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13章 魔王

141 横たわる影

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 暗い森の中に並ぶ10棟ほどのコテージ。
 この間泊った建物を横目に走り、次に見えたコテージに飛び込んだ。

 内側から鍵を掛けたヒルドが全員いることを確認し、「良かった」と松明の灯で部屋中のランタンを灯していった。
 オレンジ色の明かりが広がり、中の様子が照らし出される。

 メルと使った部屋とは間取りが違い、ベッドもテーブルもなく、がらんどうとしている。
 トイレの個室が隅にあるだけで、シャワー室はないようだ。小さな水場が壁際についていて、布団や箱が脇に積み上げられているのを見ると、今日は雑魚寝確定のようだ。

「今日はここで寝ておいた方がいいね。ただでさえモンスターは夜行性だし、チャーチ香の匂いがしてるんだから。先に入った親衛隊や隊長たちも、今はどこかに身を潜めているはずだよ」

 「朝までしっかり寝ておくこと」と加えて、ヒルドは水場で松明の灯を消した。

「ここに居れば平気かしら? 窓を突き破ってきたりしないの? ここに走って来る途中で、モンスターの気配がしたわよ?」
「ええ? 本当ですか?」
「佑くん、気付いていなかったの?」

 えっ、と目を丸くする美緒は、ここに逃げてくる間ずっと俺と手を繋いでいた。俺は彼女の足に付いていくことに必死で、そんなことに気付ける余裕がなくなっていたらしい。

「中まで入ってきたりはしないだろうけど。ちょっと待って、この辺に--」

 ヒルドは積まれた木箱をあさる。「あった」と取り出したのは、先端に火薬の付いた木の棒だった。見た目は花火のようなものだが、それよりは大分太い。ランタンから炎を拾うと、白い煙が細く立ち上った。

 同じもの数本に灯を灯すと部屋中に煙が充満して、俺たちは豪快に咳込んでしまう。
 ヒルドは「ごめんごめん」と謝ると、窓と入口の外に一本ずつ香を刺していき、素早く鍵を閉め直した。
 チャーチ香とは違って、お世辞にも良い香りだとは言えないが、モンスターに効果があるらしい。

「カルテラ香だよ。これならモンスターも寄ってこないから、朝までゆっくり寝れるね」

 モンスターどころか、人間にも効果的だ。そんなに便利なものなら、もっと早く知りたかった。けれど、今以上にそれを必要とした機会もなかった気がする。

「それより、おなか減ったな。さっきのシーモス拾ってこようかな。カルテラ香を持ってれば行けるかも」
「やめとけよ。危険だろ?」

 俺だって腹は減っているが、もう一度外に出る気には到底なれない。シーモスの肉は絶品だというが、リスクが高すぎる。
 チェリーも「そうよ」と腕を組んで、ヒルドをなだめた。

「シーモスの肉は、モンスターも好む味だって聞いたわよ? 今頃、獰猛どうもうな奴らがたかってるんじゃないかしら」

 想像しただけでゾッとする。
 「あぁ、確かに」と青ざめた顔で諦めたヒルドが、再び部屋にあった木箱を開いた。
 中には調理器具や包帯のような救急セットに交じって、なたらしきものまで入っている。俺たちはその奥に非常食と思われる干し肉を見つけて軽い夕飯を済ませると、しばらくして横になった。

 ぐっすりと眠れるはずなんてないけれど、ヒルドのいびきが部屋に響き渡った時、チェリーが身体を俺に向けて、そっと口を開いた。

「メルを見ると、妹を思い出すのよね。だからあの子には幸せになって欲しいなって思うのよ」

 ヒオルスと消えたメルは、今どこで何をしているんだろうか。

「俺も、そう思います」

 俺はメルとチェリーの妹の凛を頭に浮かべながら、そううなずいて目を閉じた。

   ☆
 知らないうちに眠りについて、朝はあっという間にやってきた。
 「もう大丈夫だよ」と入口の扉を開いたヒルドに続いて外に出ると、朝の森にはうっすらと白い霧が立ち込めていた。
 カルテラの匂いから離れて森の方角へ大きく深呼吸すると、朝の冷えた空気に交じって甘い匂いが口の中いっぱいに入り込んできて、慌てて唇を強く閉じた。

 チャーチ香の匂いが強くなっている。
 俺は背筋を凍らせて、腰の剣を握りながらコテージの中へ駆け込んだ。

「これは、ちょっと良くない気がするね」

 不安げに戻ってきたヒルドが、また扉に鍵を掛ける。
 朝を迎えた俺たちは、もうここには居られない。逃げる為じゃなく戦う覚悟をしてここまで来た俺たちは、モンスターに出会うことだって分かっていたはずだ。

 俺より先に身支度を整えた美緒が、「戻ってもいいんだよ?」と俺を覗いた。けれど、彼女の表情は戻る気なんて更々ない。俺たちの誰よりも出立しゅったつを待ちわびているようだ。
 「戻る訳ねぇだろ」と強がると、そんな俺たちを見ていたチェリーが「そうね」と笑う。

「絵本の話だと、ドラゴンは温泉を好むらしいよ」

 俺たちは松明の代わりに一本のカルテラ香をかざしながら、森の奥を目指した。
 温泉はみんなで一度来た場所だ。あの時は不安なんて一つもなかった。
 それなのに今は、モンスターどころかドラゴンにすら遭わなければいいと心の片隅で思っている。

 ここに来て怖気づく俺が、最初にその影に気付いた。
 木々の隙間から温泉の湯気が見えたのと、ほぼ同時だ。

「あれ」

 道を塞ぐように倒れる人影。それが誰なのか一瞬で分かったけれど、俺はその現実を受け止めきれずに呆然としてしまう。

「ゼスト! マーテル!」

 叫んだヒルドの声に驚いた鳥たちが、音を立てて一斉に空へはばたいた。



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