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第42話・明かされる伝説1

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「亡くなったって、そんなお年の方だったのか?」
「いや、そうでもない。俺らプラス20歳くらいだ」

 他に客の居なくなった喫茶店の中。
 俺とチカの声が、店内に流れるクラシック音楽の中に混ざりこんでいる。

「ふむ、じゃあ今は50歳ってとこか」
「生きてればな。ただかなり若作りだったそうだから……」

 マスターの方を見るチカ。
 そこら辺は実際に会った事のあるマスターの方が詳しいのか?

「ええ、浅香さんはかなり若く見える方でした」

 話を振られたと理解したか、マスターが後を受ける。

「入社時に中卒扱いされたのは、社内では半ば伝説になってましたね」
「じゃあ今ここに居たら、私より若く見えるとか?」

 思わず訊いてしまう。
 マスターは、ええ恐らくは、とだけ言った。

「マジですか……」

 唖然とする。
 いや、確かに世間にはそういう若作りな人って居るもんだ。
 祢宜さんとかな。
 しかし女性ではよく聞くが、男性となると不思議と聞かない。
 それも、実年齢から20以上も若く見えるだなんて!

「あ、そういえば浅香さんが写った写真が……」

 アルバムを持ってきます、と言ってマスターは店の奥に引っ込んでいった。
 ……まあアレだ。
 男性の場合、若く見られるのは必ずしも良い事じゃないからな。

「それで、浅香さんはビデオデッキの設計部門に配属されて、頭角を現して」

 と、チカが続ける。
 最初から基板設計に関しては非凡なものがあったが。
 40歳を過ぎてからも、更に能力を向上させていったのだとか。

 通常、基板設計は若い人間の方が有利だ。
 直観というか、いわゆるひらめく力が連続して必要になるから。
 しかし、この浅香という人は年齢を重ねるごとに閃く力を増したらしい。
 普通は年齢と共に衰える筈の、その感覚を。

「液晶テレビ開発に必要な金も、浅香さんが別製品の設計で稼ぎ出したとか」

 しかし何故そんな必死に頑張ったのか、分かるような気がする。
 見た目が若いからと舐めてかかられると、非常に頭にくるからな。
 だから浅香さんも、仕事で実績を積んで見返してやろうとしたんだろう。

「周囲の人は、浅香さんはクルマを走らせることでその力を得たと言って」

 若い頃からクルマが好きだったらしい。
 まあ、スタリオンをあんな風にするくらいだから相当だったんだろう。

「ええ、クルマは大好きだったようですが……」

 そう言って、戻ってきたマスターが分厚いアルバムをテーブルに置いた。

「やはりプリントアウトした方が見易いかと思って」

 とマスターが言い訳じみたことを言いながら、中ほどを開いて見せる。
 すると。

「おお、これはお店の常連の人たちですね」

 チカが色めき立って。
 知り合いらしい人間が居るとかで、知らない名前を列挙してはしゃいだ。

「ええ、これはたしか10年前の、福島ツーリングのもので」

 福島の山の上なのか、見たことのない壮大な風景。
 青い空に白い雲、その下のアスファルトの駐車場の上に立つ人たちは。
 みな一様に抜けるような笑顔を見せていた。

「写真、お上手ですね」

 率直な感想を述べた。
 いや正直に言うと、このロケーションならもっと空の面積を、とか。
 露出とかアングルとかシャッター速度とか。
 細かいところでは色々と注文を付けたくなったのは事実だ。

 しかしこれらは殆ど全てスナップ写真だろう。
 だからそれは瞬間勝負。
 こんな見事に楽しそうなところや青空の空気感を切り取ってるのだから。
 これはもう上手としか言いようがないだろう。

「いえいえ、デジカメの性能ですよ」

 謙遜するマスター。
 性能などでフォローできるものでないのは明らかだったが。
 あまりしつこくしてもな、と思って話題を変える。

「それにしても、皆さんクルマやバイクを綺麗にされてるんですね」

 写真の中にあるスポーツカーや大型のバイクはみなピカピカに光っていた。
 その中の一枚に。

「ああ、この写真ですね」

 白いスタリオンが写っている写真を発見した。
 その前に立ってる、大学生くらいの男の子。
 そしてその両脇には、その男の子を取り合うように腕にしがみつく女の子。
 スタリオンの後ろには数人の家族連れの姿も。

 良い季節なのだろう、皆春っぽい服装で。
 その全員が漏れなく笑ったり微笑んでいたりするのが印象的な一枚だった。

「あ、はいそうです」
「へえ、この人ですか」

 チカも興味津々に覗き込んでくる。
 話を聞くだけで、実際に会った事は無いと言ってたからな。
 しかしまあ。

「浅香さんは本当に若く見えるんですね。どう見ても大学生にしか」
「そうそう、それに女の子にモテモテ」

 それほど美男子という感じではないが。
 その視点なら、後ろの左端の子供の方が遥かに写真映えする美少年だった。
 いや決してそういう趣味はないんだが、ヤケに目立つんで。

