白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)

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王命の結婚と、戦地帰りの相談コース

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王命による結婚――それが、テオドールの始まりだった。

自分の意思ではなく、国の命令。
「戦場に出る前に、身を固めておけ」
上からのたった一言で、名も顔も知らぬ伯爵令嬢と婚姻書類に署名し、
そのまま戦地へ赴いた。

帰ってきてみれば、妻はいない。
教会の記録には、淡々と“離婚済み”の印。

そんな男は、決して珍しくなかった。



■「戦地帰還者支援室」

役所の片隅に申し訳程度に作られた相談窓口。
薄い壁、金属の椅子、どこか落ちつかない蛍光灯。

テオドールは重い足取りでそこへ向かった。
鎧より重たく感じる書類の束を握りしめて。

「ええと……どのコースをご希望ですか?」

若い受付係が事務的な調子で書類をめくる。
指先だけはやたら軽やかだ。

「……家庭再建、で」

「はい、かしこまりました。
 ご相談内容は……“戦地に行っている間に、妻が離婚していた”ですね?
 ああ、こちら、よくあるケースです」

“よくあるケース”。

その言葉が落ちた瞬間、
胸の奥で何かがきしりと音を立てた。

「……そうか」

声は平静を装っているのに、
手だけが微かに震えていた。



やってきた相談員は、にこやかではある。
しかし、その目は一度たりともテオドールを見ない。
書類の上を、忙しない指が動いているだけだ。

「奥様と離婚……はいはい、確認しました。で――復縁をご希望ですか?」

「……制度上できないと聞いている」

「まあ、そうなんですよねぇ。
 じゃあ次のステップに進みましょう」

「……ステップ?」

「ええ、“再婚を前提とした生活設計見直しコース”です。
 この状況からどうリスタートするか、という内容でして」

テオドールは言葉を失った。

「……私は、再婚の話など――」

「奥様がいなくなったのはお気の毒でしたね。
 でも、人生は続きます。前向きに行きましょう」

相談員の声は明るい。
まるで“壊れた時計の修理”をすすめているような軽さだ。

「……」

(何を聞かされているんだ、俺は)



テオドールは椅子を引いた。
金属が擦れる音が、妙に大きく響く。

「……結構だ」

「えっ? もうよろしいんですか?
 はい、では次の方どうぞー!」

あっけらかんとした声。
引き留める気配は一切ない。

まるで最初から、
テオドールという“相談者”など存在していなかったかのように。



外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
空はやけに澄んでいて、
役所の灰色の空気と違いすぎて逆に胸が痛む。

(……誰も、聞いてくれない)

妻を三年放置してしまった自分を責める言葉も、
彼女の行方を案じる思いも、
後悔も反省も、誰の耳にも届かない。

(俺が何を言おうと……
 “よくあるケース”の一つでしかないのか?)

戦場から帰還した英雄、と讃えられたのはほんの数日。
気づけば、彼はすっかり“ただの人”になっていた。

――そして、
“妻を守れなかった男”としてすら扱われていない。

風が紙の端をめくり上げる。
乾いた匂いだけが残った。

(……マルグリット。
 俺は、どれだけ君を傷付けてしまったんだ)

その問いだけが、胸の奥で重く沈んでいた。



すぐそばの通りでは、マルグリット――“マリー”が
パン屋の前で新しいクロワッサンを選んでいた。

まったく知らない、別々の人生。
でも同じ町の空の下。


◾️叔母の襲来◾️


屋敷の門の前に、光沢のある馬車が止まった。
降りてきたのは、上品な紫の帽子を被った婦人――
テオドールの叔母、レディ・スザンヌだった。

玄関の扉が勢いよく開く。

「テオドール!」

その声に、当の本人が出てくる。

「叔母上。これはご無沙汰を――」

「ご無沙汰もへったくれもありません!」
スザンヌはずんずんと歩み寄り、彼の胸を指で突く勢いだ。
「戦地から戻ったと聞いて、てっきりお嫁さんと仲睦まじく過ごしていると思ったの。
なのに執事から聞いたわよ! どういうことなの!?」

