なぜ、最強の勇者は無一文で山に消えたのか? ──世界に忘れられ、ひび割れた心のまま始めたダークスローライフ。 そして、虹の種は静かに育ち始め

イニシ原

文字の大きさ
32 / 42
六章 魔法は狭間から見る

2話 隔離される無音の物に

しおりを挟む
「ふう、勇者くんよ。これが、わしの本当の姿じゃ」
 じいさんは、ニコリと笑って俺を見た。
「それに――君と冒険を始めた頃のわしは、こんなものだったろう。旅に出てすぐ、薄汚れた灰色になってしまったが……覚えておらんか?」

 ああ……紫檀で作られた杖の香りが懐かしい。
「思い出したよ、じいさんとはカルドで出会って、そのまま南の湖沼へ向かった。それでみんなびしゃびしゃになって……ですよね」

「まあ、そんなことはいい。どうして、わしを起こしたんじゃ?」

「それは……じいさんを起こそうと思ったわけじゃ……」
 本人を前にすると、言いづらいこともあるものだ。
「四つ葉の姫をですね……」

「つまり、これじゃろ?」

 じいさんの杖に、視線が吸い寄せられた。
 それは装飾ではなかった。
 紫檀によく似た色をした――四つ葉の姫が、そこにいた。

「その子は……」

「おぬしは……一体、どうしたんじゃ?」
 じいさんは、哀れむような視線を俺に向けた。
「それらは、もう何の役にも立たん道具のはずじゃ。それとも、付呪でもして遊んでおるのか? ……いや。今だに見かけ通りの中身では、あるまいな。いい年じゃろうに」

「いや、それは……」
 頑固なじいさんに、今さら言っても仕方ない。
 どういうわけかこの最近、昔の仲間たちと出会うことが多い。
 ……面倒なことだ。

 でも、じいさんも思うところがあるのだろう。
 それ以上、俺を責めることはなかった。

「遊ぶなら、ちゃんとした魔法使いにやってもらわんとな」
 じいさんは、優しく言ってくれた。

 遊びのつもりなど、俺にはなかったんだが――
 だが何も知らずに育ててきたのも本当のこと。
 植物というより、魔法の道具。
 そう考えるべきだったのかもしれない。

 今となっては――
 それを教えてくれる相手は、目の前にいるじいさんだ。
「そこでなんだけど……」

 ――もっと最初は、簡単なことから聞けばよかったのか。

「なあ、じいさん。なんで《世界を裏返すやつ》を、あんなに唱えたんだ?」
 たわいもない調子で、聞いたつもりだった。

 じいさんは、最初こそ冗談だと思ったらしい。
 だが、それもほんの数秒。

「……そんな馬鹿な」
 声色が、はっきり変わった。
 じいさんは慌ただしく動き出し、さっきまで自分が眠っていた箱の周りをぐるぐると回る。
 ぶつくさ呟きながら、蹴り、ひっくり返し、確かめるように叩いた。
「ありえん……ありえんはずじゃ……」

 ……すまん、じいさん。
 俺が悪いことしてしまったのだろう。
 魔法とは――
 俺の知らない理で動くものだとは、わかっていたのだが……。

 じいさんは、いつまでも独り言を続けているように見えた。
 だが――違う。
 それは呟きではない。

 呪文だ。

 魔力の流れで、俺にもそれだけは分かる。
 空気が、ゆっくりと折り畳まれていく感覚。
 ただし、どんな魔法なのかまでは読み取れない。

 そのとき、懐の中で姫が騒ぎ出した。
 どうして!?そう思った瞬間には、もう遅かった。
 姫は俺のもとを離れ、光の筋となって、じいさんの手へと吸い寄せられていった。

