御伽噺の片隅で

黒い乙さん

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第三章 はた迷惑な居候

04 お前は一体何を言っているんだ!?

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 今日の仕事は散々だった。

 まだまだ新人だったから笑って許された部分が大きいのは自分でもわかっているのが余計に悔しい。
 特に、今回の場合は仕事に集中していなかったから起きたミスだ。一社会人としては絶対に許されるべき事ではない。

 それでも俺はなんとか気持ちを切り替えるとハンドルを握って家に向かう。
 既に買い物は済ませて、助手席と後部座席は買い物袋で一杯だが、俺の財布は空っぽだ。
 これであの2人のこっちに来た理由が下らなかったら目も当てられない。

 俺は車を玄関の前に横付けすると、玄関の扉を開けて荷物を運び込んでいく。
 すると、4つ目の買い物袋を廊下に置いた所で奥からテテっと白髪の猫耳娘が現れた。

「あ、おかえりー」
「ああ、ただいま。問題は無かった──」

 「無かったか?」そう聞こうとして顔を上げた俺だったが、猫耳少女の着ていた服に目が移って言葉が止まる。
 着ていたのは白い女性用のワンピースだった。
 たしか、俺が着せたのはチェックのワイシャツと黒いスラックスだったはずだ。
 更に言うと、女性用の服はこの家には一着たりとも無いはずだった。

「そ……その服は……どうしたんだ?」

 俺は震える声で服を指差し尋ねる。
 すると、猫耳少女は実に嬉しそうな顔で服をフリフリと揺らした。

「何かね。昼間に来たお姉さんから貰った。似合う?」
「似合う? じゃねぇよこの馬鹿!」

 俺は「ヌガー」っと叫びつつ頭を抱えると、なんとか状況を整理しようと考える。
 が、考えようとすれば考えようとするほどジクジクと心の中から嘗ての醜い感情が湧き出るような気がして必死で抑えた。
 落ち着け。落ち着くんだ俺の感情。

「………………ふー………………」
「ダイジョブ? 何か間抜けな声出してたけど」
「………………グッ………………」

 落ち着け!!
 こいつはかなりアホな子なんだ。
 猫は自分勝手で我儘な生き物ではないか。
 高校生の頃まで飼っていた飼い猫の事を思い出すんだ。
 奴も時折雀の死体を咥えてきては、「褒めて褒めて」と言わんばかりに見せてきたではないか。
 今回の件もそれに近い! きっと! 多分!

「ふー。大丈夫だ。それよりも、その件についていくつか質問したいんだけどいいか?」
「いいよ」

 俺は取り敢えず落ち着くために廊下に腰を落として大きく息を吐き出すと、その隣に猫耳少女がペタンと座った。

「まずそのお姉さんだけど……黒いロングヘアーのアホ面……もとい、ニヤケ面……じゃない。なんて言うんだ? ヘラヘラした女だったか?」
「うーん? 黒いロングヘアーの綺麗なお姉さんだったよ? ただ、真顔だったかな」

 真顔の綺麗なお姉さん? そんな奴俺の知り合いにいただろうか……。
 服を置いていくような女と聞いて俺はすぐに翠の姿を思い出したのだが、あいつの真顔何か見たことないし、綺麗というのも少し違う気がするしな。

「ああ。旦那様の事を「悠斗さん」って言ってた」
「やっぱり翠かよぉ!!」

 よく考えたら平日の昼間にプラプラしているような若い女なんて、この辺では翠くらいしかいないし、そもそも俺の事を悠斗さんなどと呼ぶ人間は世界中を探してもあいつしかいなかった。

「おい。変なこと言わなかっただろうな?」
「変な事って?」
「例えばその耳だ。尻尾は隠せるとしても……ちゃんと隠してから対応したんだよな?」

 俺は一縷の望みを掛けて問いかける。
 こいつはいつも腹を減らしていて言動もあれだが……なんというか、最低限の常識はわきまえているような感じが行動の節々から何となく感じていた。
 年齢も見た目通りではないのなら、ひょっとしたら俺よりも年上の可能性もあるし、流石にここが違う世界であり、俺以外の人間に対する言動に関しては多少気を使うのではないかと思ったのだ。
 何より、こいつは俺の背中に埋め込んだ監視装置を使って多少の情報は入手していたはずだ。
 あの日、俺が帰ってくるまでリビングで待っていたように。

「それならダイジョブ。認識阻害の魔術を掛けてるから、旦那様以外の人にはふつーの人に見えるはずだよ?」
「……それは、“姫様”にも……か?」
「そ。姫様にも」

 俺の問いかけに猫耳少女はあっさり頷く。
 何となく朝の会話からこいつは純粋な人間ではないのではないか? と、思っていたのだが、どうやらその予想は大きく外れていないようだ。
 そして、認識阻害なんていう魔術が存在するのなら、カリスの住んでいた世界でも本当はもっと沢山の人間以外の種族が紛れているのではないかという気がした。
 まあ、今はそれよりも大事な事があるのだが。