「……驚かせてしまいましたか」

「驚くに決まってるでしょう!」
スザンヌは腰に手を当て、屋敷の中を見渡す。
「あら、お嫁さんは? マルグリットさんだったわね? どこにいるの?」

テオドールは、少しだけ視線を落とした。

「実は……離婚しました」

「なんですってぇ!?」

スザンヌの叫びは屋敷中を揺らした。

「あなたねぇ、王命の結婚をなんだと思ってるの!?
戦地から帰ったら、いよいよ子どもを――なんて、王妃陛下まで張り切っていたのよ!?」

「叔母上、声を……」

「落とせるわけないでしょ!」
スザンヌはさらに畳みかけるように言った。
「戦場から手紙も一通も出していないんですって? どういうつもり!?」

「……まあ、忙しくて」

「贈り物もなし? 誕生日も祝ってない? 顔すら見てない?
そもそも会ったこともないの?」

テオドールは苦い表情で、ほんのわずかに頷いた。

「……はい」

「三年間放置した結果、白い結婚の最低ランクの離婚届を叩きつけられたってわけね……。
それで“仕方ない”みたいな顔してるんじゃないわよ!」

「いえ、そんなつもりでは……」

「同じよ! 似たような顔よ!」
スザンヌは頭を抱えた。
「まったく……あんたの父親が草葉の陰で泣いてるわ。
“妻に三年も会わず連絡もせん馬鹿がどこにおる!”って!」

テオドールは反論もせず、ただその場に立ち尽くしていた。
返す言葉が、どこにもない。

スザンヌはため息をつき、少しだけ声を落とした。

「……いい? 彼女はもう、自分の人生を歩いてるわ」

「そうでしょうね」

「そうよ。当たり前でしょ。
あなたみたいな人の帰りを三年も待ち続ける女なんていないわよ」

テオドールは唇を結ぶだけで、何も言わなかった。

スザンヌは最後に、冷静ながら鋭い一言を残した。

「王命で結婚したのなら、王命で恥をかくのもあなた。
逃げずに現実を見なさい、テオドール」

パンッ、とドアを閉める大きな音が響いた。

彼女が去った後、
広い屋敷には、風に揺れるカーテンと――
取り残された男の後悔だけが静かに満ちていた。



遅すぎた夫の独白

スザンヌ叔母の馬車が去ったあと、
屋敷は急に広く、静まり返った。

テオドールは暖炉の前に立ち尽くしていた。
窓の外では風が木々を揺らし、
どこかで時計が重々しく時を刻んでいる。

「……三年、か」

小さく呟く声は、誰にも届かない。



結婚式を思い出そうとした。
だが、映像のような記憶はない。
署名した書類、差し出された印章、
それだけ。

(顔も知らない妻に、俺は“夫”を名乗っていたのか?)

“王命だ”と言われて、納得した。
“国のためだ”と思えば、余計な感情を切り捨てられた。

だが――。

叔母のあの言葉が胸の奥で響く。

「三年で離婚されてヘラヘラしてどうするの!」

(……俺は、確かにヘラヘラしていた)



暖炉の火がぱちりと弾けた。

テオドールは机の引き出しを開け、
そこに入っていた“婚姻記録”の紙束を取り出す。
日付、署名、王印。

(これが結婚。
 けれど、“夫婦”ではなかったんだ)

「……白い結婚、か」

口にしてみると、やけに軽い言葉に聞こえた。
まるで、何かをしていなかった自分への免罪符のようだ。



(もし、会っていたらどうだったんだろうな)

彼女はどんな人だったのか。
どんな声で、どんなものを好んで、
どんな顔で笑うのか。

思い浮かばない。
一度も見たことがないのだから。

それでも――
何も知らないまま“妻だった人”を、
気にしている自分に気づいて、
テオドールは苦笑した。

「……叔母上に怒鳴られるだけのことはある」

彼は椅子に座り、書きかけの書類を脇に押しやった。

そして、手を止めて呟いた。

「もしもう一度、誰かを妻に迎えるなら……
 “命令”ではなく、自分で選びたい」

火の明かりが、
その決意とも諦めともつかぬ表情を
静かに照らしていた。







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