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9 中華料理
しおりを挟む朝、出社すると社内がざわざわしていることに気がつく。
「何かあったんですか?」
そばにいた同じ総務課の倉木に尋ねた。
「観月さんが戻ってきたんだよ」
「観月さん?」
「会社を休職して留学していたんだけど、ものすごく綺麗なオメガの男性なんだ。仕事もできるし、美人だし留学前は社長と付き合ってるって噂もあったくらい」
「えっ…」
挨拶に行くという倉木の後ろからついていくと、人だかりの中心に一際綺麗な男性が立ってきた。
背中のあたりまで伸びた艶のあるストレートの黒髪。瞳はぱっちりとしたアーモンド型で、彼をより魅力的に見せていた。
背はオメガにしては高い方で、千遥と同じくらいあるかもしれない。でも千遥とは違い凛とした印象を受ける。
(この人、あの時の…)
近くで見て気がついた。
彼が千遥が初めて藤郷と会った時に一緒にいたオメガだと。
「あれ君は…?」
倉木と話していた観月が千遥に気が付く。
「あ、初めまして。新しく総務部に入った伊井田千遥と申します」
「そうなんだ。初めまして。よろしくね」
観月は見惚れるような爽やかな笑顔で千遥に返事をする。
その後、藤郷がやって来て二人は話しながら歩いて行ってしまった。
「社長と観月さんってやっぱりお似合いだね」
「まだ付き合ってるのかな?」
他の社員の会話が耳に入る。
確かに長身の藤郷にスラリとした美人の観月は千遥の目から見てもお似合いだった。
あんなに綺麗な人が隣にいれば、千遥なんて目に入らないのも仕方がないと思えてしまう。
◇
ここ数日、社内で藤郷社長と観月が一緒にいるのをよく見かける。
観月は会社の広報担当で、社長と打ち合わせる機会が単に多いだけかもしれないが、お似合いの二人が並んだ姿を見るたび、千遥は自分よりよっぽど二人の方が運命の番同士のように思えて、胸が痛くなる。
噂の通り本当に恋人同士なのかもしれない。
それでも運命の番が自分の近くにいる状況で、千遥は彼を諦めることなんてできなかった。
望みは薄くても。
今日も断られるだろうなと思いながらも、他に彼に近づく方法が思いつかず、終業後、藤郷が仕事を終えて会社から出てくるのをこっそり待ち伏せていた。
「お疲れ様です。あの、よかったらこのあと一緒に夕飯でもどうですか?」
藤郷は不機嫌そうに千遥を一瞥すると、返答もせずそのまま千遥の横を通り過ぎる。
予想していた反応だった。
(だよね……僕も、もう帰ろう…)
「夕飯?いいね、じゃあ三人で行こうよ!侑、どこ行く?」
不意に後ろから明るい声がして、びっくりして振り返ると観月が立っていた。
観月の声に藤郷も立ち止まる。
「俺は行くなんて一言も――」
「いいじゃん。僕は中華が食べたいな。伊井田さん…だっけ?何食べたい?」
「あ…はい。僕はどこでも…」
そのまま観月の勢いに負け、なぜか三人で近くの中華料理店までやって来る。
高級そうな店内の個室に通され千遥はだんだん心配になっていく。
(なんか高そうなお店だな、僕払えるかな…)
そんな千遥の心配を見透かしたように観月が言った。
「もちろん今日は社長の奢りだよね」
「ああ。仕方ないな」
藤郷が返事をし、観月がメニューからどんどん注文をしていく。
「伊井田さんは何か飲む?」
「あ、烏龍茶で」
「お酒は苦手?」
「あ、はい。すぐに酔ってしまって…」
歓迎会の帰りに道端で嘔吐し、藤郷に迷惑をかけたことを思い出して千遥はチラリと藤郷を見た。
しかし目が合うことはなく、彼は自分の飲み物を頼むと電話をかけに席を立った。
「伊井田さんって社長とよく食べに行ったりするの?」
「い、いえ。今日が初めてです。何回か誘っても断られてばかりで…」
「へえ、そうなんだ」
興味深そうにこちらを見つめる観月の大きな瞳から逃れるように千遥は目を伏せる。
「…観月さんと藤郷社長ってとても仲が良さそうですね」
「大学の先輩後輩だったんだ。それで元恋人」
(え?元恋人!?)
ニコって笑ってなんでもないことのように観月は続ける。
「付き合い出したのは社会人になってからだったんだけど、休職して留学する時に別れたんだ。僕どうしても運命の番を探したかったんだよね」
「え?」
驚いて二の句が継げない千遥に構わず、観月は飄々と語った。
自分がオメガだとわかってから運命の番にずっと憧れがあったこと。会いたくて学生の時、日本中を旅してまわったこと。就職してからもどうしても諦めきれずに、留学して海外でも探してたこと。
「諦めて帰ってきて、侑に…社長に復縁する?って聞いたんだけどきっぱり断られちゃったんだよね。まあ、当然だよね。当時、プロポーズまでされていたんだけど、どうしても運命の番を諦められなくて、一方的に別れて留学したのは僕の方だったし」
(プロポーズ…!)
驚きすぎて固まっている千遥をよそに観月は届いた料理をどんどん口に運んでいく。
「ほら、伊井田さんも遠慮せず食べて」
「あ、はい。いただきます」
そのうち藤郷も戻ってきて食事をはじめる。観月が適度に話を振ってくれるお蔭で気まずくならずに会話もできた。
ところが食べ始めて十数分が経った頃、急に観月が席を立った。
「ごめん。僕この後、用事あるから先に帰るね」
「えっ?」
「二人は気にせず食べて帰ってね。じゃあ」
自由な観月に困惑していると、観月が千遥の耳元に口を寄せ小さく囁く。
「僕のことは気にせず頑張って」
「えっ、あのっ、観月さ――」
そのまま観月は藤郷に「ご馳走様ー」と声をかけてさっさと帰ってしまった。
個室に二人取り残されると急に沈黙が気まずくなる。
(何か会話しないと…)
「と、藤郷さんってよくこのお店に来られるんですか」
「ああ」
「美味しい料理ばかりですね」
「ああ」
「僕フカヒレなんて初めて食べます」
「……」
全然会話が弾まない。
気まずくで緊張して料理の味も全然わからない。
千遥は小さくふるふると頭を振った。
せっかく高級な店に来たんだから味わって食べないと。
カタンッ
ずっと無言で食事していた藤郷がおもむろに席を立つ。
「帰る。会計は済ませておいたからお前は好きなだけ食べて帰れ」
「え?あ、あの――」
藤郷は千遥の返事を聞かずさっさと帰っていく。
追いかけようとしたが千遥の前にはまだ料理の残った皿がたくさんあって、さずかにもったいなさ過ぎてこのままにしておけない。
席に座り直すと、ひとり取り残されたテーブルで黙々と料理を口に運ぶ。
静かな個室でひとり咀嚼する。
美味しいけど味気ない。
なぜかかつて元恋人の枇々木と行った安いラーメンの店を思い出す。若くてお金がない二人は安くて庶民的な店に行くことが多かった。
でも彼と一緒ならどんな料理も美味しく感じた。
(あのラーメン、また食べたいな…)
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