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2 半年後の再会
しおりを挟む「は、話が違います」
千遥は縋るように男の右腕を掴んだ。
「うるせぇな。お前みたいな不細工オメガ、相手にしてもらえただけ感謝しろ」
「でもお金を払ってもらう約束で…」
「離せっ」
勢い良く腕を振り払われ、千遥は地べたに尻餅をつく。
アルバイトの給料だけではとても食べていけなくて、身体を売るようになってから半年経ったが、相変わらず千遥の生活は苦しいままだった。
オメガはそれなりに需要もあるはずなのだが、残念ながら千遥の見た目は平凡そのもの。初対面の相手はみんな千遥をベータだと思う。
華奢で可愛らしいオメガの男を想像していた男たちは千遥を見てだいたい悪態をつく。そのまま何もせず帰ってしまう人もいた。
身体を買った男も不機嫌そうに乱暴に千遥を扱うことが多かった。
そして今日の男のように千遥を抱いたあと、金を払わずに立ち去る者も少なくなかった。
でも今日は何としてもお金を貰わなければならない。オンボロ格安アパートの家賃もずいぶん滞納しているし、お金がなさすぎてまともに食事もできていなかった。
フラフラする足になんとか力を入れて立ち上がると逃げようとする男の服を掴んだ。
「お願いします。お金がないんです。アパートも追い出されてしまうかもしれなくて」
「そんなん俺には関係ないだろうが。しつけーなっ」
次の瞬間、千遥は左頬に強い衝撃を受けてその勢いで地面に倒れこんだ。
殴られたのだ。
目の前がチカチカとして起き上がれない。
千遥を殴った男はもうどこかへ行ってしまったようだ。
殴られた頬は熱く、ズキズキと痛んだ。
(なんで自分ばかりこんな目に…)
大好きだった恋人に捨てられ、ひとりじゃまともに生きていけない。
オメガに生まれなければこんな辛い目に合うこともなかったのだろうか。
痛みと空腹で身体に力が入らない。殴られたせいか、頭がガンガンして気持ち悪い。視界が霞んでいく。
その時、この場には不似合いな花の甘い香りが千遥の鼻先に届いた。
「大丈夫か?」
ぼんやりとした視界の中、いつの間にか千遥のそばに長身の男が立っていた。
半年前すれ違ったとき、千遥を無視した運命の番だった。
夢か現実か。
あまりの辛さに千遥の脳が己の願望を夢に見せているだけかもしれない。
―それとも、今さら千遥を探しに来たとでもいうのか。
「遅いよ…」
呟くと千遥は、意識を失った。
◇◇◇
目を覚ますとそこはいつも暮らしている極狭オンボロアパートの薄っぺらい布団の上ではなかった。
広く清潔な部屋のふかふかしたベッドの上に千遥は寝かされていた。
「ここは…?」
「気がついたか」
扉が開き、入ってきたのは千遥の運命の番の男だった。
「えっと、あなたは…」
「…藤郷だ。君が倒れているのを見つけて、自宅が分からなかったからとりあえず俺のマンションへ連れてきた」
「それは…ご迷惑おかけしました。あ、僕、伊井田千遥といいます」
千遥はベッドに座ったままペコリと頭を下げた。
「……医者に診てもらった。軽い脳震盪と栄養失調だそうだ」
「あ、はい」
「体調が回復するまではここで休んでくれて構わない」
淡々と、何を考えているかわからない無表情のまま藤郷は告げた。
藤郷の言葉に甘え、千遥は藤郷のマンションで過ごすことにした。
ほとんど初対面、見ず知らずにも関わらず千遥の体調を気遣い、自宅に置いてくれたことで千遥の心には微かな期待が生まれた。
彼―藤郷も千遥のことを運命の番と認識してそばに置いてくれる気になったのではないかと。
やっぱり運命の番の絆は強いものなのだと。
そのうち彼にこのままここに住んでほしいと言われるかもしれない。そしたら千遥はもうひとりぼっちじゃない。
