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12章 ゆりかごに眠る意思
126 抱擁
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山側へ向いた窓からは庭の様子が見えなかったが、軽快な音楽や歌、それに民衆の声が絶えなく聞こえていた。
「枷か。懐かしいな。僕も同じことをティオナに言われたっけ」
「まさか、それがきっかけで魔王になったとか言うのか?」
メルを一瞥して、クラウはしみじみと「そうかもしれないね」と頷いた。
「異世界から来た僕が出しゃばっていいのかって悩んでいた時、ティオナがそんなのを枷だと思う必要はないってね。好きなようにしろって言われて……僕は自分がやれることはしてみようって思ったんだよ」
クラウは「だから」と声を強める。
「ユースケも好きなようにやればいいってことだよ。けど、無茶はしないで」
そう言うクラウが10年だか11年前にしたことは、相当無茶なことだと思う。胸に大きな傷を負ってまでメルから王位と魔力を引き継いだのだ。
「僕が未熟なばっかりに、心配ばかりかけてすまない」
「自覚してるなら、それでいいじゃねぇか。王様ってのは謙遜なんかしなくていいと思うぜ」
「そう言ってくれると、気持ちが軽くなるよ」
クラウは立ち上がって、窓辺へ向かった。バルコニーへの扉を少しだけ開くと、温い風と共に、籠った音で届いていた祭の音が鮮明に流れ込んでくる。
「祭日和だね」と青空を見上げて、クラウは俺を振り返った。
「この三日間はどうしてたの?」
「初日は気絶したまま寝てたし、次の日は何もしなかった。昨日は――そうだ、メル」
俺はハッと思い出して、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
「私?」と首を傾げて、目をパチパチさせるメル。
昨日チルチルへ行った時、帰り際に立ち寄った店でこれを見つけた。
「昨日、ヒルドとチェリーと三人で海まで行ってきたんだけど。これをメルに、って。俺たちからのお土産だ」
「うわぁ、 可愛いわ!」
メルはサファイアの瞳をキラキラとさせながら、胸の前で組んだ両手を開いてそれを受け取った。
カーボの顔型のマスコットにゴムの付いた髪飾りだ。
「メルに似合うと思ったんだけど、一つしか売ってなくてさ」
普段ツインテールのメルには二つ必要だろうとは思ったが、これ以外に適当なものがなく決めてしまった次第だ。
メルは「気にしないで」と早速、もふもふしたツインテールを解いて後頭部に髪をまとめていく。
「へぇ。海ってチルチルまで?」
「あぁ。何もしていないと不安だらけになるから」
昨日クラウを非難していた髭男が頭に浮かんできて腹立たしさが込み上げるが、本人に悟られないように、俺は平静を装って「日帰りで男旅をね」と笑って見せる。
「可愛いよ、メル」
ポニーテールにカーボを付けたメルに、クラウが真っ先に声を掛けた。クラウの細いポニーテールと違い、癖とボリュームのある髪を頑張って束ねたものだ。
「本当だ」と俺が同意すると、照れくさそうにメルが笑った。
「メルーシュもよくそうやって縛ってたよね」
「へぇ」
「そうなんだ」と他人事のように頷いて、メルは窓から流れ込む音楽に合わせて、広げた両手をひらひらと動かして見せる。
20年に一度の建国祭は、メルーシュの在位中には当たらなかった。
10年前のクーデターがなかったら、今日の祭で舞っていたのはメルーシュだったはずだ。
この国は平和に見えるのに、細かい懸念材料がいくつも存在する。
「美緒は大丈夫なんだよな?」
今そんなことを言うべきじゃないと思いつつも、急に不安が募って俺はクラウにそう尋ねた。
クラウは唇を強く結んで、深く頭を下げるように頷く。
「絶対に守って見せる」
「もし、聖剣が抜けなかったら?」
「抜いて見せるから。前王、その前の王とずっと続いてきた魔王という仕事を、僕は見様見真似でやって来たけど、やっぱりこの国の魔王を名乗る以上あの剣を抜かなきゃならないことだけは分かるから」
覚悟のこもった返事に、俺は「すまない」と零す。
メルがクラウの横に立って、そっと彼の肩に手を乗せた。
「僕に任せて欲しい」
自信ありげなクラウの声。けれど、ふと目を合わせた彼の表情は、怖いくらいに喜怒哀楽の抜け落ちたものだった。
「クラウ……?」
「……え?」
呼ばれてハッと正気に戻る。ゆっくりと零した笑顔に俺は戸惑いながら、「よ、よろしく頼むぜ」と途切れ途切れにエールを送り、「じゃあ、後で」と部屋を後にした。
廊下に出た俺は後ろ手に扉を閉めて、深く息を吐き出した。
これでいいのか? と自問自答を繰り返しながら立ち去ろうとした時、俺の耳にメルの声がそっと届いた。
「クラウ様……」
どうやら扉が閉まり切っていなかったらしい。
中を覗けるほどではなかったが、俺は思わず足を止めて彼女の声に息をひそめた。
「私はメルーシュだけど、メルーシュじゃないわ。けど、クラウ様の辛そうな顔は、見ていて心がとても苦しくなるの」
不安そうなメルの声。
「クラウ様への気持ちは、自分でもよく分からない。クラウ様は好きだけど、メルーシュだった時の気持ちとは違う気がするから……」
メルとメルーシュの葛藤。彼女の告白に、沈黙が流れる。
そして、クラウの声が俺の耳に届いた。