「そうか。それじゃあ、取り敢えず化け物騒ぎはなんとかなりそうだな。それよりもお前がどうしてこの家に居るかだな。何か変な事言わなかったよな?」

 翠であれば俺とこの子の関係を普通に聞いてきそうである。
 そして、どうやらそれは正しかったようで、猫耳少女は手を叩いて思い出したように口にした。

「そう言えば、『どうしてこの家にいるのぉ?』って言われたから、『今日からこの家に住むから』って答えたよ」

 微妙に声真似が似ているのがムカツクが、それよりも大事な事を聞かねばならない。

「やっぱりここに住むつもりなのかよ」
「朝もそれ言ってたけど何で? そう言えば、お姉さんも似たようなこと言ってた。『どうしてこの家に住むことになったのぉ?』って」

 翠。
 いい質問だ。だが、して欲しくなかった質問でもある。寧ろ、その質問は俺だけがしたかった。

「で? その質問にお前はなんて答えたんだ」
「え? だから、『私は旦那様の妻ですから』って」
「アホかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 俺は猫耳少女の両肩を掴んでガクガクと前後にシェイクする。

「お前は何を言っているんだ!? 妻!? 妻って言ったか!? あれ!? 俺結婚した記憶全くないけど!! 朝起きたら妻が出来てました。……何だそれは!? 意味がわからん!!」
「そ、そん、な事言っても? しちゃってる、のは、しょうがない、よ?」
「だから言っている意味がわからん!! いや、今はそんな事を言っている場合ではござらん! 翠、翠だっ!! あいつをどうにかしないと……」
「殺す?」
「殺してどうする!? 本当にお前の頭の中はどうなってるんだ!? 考え方が違いすぎる!」

 俺は猫耳少女を突き飛ばすと頭を抱える。
 猫耳少女は突き飛ばされた勢いで三回ほど廊下を転がったようだが何の苦もなくそのまま座った体勢に戻った。

「まあねえ。お互い本人の気持ちとは関係なく結婚した者同士だから、考え方が違って当然だよね。でも、お互いその溝を埋める努力はした方がいいと思うの。どんなに喚いたってどうにもならない事って世の中には溢れてるじゃない? あの姫様みたいに相手を殺すわけにもいかないんだから」

 猫耳少女の言葉に俺は思考を止めると視線を猫耳少女に向ける。
 しかし、当の猫耳少女は全く邪気のない瞳を俺に向けていた。

「私は旦那様の事は『眼』を渡した後の事しか知らないけどさ。それでも、これからずっと仲良くやろうと思ってるよ? それだけは信じて欲しいな」
「わかった。今はお前の話を信じよう。が、詳しい話は後だ。今は翠の件をどうにかしないと……」

 俺は立ち上がると玄関の扉に手をかける。

「ねえ」

 しかし、そんな俺の行動を、同じように立ち上がった猫耳少女の声が止めた。

「こういう時って私は怒った方がいいパターン?」
「一応聞こう。何でだ?」
「だって、これって浮気でしょ?」
「本当にお前の頭の中はどうなってるんだ?」

 俺は振り返る。

「浮気もなにも、俺はどちらにも特別な感情は無い。それを埋めるにしても時間が足りないのはお前にだってわかるだろう? いや、これはお前との結婚を認めた発言じゃないぞ? 認めたわけじゃないが、相手の事を全く知らない者同士で浮気も糞もあってたまるか」

 俺は吐き捨て、正面を向くと扉を開ける。

「だが、今はそれよりも大事なのはご近所問題なんだよ。変な噂が立ったら俺はこの家を出て行かなきゃならん。お前だって今後元の世界に帰る時に俺がこの場にいないと困るだろう?」
「もう帰らないよ?」
「仮に、だ」

 俺は敷居を跨ぐと、扉を閉める為に振り返る。

「その為にも問題が起きないように振舞うのは当然だし、問題が起きたら最小限で止める。今回の俺の行動はただそれだけのものだ。言い換えるなら、“お前らの生活の為に”やる事だって思ってくれてもいい。それでも不満か?」

 俺の言葉に、猫耳少女は暫く考える素振りを見せたが、すぐに何かを思い立ったのかニッコリと笑う。

「わかった。旦那様の言う事を信じる・・・よ。今後はもっとよく考えて発言する事も約束する」
「分かってくれたのなら助かる。じゃあな。俺はちょっと翠に説明しに行ってくるから」
「旦那様」

 もういいだろう。
 そう思って扉を閉めた俺の手を、再び猫耳少女の声が止める。
 締まりきらなかった扉の隙間はおよそ10cm。
 その隙間から見える猫耳少女の金色の瞳がやたら輝いているように見えた。

「もう薄々わかってると思うから全部は言わないけど……。私はいつだって旦那様の事は見えてる・・・・からね?」

 ゾッとした。
 背中にジワリと冷や汗が浮かび、背中の中心がドクンと一度蠢いたような気がした。
 
「……ああ。いってくる」
「いってらっしゃい」

 最後の言葉は扉越しで。
 即座に閉めた扉を背にして俺は駆ける。
 
 本当はあの金色の目が見えなくなったら文句の一つでも叫びたかったが、背中の監視装置がそれを許してくれなかったのだ。

 夕暮れの田舎道をひたすら走る。
 取り敢えず、核爆弾級の厄介事が家に転がり込んできてしまった事だけは今の俺にも理解できていた。
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