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猫とパンと、進まない恋
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今日は、なんでもない日。
空は晴れ、風は穏やか。
カフェ・シャルルには、いつものように猫と子どもと、パンの香り。
⸻
ドアが開く音。
「おはようございます、ソフィア様!」
入ってきたのは、マリーナ。
その後ろから、妙に機嫌のいいアラン兄が、少し恥ずかしそうに頭をかいている。
⸻
「また来たの? 朝から」
「ええ、パン屋さんに寄ったついでに。ね? アラン様」
「……まあ、うん。パンは……うまいからな」
パンをひと袋買って、席に着くふたり。
そこから始まる――
マリーナ:「アラン様、今日の服もとてもお似合いですよ」
アラン兄:「そ、そうか? 君が選んでくれたから、な」
マリーナ:「ふふ、じゃあ明日はもう少し明るい色を……」
⸻
ソフィア(心の声)
(……なんなの、この、朝から胃もたれしそうなラブラブ)
⸻
隣では、バルツアーが静かに紅茶を啜っている。
何も言わないが、時折こちらをちらりと見る。
それが妙に落ち着かなくて、
ソフィアはカップを持ち直した。
⸻
「……私たち、どうするのかしらね」
ぽつりと呟いたその言葉に、
バルツアーは一瞬だけ目を細めた。
「“進めたらいいのに”とは思っていますが。
ソフィアが望まないなら、私は無理はしません」
「……違うの。ただ、怖いのよ。
今が穏やかで、これが壊れるのが。
あなたの隣に立っていいのか、自信がないだけ」
⸻
シャルルが足元に座り、ぽすんと座った。
(にゃあ)
⸻
「……猫に言われてる気がするわね」
「“進め”と、ですか」
二人が、少しだけ、笑った。
でも、それ以上は――
言葉が続かなかった。
ご武運を、そして……“帰ってきてくださいね”
「魔物の痕跡が出たって、また?」
カフェに入ってきたアラン兄が、
出陣装備を整えているのを見て、ソフィアは眉をひそめた。
「ええ、今度は本格的に出ます。
でも――帰ってきますから」
マリーナが、言葉に詰まったまま、エプロンの端をぎゅっと握っていた。
「……気をつけて。無理はしないで」
「……もちろん。
帰ってきたら、“今日の夕飯、俺が作る”って約束してますからね」
「えっ」
「マリーナのために、初めてのカレー。
でも安心してください。シャルルに試食させますから」
⸻
バルツアー、後ろでむせる。
ソフィア、紅茶を吹きそうになる。
「……甘いわね、あのふたり」
「ええ……ちょっと、刺激が強いです」
ソフィアがそう呟いたとき、
ふと、バルツアーと目が合った。
⸻
「私も……出ることになるかもしれません」
「えっ」
「守るべき場所があるなら、動かずにはいられません」
「……そう」
ソフィアはしばらく黙っていたが、
ふと顔を上げて、静かに微笑んだ。
⸻
「お気をつけて……お帰りくださいね」
⸻
その一言に、バルツアーの瞳がわずかに揺れる。
「ええ。……必ず」
アラン兄が出発したあと。
マリーナは手を振りながら見送っていた。
その横で、シャルルが――くんくん、と鼻をひくつかせていた。
「……にゃっ(あのカレー、あやしいにおいするニャ)」
⸻
「……シャルル。カレーは、刺激物よ。
あなたには、だめ」
⸻
それから数時間後。
静かになったカフェで、ソフィアとバルツアーが並んでいた。
「アラン兄、張り切ってましたね……」
バルツアーはわずかに眉を寄せる。
「正直言って、
“あの甘ったるい空間でアランの手作りカレーを食べたい”とは、
私は、まったく思わなかった」
ソフィア、ぷっと吹き出す。
「……なら、私が作ります。
シチューを」
バルツアーが少し驚いた顔をする。
⸻
「……帰ってこられなかったら、食べ損ねますよ?」
⸻
「だから、無事に。
帰って来てくださいね」
⸻
バルツアーは、その言葉を深く受け止めるように、
ゆっくりと頷いた。
「……それは、命令ですか?」
「お願い、です」
「承知しました」
⸻
シャルルが足元で、ぴたりと座った。
「にゃあ(温かい味なしシチューが、いちばん)」
鍋の中で、シチューがことことと音を立てていた。
ソフィアは静かに木べらを回しながら、何も言わずにその音を聞いていた。
そばでシャルルが香りに誘われて丸くなり、
子どもたちは「まだ~?」と騒ぎながら、
「でも今日は、まだ食べちゃダメなんだよね」と口を揃えた。
「“帰ってきたら、みんなで食べる”って決めたもん」
ソフィアは微笑みながら、
鍋の中をじっと見つめた。
次の日の夕方のカフェに、足音が一つ。
いつもの時間。
いつもの扉の開き方。
でも今日は、
胸の奥が少しだけ音を立てた。
⸻
「……ただいま」
バルツアーが、少しだけ埃っぽい外套を脱ぎながら言った。
ソフィアは立ち上がるでもなく、
振り返るでもなく、
静かに鍋の蓋を開ける。
⸻
「温め直しました。冷めてしまうので」
「ありがとう」
それだけ。
バルツアーは、椅子を引いて静かに座る。
シャルルが足元をすり抜け、
彼の膝の上にちょこんと乗った。
「……歓迎されているようです」
「ええ。あなたが好きなんです、うちの猫」
「光栄です」
ふたりの間に、それ以上の言葉はなかった。
でも、それで十分だった。
⸻
数日後、彼はまた言った。
「痕跡がありました。
また、討伐に行くことになりました。
少しかかりますが――待っててくださいね」
⸻
ソフィアは頷いた。
