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第1章:ピアノは孤独の中に
第1話 母のオルゴール
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静かな午後だった。
風にそよぐカーテンが、グリーンのカーテンレースを揺らす。
リゼルの部屋は、まるで森の中にいるような、穏やかな緑に包まれている。落ち着いた色調の壁紙と、母の形見のティーカップで淹れたカモミールティーが、彼女の小さな世界を守っていた。
だが、その静けさは、孤独と隣り合わせだった。
誰も来ないこの別邸は、音が吸い込まれるように静かだ。
主な理由は、彼女がピアノを弾くからだった。
「音がうるさい」と継母が眉をひそめ、父は「勉学を優先しろ」と言った。
けれど、リゼルにとって、ピアノだけが母を想い出せる唯一の手段だった。
カチリ、と小さな音を立てて、オルゴールの蓋を開ける。
母の形見のそれは、銀細工でできていて、中心にはピアノの鍵盤のモチーフ。
優しく、どこか切ない旋律が流れ出す。
“子犬のワルツ”。母がよく弾いていた、そしてリゼルが一番好きだった曲。
「……久しぶりに、弾こうかな」
そっと椅子に座り、ピアノに手を置く。
黒と白の鍵盤が、彼女の指を待っていた。
最初の音が響いた瞬間――隣の屋敷の少年が、それに気づく。
◇ ◇ ◇
その旋律は、庭を超えて、隣家の書斎まで届いていた。
ノア・ヴァン=グランディスは、窓を開け放ったまま机に向かっていた。
ペンを走らせる手は止めず、視線も上げないまま、彼は聞いていた。
「……今日は“子犬のワルツ”か」
口にこそ出さなかったが、その旋律は彼にとって日課のようなものだった。
午前は魔法理論、午後は貴族法、夜は剣術訓練――そんな忙しない生活のなかで、唯一“心の余白”をくれる音。
ふと、視線を少しだけ外にやる。
木々の隙間から、微かに白いドレスが見える。
彼女の指先が、軽やかに鍵盤の上を踊っているのが分かった。
「……あんな音を出せるのに」
呟いた声は、誰にも聞こえない。
音は甘く、切なく、そしてどこか悲しかった。
少女は、あの音で何を伝えようとしているのか。
けれど、彼は――まだ、その答えを知らなかった。
◇ ◇ ◇
弾き終えたリゼルは、小さく息を吐いた。
「やっぱり、あなたの音は悲しいわね」
そう声をかけてきたのは、後ろに立っていた侍女のミレーユ。
かつて母に仕えていた、唯一の“味方”だった。
「……悲しいままでいいの。今は、それしか弾けないから」
そう呟いたリゼルは、ふと、オルゴールに目をやる。
もう一度、蓋を閉じるその手に――小さな、でも確かな“魔力の揺らぎ”があった。
それはまだ誰にも知られていない。
彼女が魔法を使えるということも、
ピアノで心を伝えようとしていることも。
けれど、この音が届いている人が、ひとりだけいた。
そしてその音が、彼の心を、静かに――動かし始めていた。
風にそよぐカーテンが、グリーンのカーテンレースを揺らす。
リゼルの部屋は、まるで森の中にいるような、穏やかな緑に包まれている。落ち着いた色調の壁紙と、母の形見のティーカップで淹れたカモミールティーが、彼女の小さな世界を守っていた。
だが、その静けさは、孤独と隣り合わせだった。
誰も来ないこの別邸は、音が吸い込まれるように静かだ。
主な理由は、彼女がピアノを弾くからだった。
「音がうるさい」と継母が眉をひそめ、父は「勉学を優先しろ」と言った。
けれど、リゼルにとって、ピアノだけが母を想い出せる唯一の手段だった。
カチリ、と小さな音を立てて、オルゴールの蓋を開ける。
母の形見のそれは、銀細工でできていて、中心にはピアノの鍵盤のモチーフ。
優しく、どこか切ない旋律が流れ出す。
“子犬のワルツ”。母がよく弾いていた、そしてリゼルが一番好きだった曲。
「……久しぶりに、弾こうかな」
そっと椅子に座り、ピアノに手を置く。
黒と白の鍵盤が、彼女の指を待っていた。
最初の音が響いた瞬間――隣の屋敷の少年が、それに気づく。
◇ ◇ ◇
その旋律は、庭を超えて、隣家の書斎まで届いていた。
ノア・ヴァン=グランディスは、窓を開け放ったまま机に向かっていた。
ペンを走らせる手は止めず、視線も上げないまま、彼は聞いていた。
「……今日は“子犬のワルツ”か」
口にこそ出さなかったが、その旋律は彼にとって日課のようなものだった。
午前は魔法理論、午後は貴族法、夜は剣術訓練――そんな忙しない生活のなかで、唯一“心の余白”をくれる音。
ふと、視線を少しだけ外にやる。
木々の隙間から、微かに白いドレスが見える。
彼女の指先が、軽やかに鍵盤の上を踊っているのが分かった。
「……あんな音を出せるのに」
呟いた声は、誰にも聞こえない。
音は甘く、切なく、そしてどこか悲しかった。
少女は、あの音で何を伝えようとしているのか。
けれど、彼は――まだ、その答えを知らなかった。
◇ ◇ ◇
弾き終えたリゼルは、小さく息を吐いた。
「やっぱり、あなたの音は悲しいわね」
そう声をかけてきたのは、後ろに立っていた侍女のミレーユ。
かつて母に仕えていた、唯一の“味方”だった。
「……悲しいままでいいの。今は、それしか弾けないから」
そう呟いたリゼルは、ふと、オルゴールに目をやる。
もう一度、蓋を閉じるその手に――小さな、でも確かな“魔力の揺らぎ”があった。
それはまだ誰にも知られていない。
彼女が魔法を使えるということも、
ピアノで心を伝えようとしていることも。
けれど、この音が届いている人が、ひとりだけいた。
そしてその音が、彼の心を、静かに――動かし始めていた。
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