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二章 孤独の庭に落ちた雫
2話 眠る水の精霊
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洞窟を出た。
水の精霊は、その名のとおり水へとなって、消えていった――
……そうならよかった。
「ねぇ、勇者さん。あたし、どうしたらいいの?」
消えるどころか、風船がふくらむように、存在感を増していた。
この世界には、必要ないはずの水の精霊。
なのに、どうして俺の頭にこうして座っているのだろうか?
「ねぇ、ねぇってば」
腕を組んで考えているだけで、額の汗がじわりと流れる。
だらだらと首元まで濡らすその感触――絶対に汗じゃない。
迷いながら、俺は精霊を無視することにした。
しかしその小さな存在は、静かになるどころか――
ぽかぽかと拳で俺の頭を叩いてきた。
「ちょっと! 勇者さんでしょ? あたしを呼び起こしたんだから、ちゃんと聞きなさいよ!」
消えてほしい――
どうか、今すぐ消えてくれ。
そう祈っても、目の前の現実は一滴も薄れない。
ただ、ぬるい水だけが肩を伝って落ちていく。
……どうしたらいいんだ、これ。
……もう我慢できない。
「……なぁ。この、君から滴ってくる水……なんとかならないのか?」
服どころか、靴の中までびしょびしょだ。
「し、知らないわよ! あたしだって初めてなの! 勇者さんがどうにかしてよ!」
言い返す精霊の声は半泣きだ。
いつまで続くのかわからないし、水滴が増えた気がする。
このままでは埒があかない――
そう思った俺は、試しにさきほど手に入れた“虹の雫”を精霊へ差し出した。
雫が精霊に触れた瞬間、しずかに身体へと吸い込まれていく。
光が波打ち揺れて、精霊の輪郭が整っていくように見えた。
そして――
滴り続けていた水は、嘘のようにぴたりと止まった。
「すごい、やっぱり勇者さんね。これからどうするの?」
精霊は嬉しそうに俺の周りをくるくる飛び回る。
その様子を見ているうちに――ひらめいた。
「そうか!」
「えっ、勇者さん何か思いついたの?」
きらきらした目で近づいてくる精霊。
「ああ。これで君をさっきの場所に埋め直す」
「ええ~~!? なんで!? どうしてそうなるのよ!?」
精霊が空中でぴたりと止まり、半ば悲鳴のような声をあげた。
「俺だってどうしたらいいのかわからない。……さっきみたいに静かに寝ててくれた方が助かるんだが」
「そんなの無理よ。だって、ちゃんと勇者さんの声が聞こえたんだもの」
また今にも、瞳から大粒の雫がこぼれ落ちそうだ。
「それに――勇者さん、何か探してたでしょ? あたしが黄色い石を探してあげる!」
その言葉に、ぴたっと足が勝手に止まった。
本当に……そんなことができるのか?
気づけば俺は、さっきの洞窟へ引き返していた。
「ほら、そこでしょ? それに……あそこにも埋まってるわよ」
水の精霊は、「なんでわからないの?」と言わんばかりの表情で指をさした。
俺は驚いた。
……完璧に言い当てている。
だが、掘るのは結局俺の仕事だ。
なるほど。
宝石たちの声が聞こえないはずだ。
こんなに深く掘らなきゃいけなかったなんて……。
両手でマルチツールを握りしめ、ひたすら掘り進めた。
気づけば、俺の身長がすっぽり収まるほどの深さになっている。
こんなに筋肉を使ったのは、いったい何年ぶりだろうか。
土にまみれ、息を荒げながら、それでも無心で掘り続けた。
そして――
岩に交じって黄色い宝石を見つけだした。
これは、今までのより一回り大きい。
「きみは、役に立つな」
「えへへっ。でしょ?」
嬉しそうに浮かぶ水の精霊が、くるりと回った。
まるで、自分の存在意義を初めて見つけたような顔だった。
同じ要領で、さらに三つの宝石を掘り起こしたころには――
もう腕が棒のようで、握力すら残っていなかった。
「……限界だ」
汚れたマルチツールは鞘には収まらない。
そのまま腰紐に吊り下げるだけだ。
ふらつく足取りで温泉へ向かう。
縁に手をついた瞬間、膝が笑った。
そのまま前のめりに飛び込むように湯へ沈んだ。
熱が全身を包み込み、疲労がじわじわ溶けていく。
こんなに、心地よかっただろうか?