「ごめん。ちょっと抱きしめてもいい?」
焦燥に声が震えている。
再び流れた沈黙に、俺は足音を忍ばせて、そっとその場所を離れた。
「枷か。懐かしいな。僕も同じことをティオナに言われたっけ」
「まさか、それがきっかけで魔王になったとか言うのか?」
メルを一瞥して、クラウはしみじみと「そうかもしれないね」と頷いた。
「異世界から来た僕が出しゃばっていいのかって悩んでいた時、ティオナがそんなのを枷だと思う必要はないってね。好きなようにしろって言われて……僕は自分がやれることはしてみようって思ったんだよ」
クラウは「だから」と声を強める。
「ユースケも好きなようにやればいいってことだよ。けど、無茶はしないで」
そう言うクラウが10年だか11年前にしたことは、相当無茶なことだと思う。胸に大きな傷を負ってまでメルから王位と魔力を引き継いだのだ。
「僕が未熟なばっかりに、心配ばかりかけてすまない」
「自覚してるなら、それでいいじゃねぇか。王様ってのは謙遜なんかしなくていいと思うぜ」
「そう言ってくれると、気持ちが軽くなるよ」
クラウは立ち上がって、窓辺へ向かった。バルコニーへの扉を少しだけ開くと、温い風と共に、籠った音で届いていた祭の音が鮮明に流れ込んでくる。
「祭日和だね」と青空を見上げて、クラウは俺を振り返った。
「この三日間はどうしてたの?」
「初日は気絶したまま寝てたし、次の日は何もしなかった。昨日は――そうだ、メル」
俺はハッと思い出して、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
「私?」と首を傾げて、目をパチパチさせるメル。
昨日チルチルへ行った時、帰り際に立ち寄った店でこれを見つけた。
「昨日、ヒルドとチェリーと三人で海まで行ってきたんだけど。これをメルに、って。俺たちからのお土産だ」
「うわぁ、 可愛いわ!」
メルはサファイアの瞳をキラキラとさせながら、胸の前で組んだ両手を開いてそれを受け取った。
カーボの顔型のマスコットにゴムの付いた髪飾りだ。
「メルに似合うと思ったんだけど、一つしか売ってなくてさ」
普段ツインテールのメルには二つ必要だろうとは思ったが、これ以外に適当なものがなく決めてしまった次第だ。
メルは「気にしないで」と早速、もふもふしたツインテールを解いて後頭部に髪をまとめていく。
「へぇ。海ってチルチルまで?」
「あぁ。何もしていないと不安だらけになるから」
昨日クラウを非難していた髭男が頭に浮かんできて腹立たしさが込み上げるが、本人に悟られないように、俺は平静を装って「日帰りで男旅をね」と笑って見せる。
「可愛いよ、メル」
ポニーテールにカーボを付けたメルに、クラウが真っ先に声を掛けた。クラウの細いポニーテールと違い、癖とボリュームのある髪を頑張って束ねたものだ。
「本当だ」と俺が同意すると、照れくさそうにメルが笑った。
「メルーシュもよくそうやって縛ってたよね」
「へぇ」
「そうなんだ」と他人事のように頷いて、メルは窓から流れ込む音楽に合わせて、広げた両手をひらひらと動かして見せる。
20年に一度の建国祭は、メルーシュの在位中には当たらなかった。
10年前のクーデターがなかったら、今日の祭で舞っていたのはメルーシュだったはずだ。
この国は平和に見えるのに、細かい懸念材料がいくつも存在する。
「美緒は大丈夫なんだよな?」
今そんなことを言うべきじゃないと思いつつも、急に不安が募って俺はクラウにそう尋ねた。
クラウは唇を強く結んで、深く頭を下げるように頷く。
「絶対に守って見せる」
「もし、聖剣が抜けなかったら?」
「抜いて見せるから。前王、その前の王とずっと続いてきた魔王という仕事を、僕は見様見真似でやって来たけど、やっぱりこの国の魔王を名乗る以上あの剣を抜かなきゃならないことだけは分かるから」
覚悟のこもった返事に、俺は「すまない」と零す。
メルがクラウの横に立って、そっと彼の肩に手を乗せた。
「僕に任せて欲しい」
自信ありげなクラウの声。けれど、ふと目を合わせた彼の表情は、怖いくらいに喜怒哀楽の抜け落ちたものだった。
「クラウ……?」
「……え?」
呼ばれてハッと正気に戻る。ゆっくりと零した笑顔に俺は戸惑いながら、「よ、よろしく頼むぜ」と途切れ途切れにエールを送り、「じゃあ、後で」と部屋を後にした。
廊下に出た俺は後ろ手に扉を閉めて、深く息を吐き出した。
これでいいのか? と自問自答を繰り返しながら立ち去ろうとした時、俺の耳にメルの声がそっと届いた。
「クラウ様……」
どうやら扉が閉まり切っていなかったらしい。
中を覗けるほどではなかったが、俺は思わず足を止めて彼女の声に息をひそめた。
「私はメルーシュだけど、メルーシュじゃないわ。けど、クラウ様の辛そうな顔は、見ていて心がとても苦しくなるの」
不安そうなメルの声。
「クラウ様への気持ちは、自分でもよく分からない。クラウ様は好きだけど、メルーシュだった時の気持ちとは違う気がするから……」
メルとメルーシュの葛藤。彼女の告白に、沈黙が流れる。
そして、クラウの声が俺の耳に届いた。
「ごめん。ちょっと抱きしめてもいい?」
焦燥に声が震えている。
再び流れた沈黙に、俺は足音を忍ばせて、そっとその場所を離れた。
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