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夫婦の作戦会議、過去の調査
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夜の暖炉の前。
マシュウはワインを片手に、新聞を読みながらぼそりと呟いた。
「――“薄氷の上をスケートするか”だとさ」
スザンヌが顔を上げた。
「……誰の話?」
「うちの愚鈍な甥っ子だよ」
「また何か言ったの?」
マシュウは報告を畳み、
目尻にしわを寄せて笑った。
「“次の嫁は来ない。だから薄氷の上を滑ってみる”だそうだ。
勇ましいのか、ただの自虐か、判断に困るな」
スザンヌは額を押さえた。
「……あの子、ほんとに病気なのかしら」
「たぶん、重度の“恋の後遺症”だ」
⸻
スザンヌは椅子に深く腰を下ろし、
グラスを手に取った。
「それで? あなたはどうする気?」
「どうもしない。放っておけばいい。
氷が割れたら、また救い上げてやればいい」
「そんなに簡単に沈まれたら困るのよ」
「ふむ。じゃあ、助け舟を出すか?」
スザンヌは眉をひそめた。
「助け舟というより、釣り糸ね。
あの子、自分から泳いでこないから」
マシュウはにやりと笑う。
「釣り針の餌は、何にする?」
「“彼女の過去を知る”よ」
「古典的だな」
「古典は効くの。男って単純なんだから」
⸻
ふたりの間に、
暖炉の火が静かに揺れる。
「でもね、マシュウ」
スザンヌが少しだけ真顔になった。
「あの子、本気よ。
馬鹿だけど、いまはちゃんと傷ついてる」
「そうだな」
「氷の上を滑るなんて言葉、冗談みたいだけど――
本音は、“それでも彼女のところへ行きたい”ってことだわ」
マシュウはワインをひと口飲み、
小さくうなずいた。
「だったら、背中を押してやるか。
氷の上に出る勇気くらいは、与えてやらんとな」
⸻
スザンヌは立ち上がり、
窓の外の月を見上げた。
「……マルグリットの方は、もう泣き疲れてたわ。
でも、あの子の笑顔、あなたも見たでしょう?」
「見た。いい顔だった」
「だったら、あとは運命をもう一回転がすだけよ」
マシュウが笑う。
「……また“夫婦で神の代行”か?」
「そうよ。神様より現実的で、
ちょっとだけ手際がいい夫婦よ」
ふたりは顔を見合わせ、
同時に笑った。
⸻
「さて、作戦名は?」
スザンヌは考えて、唇に笑みを浮かべた。
「“氷上救出作戦”」
「渋い。で、指揮官は?」
「もちろん、私」
「……異議なし」
ワインのグラスが軽く触れ合い、
静かな夜に小さな音を立てた。
⸻
中庭に差しかかると、
ハーブの香りと花畑の中に、
ひときわ目立つ背の高い男の姿があった。
黒のコート、真っ直ぐな背筋。
少し風に乱れる髪。
(……え?)
マルグリットの足が止まった。
心臓が一瞬、跳ねる。
その男が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「――マリーさん?」
「……!」
声。
まぎれもなく、あの声。
⸻
スザンヌが後ろで、
「まぁまぁ、奇遇ねぇ!」と満面の笑み。
マルグリットはその笑顔に冷たい視線を送った。
「あなた……やっぱり仕組みましたね?」
「まぁまぁ、偶然は神の趣味よ」
「神の趣味、あなたの計画でしょ!」
「細かいこと言わないの」
⸻
テオドールは小さく咳払いして、
ぎこちなく言葉を探していた。
「その……あの時は、すまなかった」
「何のことです?」
「……三年分です」
マルグリットは眉をひそめた。
「三年を一言で片づける人とは、
話すことありません」
そう言って、くるりと背を向けた。
⸻
侍女再調査の許可を求めるテオドール
「……あなたに、許可をいただきたいのです」
マルグリットが顔を上げると、テオドールは真剣な眼差しで続けた。
「私の屋敷の侍女たちに、再調査を入れます。
あなたへの扱いは、どう考えても“虐待”と呼べるものでした。
そして――あなたに支給されていた生活費も、ほとんど着服されていた形跡があります」
彼の声には怒りと悔しさが滲んでいた。
「あなたの手元に届いていたのは、わずかな“端金”だった。
残りはあらかた彼女らが自分の懐に入れたようですね」
テオドールは拳を握りしめた。
「……彼女たちは、私が戦場から生きて戻ると思っていなかったのでしょう。
だから好き放題した。
叔父からも“すぐ調べろ”と指示が出ています」
そして彼は一歩だけ近づいた。
「――ただし。
あなたが嫌なら、私は動きません。
だから、許可がほしい。
あなたのために、正しく決着をつけたいのです」
⸻
昼下がりの沈黙
⸻
マルグリットがようやく口を開く。
「……屋敷の、侍女とか、どうしてますか?」
「皆、やめさせました」
「え?」
「主人に、忠実じゃないので。
人を見下すのが仕事みたいな顔してましたから」
「……そうですか」
マルグリットは軽く首を傾けて笑う。
「へぇ、やっと気づいたのね」
その笑みは、やさしくもあり、
