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第9話 クロスロード

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 早朝から始まった馬車の旅だったが、陽が沈むにはまだ余裕がある時間帯には次の町にたどり着くことが出来ていた。
 距離的には故郷の村からウィルティアの町の距離よりは遠いだろうが、それでも一日も掛からず到着とは……。さすが、馬車は違う。

 俺は荷台で眠りに落ちてしまったレイラを起こすと、御者に代金を払って馬車を降りた。
 まだ眠いのだろう。
 レイラは俺の手を握りながらも、残った左手でしきりに目を擦っている。
 もしも、近くに椅子か何かがあろうものなら、座り込んで眠ってしまったかもしれない。
 今夜ちゃんと寝られるといいのだが……。

 とは言え、まずは今夜の宿を見つけて、陽が落ちるまでの時間だけでも情報収集をしていよう。
 俺は今日の予定を頭の中でまとめると、レイラの手を引いて町の門をくぐりゆく。

 中央街道と山岳街道。
 それぞれ異なる隣国への国境へと連なる主要街道の合流点。
 ここクロスロードの町は、キリスティア王国とサイレント王国、そして、北方のフレイランドの3国を結ぶ貿易街であった。

 街は中央で交わう街道を起点として周りに広がるように広がっており、店の殆どが宿屋であったウィルティアとは違い、様々な商店や民家、屋敷などの建物が目立つ。
 貿易が盛んな街なだけあり、今まで見た事のない服装や他国の人達が入り乱れているのが新鮮だった。
 特に驚いたのは、獣人族もチラチラ見受けられた所だった。
 しかし不思議だったのは、街で見かける獣人族は例外なく首に首輪を嵌めていた事だ。

 不思議に思いしばらく街の人達に目を馳せていた俺だったが、ふと、視界の端に見た事のある人物が通り過ぎたような気がした。

「あれ?」

 直ぐに人ごみに紛れてしまったのではっきり自信を持って言えないが、かなり馴染みのある顔だったと思うのだが……。
 思うのだが、喉元まで出かかった名前が出てこない。
 思い出せそうで思い出せないこの感じ。いつ経験しても非常に気持ちの悪いものだ。
 俺はその人物が消えたであろう路地に向かって早足で向かう。
 突然俺が歩行スピードを上げたからだろう。
 つないだ手の先で「ミギャッ!」と、レイラが吃驚したような声を上げた



 馬車や移動する人で混雑していた大通りとは違い、路地裏に入ると人口密度も下がり、落ち着いた雰囲気に落ち着いた。
 とは言え、俺がこの場に来た目的は人探しである。
 これだけ人が少なくなれば探しやすくなると思うのだが。

 俺は一度立ち止まると周りを見渡し考え込む。
 一瞬何か見間違いかもと思わないでもなかったが、あの目立つ容姿を見間違えるとも思えないのだが……。
 俺が物心着く頃には傍にいて、一年前に居なくなった真っ白な髪の綺麗な人だった。
 俺と、それからフィリスにとっては姉のような存在で、よく面倒を見てもらったものである。
 そこまで考えて、どうしても名前が思い出せなかった原因に行き着いた。

「おお……。俺あの人の事『姉さん』としか呼んだ事ないんだった」

 単純にして意外すぎる理由であった。
 その後もしばらく考えてみたのだが、記憶を遡ってみても名前で呼んでいる描写がない。俺の思い出の中にいるのは、俺に『姉さん』と呼ばれて微笑む優しい人だ。

「失礼します」
「本当にありがとうございました」
「いえ、これも仕事ですから。お大事にしてくださいね」

 そうそう。
 こんな穏やかな優しい声でいつも話しかけてくれてたっけ。
 俺が怪我をすると覚えたばかりの回復魔術で回復してくれて、「あんまり無茶しちゃダメだよ?」と言って、軽く小突いてくるのだ。
 大抵、そういう時にフィリスが近くにいたりすると、思い切り脛を蹴ってきて新たに怪我を作ったりしてね。甘酸っぱい思い出だ。

「って、あれ?」

 俺は思考から回復すると、声のした方に視線を向ける。

 見えたのは一軒の民家から出てきたひと組の女性。
 一人は茶髪の中年の女性で、ドアの前に立つ立ち位置から、恐らく家主だと思われる。
 その人に向き合うように立っているのは真っ白い髪を腰まで伸ばした若い女性だった。
 柔らかな笑顔を中年女性に向けて、軽くお辞儀をしている。
 物腰もそうだが、非常に均整のとれた顔立ちをしており、世間一般的な基準で見ても美人と言えるだろう。いや、何処となく幼い印象を受けるから、美少女といっても通るかも知れない。

 髪の長さは記憶と違う。
 しかし、その容姿を俺が見間違うはずがなかった。

「姉さん!!」

 俺の呼びかけに、その女性がこちらを振り向く。
 初めは不思議そうに。
 そして、直ぐにその表情が驚いたものに変わる。右手を口の前に持っていき、一瞬言葉を失ったような、そんな表情。

