復讐者は禁断魔術師~沈黙の聖戦~

黒い乙さん

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第13話 少女の咆哮

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 洞窟に入ると、直ぐに冷たい風が俺の体を通り抜ける。
 洞窟の奥から流れてくるであろう風は、今の季節が夏とは思えない程に冷たいものだった。
 俺は手にしていた栗色のジャケットを羽織ると、洞窟の奥へと進んでいった。
 洞窟は以前グレイブと共に探索したものに比べれば大きなものだったが、それでも馬車が通れるような間隔はない。
 そもそも、昔はこの洞窟を国境越えに使用していたのが信じられない程でもあった。
 自然の洞窟である為、天井の高さや幅は進むたびに姿を変える。
 時折小さな脇道があったりしたが、基本的には多少曲がりながらも山の反対側まで通じているようだった。
 正に、ガルニア山脈を貫く『風穴かざあな』といった所だろう。

 しばらく進んで大体の構造を把握したものの、レアンドロ達の通った痕跡は発見できない。
 あまり奥に行っても帰る時間が置くなるだけだから、そろそろ戻ろうかと思った時だった。

「……これは」

 それは一つの横穴だった。人一人がようやく通れるような細い穴。
 なんの変哲もない横穴だ。初めはそう思った。
 しかし、その壁がほかの壁に比べて白かった事、横穴の床付近が滑り易く、光沢を放っているのが気になった。

「これ……霜か?」

 俺は足を滑らせないように気を付けながら横穴に一歩足を踏み入れると、壁に手を触れる。
 すると、思わず手を引っ込めてしまう程の冷たさを感じた。
 どうやら、壁が冷気で凍りついているようだ。

「確かに肌寒いし、こういう場所には溶けない氷床があるって話は聞いた事があるけど……」

 ここまでカチコチに凍るほど温度差があるのも不思議な話だった。

「ちょっとだけ、行ってみるか」

 ひょっとしたら魔術の類か何かも知れない。
 俺はレアンドロが物質魔術師だったことを思い出し、横穴に足を踏み入れた。



 奥に進めば進むほど、真冬のような寒さになり、俺はジャケットの前を合わせて進む。
 前方から吹き付けてくる風は冷たいというよりももはや痛いくらいで、瞬きをする度に何度か睫毛が凍りつき、瞼の開閉に苦労するくらいだった。
 ここまでくれば、もはやこれが魔術の類でない事くらいは俺にもわかる。
 確かにレアンドロは凄腕の魔術師だが、それでも人間離れした実力者というわけでもない。
 それに、風魔術は確かに得意なようだったが、セットで扱うのは水系よりもむしろ炎系の方が多かった。
 それは、家屋の火を消す時に使った水系魔術は丁寧な詠唱魔術だったのに対し、炎系は簡易詠唱だった事から伺える。

 もはや岩というよりも氷になってきた岩壁の中進んできた俺だったが、行く先に大きな氷柱が目に入った。
 俺は傍に近寄ると、氷柱に目を向けた所で固まった。
 ただの氷柱ではなかったからだ。
 その大きさは成人男性ほどのサイズだった。
 当然だろう。
 その氷柱は凍りついた人間そのものだったのだから。
 何かを見て驚いたような表情のままで、首があらぬ方向に曲がったまま、完全に凍りついていた。
 自然の現象で人間が凍りついてしまうなんて事があり得るのかだろうか?
 しかも、驚くべきは氷の中で死んでいるその男の顔だった。

「こいつ……あの時獣人族の集落にいた男の一人だ」

 レアンドロと相対する前に見た、獣人族を拘束していた男達。
 顔をハッキリと覚えているわけでは無かったが、その服装には覚えがあった。
 レアンドロ以外の全ての男達は例外なく獣人族のような格好をしていた為だ。
 
 この男がこんな所で氷漬けになっている理由はわからない。
 しかし、これでレアンドロがこの洞窟を通り抜けた事は確定した。
 だが、分からない事は他にもある。

「王都に向かうだけならそのまま通り抜ければ良かったはず。なのに、何でこんな横穴に入ったんだ?」

 あるいは俺と同じように凍結した横穴に興味を持ったか。
 確かに、ここまで寒いと何かあるかと思ってしまう。
 珍しい自然現象を見てみたいという好奇心が働いてもおかしくはない。

 ……本当にそうか?