ただ彼は仕事が忙しいようで千遥が起きている時間はほとんど家にいなかった。だから全然顔を合わせる機会がない。その代わり雇いのハウスキーパーさんが毎日千遥のご飯を用意してくれた。
数日後。
初日以来、ずっと顔を合わせることがなかった藤郷が早く帰宅した。
「体の調子はどうだ?」
「お陰様でとても良くなりました。ご飯まで用意してもらってありがとうございました」
「そうか…
では、明日以降できるだけ早くここから出ていってもらいたい」
相変わらずの無表情で、まるで業務連絡でもするかのように藤郷は千遥に伝える。
「あ……わ、わかりました。本当に…お世話になりました。……なんてお礼を言ったらいいか…」
予想外な藤郷の態度に動揺して千遥は上手く言葉が出てこない。
「構わない。できるだけ早めに帰って欲しい」
「あ…はい………あっ、あの…」
「なんだ?」
「僕たちって、運命の番ですよね?」
「――は?」
恐る恐る尋ねた千尋の言葉に藤郷の表情が険しくなる。
あまりに冷ややかな目で見下され千遥は身体をビクッと震わせた。
「……何かの勘違いだろう。この俺の運命の番がお前のような、いかにも底辺の人間のわけがないだろう」
(底辺…)
胸がズキリと痛んだ。
「で、でも…」
「これ以上くだらない事を言うなら今すぐ出ていってもらうが」
「あ…すみません。僕の勘違いでした…」
――
―――
(どうして…勘違いなんかじゃないのに…)
千遥は眠れない夜を過ごしていた。
結局、明日にはここから出ていくことになってしまった。
自分たちは運命の番のはずなのに。
だから当然のように助けてもらえると期待してしまった。
このまま帰ったら元の、孤独で苦しい生活に戻るだけだ。しかも家賃を滞納しているオンボロアパートはいつ追い出されるかわからない。
翌朝、出社する前の藤郷に意を決して頼み込む。
「お願いします。僕、お金がないんです。仕事が見つかるまでもう少しここに置いてください」
「…今までの仕事はどうした?」
「短期のアルバイトばかりで。職歴もないオメガを雇ってくれるところがなかなか見つからなくて。まともな仕事もなくて…」
「まともなね…」
藤郷は含みがある言い方をした。
たぶんこの人は千遥が身体を売って生活していたのを知っているんだろう。
頬がカアっと熱くなる。
運命の番にさえ、見下され、冷たく扱われる自分がどうしようもなく惨めに感じて、悔しくて仕方がなくなる。
「あ、貴方にはわからないでしょう。オメガの僕が…底辺の僕が必死に生きても辛い目にばかり遭って」
(僕だって好きにオメガに生まれてきたわけじゃない…)
藤郷があからさまにため息をつく。
「お前の境遇がどうだろうと興味がない。話が終わったなら――」
「っ……あ、貴方の勤め先の方もきっと知ったら驚くでしょうね。こんな底辺のオメガが運命の番だなんて。このまま貴方について行って僕が貴方の運命の番だって言いふらすことも出来るんですよ」
「…それで俺を脅しているつもりか?」
眉を寄せて睨みつけられる。アルファ特有の威圧感にビリリと身体が震えた。
「あ……いえ。そんなつもりじゃなかった……助けてもらった貴方を怒らせるつもりはなかったんです。すみません。何もかも上手くいかなくて八つ当たりしてしまいました。もう帰ります。お世話になりました」
ペコリと頭を下げて、その場から足早に立ち去る。
とりあえずアパートに帰るしかない。大家さんに掛け合ってもう少し家賃の支払いを待ってもらおう。
でもお金は…
やっぱりお金のためにはまた身体を売るしかないだろうか。
運命の番にさえ見放されたのだと、惨めな気持ちでいっぱいで、泣かないように歯を食いしばる。
ドアノブに手をかけたとき千遥は藤郷に呼び止められた。
「………待て」
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