体を引き上げ、砂地の床に寝転がると――
意識はそのまま、深く、深く落ちていった。
目を覚ますと、すぐそばで柔らかい声がした。
「おはよう」
その一言が、胸の奥に沈んでいた何かを揺さぶった。
湯気の匂い、岩の感触――
そして、昔の記憶が鮮やかに思い出した。
かつて、この場所は“氷の巨人”が住み着き、周囲を凍りつかせていた。
そいつを倒すには、大量のお湯が必要だった。
そこで、魔法使いのじじいが温泉の起点を探り当てた。
……正確には、岩盤を割って無理やりここに湧かせた、という方が近い。
その名残が、今もこうして残っているということか。
つまり――水の精霊が眠り続けていたのは……
「すまない……」
「え、なにが? お水飲みます?」
その小さな両手に水がふわっと湧き上がり、こぼれ落ちずに澄んでたゆたう。
俺は自然とその小さな手の下へ顔を近づけた。
――ごくん。
俺にとっては一口にも満たない量だった。
しかし、僅かな水だが、全身を潤っていくのがわかる。
疲労が吹っ飛ぶどころか、力が湧き上がってきた。
水の精霊は嬉しそうに笑い、
また新しい宝石の場所を指し示してくれる。
「ねえ、あっちにもあるよ!」
うなずいて、俺はマルチツールをしっかり握り振った。
それから――もうすぐ一週間になる。
俺は百を超える黄色い宝石を掘り起こしていた。
「勇者さんすごいんだね! 勇者さんはなんでもできちゃうの?」
俺は苦笑いした。
「……俺はもう勇者ではないんだ。アセルと呼べばいい」
「え? 勇者さんじゃないの? そんなわけないよ。こんなに強いのに」
「今は、そうなんだよ」
言い切ると、水の精霊は少しだけ首をかしげ、でもすぐににっこり笑った。
「ふーん……アセル。いい名前だね」
「お前にも名前ないだろ? だったら……俺がつけてやるよ」
「え? 私に?」
「――ミナリーで、どうだ?」
ミナリーは、言葉を失ったように目を見開いた。
「ミナリー……これが私の名前……?」
「ああ」
笑顔で嬉しがるミナリーは、体全体で水を滴らせていた。
「ミナリー、俺はここでの出来事を思い出したんだ」
「え、それは……よかったね」
俺の言葉に、少し安心したように小さく頷く。
「だから、ミナリーの“本当”の使命も、わかったと思う」
「え、あたしの使命……?」
その声には、少し不安と期待が混じっている。
「もう一度、この広場で眠るんだ。そして、すぐに俺が順番通りに眠りを起こす」
「そうしたら、わかるのね……なんだか怖いけど」
恐る恐る目を伏せる姿が、どこか無防備で愛らしい。
「目をつむって、何も考えないんだ」
「うん……やってみる」
小さく息をつき、静かに目を閉じる。
俺に見えていた虹の光と一緒に、ミナリーの姿もゆっくりと消えていった。
うまくいった。
そう自分に言い聞かせた。
本当は、順番に起こす方法なんて初めから存在しない。
そんな方法、俺は知らない。
無理やり目覚めさせ、都合よく働かせ、邪魔になったら眠らせる。
それだけだ。
そんな自分に吐き気がする。
でも、それ以上に、これからどうすべきかがわからなかった。
だから眠っていてくれ、ミナリー。
俺の嘘にすがったまま。
二度と目を覚まさないでくれ。
水の精霊は、その名のとおり水へとなって、消えていった――
……そうならよかった。
「ねぇ、勇者さん。あたし、どうしたらいいの?」
消えるどころか、風船がふくらむように、存在感を増していた。
この世界には、必要ないはずの水の精霊。
なのに、どうして俺の頭にこうして座っているのだろうか?
「ねぇ、ねぇってば」
腕を組んで考えているだけで、額の汗がじわりと流れる。
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迷いながら、俺は精霊を無視することにした。
しかしその小さな存在は、静かになるどころか――
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「ちょっと! 勇者さんでしょ? あたしを呼び起こしたんだから、ちゃんと聞きなさいよ!」
消えてほしい――
どうか、今すぐ消えてくれ。
そう祈っても、目の前の現実は一滴も薄れない。
ただ、ぬるい水だけが肩を伝って落ちていく。
……どうしたらいいんだ、これ。
……もう我慢できない。
「……なぁ。この、君から滴ってくる水……なんとかならないのか?」
服どころか、靴の中までびしょびしょだ。
「し、知らないわよ! あたしだって初めてなの! 勇者さんがどうにかしてよ!」
言い返す精霊の声は半泣きだ。
いつまで続くのかわからないし、水滴が増えた気がする。
このままでは埒があかない――
そう思った俺は、試しにさきほど手に入れた“虹の雫”を精霊へ差し出した。
雫が精霊に触れた瞬間、しずかに身体へと吸い込まれていく。
光が波打ち揺れて、精霊の輪郭が整っていくように見えた。
そして――
滴り続けていた水は、嘘のようにぴたりと止まった。
「すごい、やっぱり勇者さんね。これからどうするの?」
精霊は嬉しそうに俺の周りをくるくる飛び回る。
その様子を見ているうちに――ひらめいた。
「そうか!」
「えっ、勇者さん何か思いついたの?」
きらきらした目で近づいてくる精霊。
「ああ。これで君をさっきの場所に埋め直す」
「ええ~~!? なんで!? どうしてそうなるのよ!?」
精霊が空中でぴたりと止まり、半ば悲鳴のような声をあげた。
「俺だってどうしたらいいのかわからない。……さっきみたいに静かに寝ててくれた方が助かるんだが」
「そんなの無理よ。だって、ちゃんと勇者さんの声が聞こえたんだもの」
また今にも、瞳から大粒の雫がこぼれ落ちそうだ。
「それに――勇者さん、何か探してたでしょ? あたしが黄色い石を探してあげる!」
その言葉に、ぴたっと足が勝手に止まった。
本当に……そんなことができるのか?