もう、目は逸らさない。
「はい。いつでもシチューは、あたためておきます」
空は晴れ、風は穏やか。
カフェ・シャルルには、いつものように猫と子どもと、パンの香り。
⸻
ドアが開く音。
「おはようございます、ソフィア様!」
入ってきたのは、マリーナ。
その後ろから、妙に機嫌のいいアラン兄が、少し恥ずかしそうに頭をかいている。
⸻
「また来たの? 朝から」
「ええ、パン屋さんに寄ったついでに。ね? アラン様」
「……まあ、うん。パンは……うまいからな」
パンをひと袋買って、席に着くふたり。
そこから始まる――
マリーナ:「アラン様、今日の服もとてもお似合いですよ」
アラン兄:「そ、そうか? 君が選んでくれたから、な」
マリーナ:「ふふ、じゃあ明日はもう少し明るい色を……」
⸻
ソフィア(心の声)
(……なんなの、この、朝から胃もたれしそうなラブラブ)
⸻
隣では、バルツアーが静かに紅茶を啜っている。
何も言わないが、時折こちらをちらりと見る。
それが妙に落ち着かなくて、
ソフィアはカップを持ち直した。
⸻
「……私たち、どうするのかしらね」
ぽつりと呟いたその言葉に、
バルツアーは一瞬だけ目を細めた。
「“進めたらいいのに”とは思っていますが。
ソフィアが望まないなら、私は無理はしません」
「……違うの。ただ、怖いのよ。
今が穏やかで、これが壊れるのが。
あなたの隣に立っていいのか、自信がないだけ」
⸻
シャルルが足元に座り、ぽすんと座った。
(にゃあ)
⸻
「……猫に言われてる気がするわね」
「“進め”と、ですか」
二人が、少しだけ、笑った。
でも、それ以上は――
言葉が続かなかった。
ご武運を、そして……“帰ってきてくださいね”
「魔物の痕跡が出たって、また?」
カフェに入ってきたアラン兄が、
出陣装備を整えているのを見て、ソフィアは眉をひそめた。
「ええ、今度は本格的に出ます。
でも――帰ってきますから」
マリーナが、言葉に詰まったまま、エプロンの端をぎゅっと握っていた。
「……気をつけて。無理はしないで」
「……もちろん。
帰ってきたら、“今日の夕飯、俺が作る”って約束してますからね」
「えっ」
「マリーナのために、初めてのカレー。
でも安心してください。シャルルに試食させますから」
⸻
バルツアー、後ろでむせる。
ソフィア、紅茶を吹きそうになる。
「……甘いわね、あのふたり」
「ええ……ちょっと、刺激が強いです」
ソフィアがそう呟いたとき、
ふと、バルツアーと目が合った。
⸻
「私も……出ることになるかもしれません」
「えっ」
「守るべき場所があるなら、動かずにはいられません」
「……そう」
ソフィアはしばらく黙っていたが、
ふと顔を上げて、静かに微笑んだ。
⸻
「お気をつけて……お帰りくださいね」
⸻
その一言に、バルツアーの瞳がわずかに揺れる。
「ええ。……必ず」
アラン兄が出発したあと。
マリーナは手を振りながら見送っていた。
その横で、シャルルが――くんくん、と鼻をひくつかせていた。
「……にゃっ(あのカレー、あやしいにおいするニャ)」
⸻
「……シャルル。カレーは、刺激物よ。
あなたには、だめ」
⸻
それから数時間後。
静かになったカフェで、ソフィアとバルツアーが並んでいた。
「アラン兄、張り切ってましたね……」
バルツアーはわずかに眉を寄せる。
「正直言って、
“あの甘ったるい空間でアランの手作りカレーを食べたい”とは、
私は、まったく思わなかった」
ソフィア、ぷっと吹き出す。
「……なら、私が作ります。
シチューを」
バルツアーが少し驚いた顔をする。
⸻
「……帰ってこられなかったら、食べ損ねますよ?」
⸻
「だから、無事に。
帰って来てくださいね」
⸻
バルツアーは、その言葉を深く受け止めるように、
ゆっくりと頷いた。
「……それは、命令ですか?」
「お願い、です」
「承知しました」
⸻
シャルルが足元で、ぴたりと座った。
「にゃあ(温かい味なしシチューが、いちばん)」
鍋の中で、シチューがことことと音を立てていた。
ソフィアは静かに木べらを回しながら、何も言わずにその音を聞いていた。
そばでシャルルが香りに誘われて丸くなり、
子どもたちは「まだ~?」と騒ぎながら、
「でも今日は、まだ食べちゃダメなんだよね」と口を揃えた。
「“帰ってきたら、みんなで食べる”って決めたもん」
ソフィアは微笑みながら、
鍋の中をじっと見つめた。
次の日の夕方のカフェに、足音が一つ。
いつもの時間。
いつもの扉の開き方。
でも今日は、
胸の奥が少しだけ音を立てた。
⸻
「……ただいま」
バルツアーが、少しだけ埃っぽい外套を脱ぎながら言った。
ソフィアは立ち上がるでもなく、
振り返るでもなく、
静かに鍋の蓋を開ける。
⸻
「温め直しました。冷めてしまうので」
「ありがとう」
それだけ。
バルツアーは、椅子を引いて静かに座る。
シャルルが足元をすり抜け、
彼の膝の上にちょこんと乗った。
「……歓迎されているようです」
「ええ。あなたが好きなんです、うちの猫」
「光栄です」
ふたりの間に、それ以上の言葉はなかった。
でも、それで十分だった。
⸻
数日後、彼はまた言った。
「痕跡がありました。
また、討伐に行くことになりました。
少しかかりますが――待っててくださいね」
⸻
ソフィアは頷いた。
もう、目は逸らさない。
「はい。いつでもシチューは、あたためておきます」
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