「ひょっとして……テオ?」

 懐かしい声で呼びかけられる。
 故郷とは遠く離れたこの町で、俺は『姉』と再会した。




 街道脇の小道をしばらく進んでいくと、外壁付近に沿うように並んでいる一般住宅街。
 沢山立ち並ぶ建物の一つに姉さんは住んでいるという事だった。
 一階平屋の建物で、部屋は一部屋。借家ということだが、一人で暮らす分には十分だろう。
 窓際にベッドがあり、中央に木製のテーブルが置かれている。
 他には細かい小物が置かれているくらいで、あまり荷物は多くなかったから実際の広さ以上にゆとりがあるように感じた。

 俺はテーブルに備え付けられた椅子の一つに進められるままに腰を落ち着ける。
 姉さんはと言うと、ここに来るまでの間しきりに船を漕いでいたレイラをベッドに寝かしつけている所だった。
 その際、帽子を取ったり服を脱がしたりしていたから、レイラが獣人族だという事はわかっただろう。
 俺はこの後姉さんに何か言われるだろうとドキドキしながら待っていた。

「よっぽど疲れたのね。ぐっすり眠ってるわ」

 レイラを寝かしつけた姉さんがフフッと笑いながら椅子に腰を落とす。

「それにしても、テオがあんな小さな子を連れて旅をしてるなんてね。ちょっとビックリしちゃった」

 レイラの耳と尻尾についての言葉はない。
 まさか、獣人族の事を知らない訳ではないだろうに。
 いや、そう言えばこの街では獣人族はさして珍しい存在でもないな。レイラとこの街の獣人族の違いと言ったら首に付けた首輪くらいだろうが、ひょっとしたら、この街では獣人族は人間族と対等に扱ってもらえるのかもしれない。

「実はそれについてはいろいろあって。あの子を連れているのも成り行きというか」
「ふうん」

 俺の言葉に相槌を打ちながら、姉さんはこちらをじっと見つめる。
 実はここに来るまでの間にどこからどこまでを話そうかと考えていたのだが、姉さんの一言があまりにもこちらの心情を見透かしているような色を感じたものだから、全てを話そうと決めた。

「姉さん」
「なあに?」
「今からこれまでの事を話そう思うんだけど、姉さんにとってショックな事ばかりだと思う。だから、もしも姉さんが辛い事を聞きたくないと思うなら、そう言って欲しい。そうしたら、俺はレイラを連れてこの家から出て行くから」

 全ての話を聞いたら、姉さんは俺を元のようには見られなくなるだろう。
 ひょっとしたら、憎むようになるかもしれない。
 だから、これは俺自身が俺自身にかけた保険だった。
 姉さんに嫌われたくない。
 姉さんに罵られたくない。
 なんの事もない。俺自身の為だった。

「いいよ」

 しかし、そんな俺の思いとは裏腹に、姉さんはいつもと同じように柔らかく微笑みながら俺に話を促す。

「話して。テオの話、全部聞きたいから」
「わかった。じゃあ最初から話すよ」

 俺は全てを話した。
 俺の勝手な行動で、一人の冒険者に合ってしまった事。
 その時に森の精霊と接点を持ち、一つのお願いをされた事。
 フィリスに泣かれた事。
 精霊の願いを叶える為に両親の言いつけを破り、森に入っていった事。
 そこで一人の獣人族の少女に出会って、村の掟を破り獣人族の集落まで行った事。
 獣人族の集落で人身売買の組織と接触し、その中の一人が前日に出会った冒険者だった事。
 その冒険者に、自らの出自を知られた事
 その冒険者に獣人族の少女共々殺されかけた事。
 それを、森の精霊に助けられた事。
 村に戻ると全村人が殺されていた事。
 自分が精霊魔術が使えるようになった事に気がついた事。
 連れ去られた獣人族を見つける為に2人で旅立つ事を決めた事。
 グレイブと出会ったウィルティアの町での生活の事。
 魔人族と戦い、見逃してもらう事で何とかこの街に来る事が出来た所まで。

「そっか……」
「…………」

 俺が話している間、姉さんは一度も話の腰を折らずに黙って聞いてくれていた。
 そのせいか、俺は旅立ってから初めて、落ち着いてこれまでの事を考えられたと思う。
 何しろ、今までは小さな子を抱えて生きていかなければいけなかった。
 それまでは両親の庇護の元、世間の事など殆どわからない田舎で何不自由なく暮らしている身分だったのに、だ。
 訓練程度に小動物を狩っていた日々が、その相手がいつの間にか魔術師になり、猛獣になり、更には魔人族まで相手にした。
 何度も死ぬ思いをしたし、沢山の死も見てしまった。
 その中には両親と、幼馴染も含まれていて……。

「……?」

 いつしか握り締めていた右手に温もりを感じた。
 目を落とすと、何故かぼやけていてよく見えない。
 でも、右手が何か温かいものに包まれているのだけはわかった。
 目を上げる。
 そこには小さな頃に姉と慕った人がいる。
 いるはずだ。 
 でも、その姿は曇りガラスを通したようによく見えない。

