エーテルの騎士

リュカ

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第一章

3 反乱

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 その日の目覚めが最悪だった理由はいくつかあった。
 まず一つめに、昨晩飲みすぎたツケが周ってきて、側頭部が割れるように痛んだこと。
 次に、目を開けた先の壁に、ばかでかいゴキブリが這っていたこと。
 三つ目は、痛む頭を抑えながら上半身を起こすと、あばた顔の若い従騎士が胸当てを着けたまま血相を変えて立っていたことだ。

「リュカ殿! まだこんなところに居られたのですか!」

 この若い従騎士の声は、劇場歌手さながらの響き渡るような声質で。戦場ではきっと重宝されるだろうが、起きぬけの、二日酔いで苦しむ近衛騎士を怒らせるには、十分すぎるほどの声量だった。

「うるせえな、そのあばたを全部ほじくり返して、レプラコーンみたいにしてやろうか」

 こんな状況でも、騎士たる者の心構えを忘れないおれは、やんわりとこの若き従騎士に上下関係というものを教育しようと試みた。
 従騎士は一瞬だけたじろいで、人差し指であばたを撫でていたが、すぐに気を持ち直し、いっそう大声でわめき散らすことになった。

「言い争っている場合ではありません! 一刻を争うのです」
「わかった、わかってる。大丈夫だ」

 そう言いながらおれは、右手の窓から空をみた。透き通った雲が青空を流れている、風が強いのか、流れは速く、今晩あたり雨を呼ぶ気がした。
 流れる雲の隙間から日が差した。思っていたよりも、ずっと高い位置に太陽はあって、不意を打たれたように目が眩んだが、この若き従騎士があせっている理由はなんとなく分かった。

 新米従騎士がよく陥りがちな価値観だ。ちょっと寝過ごして遅刻したからといって、この世の終わりが来たような悲鳴をあげ、着るものもそのままに主人の下へ行き、愚かな私を殺してくださいとでも言わんばかりの忠誠心を、おれにも当てはめたのだろう。

 しかし、自慢じゃないが、おれくらいになると遅刻の一つや二つ朝飯前だ。ここはもう一眠りして、昼食後に何気ない顔で宮殿に出向くくらいが丁度いい。その頃にはみんなお腹いっぱいで、今日誰が遅刻したかなんて覚えちゃいないだろうから。

「心配するな、正午の鐘が鳴ったら、宮殿に顔を出す」
「アドリアン公が、すぐに参上するようにとのことです!」

 従騎士は相変わらずうるさかったが、この反応は予測の範囲内だった。
 おれは無視して、先ほどからマットレスに感じる違和感を確かめるために、視線を隣のシーツに向けた。
 シーツには、おれのものではないふくらみがあった。ふくらみが微かに上下に浮き沈みしているのをみて、そういえば昨晩飲んだ帰りに宿舎の下女を一人捕まえたことを思い出した。
 おれはシーツをつまみ、そっと捲くった。

「もう、寝たふりしてたのに。またするの、今度は3人で?」
 裸の女が居た、おれも裸だった。そして従騎士は叫んだ。
「交わっている場合ではありません! スヴァルト伯が反乱を起こしたのです!」




 おれがベッドのマットレスをひっくり返し、脱ぎ捨てた衣類を全て回収したときには、女はもう逃げる準備を終えていた。
 調子のいいもので、ちゃんとおれの財布から金貨を数枚を抜いていくのも忘れてなかった。

「ちょっと薄情すぎるんじゃないか?」おれはブーツを履くのに、少々手こずっていた。
「お互い様でしょ、それじゃ元気で、死なないでね」

 女はおれの頬にくちづけすると、駆け足で部屋を出て行った。おれがプレゼントしたイヤリングはポケットに入れたまま。

「近衛騎士は一部を除いて、宮殿に集まるよう指示が出ております。私は主人の下に戻りますが、リュカ殿もお急ぎください」それだけ言うと、従騎士も部屋を後にした。

 おれはなんとかして、ブーツの編み上げ紐を縛り終えると、鎧立てに掛けてあった胸当てとグリーブを着けて、サーベルを一本だけ帯刀し、短刀を数本忍ばせ、その上から錬金術師お手製の、えんじ色のロングマントを羽織った。
 これに袖を通すのは初めてだったから、まだ生地が硬く、首周りが妙にごわごわして着心地が悪かった。部屋を出るときに、さっそくマントが調度品に引っかかって、何かが割れる音がしたが、振り返っている時間はない。

 おれの部屋は宿舎の3階にあったため、大広間へ続く途中の階段で、同じように慌しく階段を駆け下りる一団とぶつかってしまった。
 一団には騎士だけでなく、現在、王都に唯一滞在中の、王宮魔術師ザー・アガラザも一緒だった。
 最上階にある物見櫓にでも行ってたのだろう。