「モテモテ? ああ、手前の3人は私の親戚の子たちですから」

 見た目通りに(当時)大学生の兄妹たちだそうな。
 え? じゃあひょっとして……いやまさか……

「浅香さんはこの方です」

 と、マスターは写真の左端を指し示した。

「ウ、ウソだろ……」

 素で驚いてしまった。
 目が真ん丸になっているのが自覚できるほどに。
 つまり浅香 純音という(10年前だから40歳の)中年男は。
 このどう見ても中学生、いや、妙に背の高い小学生位の美少年だって事に!

「浅香さんは独身を通したと聞いたが……なるほど……」

 唖然としながらも納得した風でチカが。
 それには俺も同意せざるを得ない。
 ソープに行っても確実に門前払いを喰らいそうな。
 こんな幼く頼りなさそうな風体の少年(中年だが)が相手では。
 どんな物好きな女性でも、生涯の伴侶としては見れなかったのだろう。

「それで近くのミニサーキットのレコードホルダーなのですから驚きです」

 ダメ押しとばかりに、マスターがチカに向かって言う。
 しかし、チカはそれほど意外そうな顔にはならずに。

「その程度は当然でしょう。浅香さんは液晶テレビの生みの親なのですから」
「う、生みの親……?」

 思わず訊き返してしまう。
 普通、ああいう世界初みたいな製品ってのは大勢で作り出すものでは?

「そう、浅香さんは一人でテレビ用の液晶の組成そのものを開発したんだ」
「一人で? いやそういうのって実験室で何回もトライアンドエラーで……」
「浅香さんはその工程をすっ飛ばして、自作の計算式だけで編み出したんだ」

 もちろん、実際の試作品は実験室で作ったそうだが。
 それは最初からほぼ要求通りの性能を発揮したのだとチカは言った。

「まさに天才」

 感心したように、腕組みしたマスター。
 それは確かに、サーキットのタイムなんて大した事じゃないって話だわな。

 え? いや、もしそうだとすると……

「ひょっとして、あのmist2を設計した頃ってのは……」
「ん? ああ、あの頃には既に基板設計は合間仕事になってたそうだよ」
「ウ、ウソだろ……」

 今夕2度目の驚愕。
 あの、多層基板業界のスタンダードと言われた板が。
 まさか片手間にチャチャッと描かれたものだったなんて!

「会社の先輩たちに言ったらガッカリするだろうが、言わないわけにも……」

 思わず頭を抱えてしまった。
 そんな俺を見ながらチカが言う。

「浅香さんが辞めた後、残された資料や計算式に抜けが有るのが分かって」

 早河の矢板工場では困っていたらしい。
 なんせ天才が考え出した数式。凡人たちには穴埋めや修正など不可能だ。
 それで浅香さんを呼び戻そうと行方を追いかけたのだが……

「すでにこの世にはいなかった、ってとこか」

 俺の予想にチカは重々しく頷いて。

「辞めて間もなく、羽田に向かう高速道路上での派手な事故だったらしい」

 と言った。
 生前には、幽霊には足が無いから逝く時はクルマと一緒でないと不便だな。
 と、口癖のように言っていたそうな。
 だからほぼ本望だったのだろう、とも。

 いやしかし、なんか引っかかるものがあるな、その話。

「そもそも、浅香さんはなんで早河を辞めてしまったんだろう?」

 足が無いならアクセルもブレーキも踏めないだろ、ってツッコミではなく。
 純粋に単純にまずそこが気になった。

「分からない。誰もそれは訊けなかったらしい」

 天才ならまあそうなんだろうな、と思ったところで。

「ただ、辞める際に本部長へ“約束は果たされましたから”と言ったそうな」
「やくそく? なんだそれ? 早河電機に特有の何かか?」
「いや俺も詳しくは知らんのだが、それを聞いた本部長は一言唸ったきりで」

 辞職届けに判をついたのだという。
 なんだよそれ。何かの脅しか殺し文句なんだろうか?

「約束は果たされた、と仰ったのですか?」

 しかしマスターには思い当たるところがあるのか。
 おうむ返しにチカへ訊き返した。

「え、ええ、そう聞きましたが」
「うむ、なるほど……」

 戸惑うチカの返事に、マスターはまたも腕組みをして感嘆を漏らした。
 そして、話し始めのチカの様に、重い口調でこう切り出した。

「これは、早河の矢板工場が建設される前の話になるのですが……」


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