『義妹に婚約者を譲ったら、貧乏鉄面皮伯爵に溺愛されました』

夢窓(ゆめまど)

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新婚生活は、ふたりきりで

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 執務室。
 静かに書類が積まれ、アドレは無表情で仕事をしていた。

「……アドレ。上司が家にも職場にもいるって、どうなんだ?」
フリードリヒがぼそりと突っ込む。

「……王子がご結婚されるまでですから。大丈夫ですよ。もうじきです」
アドレは冷静に答え、ペンを走らせる。



 そして数日後。
 執務室

「やっほー!」
 明るい声とともに、扉が勢いよく開いた。

「……っ!」
 アドレが固まる。

 そこに立っていたのは、満面の笑みのメイベル。
 おにぎりの包みを手に、堂々と。

「えへへ、差し入れですよ! 唐揚げもあります!」



「……あれ、奥さん連れて来たのか?」
 執務室中がざわつく。

「……あー、これ……やばいです」
アドレは額を押さえた。

鉄面皮伯爵様の冷徹な職場イメージは――
奥さんのおにぎりと笑顔で、一瞬にして崩壊していった。
 

新婚気分にならない家

 新婚生活、はずだった。
 けれど――。

「……ただいま」
 アドレが玄関を開けると、すでにリビングから明るい声が聞こえてくる。

「おかえりなさーい! 殿下も来てますよ!」

 食卓には、当たり前のようにアルバート殿下が座り、唐揚げを頬張っていた。

「いやぁ、ここの夕飯は本当に絶品だな! すっかり癖になってしまったよ!」
「えへへ、そう言っていただけると嬉しいです~!」



(……どうなんだ、これ)
 アドレは静かに眉間を押さえた。

 家でも仕事場でも、上司がいる。
 新婚気分? そんなもの、あるわけがない。



「アドレ、次はこの酒を試してみろ! 枝豆に合うぞ!」
「……あー、これ……やばいです」

 鉄面皮伯爵様の嘆きは、唐揚げの香りにかき消されていった。


夕食の席。
 またもやアルバート殿下が堂々と座っていた。
 唐揚げ、枝豆、だし巻き卵。
 いつものように食卓を独占して、満足げに笑っている。

「メイベル! この唐揚げは悪魔的だな! 今日もおかわり!」
「はいっ、どうぞ~!」

(……もう我慢ならん)

 アドレがグラスを置き、低い声を響かせた。

「……殿下。ここは私の家です」

「ん? そうだな。居心地がいいからつい通ってしまってな」
「……新婚なのです。私には、妻と二人で過ごす時間が必要だ」

 ピシリと空気が張りつめる。



 だが殿下は、きょとんと目を瞬かせたあと、声を上げて笑った。

「ははは! そうかそうか、そうだな! それは確かに譲らねばなるまい!」
「……っ」
「わかった、今夜はここまでにしよう。ただ……」
「ただ?」
「また唐揚げが恋しくなったら、遠慮なく来るぞ!」

 にっこり笑って立ち去る殿下。



 残された食卓で、アドレは頭を抱えた。
「……また来る気満々じゃないか……」

 その横で、メイベルがにこにこ顔で言う。
「えっ、みんなで食べるの楽しいのに~!」

「…………」
 鉄面皮伯爵様の嘆きは、唐揚げの香りにかき消された。

殿下が帰ったあと。
 食卓にはまだ唐揚げの香りが漂っていた。

「……やっと静かになったな」
 アドレはグラスを置き、深く息をついた。

「アドレ様? どうかしました?」
「……どうかしたもなにも。新婚なのに、殿下が毎晩入り浸っていたら……」
 彼は言葉を切り、真っ直ぐに私を見つめた。

「……二人きりの時間が、作れないだろう」

「っ……」
 思わず顔が熱くなる。

「メイベル。今夜こそは――お前と二人だけで過ごす」

 鉄面皮のはずのその瞳が、ほんのり赤く染まっている。
 私は両手で顔を覆いながら、小さく笑った。

「えへへ……そうですよね。だって――新婚だもんね」

 アドレがそっと手を伸ばし、私を抱き寄せる。
 窓の外に雪が舞い落ちる中、ようやく訪れた静かな夜。
 それは、二人だけの甘い新婚の始まりだった。

 静かな寝室。
 久しぶりに、二人きり。

「……メイベル」
「は、はいっ!?」

 名前を呼ばれただけで心臓が跳ねる。
 アドレは静かに近づき、私の手を取った。

「……ようやく二人きりだ」
 低く囁かれて、胸がじんわり熱くなる。

「……あの、わ、私は……料理とか、唐揚げとか、おにぎりとか……」
「もう唐揚げの話はいい」

「ひゃっ……」

 口を塞がれるように、そっと額にキスを落とされた。
 鉄面皮だと思っていたその人が、こんなにも優しく、熱い。

「……新婚なんだから、夫として当然だろう?」
「と、当然って……」

 抱き寄せられて、耳元に熱が落ちる。
 頭がふわふわして、声が震えた。

「……アドレ様、そんな風に言われたら……私、もう……」

 彼は少し笑った。
 めったに見せない、その笑顔に、胸がぎゅっと掴まれる。

「離れないって、約束しただろ。
 だから――今夜は俺の隣で、甘えていろ」

「……はいっ」

 頬が真っ赤になった私は、素直に彼の胸に顔を埋めた。
 雪の夜、二人きりの時間はゆっくりと、溶けるように甘く過ぎていった。


翌朝。
 まだ陽が昇りきらない寝室で、私は布団の中でゴロゴロと転げ回っていた。

「うわあああ~~! あれ、夢じゃなかった~!
 額にキスとか! 耳元で囁くとか! あああああ~!」

 枕を抱えてジタバタする私を、隣で静かに起き上がったアドレが冷ややかに見下ろす。

「……うるさい。寝起きから騒ぐな」
「だ、だってぇ! アドレ様が、あんな……!」
「……新婚なんだから、当然だろう」

 さらっと言われて、また顔が真っ赤になる。



 
朝から横でアドレの低い声。

 私はまだ布団の中でゴロゴロ転げながら叫んでいた。
「うわ~! もう無理! 思い出しただけで死ぬ~~!」

「……本当に、騒々しいだな」
アドレは小さく呟き、口元に微笑みを浮かべた。

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