「リュカ! どこで遊んでやがった!」一団にはノクスもいて、脇を通り抜けようとしたおれの腕をつかんで怒鳴った。

「女を抱いてたら寝過ごした!」
「状況は把握してるのか」ノクスは、悠長にしてる暇はないぞと急かす、ザー・アガラザを先に行かせると、おれに向き合った。

「スヴァルト伯が謀反を起こしたってのは聞いた」
「伯の軍勢は、もうティリス川の向かいまで来ているぞ」
「テルム第2城壁が破られたのか?」
「いや、サウスフラン地区の市民たちが、自ら門を開けやがった」
「我らが王の不人気っぷりには、感動すら覚えるな」

 ジル王は王座に付いてからというもの、先代国王が貫いてきた平和主義を覆し、何かに急き立てられるかのように、周辺国相手に戦争をしかけていた。幸運なことにまだ負けたことはなかったが、戦利品を差し引いても、戦争に掛かった費用は莫大なものだった。

 そしてその費用を、市民たちは税金という形で、諸侯は軍事的奉仕という形で負担しなければならないのだから、戦争の恩恵に預かれなかった諸侯貴族や市民たちは、何かの拍子で、ジル王が王座から転げ落ちやしないか、手をこまねいているのだ。

「軍勢は1万以上だ、道中の農民や市民も抱きこんで、まだ増え続けてる。とうてい勝ち目はないぞ」

 そして今もなお北方に遠征中のジル王が、主要な軍団を率いているため、残った王都守備隊の各部門をすべてかき集めても、兵は2千も集まらないだろう。王都テルムは要塞都市ではないため、篭城も難しい。

 さらに不幸なのは、ジル王の留守を預かっているのは王弟であるアドリアン公だということだ。人は良いが、いかんせん気が弱く、自分では何一つ決められない無能だ。戦闘には向かないだろう。

「とにかく宮殿へ向かうぞ、王弟たちは王都を脱出するつもりだ」
「おれたちはしんがりでもしろってか」
「さあな、わからん。もしかしたら、お供させていただく栄誉にあずかれるかもしれんぞ」ノクスが自嘲気味に笑う。

「そりゃいい、犬死はごめんだ」
 おれたちは宮殿へと急いだ。正直なところ、ソフィアのことも少し心配になっていた。




 庭園では何人かの騎士が指揮を取り、かき集めた衛兵たちをまとめあげていた。経験豊富なのだろう、こんな絶望的な状況でも混乱に陥ることなく、整然と連隊を組んでいる。
 百人隊が5つ、騎兵が10人ほど居た。先ほどの従騎士もだ。しんがりを務めるつもりなのだろうか。
 おれとノクスはそいつらを横目に宮殿内へと入っていった。

 宮殿廊下は、古典的な柱廊風装飾が取り入れられている。モザイク模様の大理石が敷詰められた床には、灰色の柱がそびえ立っており、柱間のアーチには採光のための大きな窓がはめ込まれていた。
 使用人たちが、不安気に身を寄せ合い、その窓越しに、庭園に集まる兵士たちの様子を覗いている。

「リュカ様! お待ちしておりました」その集団の中に、ルドマンは居た。
「悪いルドマン、少し遅かったか」既視感のあるおれの一言に、ルドマンは微笑して「いえ、ちょうど良いところでした」と述べる。深い皺に囲まれた、細い瞳が優しい色を浮かべていた。

 そんなおれたちのやり取りを尻目に、「アドリアン公はどこだ」とノクスがやけに低い声で、ルドマンに問いかける。

「王家の方々と、護衛に付く皆さんは、謁見の間に集まっています」
「そうか、行くぞリュカ」ノクスはルドマンが答えるや否や、先を急ごうとする。どうもルドマンを避けているような気がした。

「リュカ様、ソフィア様が見つからないのです。一緒に探していただけませんか?」
 ルドマンの声が微かに震えていた。その表情はいつもにも増して硬い。

「ほっとけばそのうち出てくる。早くしろリュカ、時間がないぞ」ノクスは腰に下げた剣の鍔を、人差し指で叩いている。ノクスが苛立っているときの癖だ。二人の間に異様な空気を感じるが、おれの答えはもう決まっていた。

「ノクス、先に行っててくれ。ソフィア様を見つけたらすぐ追いつく」

 ノクスには悪いが、ソフィアが見つからないのは、それはそれで、嫌な予感がするし。ルドマンの様子も気になる。

 ノクスはもう何も言わなかった。ただ、舌打ちの後に、静かな溜息だけが聞こえてきた。

「さあ行きましょうリュカ様」

 ルドマンに連れられ、おれは謁見の間とは逆の方向に進んでいった。ルドマンの足取りに迷いはなかった。
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