ほんの少しだけ鋭かった。
⸻
マルグリットは乾いた笑みを浮かべた。
「屋敷で“誰も知らない奥様”を演じてたの、
なかなか滑稽ですよ。
食器は綺麗だったけど、
心は埃まみれ」
「……申し訳ありません」
「謝るのは、仕事じゃなくて、人に対して、ですよ」
テオドールはその言葉に息を詰まらせた。
「……あなたは、本当に、何も知らなかったんですか」
マルグリットは、
静かに頷いた。
「ええ。あなたの顔をしっかり見たのは、今日が初めて」
その目はまっすぐだった。
⸻
「……三年も、同じ空の下にいたのに、
互いを知らなかったんですね」
「そうですね。
知らなかったのに、結婚して、
知らないまま離婚して。
妙な話です」
「……それでも、今日こうして会えた」
マルグリット
「偶然です。
――あなたの叔母様の仕業ですが」
ふっと笑いがこぼれる。
その笑いは、少しだけやさしかった。
⸻
「じゃあ、私はこれで」
「……調査結果はお知らせします。」
「“どこか”を期待しないことにしてるんです」
マルグリットはそう言って、
部屋の中へと歩き出した。
テオドールはしばらくその背中を見つめ、
ぽつりと呟いた。
「顔を知ってしまった。
――ここからが、本当の戦場だな」
が遠く感じた。
カップの中で、紅茶が揺れる。
さっきまでの光景が、まだ頭の中に残っている。
(……あれが、テオドール)
(私の――元の、夫)
⸻
思っていたよりも、
普通の人だった。
もっと傲慢で、
もっと冷たい顔をしていると思っていた。
けれど彼の目は、
少し疲れていて、
どこか寂しそうだった。
「……普通の人、か」
自分で口にして、
苦笑がこぼれた。
⸻
三年間、
“存在しない夫”として、
心のどこかで化け物みたいに想像していた。
愛も、情も、忘れた男。
名前だけの相手。
けれど――
あの声も、仕草も、
思い出のどこにもない“初めての人”だった。
「……顔を、知ってしまったんだ」
呟いた言葉が、
紅茶の湯気にまぎれて消えた。
⸻
窓の外では、
冬の光が石畳を照らしている。
“知らなかった人”が、
ようやく現実に変わった。
そして、現実になった瞬間、
ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。
「思っていたより、普通の人だった。
……それで、十分」
マルグリットはゆっくり立ち上がり、
部屋に向かった。
外の風が頬を撫でる。
その冷たさが、なぜか心地よかった。
マシュウはワインを片手に、新聞を読みながらぼそりと呟いた。
「――“薄氷の上をスケートするか”だとさ」
スザンヌが顔を上げた。
「……誰の話?」
「うちの愚鈍な甥っ子だよ」
「また何か言ったの?」
マシュウは報告を畳み、
目尻にしわを寄せて笑った。
「“次の嫁は来ない。だから薄氷の上を滑ってみる”だそうだ。
勇ましいのか、ただの自虐か、判断に困るな」
スザンヌは額を押さえた。
「……あの子、ほんとに病気なのかしら」
「たぶん、重度の“恋の後遺症”だ」
⸻
スザンヌは椅子に深く腰を下ろし、
グラスを手に取った。
「それで? あなたはどうする気?」
「どうもしない。放っておけばいい。
氷が割れたら、また救い上げてやればいい」
「そんなに簡単に沈まれたら困るのよ」
「ふむ。じゃあ、助け舟を出すか?」
スザンヌは眉をひそめた。
「助け舟というより、釣り糸ね。
あの子、自分から泳いでこないから」
マシュウはにやりと笑う。
「釣り針の餌は、何にする?」
「“彼女の過去を知る”よ」
「古典的だな」
「古典は効くの。男って単純なんだから」
⸻
ふたりの間に、
暖炉の火が静かに揺れる。
「でもね、マシュウ」
スザンヌが少しだけ真顔になった。
「あの子、本気よ。
馬鹿だけど、いまはちゃんと傷ついてる」
「そうだな」
「氷の上を滑るなんて言葉、冗談みたいだけど――
本音は、“それでも彼女のところへ行きたい”ってことだわ」
マシュウはワインをひと口飲み、
小さくうなずいた。
「だったら、背中を押してやるか。
氷の上に出る勇気くらいは、与えてやらんとな」
⸻
スザンヌは立ち上がり、
窓の外の月を見上げた。
「……マルグリットの方は、もう泣き疲れてたわ。
でも、あの子の笑顔、あなたも見たでしょう?」
「見た。いい顔だった」
「だったら、あとは運命をもう一回転がすだけよ」
マシュウが笑う。
「……また“夫婦で神の代行”か?」
「そうよ。神様より現実的で、
ちょっとだけ手際がいい夫婦よ」
ふたりは顔を見合わせ、
同時に笑った。
⸻
「さて、作戦名は?」
スザンヌは考えて、唇に笑みを浮かべた。
「“氷上救出作戦”」
「渋い。で、指揮官は?」
「もちろん、私」
「……異議なし」
ワインのグラスが軽く触れ合い、
静かな夜に小さな音を立てた。
⸻
中庭に差しかかると、
ハーブの香りと花畑の中に、
ひときわ目立つ背の高い男の姿があった。
黒のコート、真っ直ぐな背筋。
少し風に乱れる髪。
(……え?)
