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第41話・達観4

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 店の外に出ると、看板の明かりが落とされていた。

「再度開店します。かき入れ時なので」

 と、喫茶店のマスター。
 土曜の19時半は常連客が多く集まる時間なのだそうな。

「ご馳走さまでした。コーヒーと料理ホントに美味しかったです」

 話の流れ的に、チカは全額マスターからのおごりとなった。
 俺はコーヒー代だけおごりで、その後に出されたスパゲッティ代は払った。
 お礼の言葉に嘘は無く、即席で作られたものとは思えない美味しさだった。

「ケーキだけで腹一杯になったのは久しぶりです。美味しかったっす」

 あの超甘党のチカが満足するほどのモノだったようだ。
 このマスターは、コーヒーだけでなく料理に関しても只者ではないようだ。

 などと店先で話していると、目の前の道路から一台のハッチバックが。
 店の駐車場に入ってきた。
 マスターの言う通り、そろそろ常連たちの時間なのだろうか。

「あ、こっちだ」

 ハッチバックから降りてくる女性にチカが声をかける。
 あれは、昨日チラと見たチカの奥さんだ。

「……ほほう?」

 彼女が着ている服を見て、チカを冷やかす。
 なんだよ、ケンカばかりしてるなんてウソっぱちじゃねえか。

「い、言うなよ……」

 こちらに向かって頭を下げる奥さん。
 そちらへチカは照れながら向かった。
 派手なボーダー柄のポロシャツにオフホワイトのざっくりした綿のズボン。
 30にもなってお揃いの服とはね。

「今日はありがとうな。関内に戻ったらまた連絡するから」
「ああ、仕事の進展によっては改めてこっちからお礼することになるかも」

 例の数式の件で、急遽明日の午後から出勤が決定したらしい。
 お礼というのはたぶん、数式に関しての口止めってことなんだろうが。
 まあ、とにかく忙しい奴だ。

「元気でな!」
「カジもな! いい加減嫁さんもらえよ!」

 と、ハッチバックの運転席から厳しい要求をされてしまう。
 それで固まった俺を見て、微笑みながらチカ夫婦は去っていった。
 
 ぬう、いつか見返してや……れればいいんだが……

「今夜はこれからご予定が?」

 傍らのマスターが。
 常連客の中には、スタリオンのテールを拝みっぱなしだった人もいるとか。
 きっと楽しいお話ができるでしょうと。

 それはきっと魅力的な提案だった。
 このまま館に帰っても、早い時間に一人っきりでヒマなだけなのだ。
 それなら、初対面ながらも共通の話題を持つ者たちなのだから。
 話が弾んで楽しい時間となるだろう。

 だが……

「いえ、今夜のところは帰ろうと思います」

 軽い会釈で謝意を示す。
 するとマスターは予想していたのか、そうですかと深追いはしてこなかった。
 つまり、チカとマスターの話がそれほどヘビーなものだったのだ。

「遠回りをするのなら、この奥にある峠道=八方がお勧めです」

 聞けば、某カーバトル漫画の舞台になったことがある道なんだそうな。
 しかも明日には上の方の駐車場でビンテージカーのショーが催されるとか。
 それで、行くのなら混雑する明日ではなく今夜が狙い目だと。

「ありがとう、行ってみます」

 一瞬、純音すみねの事が頭をよぎったが。
 あの座布団みたいなスーパーカーはビンテージってわけじゃなかったし。
 まあ居ないだろうなと思い直した。

「……アレは単なる言い伝えですから、あまりお気になさらずに」

 マスターが話してくれた、早河電機の工場に関する伝説。
 恐らくはその内容に関してなのだろう。

「だいじょうぶ、です」

 出来るだけ明るく見えるような笑顔で返事をして。
 スタリオンの運転席に滑り込んだ。

 エンジンをかける。即座に大排気量特有の爆音が撒き散らされる。

「お気をつけて」
「またお邪魔します」

 窓を降ろし、上品な老紳士ととりあえずの言葉を交わしあって。
 スタリオンを黒々とした山影へ向けて発進させた。


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