 俺が知っているレアンドロという男は、そんなに好奇心が強い男だったか。
 本当にこんな事が自然現象で起こり得るのか。
 いや、その前に。
 この男の本当の死因はなんだ?

 首が90度以上曲がって凍りついている男。
 それは、凍る前に何かで首を折った事を意味する。
 何で?

 俺は後ろを振り返る。
 
 不気味な氷柱を見つけた事で気が付かなかったが、この場所はちょっとした部屋になっているようだ。
 20m程だろうか。歪な正方形と言うような感じだ。
 他には氷柱は存在しない。
 当然、レアンドロは存在しない。
 存在するのは、ここから正面の壁の中央に埋め込まれた氷の塊と、その前に佇む、雪のような‘白い毛皮の塊’だった。

 氷の塊は自然に出来たものだろうか。
 丁度壁に窪みがある事を考えると、天井から垂れた水滴が長い時間をかけて凍っていったものだとも考えられる。
 
 そう、氷の塊は自然の物だとしてもおかしくない。

 だが、その前にあるあの白い毛の塊は何だ?
 何処かで見た事がなかったか?
 どこで?
 そうだ。確か、クロスロードの酒場でだ。
 あの時は、この洞窟の話を聞いた2日後に洞窟に住む凶暴な‘氷の精霊’の事を調べようと思って酒場の主人に聞いた時、報奨金の出る討伐獣の依頼書を見ろと言われたんだった。
 そこに描かれていた獲物と、この塊。
 どこか似ているように思えないか?
 気がついたら後ずさっていた。
 だが、俺のすぐ後ろには一本の氷注が存在していたため、下がりきれず代わりに大きな物音を立ててしまった。

 毛玉が動く。
 立ち上がった白い毛玉の大きさは俺の1.5倍はあっただろう。
 背は毛皮で覆われていたが、正面には浅黒く盛り上がった筋肉が見える。
 顔は猿のようで、やはり浅黒い顔をしていた。
 目は虚ろ。
 だが、その生気を感じない瞳に俺の理性が警鐘をならす。

 こいつはやばい。

 俺がブロードソードを引き抜くのと、そいつの濁った瞳が俺に向けられるのは同時だった。

「ゲルガー!!」
「がああああああああああああああっ!!」

 ゲルガーを呼び出し、すぐさま横っ飛びで距離を取る。
 その横を白い化物は俺がいた場所に突進し、そこに立っていた氷柱を粉々に打ち砕いた。
 もはや、間違いじゃない。
 俺はとっさとは言え入口と反対側に飛んでしまった事を本気で後悔した。
 こいつは、俺が依頼書を見て直ぐに興味を失った、クロスロードの酒場での討伐獣。

 雪の巨人──フロストジャイアントだった──




 フロストジャイアントの猛攻は続いた。
 幸運だったのは奴は大きな体躯そのままに、その動き自体はそれほど俊敏ではなかった事だ。
 しかし、それは俺がゲルガーを使用して身体能力を向上させているという前提での話だ。
 身体強化を使用する事で何とか攻撃を躱しているものの、俺の魔力には限界がある。いつまでも精霊魔術を使用できるわけではないのだ。
 しかも、ゲルガーは使用魔力がドライアドに比べれば場所も選ばず大きな魔力も消費しないコストパフォーマンスに優れた精霊ではあったが、身体強化をしている限り常に魔力を消費し続けるという短期決戦向きの精霊魔術だった。
 何が言いたいかというと、長引けば長引くだけドライアドよりも質の悪い精霊魔術とも言えた。

「……仕方ない」

 俺はブロードソードを構えると、覚悟を決める。
 ここまで来たら、もはや銅貨30枚の強度を信じるしかなかった。

「ここで武器を失ったら確実に死ぬ。頼むから持ってくれよ」

 この場所ではドライアドと意識を繋ぐだけで根こそぎ魔力を持って行かれてしまうだろう。
 森の中に有った遺跡の洞窟などよりもさらに遠い場所。
 ここは荒廃した山脈の中腹。その洞窟の中なのだから。
 俺はゲルガーに魔力を注ぐ。
 全身に力が行き渡り、視界が一気に広がった。
 代わりにごそっと魔力が失われた感覚が走るが、そんな事はどうでもいい。
 ここまできたら短期決戦。
 全力の力をもって──

「勝負!」

 近づいてきた俺に対してフロストジャイアントは腕を振り上げ一気に下ろす。
 俺はそこから更に加速し、腕を掻い潜りながらその腹に剣を突き立てた。
 そのまま切り裂きながら入口まで走る──

