『恋は、鏡の中のわたしを変えていく』あなたと踊るタンゴ

夢窓(ゆめまど)

文字の大きさ
5 / 21

「少しだけ、“わたし”になれた気がして」

しおりを挟む

 鏡の前に立つ。

 昔と変わらないはずの自分の姿。
 でも、どこかが違う気がした。

「……少し、ふっくら……しましたわね」

 手首の骨ばかりが目立っていた頃と比べて、今はほんのり丸みがある。
 鎖骨がごつごつと浮かんでいた頃よりも、肌は柔らかそうで――
 それが、なぜか少しだけ嬉しかった。

「筋肉は……まだまだ、ですけれど」

 でも、体が重く感じることはない。
 姿勢を正して、深く呼吸をすれば、体の内側がすっと伸びるようで。

 “食べるのが怖くなくなった”という実感は、想像していたよりも穏やかで、暖かかった。

 以前の私は、食事のたびに罪悪感に押しつぶされていた。
 フォーク一口、ケーキ一片すらも、許せなかった。

 でも今は違う。

(食べてもいいんですの。だって、わたくし、ちゃんと生きているのですもの)

 食べることは、生きること。
 怖がる必要なんて、本当はなかった。

 少しずつ、ほんの少しずつ。
 自分のことを、肯定できるようになった気がする。

 まだ筋肉なんて、ほとんどない。
 それでも――
 「骨と皮だけ」だった私は、今ここにいない。

 少しふっくらして、少し健康的で、少し笑えるようになった。

 レオンにも、タニアにも、まだ言っていないけれど。
 でも、きっと、気づかれてしまう気がする。

「変わったね、って言ってもらえたら――嬉しい、かもしれませんわね」

 アネットは、そっと微笑んだ。



「セラ中尉、質問です! わたし、どうしても体幹が弱くて……」

「その場でくるっと一回転してごらんなさい。目線は……そう、そこをぶらすな」

レッスン後、汗をぬぐいながら自然と輪になる少女たち。
アネットもタニアも、その場にいた全員がどこか同じ――何かを乗り越えたくて、このレッスンに参加していた。

「中尉は、どうしてこんな教え方がうまいんですか?」

「……昔のわたしも、できない子だったからよ」

「えっ?」

セラはすっと髪をかき上げ、ふっと笑った。

「踊るのは好きだった。でも、婚約者に“貴族のくせに下品”だと言われてね。
筋トレをしてから、やっと“自分の脚で立てる”って実感したのよ」

沈黙。そして、誰かのすすり泣く声。

「わたし……わたしも、同じようなこと言われたことがあります」

「私も……っ、あの人に笑われた……!」

アネットはそっとタニアの手を握る。

絆は、筋肉と同じように――負荷をかけた分だけ、強くなる。


アネットがふと聞いた。

「セラ中尉って、昔から……剣が好きだったんですか?」

タニアや他の生徒も、気になるように耳を傾ける。

セラは一瞬、何かを思い出すように目を細めた。

「……いいえ。騎士になるつもりなんて、まったくなかったのよ」

「えっ?」

「当時の婚約者に言われたの。“騎士なんて下賤のすることだ”ってね。
お淑やかに、刺繍でもしてろって」

「うわぁ……ひどい……」

「でもね、婚約を解消されて……なんとなく手に取ったのよ。剣を。
振ってたら、なんかうまくなっちゃって。そしたら軍の教官にスカウトされて、そのまま入団して──
あれよあれよと結婚して、今に至るわ」

彼女は軽く笑ったあと、ふと真剣な表情になる。

「だから、思うの。あの頃の私に、教えてあげたい。
“あなたは、あなたのままでいい”って。
『選び直す自由』は、誰にでもあるのよってね」

沈黙のあと、ぽつりと誰かが呟いた。

「……かっこよすぎます、中尉……」

「惚れる……!」

タニアは小声でアネットに囁く。

「ねぇ……私たちも、強くなろうよ。ね?」

アネットは頷いた。
過去に囚われて立ち止まっていた誰もが、その言葉に背を押された気がした。



セラ中尉の旦那様、現る(女性陣ざわつく)

その日も騎士科の広場では、レッスンの合間に女子たちが水分補給中。

そこに──

「セラ!」

低くて響く声とともに、
日焼けしたがっちり体型の、長身の騎士が軽やかに現れた。

真面目そうな顔立ちに、整った口元。鎧姿なのに妙に爽やか。

セラ中尉が軽く手を上げると、彼は満足そうに笑って手を振り返した。

「あとで迎えに行くから、気をつけてな!」

「はいはい。先に帰っててもいいのよー」

──すたすたと去っていくその背中に、周囲の女子たちが固まる。

「……え、だれ!? 今の人!?」
「めっちゃイケメンだったんだけど!?」
「セラ中尉、今の人に“手を振られて”ましたよね!? えっ、えっ?」

セラは平然と水筒を取り上げながら、ぽつりと。

「うん、あれが私の夫。職場恋愛よ」

「しょ……職場恋愛っっっ!?」

タニアががっつりアネットの肩を掴んだ。

「ちょっと……! ああいうのが本物の“沼”ってやつじゃない!?」

アネットは圧倒されつつも、小さく頷いた。

「……セラ中尉、すごいなあ……大人って、なんか強い」


セラ中尉、恋愛マスターだった(女子たち、完全に落ちる)