気づけば俺は、さっきの洞窟へ引き返していた。
「ほら、そこでしょ? それに……あそこにも埋まってるわよ」
水の精霊は、「なんでわからないの?」と言わんばかりの表情で指をさした。
俺は驚いた。
……完璧に言い当てている。
だが、掘るのは結局俺の仕事だ。
なるほど。
宝石たちの声が聞こえないはずだ。
こんなに深く掘らなきゃいけなかったなんて……。
両手でマルチツールを握りしめ、ひたすら掘り進めた。
気づけば、俺の身長がすっぽり収まるほどの深さになっている。
こんなに筋肉を使ったのは、いったい何年ぶりだろうか。
土にまみれ、息を荒げながら、それでも無心で掘り続けた。
そして――
岩に交じって黄色い宝石を見つけだした。
これは、今までのより一回り大きい。
「きみは、役に立つな」
「えへへっ。でしょ?」
嬉しそうに浮かぶ水の精霊が、くるりと回った。
まるで、自分の存在意義を初めて見つけたような顔だった。
同じ要領で、さらに三つの宝石を掘り起こしたころには――
もう腕が棒のようで、握力すら残っていなかった。
「……限界だ」
汚れたマルチツールは鞘には収まらない。
そのまま腰紐に吊り下げるだけだ。
ふらつく足取りで温泉へ向かう。
縁に手をついた瞬間、膝が笑った。
そのまま前のめりに飛び込むように湯へ沈んだ。
熱が全身を包み込み、疲労がじわじわ溶けていく。
こんなに、心地よかっただろうか?
体を引き上げ、砂地の床に寝転がると――
意識はそのまま、深く、深く落ちていった。
目を覚ますと、すぐそばで柔らかい声がした。
「おはよう」
その一言が、胸の奥に沈んでいた何かを揺さぶった。
湯気の匂い、岩の感触――
そして、昔の記憶が鮮やかに思い出した。
かつて、この場所は“氷の巨人”が住み着き、周囲を凍りつかせていた。
そいつを倒すには、大量のお湯が必要だった。
そこで、魔法使いのじじいが温泉の起点を探り当てた。
……正確には、岩盤を割って無理やりここに湧かせた、という方が近い。
その名残が、今もこうして残っているということか。
つまり――水の精霊が眠り続けていたのは……
「すまない……」
「え、なにが? お水飲みます?」
その小さな両手に水がふわっと湧き上がり、こぼれ落ちずに澄んでたゆたう。
俺は自然とその小さな手の下へ顔を近づけた。
――ごくん。
俺にとっては一口にも満たない量だった。
しかし、僅かな水だが、全身を潤っていくのがわかる。
疲労が吹っ飛ぶどころか、力が湧き上がってきた。
水の精霊は嬉しそうに笑い、
また新しい宝石の場所を指し示してくれる。
「ねえ、あっちにもあるよ!」
うなずいて、俺はマルチツールをしっかり握り振った。
それから――もうすぐ一週間になる。
俺は百を超える黄色い宝石を掘り起こしていた。
「勇者さんすごいんだね! 勇者さんはなんでもできちゃうの?」
俺は苦笑いした。
「……俺はもう勇者ではないんだ。アセルと呼べばいい」
「え? 勇者さんじゃないの? そんなわけないよ。こんなに強いのに」
「今は、そうなんだよ」
言い切ると、水の精霊は少しだけ首をかしげ、でもすぐににっこり笑った。
「ふーん……アセル。いい名前だね」
「お前にも名前ないだろ? だったら……俺がつけてやるよ」
「え? 私に?」
「――ミナリーで、どうだ?」
ミナリーは、言葉を失ったように目を見開いた。
「ミナリー……これが私の名前……?」
「ああ」
笑顔で嬉しがるミナリーは、体全体で水を滴らせていた。
「ミナリー、俺はここでの出来事を思い出したんだ」
「え、それは……よかったね」
俺の言葉に、少し安心したように小さく頷く。
「だから、ミナリーの“本当”の使命も、わかったと思う」
「え、あたしの使命……?」
その声には、少し不安と期待が混じっている。
「もう一度、この広場で眠るんだ。そして、すぐに俺が順番通りに眠りを起こす」
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恐る恐る目を伏せる姿が、どこか無防備で愛らしい。
「目をつむって、何も考えないんだ」
「うん……やってみる」
小さく息をつき、静かに目を閉じる。
俺に見えていた虹の光と一緒に、ミナリーの姿もゆっくりと消えていった。
うまくいった。
そう自分に言い聞かせた。
本当は、順番に起こす方法なんて初めから存在しない。
そんな方法、俺は知らない。
無理やり目覚めさせ、都合よく働かせ、邪魔になったら眠らせる。
それだけだ。
そんな自分に吐き気がする。
でも、それ以上に、これからどうすべきかがわからなかった。
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