 筈だったのだが、剣が抜けない。
 見ると、刺した傷口付近が凍結しており、流血もしていない。
 そもそも、刃引きしていないような切れ味の悪い剣だった事も災いした。

「……げ」

 巨人の足が後ろに下げられるのが見える。
 飛んでくるのは膝蹴りか、肘鉄か。
 上か下。
 俺は下に賭けて剣の柄に足をかけて飛び上がる。
 そして、飛び上がり様、巨人の頭の毛を掴むと、その鼻目掛けて思い切りヘッドバッドをかます。
 悲鳴を上げて仰け反る巨人の足は、丁度俺の真下で空を切る所だった。
 危なかった。

 俺は着地すると、柄を両手で掴むと、思い切り引き抜く。
 腹の筋肉が弛緩したのだろう。今度はズルっと抜けて、一緒に赤い血が吹き上がった。
 俺はそのまま第二擊を叩き込もうとしたが、直ぐに止めて後退する。
 すると、目の前を奴の右拳が通り過ぎ、地面に大きな凹みを生成した。

「……とんでもない生命力だな」

 腹を刺した。
 出血もしたし、恐らく内蔵も傷つけた筈だ。
 しかし、目の前の巨人は既に血は流しておらず、唸りを上げながらこちらに近づこうとしていた。
 何とかここから逃げられないか考える。
 あの巨体だ。
 恐らく、入口を通り抜ける事は出来ない。
 どうやってこの部屋に入ったのかと言う素朴な疑問は残るが、今はそんな事を考えている場合でもない。
 せめて、奴の気が散るものでもあれば、そいつを囮に逃げるのだが……。

 と、そこまで考えて、この部屋の入り口付近に有った氷柱の事を思い出す。
 あの男は、レアンドロに切り捨てられた囮だったのだ。
 ひょっとしたら、レアンドロはここを通り過ぎるついでに報酬獣を狩ってしまおうと考えたのかもしれない。
 だが、あまりに強敵だったため、途中で撤退した。
 そう考えると、辻褄が合うような気がする。
 もっとも、それが本当なら、俺はレアンドロが敵わなかった怪物を相手にしているという事になってしまうのだが……。

 剣を握る。
 もうそう長い時間を戦ってはいられない。
 全力を込めた俺の攻撃が効かない以上、どうにかして逃げるしか手はない。
 俺は壁に背を預けながら、少しづつ立ち位置を変えていく。
 そんな俺の動きに合わせるように、雪の巨人も少しづつ前に進みながら俺の正面に立てるように追い立てる。
 追い立てさせる。

 ……よし。

 俺がいるのは丁度壁に埋め込まれた氷の正面。
 初めにフロストジャイアントが蹲っていた場所だ。
 この位置からなら入口が見える。
 なら、ここから巨人の懐に入り、攻撃を加えつつそのまま入口に逃げ込もう。
 もう、剣が抜けなくても構わない。俺は直ぐに戻ると約束したのだ。約束も守らずにこんな所で終わる訳にはいかない。
 いや、そもそも、喧嘩したまま別れるなんて真似が出来るか。

「行くぞ!」
 
 魔力を込め、俺は走る。
 腕か足か。
 どちらかの攻撃であろうとそれに合わせてカウンターを叩き込む。
 しっかりと眼を広げ、走る俺に対して、奴はどちらも動かさない。
 焦れる俺に対して、奴がしたのは大きく口を開けた事だった。

 背筋に凄まじい悪寒が走った。

 咄嗟に反応できたのはもはや奇跡に近かった。
 前進に使っていた足を咄嗟に交差させ体を捻ると、重心が残った右足の力で思い切り後方に飛ぶ。
 しかし、巨人の吐き出した息は人間の動きなどよりも遥かに速かった。
 
 コールドブレス。
 
 人一人を氷柱にしてしまう事が出来る吹雪の息。
 体を捻って当たる面積を減らしたこと、後ろに飛ぶ事でその効果範囲から逃げる事にある意味では成功した。
 だが、それは俺自身が氷漬けにならなかっただけであり、冷気の息を浴びてしまった事実に変わりなく……。

 結果、俺の体は真っ白な霜に覆われ、全く動けなくなってしまった。
 全身が冷え切り、指先一つ動かせない。当然口も動かないから、呼吸さえするのもやっとの状況。
 どうやら、この辺りで俺の人生は終了らしい。
 
