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第44話・子供の凱歌~愛で満たそう

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「おっと……」

 標識の無い三叉路に差し掛かった。
 喫茶店のマスターは、道なりに進めば八方と言っていたが。
 さて左に曲がるか真っ直ぐ行くか。

「あ、そうか」

 センターラインが途切れずに続いてる。左曲がりに。
 だから道なりなら左折が正解なんだ。

 うむ、交差点の奥にある看板にも左折で八方と書いてある。
 あぶねー、山は正面だからつい真っ直ぐ行くところだったよ。

 そしてすぐに道は緩やかな上りに変わった。
 いかん、喫茶店での話を思い出してボンヤリしてちゃ危ないぞ俺。
 いかに対向車が一台も来ない田舎道だとしても。

 左の路側帯には『ようこそ八方ヶ原へ あと10km』の看板が。
 10kmも……峠道が……
 運転に集中しなくては。

 左右に続く緩いカーブを抜けていくと、いきなり急な上りになって。
 右のヘアピンカーブが心許ないヘッドライトの光の中に現れた。
 ここが事実上の峠道の入り口なのだろう。

 いいだろう、ライトは暗いがエンジンパワーは余るほどあるんだ。

 3速に落としてカーブに入り、車体を丁寧に旋回させた。
 うん、音はでかいが特にストレスなくコーナリングできる。

 それに気を良くしてアクセルを踏んだ。
 すると、3速なら大丈夫だろうと思ってた例の急激な加速が発生。

「ぐへっ……」

 ただでさえ狭い視界が、急加速によって更に狭まる。
 その中心には、もう一回ヘアピンがある事を示す眺めが。
 今度は左だ!

「くそっ!」

 車体が不安定になる事に目をつぶり、アクセルからブレーキへ踏み替えた。
 カーブの外のガードレールに刺さるのよりは遥かにマシだからだ。
 だが……

「うおおっ?」

 意外にも車体は安定して、カーブを充分回れそうな速度にまで減速した。
 ホッとして2速へシフトダウンし、左へターンを開始する。
 今度のはさっきのよりも更にきつい曲率、まるで階段の様なカーブなので。
 失速を恐れてアクセルを踏み込み気味にしたのだが……

「や、やっぱり!」

 あまり踏んだつもりじゃなかったのに、3速のそれを越える強烈加速が。
 後ろからゴンッというでかい音と共に、後ろタイヤが前に出ようとする!
 ヘッドライトはカーブの内側の草むらを照らし始めて。
 このままじゃ内側に刺さってしまう!?
 その瞬間。

(板の真上に乗って、板なりに滑って……)

 女の子の声が脳内に響いた。
 それで、反射的にハンドルを押さえている力を緩めた。
 クルマなりに走らせようとしたのだ。体が勝手に。

 すると、軽く握っている手の平に、前タイヤが転がってる感じが伝わって。
 ハンドルが勝手に右側に回ってセルフアライニング
 後ろタイヤの横滑りと合わせて、車体が平行移動を始めた。

「うおっと」

 車体がカーブの出口に向いたとこで、怖いのを我慢してアクセルを緩めた。
 (車体が不安定になるのがホント嫌だったから)
 すると、思った通りに後ろタイヤがグリップを取り戻して。
 まるで弓矢みたいなロケットダッシュを見せた。
 アクセルを緩めたのに!

「ぐはっ」

 予想外の加速に再び体がシートに押し付けられる。
 目の前には右カーブ。
 しかし今度のは、幸運なことにそれほど急じゃなさそうだった。

「ふんっ!」

 素早く3速にシフトアップ。
 じわっとアクセルを踏み込みながら、ハンドルを緩く右へ。
 すると、まるで道路の上にレールが有るみたいにスルリと。
 スタリオンは綺麗に旋回したのだ。

 と、安心するのも束の間、またも目前に右カーブ。
 右の次は左かという予想が完全に裏切られたが。
 今度のもまた緩い曲率だった。
 で、さっきと同じやり方でスタリオンを回らせた。
 ゆっくりと、エッジに荷重でスルリとね。

 この感覚は……

「まるでスキーじゃないか」

 そう、パラレルやウェーデルンでの旋回と全く同じ感覚なのだ。
 左右や前後への荷重移動とか。滑らせたりグリップさせたりの感覚とか。
 回ってる最中の気持ちよさとか。
 それに、さっきの脳内に響いた声は……

