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「少しだけ、“わたし”になれた気がして」
しおりを挟む鏡の前に立つ。
昔と変わらないはずの自分の姿。
でも、どこかが違う気がした。
「……少し、ふっくら……しましたわね」
手首の骨ばかりが目立っていた頃と比べて、今はほんのり丸みがある。
鎖骨がごつごつと浮かんでいた頃よりも、肌は柔らかそうで――
それが、なぜか少しだけ嬉しかった。
「筋肉は……まだまだ、ですけれど」
でも、体が重く感じることはない。
姿勢を正して、深く呼吸をすれば、体の内側がすっと伸びるようで。
“食べるのが怖くなくなった”という実感は、想像していたよりも穏やかで、暖かかった。
以前の私は、食事のたびに罪悪感に押しつぶされていた。
フォーク一口、ケーキ一片すらも、許せなかった。
でも今は違う。
(食べてもいいんですの。だって、わたくし、ちゃんと生きているのですもの)
食べることは、生きること。
怖がる必要なんて、本当はなかった。
少しずつ、ほんの少しずつ。
自分のことを、肯定できるようになった気がする。
まだ筋肉なんて、ほとんどない。
それでも――
「骨と皮だけ」だった私は、今ここにいない。
少しふっくらして、少し健康的で、少し笑えるようになった。
レオンにも、タニアにも、まだ言っていないけれど。
でも、きっと、気づかれてしまう気がする。
「変わったね、って言ってもらえたら――嬉しい、かもしれませんわね」
アネットは、そっと微笑んだ。
「セラ中尉、質問です! わたし、どうしても体幹が弱くて……」
「その場でくるっと一回転してごらんなさい。目線は……そう、そこをぶらすな」
レッスン後、汗をぬぐいながら自然と輪になる少女たち。
アネットもタニアも、その場にいた全員がどこか同じ――何かを乗り越えたくて、このレッスンに参加していた。
「中尉は、どうしてこんな教え方がうまいんですか?」
「……昔のわたしも、できない子だったからよ」
「えっ?」
セラはすっと髪をかき上げ、ふっと笑った。
「踊るのは好きだった。でも、婚約者に“貴族のくせに下品”だと言われてね。
筋トレをしてから、やっと“自分の脚で立てる”って実感したのよ」
沈黙。そして、誰かのすすり泣く声。
「わたし……わたしも、同じようなこと言われたことがあります」
「私も……っ、あの人に笑われた……!」
アネットはそっとタニアの手を握る。
絆は、筋肉と同じように――負荷をかけた分だけ、強くなる。
アネットがふと聞いた。
「セラ中尉って、昔から……剣が好きだったんですか?」
タニアや他の生徒も、気になるように耳を傾ける。
セラは一瞬、何かを思い出すように目を細めた。
「……いいえ。騎士になるつもりなんて、まったくなかったのよ」
「えっ?」
「当時の婚約者に言われたの。“騎士なんて下賤のすることだ”ってね。
お淑やかに、刺繍でもしてろって」
「うわぁ……ひどい……」
「でもね、婚約を解消されて……なんとなく手に取ったのよ。剣を。
振ってたら、なんかうまくなっちゃって。そしたら軍の教官にスカウトされて、そのまま入団して──
あれよあれよと結婚して、今に至るわ」
彼女は軽く笑ったあと、ふと真剣な表情になる。
「だから、思うの。あの頃の私に、教えてあげたい。
“あなたは、あなたのままでいい”って。
『選び直す自由』は、誰にでもあるのよってね」
沈黙のあと、ぽつりと誰かが呟いた。
「……かっこよすぎます、中尉……」
「惚れる……!」
タニアは小声でアネットに囁く。
「ねぇ……私たちも、強くなろうよ。ね?」
アネットは頷いた。
過去に囚われて立ち止まっていた誰もが、その言葉に背を押された気がした。
セラ中尉の旦那様、現る(女性陣ざわつく)
その日も騎士科の広場では、レッスンの合間に女子たちが水分補給中。
そこに──
「セラ!」
低くて響く声とともに、
日焼けしたがっちり体型の、長身の騎士が軽やかに現れた。
真面目そうな顔立ちに、整った口元。鎧姿なのに妙に爽やか。
セラ中尉が軽く手を上げると、彼は満足そうに笑って手を振り返した。
「あとで迎えに行くから、気をつけてな!」
「はいはい。先に帰っててもいいのよー」
──すたすたと去っていくその背中に、周囲の女子たちが固まる。
「……え、だれ!? 今の人!?」
「めっちゃイケメンだったんだけど!?」
「セラ中尉、今の人に“手を振られて”ましたよね!? えっ、えっ?」
セラは平然と水筒を取り上げながら、ぽつりと。
「うん、あれが私の夫。職場恋愛よ」
「しょ……職場恋愛っっっ!?」
タニアががっつりアネットの肩を掴んだ。
「ちょっと……! ああいうのが本物の“沼”ってやつじゃない!?」
アネットは圧倒されつつも、小さく頷いた。
「……セラ中尉、すごいなあ……大人って、なんか強い」
セラ中尉、恋愛マスターだった(女子たち、完全に落ちる)
「えっ、セラ中尉……あの方、旦那様なんですか……!?」
ぽかんと見つめる女子たちに、セラはさらりと答える。
「うん、私から声かけたの」
その一言に、レッスンの空気が一瞬止まる。
「え!? ええええ!? そ、そうなんですか!?」
「自分から!? どうして……!?」
すると、セラ中尉は、まっすぐで涼やかな目をして言った。
「だって──毎日、ときめきたいじゃない?」
「……ッッ!!」
全員が一気に崩れ落ちる。
「か、かっこいい……」
「ときめきたいから……!? それで動けるの!?」
「推し活じゃん……人生を推してる……!!」
タニアは震えながらアネットの手を取った。
「だめ……私、セラ中尉の推しになりたい……!」
アネットも静かに言う。
「私も……今まで、ただ筋トレしてた……でも、今日から、“ときめくための筋トレ”にする……」
「推しに近づくには筋力がいるもの……!」
「まず背筋!」
「次に腹筋!!」
「筋肉は裏切らない!!!」
その日から、女子たちの“推し活兼騎士鍛錬”が始まった。
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