6 / 22
教会の離婚説明、マルグリットの実家
しおりを挟む教会の控え室。
古い木の机の前で、司祭が書類をめくっていた。
「では……白い結婚の解消について、あらためてご説明しますね」
淡々とした声だったが、どことなく優しい。
テオドールは正面で座り、表情を引き締めている。
ただ、その目には疲れと焦りが滲んでいた。
「白い結婚というのは、形式上の結婚です。
三年間、夫婦としての交流がない場合――婚姻は自然に無効になります」
司祭は紙をそっと置いた。
「奥さまは、三年間ずっとお一人でした。
姿を見せず、手紙も送らず、声もかけないとなれば……
神様から見ても“夫婦ではなかった”と判断されるのは当然です」
テオドールの喉が動く。
「……つまり、私はもう夫ではないと?」
「はい。すでに正式に解消されています」
短く、しかしはっきりとした返事だった。
しばらく沈黙が続く。
その後、司祭は書類を整えながら、ふと問いかけた。
「三年も会いに行かなかったのに……
今になって奥さまを探されるのは、どうしてでしょう?」
テオドールは息を飲んだ。
「……放置したつもりはなかった」
「ですが奥さまから見れば、三年間“夫として存在しなかった”わけです。
どんな理由があっても、結果だけは変わりません」
司祭の声はやわらかいのに、言葉は鋭かった。
紙を閉じる音が静かに響く。
「もうひとつ。
白い結婚が解消されたあと、同じ相手と“元に戻る”ことはできません。
一方だけが望んでも不可です。
再びご縁を結べるのは――」
司祭は静かに微笑んだ。
「お互いが“本当に望んだときだけ”。
義務でも、気まぐれでも、情けでもいけません。
神はそのあたり、案外きびしいのですよ」
テオドールの唇がかすかに震える。
「……そうか」
「ええ。どうか、お間違えのないように」
テオドールは立ち上がり、礼を言って部屋を出た。
外に出ると、光が眩しかった。
(……三年。
俺は、何をしていたんだ……)
午後の風だけが、静かに彼を抜けていった。
遠く離れた港町では、
マルグリット――いや、“マリー”がちょうど紅茶を注いでいた。
「新しい茶葉、当たりね。香りがいいわ」
まったく別の時間を、
まったく別の人生を生きているふたり。
それでも、偶然はまだ彼らをすれ違わせるつもりでいる。
教会でのすれ違い
教会の鐘が、昼の時を告げていた。
テオドールは司祭に一礼し、重い扉を押して外へ出る。
石畳を踏む音が、静かな礼拝堂に少しだけ残った。
「三年か……」
彼は短く呟いて、陽の光の中へ歩き出す。
すれ違いざま、白い扉がもう一度開いた。
⸻
「こんにちは、神父様」
柔らかな声。
入ってきたのは、淡いブルーの瞳をした若い女性。
手には小さな花束。
「おや、マリーさん。ようこそ」
司祭は穏やかに微笑んだ。
「お祈りをしにまいりました。
新しいお仕事もうまくいって、お部屋も整いましたし……
ようやく落ち着いたので」
「それは良いことです」
マルグリット――今は“マリー”として生きる彼女は、
祭壇の前に膝をついた。
光がステンドグラスを通り、髪に色を落とす。
「どうか、これからは穏やかに暮らせますように。
誰にも見つからず、静かに……
無視されるより、知らない方がいい」
小さく手を合わせて微笑む。
⸻
司祭は優しく言った。
「教会は、いつでも弱き者の味方です。
どうかお幸せに、マリーさん」
「ありがとうございます」
マルグリットは深く頭を下げ、
花束をそっと祭壇の隅に置いた。
外の石畳には、
さっき彼が残した足跡がまだ温もりを残している。
けれど、今回ふたりは出会わない。気づかない。会ったことないのだから、
ほんの数分のすれ違い。
それだけで、世界は何事もなかったように回り続けていた。
「マルグリットの実家を訪れ、すべてを知ってしまう」
テオドールは、執事の
「奥様には身寄りがありません」
という言葉を、最初は信じ切れなかった。
――まさか。
貴族の令嬢だ。
誰も心配しないなど、ありえるのか。
確認せずに信じるほど、彼は楽観的ではない。
いや、むしろ自分が“何も知らない夫だった”と認めたくなかったのかもしれない。
だから足を運んだ。
⸻
■実家の門
名門貴族のはずの屋敷は、見る影もなかった。
塗装は剥げ、門は歪み、庭木は伸び放題。
(……こんなはずは)
鐘を鳴らすと、肥えた女が扉を半分だけ開けた。
目つきは鋭く、明らかに歓迎の色はない。
「どちら様?」
テオドールは名乗る。
「マルグリットの夫……だった者です」
女は、あっけらかんと返した。
「はあ? マルグリット知らないわよそんなの」
心臓が、一拍遅れる。
「彼女は……こちらに戻っていませんか」
「戻る? ないない。
あの子が家にいたのなんて、ほんの短い期間よ。
死んだ旦那が、あの子追い出して、出ていったきりよ。あんたの所じゃなかった?