「えっ、セラ中尉……あの方、旦那様なんですか……!?」

ぽかんと見つめる女子たちに、セラはさらりと答える。

「うん、私から声かけたの」

その一言に、レッスンの空気が一瞬止まる。

「え!? ええええ!? そ、そうなんですか!?」
「自分から!? どうして……!?」

すると、セラ中尉は、まっすぐで涼やかな目をして言った。

「だって──毎日、ときめきたいじゃない?」

「……ッッ!!」

全員が一気に崩れ落ちる。

「か、かっこいい……」
「ときめきたいから……!? それで動けるの!?」
「推し活じゃん……人生を推してる……!!」

タニアは震えながらアネットの手を取った。

「だめ……私、セラ中尉の推しになりたい……!」

アネットも静かに言う。

「私も……今まで、ただ筋トレしてた……でも、今日から、“ときめくための筋トレ”にする……」

「推しに近づくには筋力がいるもの……!」

「まず背筋!」

「次に腹筋!!」

「筋肉は裏切らない!!!」

その日から、女子たちの“推し活兼騎士鍛錬”が始まった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは振り返る。 夫と婚姻してから三年という長い時間。 その間に夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

新たな物語はあなたと共に

mahiro
恋愛
婚約破棄と共に断罪を言い渡され、私は18歳という若さでこの世を去った筈だったのに、目を覚ますと私の婚約者を奪った女に成り代わっていた。 何故こんなことになったのか、これは何の罰なのかと思いながら今まで味わったことのない平民の生活を送ることとなった。 それから数年が経過し、特待生として以前通っていた学園へと入学が決まった。 そこには過去存在していた私の姿と私を断罪した婚約者の姿があったのだった。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました

Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。 伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。 理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。 これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。

公爵令嬢は運命の相手を間違える

あおくん
恋愛
エリーナ公爵令嬢は、幼い頃に決められた婚約者であるアルベルト王子殿下と仲睦まじく過ごしていた。 だが、学園へ通うようになるとアルベルト王子に一人の令嬢が近づくようになる。 アルベルト王子を誑し込もうとする令嬢と、そんな令嬢を許すアルベルト王子にエリーナは自分の心が離れていくのを感じた。 だがエリーナは既に次期王妃の座が確約している状態。 今更婚約を解消することなど出来るはずもなく、そんなエリーナは女に現を抜かすアルベルト王子の代わりに帝王学を学び始める。 そんなエリーナの前に一人の男性が現れた。 そんな感じのお話です。

醜女の私と政略結婚した旦那様の様子がおかしい

サトウミ
恋愛
この国一番の醜女である私と結婚したイバン様。眉目秀麗で数多の女性と浮き名を流した彼は、不祥事を起こしたせいで私なんかと結婚することになってしまった。それでも真面目な彼は、必死に私を愛そうと努力してくださる。 ──無駄な努力だ。 こんな色白で目と胸の大きい女を、愛せるはずがない。

閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。

黒蜜きな粉
恋愛
借金の肩代わりとして後妻に入った私は、 妻と呼ばれながら屋敷の離れで「いないもの」として暮らしていた。 ある雪の日、夫が事故死したと告げられる。 だが、葬儀に出ることすら許されず、私は部屋に閉じ込められた。 新たに当主となった継子は言う。 外へ出れば君は利用され奪われる、と。 それが保護であり、同時に支配なのだと理解したとき、 私はその庇護を条件付きの契約に変えることを選ぶ。 短いお話です。

[異世界恋愛短編集]私のせいではありません。諦めて、本音トークごと私を受け入れてください

石河 翠
恋愛
公爵令嬢レイラは、王太子の婚約者である。しかし王太子は男爵令嬢にうつつをぬかして、彼女のことを「悪役令嬢」と敵視する。さらに妃教育という名目で離宮に幽閉されてしまった。 面倒な仕事を王太子から押し付けられたレイラは、やがて王族をはじめとする国の要人たちから誰にも言えない愚痴や秘密を打ち明けられるようになる。 そんなレイラの唯一の楽しみは、離宮の庭にある東屋でお茶をすること。ある時からお茶の時間に雨が降ると、顔馴染みの文官が雨宿りにやってくるようになって……。 どんな理不尽にも静かに耐えていたヒロインと、そんなヒロインの笑顔を見るためならどんな努力も惜しまないヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 「お望み通り、悪役令嬢とやらになりましたわ。ご満足いただけたかしら?」、その他5篇の異世界恋愛短編集です。 この作品は、他サイトにも投稿しております。表紙は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:32749945)をおかりしております。

処理中です...