義妹に婚約者を譲ったら、貧乏鉄面皮伯爵に溺愛されました。

夢窓(ゆめまど)

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婚約交換決定直後

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「では、婚約交換は決まりね」
 シレーヌは勝ち誇ったように微笑み、扇子で口元を隠した。

「お姉さまは──アドレ様のところに行けばよろしいのではなくて?」

「……私が?」

 思わず聞き返した私に、継母がにっこりと頷いた。
「ええ、そうよ。あさってには伯爵家から迎えが来ると伺っておりますの」

「あさって?」

「ええ、あさってよ」
 シレーヌの母はにこにこと、いかにも愉快そうに告げた。

 ……なるほど。
 勝利を疑わない顔だ。
 シレーヌは、ラリーに選ばれた自分こそ“公爵家の正妻”になると信じている。
 そして継母もまた、同じ勘違いをしている。

 私は小さくため息をつき、肩をすくめた。

「わかりました。あさって、ですね」




迎えの日はあっという間にやってきた。
 馬車で伯爵邸に到着して、私は思わず息を呑んだ。

 ──質素。

 外観こそ伯爵家らしい石造りだが、中に入れば装飾はほとんどなく、廊下には人影もまばら。
 きらびやかな公爵家の屋敷に慣れた目には、あまりに落差が大きかった。

初めて足を踏み入れた伯爵家の屋敷は、思ったよりもずっと静かだった。
 壁紙はところどころ色あせ、調度品も古びている。
 召使いの数も最低限で、廊下を歩く人影すらほとんどない。

(……なるほど。贅沢なんて、できそうにないわね。
 義妹が「婚約者交換したい」と言ったのも……無理はないのかも)

 そう思った瞬間、廊下の先から一人の青年が現れた。

 黒髪に茶色の瞳。
 すらりとした体つきに、無駄のない立ち居振る舞い。

(……婚約者、アドレ様……)

 やつれた印象はない。
 むしろ、質素な食事を続けているなら当然のことだろう――太っている方がおかしい。

 彼の冷ややかな視線に射抜かれて、思わず背筋を伸ばす。


「驚いたか」
 静かな声がした。
 無表情の婚約者──アドレ

「うちは二年前、領地が大災害にあった。立て直しに支援もしたが、資金は底をついている」
「……」
「召使いは通いのみ。台所にも料理人はいない。下女が買ってきたスープとパンが、普段の食事だ」

 さらりと説明するその口調に、悲壮感はなく、ただ事実を述べるのみ。

「それが嫌なら、自分で作れ」

 私は目を瞬かせ、それから思わずぱあっと顔を輝かせた。

「……自分で作っていいんですか!?」

 アドレが一瞬、目を細める。
「……まぁ、勝手にしろ」

「はいっ! 作れれば充分です!」

 私は元気よく返事をし、ポーチを取り出す。
 黒猫の刺繍が入った、小さな可愛らしいポーチ。
 けれどこれこそ、私の秘密の道具──マジックボックス。

「材料は市場で揃えろ。重ければ侍女を連れて行けばいい」

「大丈夫です。このネコのポーチ、なんでも入るんです!」
 私はにっこり笑ってポーチを掲げた。

 アドレは一瞬きょとんとし、それから肩をすくめる。

 黒猫の刺繍が入った、小さなポーチ。
 けれど実際は──自分で針と糸を使って縫った、少しボロの代物だった。

「……自作か?」とアドレが無表情で問う。

「はい。作ったあとにマジックボックスの加工をしたんです。
 ……あまりに出来が悪かったので、シレーヌも欲しがりませんでした。
 だから中に、大切なものを入れてあるんです」

 私は少し誇らしげに撫でた。

 妹が宝石やドレスばかり欲しがる間に、私は手作りの布きれに魔法を込めてきた。
 その違いが、今ここで活きるのだと思うと、心の奥が少しだけ熱くなる。

 アドレは短く「……興味深い」とだけ言った。
 けれど、その目がわずかに細められたのを、私は見逃さなかった。


伯爵家に着いたその日。
 私は侍女に案内され、これから私室となる部屋の扉を開けた。

「こちらは、アドレ様の母君が使われていたお部屋です」

 調度品はどれも古く、派手さもない。
 けれど、不思議と落ち着く雰囲気があった。



(……ここで暮らすのね、これから)

 重厚な木の机、少し色あせた椅子、壁際には古い姿見。
 きっと前の奥様も、ここで髪を梳いたり、手紙を書いたりしていたのだろう。

 私はそっとカーテンを開け、窓から差し込む光を受け止めた。

(きらびやかな公爵家とは違うけれど……居心地がいい。
 ここでなら、私の新しい生活を始められるかもしれない)



 振り返れば、扉の外に立つアドレがちらりとこちらを見た。
 鉄面皮のまま何も言わなかったが――その視線が「ここがおまえの場所だ」と告げているように思えた。


持ってきたわずかな荷物をほどき、服を衣桁に掛ける。
 華やかなドレスなどほとんどなく、簡単なワンピースばかり。

 そのうちの一着に着替えると、心も少し軽くなった。



 廊下を抜けて庭に出る。
 小さな草花が風に揺れていて、奥の方に、一輪だけ赤い薔薇が咲いていた。

「……少しだけ、いただきますね」

 小さく切り取った薔薇を手に、部屋に戻る。
 古めかしい机の上に飾ると、それだけで空間がぱっと明るくなった。



(……うん、これでいい。
 ここで暮らしていくんだ、私)

 小さな薔薇の花が、新しい生活の始まりを静かに見守っていた。


机に一輪の薔薇が置かれているのを、アドレはすぐに見つけた。

「……その花」

 無表情のまま、少しだけ声が低くなる。
「母も、よくその薔薇を飾っていた」

「まぁ……そうなんですか」
 メイベルは驚いて、花に視線を落とす。



 アドレは視線を部屋の奥に移し、ベッドを顎で示した。
「……質素な部屋だが、そのキルトは母の手作りだ」

「えっ……」
 よく見れば、少し色褪せた布が丁寧に縫い合わされている。
 派手さはないけれど、温もりがこもった模様だった。



 メイベルは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「……とても素敵です」

 アドレはそれ以上何も言わず、ただ静かに花へと視線を戻した。
 だがその瞳の奥は――どこか優しく揺れていた。


 アドレの言葉を聞いたメイベルは、そっとベッドの縁に腰を下ろした。
 指先でキルトの縫い目をなぞると、不思議と温かい気持ちになる。

「……じゃあ、このキルトも、大切にしますね」

 振り返ってそう告げると、アドレは少しだけ目を瞬いた。



「母のものを……おまえが?」

「はい。私にとっても、大切な部屋になりますから」
 にこりと笑うと、アドレの視線がほんの一瞬だけ柔らかく揺れた。



(質素で古めかしいけれど……温かさがある。
 前の奥様も、この部屋で暮らしていたのだわ。
 私もきっと、ここでなら頑張れる)

 机の上の薔薇が、夕陽に照らされて赤く輝く。
 それはまるで、新しい日々を祝福するようだった。
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