マルグリットの足が止まった。
心臓が一瞬、跳ねる。
その男が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「――マリーさん?」
「……!」
声。
まぎれもなく、あの声。
⸻
スザンヌが後ろで、
「まぁまぁ、奇遇ねぇ!」と満面の笑み。
マルグリットはその笑顔に冷たい視線を送った。
「あなた……やっぱり仕組みましたね?」
「まぁまぁ、偶然は神の趣味よ」
「神の趣味、あなたの計画でしょ!」
「細かいこと言わないの」
⸻
テオドールは小さく咳払いして、
ぎこちなく言葉を探していた。
「その……あの時は、すまなかった」
「何のことです?」
「……三年分です」
マルグリットは眉をひそめた。
「三年を一言で片づける人とは、
話すことありません」
そう言って、くるりと背を向けた。
⸻
侍女再調査の許可を求めるテオドール
「……あなたに、許可をいただきたいのです」
マルグリットが顔を上げると、テオドールは真剣な眼差しで続けた。
「私の屋敷の侍女たちに、再調査を入れます。
あなたへの扱いは、どう考えても“虐待”と呼べるものでした。
そして――あなたに支給されていた生活費も、ほとんど着服されていた形跡があります」
彼の声には怒りと悔しさが滲んでいた。
「あなたの手元に届いていたのは、わずかな“端金”だった。
残りはあらかた彼女らが自分の懐に入れたようですね」
テオドールは拳を握りしめた。
「……彼女たちは、私が戦場から生きて戻ると思っていなかったのでしょう。
だから好き放題した。
叔父からも“すぐ調べろ”と指示が出ています」
そして彼は一歩だけ近づいた。
「――ただし。
あなたが嫌なら、私は動きません。
だから、許可がほしい。
あなたのために、正しく決着をつけたいのです」
⸻
昼下がりの沈黙
⸻
マルグリットがようやく口を開く。
「……屋敷の、侍女とか、どうしてますか?」
「皆、やめさせました」
「え?」
「主人に、忠実じゃないので。
人を見下すのが仕事みたいな顔してましたから」
「……そうですか」
マルグリットは軽く首を傾けて笑う。
「へぇ、やっと気づいたのね」
その笑みは、やさしくもあり、
ほんの少しだけ鋭かった。
⸻
マルグリットは乾いた笑みを浮かべた。
「屋敷で“誰も知らない奥様”を演じてたの、
なかなか滑稽ですよ。
食器は綺麗だったけど、
心は埃まみれ」
「……申し訳ありません」
「謝るのは、仕事じゃなくて、人に対して、ですよ」
テオドールはその言葉に息を詰まらせた。
「……あなたは、本当に、何も知らなかったんですか」
マルグリットは、
静かに頷いた。
「ええ。あなたの顔をしっかり見たのは、今日が初めて」
その目はまっすぐだった。
⸻
「……三年も、同じ空の下にいたのに、
互いを知らなかったんですね」
「そうですね。
知らなかったのに、結婚して、
知らないまま離婚して。
妙な話です」
「……それでも、今日こうして会えた」
マルグリット
「偶然です。
――あなたの叔母様の仕業ですが」
ふっと笑いがこぼれる。
その笑いは、少しだけやさしかった。
⸻
「じゃあ、私はこれで」
「……調査結果はお知らせします。」
「“どこか”を期待しないことにしてるんです」
マルグリットはそう言って、
部屋の中へと歩き出した。
テオドールはしばらくその背中を見つめ、
ぽつりと呟いた。
「顔を知ってしまった。
――ここからが、本当の戦場だな」
が遠く感じた。
カップの中で、紅茶が揺れる。
さっきまでの光景が、まだ頭の中に残っている。
(……あれが、テオドール)
(私の――元の、夫)
⸻
思っていたよりも、
普通の人だった。
もっと傲慢で、
もっと冷たい顔をしていると思っていた。
けれど彼の目は、
少し疲れていて、
どこか寂しそうだった。
「……普通の人、か」
自分で口にして、
苦笑がこぼれた。
⸻
三年間、
“存在しない夫”として、
心のどこかで化け物みたいに想像していた。
愛も、情も、忘れた男。
名前だけの相手。
けれど――
あの声も、仕草も、
思い出のどこにもない“初めての人”だった。
「……顔を、知ってしまったんだ」
呟いた言葉が、
紅茶の湯気にまぎれて消えた。
⸻
窓の外では、
冬の光が石畳を照らしている。
“知らなかった人”が、
ようやく現実に変わった。
そして、現実になった瞬間、
ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。
「思っていたより、普通の人だった。
……それで、十分」
マルグリットはゆっくり立ち上がり、
部屋に向かった。
外の風が頬を撫でる。
その冷たさが、なぜか心地よかった。
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