 後悔は山ほどある。
 初めから横穴に興味を持たずに戻れば良かった。
 氷柱を発見した時にフロストジャイアントの特性を思い出せなかったのか。
 いや、そもそも、ゴネるレイラを置いて調査に来たこと自体が間違っていたのだ。

 ……レイラ。

 あの子は俺がいなくなっても一人で生きられるだろうか。
 この旅が自分の両親を探す為だと教えた事はない。
 言った事はあるが、あの頃のレイラは言葉が全くわからなかったから、理解はしていなかっただろう。
 ならば、クロスロードに戻って姉さんを頼るだろうか。
 レイラは姉さんに懐いていたから、文句は言わないだろうし、姉さんも受け入れてくれると思う。
 俺がいなくなって姉さんは悲しむだろう。
 きっとレイラも。
 ああ。
 最後に喧嘩をしてしまった事だけが心残りだ。
 だからだろう。

 部屋の入口にレイラの幻覚が見えるのは。

「……お兄ちゃん……」

 声が聞こえた。
 目も合った。
 グレーのジャケットにレースのカチューシャを付けた栗色の髪の少女。
 その髪が、ブワッと逆立った。
 黄金色の瞳が薄暗いこの部屋で煌々と輝く。
 その輝きに呼応するように、両手につけた手袋が赤く発光した。

「お兄ちゃんに──」

 巨人が振り向く。
 首がやや後ろに傾いたのを見るに、コールドブレスを吐こうとしているのかもしれない。
 俺の口は動かない。
 声が出ない。
 これは幻覚ではない。
 レイラがいる。
 何故かここにいる。
 怒りの表情で目の前の化け物に突撃しようとしている。
 
──あの小さな体で。

「触るニャーッ!!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 レイラの叫びを聞いた瞬間、俺の中で何かが壊れた。
 何か。
 多分魔力だ。
 残っていた魔力が一斉に一箇所に集まる感覚。
 そして、集まった魔力が一瞬で爆発し、全身の筋肉が、骨が、神経が、血液が猛烈に暴れまわり──

 世界が止まった。

 俺は剣を手にして立ち上がる。
 巨人はコールドブレスを吐く寸前だ。
 その巨人に向かってレイラが発光した右手を後ろに引いて、殴りかかろうとしている。

 俺は巨人の背後に飛び込む。
 巨人が顔を前に突き出した。
 レイラの拳が巨人の腹にめり込む。
 そして──

 俺の剣が巨人の背中から胸まで一気に貫いた。
 レイラの拳はそのまま巨人の腹を突き破り、巨人の息はレイラの髪の一部を凍らせながら壁へと消えた。
 だが、そこで終わらない。
 俺の足は止まらず、そのまま巨人の体を肩に押さえたまま、前方へと。
 やがて壁に激突し、剣の切っ先が壁に埋め込まれる感触が腕に伝わる。
 剣を伝って巨人の血液が俺の腕を経由して落ちる。
 それはとても暖かく、氷を吐き出す生物の物とは思えなかった。 

「ゴフッ」
「お兄ちゃん!」

 口から鼻から血が垂れて、視界が真っ赤に染まる。
 手の感覚どころか全身の感覚もなく、足に至ってはビクビクと痙攣している。
 剣の柄から手が滑り落ち、壁に縫い付けられたフロストジャイアントの体に寄りかかるように崩れ落ちた俺に、レイラはガバッと抱きついた。

「……レイ……ラ……」
「ヤダ。お兄ちゃん。ヤダ。冷たいのヤだよ」

 もはや、レイラに抱きしめられている感覚もない。
 泣きながら、俺の鼻や口元を一生懸命舐めている彼女を慰める事も出来ない。

「ヤだよ。ヤだよ。冷たいのヤだよ。おにいちゃん!」

 レイラの声は聞こえるが、ゲルガーの声は聞こえない。
 どうやら、全ての魔力を使い切ってしまったらしい。
 それでも、眠くならないのは……。
 きっと、そういうことなんだろう。

 俺は涙を流す少女をその目に捉えながら、俺の中にいるであろう精霊に感謝する。

 命を砕く覚悟をもって、レイラを助けてくれて本当にありがとう。

 レイラの鳴き声を遠くで聞きながら、俺の意識は白い世界に吸い込まれた。
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