「いいんだよ。もう我慢しなくても」

 姉さんは優しい声で呟く。

「頑張ったね。テオ」

 その言葉で、俺は自分が涙を流している事を知った。
 故郷の村を出て、レイラと旅を始めてから一度も見せた事がなかった涙。
 どうやら、一度出てしまうとこれ涙は簡単は止められなくなるらしい。
 俺は故郷を失って以来流した事のなかった涙を流し、声を押し殺して泣いた。



 どれ位泣いていただろう。
 気がついたら俺は姉さんの胸に抱かれながら背中を撫でられている所だった。

「……姉さん」
「ん?」

 流石に恥ずかしくなって、俺は姉さんから体を離す。
 そんな俺の心情を想ってくれたのか、姉さんも素直に離れてくれた。
 しかし、話し始めた時はテーブルの対面に置いていた椅子を俺のすぐ傍まで持ってくると、そこに腰を落ち着ける。
 丁度俺と膝を突き合わせるような格好だ。
 この位置だと今度何か醜態を晒した時にまた子供扱いされてしまうのでは……と思い、何となく居心地が悪くなった。

「姉さんは……俺を恨まないの?」

 久しぶりに会った姉さんは優しい姉さんのままだった。
 でも、これだけは聞かなければならないと思い、聞く。
 死んでしまった人達の中には姉さんの両親だっていたのだから。

「恨まないよ」

 どうして? と、逆に聞いてくる姉さん。

「だって、俺のせいでみんな死んじゃったんだよ? あの日、俺があの冒険者に合わなければみんなは死ななくてすんだんだ」
「そうなのかな……」
「そうだよ」

 少し落ち込んだように眉を寄せた姉さんに、俺は続ける。
 でも、やはり姉さんはどこから理解しにくいような表情をしていた。

「でも、もしもテオがその日その冒険者の人に合わなかったら、誰も知らないままに獣人の人達は連れて行かれてしまったんでしょ?」

 姉さんはベッドの方に視線を向けながらそう言う。
 ベッドの上ではレイラが穏やかな寝息を立てて眠っていた。

「……あの子も連れて行かれて奴隷にされていたんじゃない? でも、あの子は自由なままテオと一緒にいる」
「その代償が村人全員の命でも? 一人を助ける為にみんなが死んでしまった事が仕方ないと?」

 姉さんの言った事が信じられなくて、思わず反論してしまった俺だったが、すぐに崩した姉さんの表情を見て、言葉に詰まる。

「仕方ないなんて思ってない。お父さんとお母さんが死んでしまった事が哀しくないなんて事ない」
「……ごめん」

 そうだ。
 悲しくないなんて事はないのだ。
 ただ、俺がいる手前それを見せないだけなのだろう。
 姉さんは俺なんかよりもずっと大人だった。

「悲しんでいないわけじゃないけど、それでテオを責めるのも違うと思う。テオは自分の行動でみんなが死んでしまうなんて思ってたの? 違うでしょう? なら、それでテオが責任を感じる必要はないと思う」

 言いながら、姉さんは俺の手を握る。

「それに、もしもテオにその気があったとしても、私には何かを言う権利なんてないよ。一年前に村を捨ててしまった私には」

 握った手をギュッと握りしてくる姉さん。
 俯いてしまって表情の全てを把握することは出来ないけれど、俺の話を聞いて一番後悔したのは姉さんだったのかもしれない。
 俺と同じように、村を出てしまったという自分自身の行動に。

「わかった。じゃあ、これ以上は何も言わないよ」
「うん」

 とりあえず、俺がこれ以上何か言った所で何かが変わる事はないだろう。
 俺の言葉に頷いた姉さんを見ているとそう思う。
 それに、これ以上後悔ばかりしていても仕方がない。

「そう言えば、テオはいつまでこの街にいるつもりなの?」

 さっきまでの空気を振り払うように、努めて明るく話しかけてきた姉さんに対して、俺は少し考えて答える。

「いつまでってのはまだ考えてないけど……。獣人族の人身売買組織の情報を探して、一番怪しい場所に行こうと思っているから、まずは、冒険者の仕事をしながら、情報収集かな?」
「じゃあ、しばらくはいるんだ?」
「……多分」

 正直な事を言えば、多少資金に余裕がある今は、情報さえ集まったらすぐに出発したい所だったけど、何か、姉さんの前では言いたくなかった。
 何となく、俺自身も離れがたくなったというのもある。

「そっか」

 そう言いながら、姉さんは満足そうに頷く。

「なら、それまでの間は家で寝泊りするといいよ。宿を取るのももったいないでしょ?」

 金銭的な面で考えるなら確かにそうだ。
 それに、姉さんの家だったら、俺が留守の間レイラを寂しがらせる事もないかもしれない。

「そう、だね。そうしようかな」
「うん。遠慮しなくていいからね」

 俺の言葉に、姉さんは嬉しそうに微笑んだ。
 こうして、これからの宿を探しに行くまでもなく、俺はこの街での活動拠点を手に入れた。
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