 ……まさか!俺の手から勝手に行くなんて――
 誰に向けたものかも分からない。
 だが、確かにそこには、怒りがあった。
 殺意と呼んでもいいほど、澄んだ感情が。

 ……その時だ。

「なんだ、これは!」
 じいさんが、今まで聞いたこともない怒声を放った。
 声だけじゃない。
 空気ごと、叩きつけるような響きだった。

 彼の目は、真剣そのものだった。
 いや――真剣ですら足りない。
 理解してしまった者だけが見せる、あの目だ。

 じいさんは、四つ葉姫の入った檻を、
 まるで刃でなぞるように、視線で追っていた。

 一通り確かめ終えたのか、
 じいさんは、今度は俺を睨みつけてきた。

「わしのことを生き返しおって――
 それで、何をするつもりなのじゃ?」

 ……何を?
 俺は、何を……。

 じいさんが、ただ手を開いただけで、“姫”は俺のもとへ戻ってきた。
「……」

「かなり禍々しい魔法じゃぞ。呪いと言っても、差し支えない」

 じいさんの言葉が、すぐには信じられなかった。
 ――いや。
 信じたくなかったのだと思う。
 でもすぐ、それを否定しきれない自分に、気づいてしまった。

「解放するんじゃ。まだ今の勇者くんなら、耐えられるだろう。……たぶんな」

 ああ、そういうことか……。
 この子を、檻に入れたのは俺だ。
 守るつもりだったのか?
 離れないように、失わないように――
 そう言い訳だ。

 そんなに、恨まれていたなんて……。

 檻を、ほんの少し……。
 千切っただけだった。

 ――パンッ。

 軽い音で、何かが弾けた。

 赤土が、体中に飛び散る。
 そして、その赤は――
 拭う間もなく、すっと肌に染み込んできた。

 体の芯まで届く。
 痛みと、苦しみを抱えたまま。

 息が、できない。
 何も、考えられない。

 ただ――
 いつの間にか。

 ……あやまることができた。
 ……ごめん。

 気がつけば、意識が深く、沈んでいった。



 俺は――
 何に、あやまったんだろう。

 “姫”は、何も言ってこなかった。
 責められると思っていた。
 罵られても、拒まれても、当然だ。

 ……それは、なかった。
 ……じいさんの言う通り、道具だからなのか?

 言葉がないことが、こんなにも空しいとは思わなかった。
 怒りよりも、涙よりも、ずっと。

 でも――
 それでよかったのかもしれない。
 感情が、すっかり抜け落ちていた。

 悲しみも、後悔も、恐れもない。
 ただ、妙に澄んでいて――
 さっぱりしていた。
 まるで、薄荷スライムが、俺の頬の内側で静かに弾けたような感覚だった。

「じいさん、すまない」

 俺の意識が戻るまで、そばで見ていてくれたらしい。
 向けられた瞳は、驚くほど優しかった。

「わしは、生き返らされるなどとは、思ってもみなかった」
 じいさんは静かに言う。
「それに、《世界を裏返すやつ》もどこまで及んでいるのかわからん……。もしレインボーアイテム虹の種の仕業だというなら、残りの寿命を使ってでも、調べてみる価値はあるじゃろう」

「……俺のために、か?」

「勇者くんのための役目は、もう終わっておる」
 じいさんは小さく笑った。
「これは、わし自身のためじゃよ」

 じいさんは、家の周りをゆっくりと歩き回り、隅々まで目を配っていた。
「……こんなものまで、使っておるせいかの」
 そう呟いて、杖の石突きで、俺の家の壁を軽く叩く。

 カン、カン、と乾いた音が響いた。

「魔王が、好んで使っていた金属じゃな」
 じいさんは、疑うように目を細める。
「わしも、ただの便利な素材だと思っておったが……もしこれにも、意思があるというなら、話は厄介じゃ」

 そんなことを言ったきり、じいさんは、もう俺のことなど構っていなかった。
 家のあちこちを杖で叩いては、「ほー」と、妙に感心した声を漏らす。
 かと思えば、戸口から顔を出し、隣の山――
 “碧翠のミナリア”へ視線を向けて、「おやおや……」今度は、楽しげにそう呟いた。
 困っている様子でもない。
 むしろ、久しぶりの散歩でもしているかのようだ。

 俺は今なら、自分が何をしてきたのかを、少しだけ振り返れそうだった。
 道なき道を、地図も持たず、目的地も決めずに――
 ただ、走り続けていた気分だ。

 速く走ることだけは得意だった。
 止まる理由を、知らなかっただけで。

 でも、じいさんが戻ってきたことで、世界は急に、立ち止まる余地をくれた。
 この種も……。
 最初から育ててみようか。
 ……そんなことが出来れば、だが。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち

半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。 最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。 本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。 第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。 どうぞ、お楽しみください。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...