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9 見ないふり
しおりを挟むそれから俺は、息をひそめるようにして学校で暮らした。もっともそれは一人きりで過ごす夜の間だけで、リハルのほうはのうのうと、俺の探索に加わるふりをして俺を匿っていた。
学校には備蓄があって、食べるものには困らなかった。
大量にあるといっても、限りはある――という事実に、俺は蓋をした。
巡回ロボットにさえ気を付ければ、体育館で体を動かすことも、屋上に出て風を浴びることさえできた。
俺たちはぽつりぽつりと会えなかった間の話をした。
「では、知ってしまったんですね、伊澄は。――僕がロボットだってこと」
「知ったら何か変わる?」
俺はニヤリと笑った。するとリハルは目をパチパチとさせてから、考えるそぶりを見せた。
「わかりません。ですが、人間にとって、重要なことのように思います。なぜ伊澄は僕への対応を変えないんですか? 気づかれていたことに気づかなかったなんて、不覚です」
不服そうなリハルを見て、俺は妙な満足感を覚えていた。なるほどAIを出し抜くことは可能らしい。
「なぜなんです、伊澄」
よほど気になるらしい。俺はうーんと、伸びをした。
「じゃあ、リハルは、なんで俺に執着するのかわかった?」
「いいえ、わかりません」
きっぱり言いやがる。俺は苦笑した。でも俺だって――。
「俺もどうしてリハルがいいのか、よくわからないんだ。ただ、リハルに会いたくて、忘れたくなくて――」
触れて欲しかった。
「リハル、キスしてもいい?」
「許しなんて必要ありません。僕はあなたのものだから」
再会してから初めてかわすキスは、柔らかく俺の心を満たして、同時にいろんなものをあふれさせた。
一夜でいなくなってしまった、じいちゃんたち。エデンでの重苦しい生活。担当者の最期の姿。夕焼けの中たなびく煙。
草むらを漕ぎ、廃墟を越え、ブドウをもいで飢えをしのいだ逃亡生活。
いろんなことがごちゃごちゃ浮かんでは消えて、俺は声を立てて泣いた。
生まれたての赤ん坊みたいに、だれにはばかることもなく、わんわん泣いた。
その日リハルは、一晩中俺の傍にいてくれた。
保健室の狭いベッドで、二人並んで眠った。
「リハル、シティに帰らなくていいの?」
「よくはないですけど、君を一人にしたくない……」
「人間みたいなこと言ってんな」
「そりゃ、人間を模して造られたものですから」
俺は彼の皮肉に笑ったが、リハルの目はどこかぼんやりと遠くを見ていた。
「リハル……?」
シティに帰るのをやめた日から、リハルの様子が少しおかしい。
巡回ロボットに引っ掛かりそうになってるし、ぼーっとしている時間が増えた。
その日もそう。俺とリハルの二人だけの教室でくだらないことを話し合っていた時、リハルは急に動きを止めた。
「リハル、どうしたんだよ。風邪か? ロボットも、風邪とか引くの?」
すると、彼の表情がすとんと抜け落ち、どこからかピロピロと場違いな明るいメロディーが響いた。
『こちらの機体は対応年数を超過しています。メンテナンスを受けてください』
そんなメッセージが繰り返される。
「対応年数……?」
その言葉、前にもどこかで聞いた気がする。
そうだ、エデンの担当者が言っていたんだ。新人類は旧人類と比べて対応年数が低いって。
リハルがハッとした様子で俺を見て、気まずそうに目を伏せた。
「リハル、今のなんだよ! おまえ――」
死ぬのか?