「サンキュー、純音」

 そう、那須のスキー場での純音のアドバイスだったのだ。
 まさか8年後の真夏の峠道で俺を助けてくれるとはね。

 よみがえる、白いゲレンデの上での純音のはにかんだ顔が――

「それならっ」

 感覚をスキーのそれにした。
 登りだってのは考えないことにした。
 ただクルマなりに、スタリオンなりに走らせるように。

 車体は劇的に安定した。
 その次はセンターラインにゼブラゾーンがあるキツそうな右カーブ。

 余計なことはせず、3速のままアクセルをわずかに緩めて。
 下り坂でそうしたように、キツめのエンジンブレーキだけで減速して。
 車体に道がどっちに曲がってるのかを教える感じでハンドルを切って。
 同時にじんわりとアクセルを踏んでやる。
 どのくらいの速度でターンしたいのかを車体に教える感じでだ。

 それでまた、例のレールの上の走行感覚が生まれた。
 これは安全なうえに、なにせ気持ちがいい。
 ヘアピンカーブが出て来ない事もあって。
 しばらくこの安穏なヒルクライムを楽しんだ。

「うう、寒っ!?」

 左折すると県民の森とやらへ行く三叉路を直進。
 その後は、直線が続いて。
 それでおもむろに運転席側の窓を開けっぱなしなのを思い出した。

「ああ、うるさいワケだわ」

 とりあえず窓を閉める。
 喫茶店の前からずっと開けっぱなしだったか。
 まあ下は暑かったからな。
 しかし、ということは相当登ってきたという事で。

「ここの峠も1000m越えなのかねえ」

 道幅は那須よりも狭く、全体の雰囲気も別の山系っぽいものがある。
 ダラダラと登る感じが特に。

 しかし、窓を閉めるとそこそこ車内が静かになって、ちょっと寂しくも。
 道も緩いカーブと直線だけだし。

 そこで、カーステを鳴らすことにした。

「……ほう、これはなかなか」

 いきなりオーケストラっぽいインスト曲がかかった。
 曲調は、なんというか欧州のクラブチームの応援歌みたいな?
 そんなワクワクするような高揚感に満ちたものだった。

「ドライブに合うなぁ」

 4速にシフトアップし、夜空に向かって駆け上がる。
 スタリオンも、気温が下がったせいか調子が上がってきたようだ。
 加速にスムーズさが加わった感じだ。

「♪~♪~」

 といい気分になっているところへ、カーステは次の曲を鳴らし始めた。
 今度のはロック、それもいわゆるAORってやつか。
 すごくお洒落な感じが車内を満たす。
 ギターのカットがまた渋い。

 You supply the night,baby
 I'll supply the love

 そのうち、道はまたキツめのカーブが連続し始めた。
 とりあえず3速にシフトダウンし、先ほどの丁寧ドライブに切り替える。
 ただし今度は少し積極的に。

 I see horseman in the sky
 It makes me turn and wonder why

 3速固定のオートマチック状態。
 スタリオンは右に左に舞う鳥の様に。
 いや、馬なのか。
 とにかく、路面状況を伝えてくれるバケットシートを有難く思いつつ。
 しなやかに軽やかにキツめのカーブを走り抜けていった。

 A tender night of dark persuasion
 Could be my first and last occasion

「やっぱ来たか」

 右に曲がるヘアピンカーブ。
 山側の山肌がブロックで固められているから、ヘアピンが連続するようだ。
 どうやら頂上が近い模様。

「最後の一頑張りっと」

 2速にシフトダウン。
 最初の右ヘアピンを丁寧にクリアする。
 すると、思った通り出口の先には左のヘアピンが待っていた。

「はいはいな、っと」

 2速のまま加速。
 暴力的な加速だが、覚悟していたのでそれほどキツくは感じなかった。
 それで、瞬間移動したように次のヘアピンに到着。

 エンブレ(2速は更に強力!)を使って、深いヘアピンにターンイン。
 じんわりアクセル踏みで後ろタイヤをゆっくりと滑らせながら。
 (半分スライド半分グリップって感じ)
 前タイヤだけでなく後ろタイヤにも舵を切らせて、スムーズに立ち上がり。

 その後ヘアピンが更に3つ続いたが、それらも全部クリーンにターン。
 このスタリオンの走らせ方が分かったような満足感に浸った。

 その後道路は、3速で曲がるカーブの連続に変わった。
 それらを数個クリアしたところで……

「ああっと、これは……」

 またしても三叉路。
 左が八方ヶ原となっているのだが、直進した先には何やら明かりが。
 何かの催しものが行われてるような光が、木々の間から漏れているのだ。

「ショーは明日とマスターは言ってたよな」

 頂上から矢板の夜景を眺めるのがそもそもの目的。
 しかし、直進の先の謎の明るさにも興味津々。

 さて、どっちに行こうか?


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