でも、私にとっては“他人”だもの」
平然と言い放った。
⸻
■女の無関心な一言が、容赦なく刺さる
「……心配は?」
ようやく絞り出した問いに、女は乾いた笑いを返す。
「心配?
家に金ひとつ置かずに出ていった子に?
逆でしょ。心配されたいのはこっちよ」
テオドールの眉が微かに動いた。
女は続ける。
「あの子、存在感がないのよ。
使用人より気配が薄い。
家にいたかどうかなんて、気づいたことすらないわね」
使用人より気配が薄い。
家族にも認識されなかった娘。
胸の奥に、冷たいものが落ちていく。
女はさらに追い討ちをかけた。
「旦那が死んでからの相続も、全部私がやったし。
あの子にはもう何も残ってないわ。
……あなたも、もう関わらなくていいんじゃない?」
まるで埃でも払うように、門が閉じられた。
⸻
■容赦のない現実の前に、言葉が消える
静かな道に取り残される。
風の音だけが耳に入る。
テオドールは、立ち尽くした。
(……誰一人、マルグリットを気にかけていない)
(家も。家族も。身内も。
そして……俺もだ)
刺したのは後妻の言葉ではない。
事実そのものだ。
彼は三年、妻の実家を訪れたことも。
妻の交友を調べたことも。
妻の寂しさに思い至ったことすら、一度もなかった。
(……俺は――
彼女を愛していなかったどころか。
“存在すら見ていなかった”んだ)
胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
戦場で受けた傷は痛みを誤魔化せた。
だが、この痛みだけはどうにもならなかった。
(俺は……
あの子にとっての“最後の居場所”すら奪っていたのか)
拳を握る手が震えた。
マルグリットが出ていった理由が、
ただ一つの明快な言葉となって胸に落ちた。
――「もう誰にも期待しないため」。
テオドールは、ようやく理解した。
自分こそが、
あの子を追い詰めた“最後のひと押し”だったのだ。
4,910
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
見た目の良すぎる双子の兄を持った妹は、引きこもっている理由を不細工だからと勘違いされていましたが、身内にも誤解されていたようです
珠宮さくら
恋愛
ルベロン国の第1王女として生まれたシャルレーヌは、引きこもっていた。
その理由は、見目の良い両親と双子の兄に劣るどころか。他の腹違いの弟妹たちより、不細工な顔をしているからだと噂されていたが、実際のところは全然違っていたのだが、そんな片割れを心配して、外に出そうとした兄は自分を頼ると思っていた。
それが、全く頼らないことになるどころか。自分の方が残念になってしまう結末になるとは思っていなかった。
【完結】「あなたは強いから大丈夫よね」、無自覚に人生を奪う姉
恋せよ恋
恋愛
「セリーヌは強いから、一人でも大丈夫よね?」
婚約破棄され「可哀想なヒロイン」となった姉カトリーヌ。
無自覚で優しい姉を気遣う両親と『私の』婚約者クロード。
私の世界は反転した。
十歳から五年間、努力で守ってきた「次期後継者」の座も。
自分に誂えた「ドレス」も……。「婚約者」さえも……。
両親は微笑んで言う。
「姉様が傷ついているの強いお前が譲ってあげなさい」と。
泣いて縋れば誰かが助けてくれると思っているお姉様。
あとはお一人で頑張ってくださいませ。
私は、私を必要としてくれる場所へ――。
家族と婚約者を見限った、妹・セリーヌの物語。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした
しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」
十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。
会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。
魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。
※小説家になろう様にも投稿しています※
【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?
との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」
結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。
夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、
えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。
どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに?
ーーーーーー
完結、予約投稿済みです。
R15は、今回も念の為
教養が足りない、ですって
たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。
旦那様から彼女が身籠る間の妻でいて欲しいと言われたのでそうします。
クロユキ
恋愛
「君には悪いけど、彼女が身籠る間の妻でいて欲しい」
平民育ちのセリーヌは母親と二人で住んでいた。
セリーヌは、毎日花売りをしていた…そんなセリーヌの前に毎日花を買う一人の貴族の男性がセリーヌに求婚した。
結婚後の初夜には夫は部屋には来なかった…屋敷内に夫はいるがセリーヌは会えないまま数日が経っていた。
夫から呼び出されたセリーヌは式を上げて久しぶりに夫の顔を見たが隣には知らない女性が一緒にいた。
セリーヌは、この時初めて夫から聞かされた。
夫には愛人がいた。
愛人が身籠ればセリーヌは離婚を言い渡される…
誤字脱字があります。更新が不定期ですが読んで貰えましたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる