの言うとおりにしなくてはならない。

 うつむいて、立ち去りかけたその間際。どうしようもなく怒りが湧いた。
 せっかくここまで来たのに、逃げかえるなんて嫌だった。
 それに、今日は■曜日だ。自由の日だ。
 いつまでも、言う通りになると思うなよ!
 脳内で彼らを罵って俺は歩を進めた。幼いころから刻み付けられた教えも、約束も、全部放り投げてでも彼に会わなきゃならない。
 そして彼に聞くんだ。どうして俺にキスなんてしたのか。



 シティには、彼と似たような人がたくさんいた。
 しわひとつない白い肌。穏やかなまなざしや語り口。どこを見ても、だれを見ても、彼と見紛う。
 どうしてこんなに似ているんだ?
 見つけ出せるのかな。俺に。
 だんだん怖くなった。
 俺は彼の名前も知らない。どこに住んでいるのかも。
 それでも諦めきれずシティをうろついた。

 日が傾いてきた。
 帰らないと。町の人たちが戻ってきてしまう。俺がいないとわかったら、たぶん大騒ぎになる。

 踵を返そうとしたとき、彼を見つけた。確かに目が合った。けれど彼はなにも言わず俺に背中を向けた。
 俺には彼の行動が信じられなかった。

 俺はいつもあの狭い地域で注目の的だった。
 だれも俺を無視できない。だれもが争うように俺の注意を引こうとする。だから、あんなふうにあからさまに無視されたことなど今まで一度だってなかった。

 ほかならぬ彼に無視されたことは、思った以上に俺を動揺させた。足がもつれ、みっともなく地面に倒れこむ。慌てて起き上がったときには、もう彼の姿はどこにもなかった。

 俺はとぼとぼとコインランドリーにもどり、乾燥機の中でしわしわになった服を抱えて帰宅した。

 じいちゃんはすでに帰っていた。てっきり遅いと怒鳴りつけられると思ったのに、なんだかぼーっとしている。
「じいちゃん、具合悪いの?」
 尋ねてもゆっくり首を振るだけだ。
 今日は■曜日なのに。
 なにが「すべての穢れを払い、かわりに清らかな力をその身に宿す」だ。
 毎週毎週、なにをやっているんだか知らないが、彼らが清らかになった様子はない。むしろ日に日に元気をなくしているように見える。
「ねえ、もう行くの辞めたら?」
 するとじいちゃんは、すごい顔で俺を睨みつけた。
 震えるほど拳を握りしめて、目を見開き、口をひん曲げて。
「じいちゃん?」
 じいちゃんはハッと我に返り、気まずそうに俺から背を向けた。
 だいぶ、縮んだように見えた。

 今日もまた、じいちゃんたちはワゴンに乗って出かけてしまった。
 そっちも心配ではあるけれど、俺の気持ちは彼に傾いていた。
 シティで見かけた彼。あれは本当に、彼だったのかな。
 俺は未練たらしく何度もそう考えた。考えるたび打ち消した。

 確かに彼だった。シティの中では、彼と似たような人ばかりがいると思ったけれど、本人を見たら、やっぱり全然違った。
 彼は特別だ。でも彼にとって俺は、特別じゃなかったって、それだけ。
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