俺は唇を嚙んでその言葉を飲み込んだ。
「いつから……」
「あなたに出会う前から。そう僕は、あの日自分の時間がもう少ないことを感じて……。だから見に行ったんです。あの場所を」
彼の告白を俺は黙って聞いた。
何を言えばいいのかわからなかった。
「最初はね。少々投げやりだったんです。シティを抜け出したのがバレて処分されたところで、どうせ同じだって。だけど伊澄、あなたに出会って欲が出ました。もう一度、もう少しだけ――」
それなら、俺だって同罪だ。リハルとの時間が永遠じゃないと知っていた。知りながら、見ないふりをした。
今だってそうだ。
俺はどこかで思っていた。このまま二人で暮らすなんて無理だって。
「罪、なのかな、これは――」
「え?」
リハルがまばたきしてる。
きれいだな。琥珀色の瞳に、それをふちどる長いまつげ。
気づけば俺は、彼のまぶたに口づけていた。
「伊澄……?」
「俺、わかった気がする。ロボットだとか新人類だとか関係なく、ただ、どうしようもなくリハルが必要なんだ。覚えておきたい、リハルのこと。声も、仕草も、その体ごと。
「……誘ってます?」
「聞くなよ。でも、そう……。できるんだよな、セックス」
「一応それらしい分泌液は出ますね」
俺はぶはっと吹き出して大笑いしてしまった。
「もっとマシな言い方ないのかよ」
「伊澄、大事なことです。聞いてください」
「なに? できない?」
「僕の機能的に、あなたにそうにゅ――、あなたを抱くことしかできません。それでもいいですか」
「マジか」
正直、そこまでのことは考えていなかった。
キスの延長、ふれあうところ……。そこまでしか想像できていなかった。
いや、女性を相手にすることなら習ったけれど男同士で何をするか、というところまでは……。
「マジかぁ……」
「ダメですか?」
また笑いだしそうになった。リハルときたら、やけに残念そうだ。
「お前、俺のこと抱きたいの?」
その時のリハルの瞳を見て、俺は、あの日のことを思い出した。
「あなたを、僕のものにしたい」
リハルの言葉も、記憶をなぞるようだった。
むき出しの欲。
俺もたぶん、彼と似たような顔をしている。
夕暮れから薄闇に変わり、やがて教室内を月が照らした。
均整のとれた美しい筋肉を俺は少し恨めしく思った。肌は相変わらず瑞々しく、対応年数とやらが過ぎてるなんて、見た目からはまったくわからなった。
リハルはこんな時まで涼しい顔で、俺ばかりがうろたえて、重ねた手をきつく握った。彼の首に縋りついた。
長い長い夜だった。
「骨をね、回収するんです」
「え?」
俺は体に毛布を巻き付けて、のそのそと起き上がり、リハルの横顔を見つめた。
リハルは窓の外を眺めていた。朝焼けがきれいだった。
彼はすでに服を身に着けていたけれど、安っぽいTシャツは、彼に少しも似合っていなかった。
「僕らはエデンで作られ、エデンに戻される。そして■曜日に、焼かれて骨にもどると、またその体に新たな肉体を貼り付けるんです」
「それって……」
旧人類を素材とみなすだけじゃなく、旧人類もまた、自らを素材扱いしているってことだ。
「エデンて、だれが何の目的で作ったんだ……」
「エデンが作られた目的は、人類の種の保存のためで、シティが作られた目的は人類の文化の保存です」
テキストを読み上げるみたいに、リハルは言った。
リハルが失われてしまったようで、俺はぞっとして彼の腕をつかんだ。
「なんです?」
「いや、……なんでもない」
『だれが』の部分は謎のままだったけど、俺はもう聞く勇気が出なかった。
「だからあの人は、死ぬわけじゃないとか言ったのかな……」
「あの人?」
「エデンでの、俺の担当者。俺をエデンから逃がしてくれた人。たぶん、俺が壊してしまった人。……リハル?」
リハルはわかりやすくむくれていた。
ほほをつつくと、彼はさらに顔をそむけてしまった。
「……やっぱり、あなたは他の人もたぶらかしたんですね」
「嫉妬か?」
思わず、ニヤニヤしてしまった。
だけど、その笑いもすぐに引っ込んでしまう。
「あなたはちっとも僕のものにならない。僕だけのものにしたいのに……」
リハルの独白を聞いて、笑いがこみ上げた。
それは、俺がいつも思っていることだった。
「人間て、満たされないようにできてるのかもな」
「僕は人間じゃない」
「いいや、人間だよ。リハルほど、人間らしいヤツ、見たことがない」
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