エーテルの騎士

リュカ

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第一章

9 湖畔

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 重い鉄扉を押し上げて、地下から這い出た先に広がったのは、静かな森に囲まれた湖だった。
 外はもうすっかり夜の帳が下りきって、湖の魚たちも、その周囲に広がる森の動物たちも、みんな家路についた後なのだろう。時折吹き抜ける冷えた風が、湖畔に小さな波を起こし、古びた桟橋に水音をたてる以外には、彼らの眠りを妨げるようなものはなかった。どこかの貴婦人でも連れこみ、小船を浮かべて愛を語らうにはぴったりの場所だと思えた。しかしどこを見渡しても小船は見当たらなかった。

「今日はここで夜を明かしますか」

 夜の森を抜けるのは危険だし、これからどうするのか、考える時間も必要だった。

「わかったわ」

 ソフィアは嫌がるかと思ったが、案外いい返事をして見せた。
 月明かりが妙にまぶしく感じる夜でもあった。おれはソフィアを桟橋近くに待たせると、周囲に妖精種や人間が居ないことを確認するため、森へ分け入った。
 それほど深くまで入ったわけではなかったが、森には常緑樹のほかに、ブナやケヤキもまばらに見られた。朝になればきっと色彩豊かな姿を見せてくれるのだろう。
 特に変わったことはなかったため、おれは手早く枯れ枝なんかを集めると、急いでソフィアの元へ戻った。ほうっておくとまた何かを投げ込むかもしれないからな。

「おかえりなさい」

 おれが両手一杯にたき木を抱えて戻ってくると、ソフィアはリュックの中から、食料品を取り出し、ハンカチの上に綺麗に並べている最中だった。

「ただいま戻りました」

 おれがそれを横目に腰を下ろすと、ソフィアが「はい、これ使うんでしょ」と言ってリュックから火口箱を渡してきた。最後にこいつで火をつけたのは、いつだったっけな。記憶をたどるも、すぐに掘り起こせるほど浅い部分にはなかったのは確かだ。
 まだ従騎士だった頃、先生に命ぜられて何度かつけたことがあったような気もするが、正式に騎士になってからは、露営地の篝火がどうやって灯るのかなんて、気にもならなくなった。天幕で仲間と酒をあおってる間に、勝手についたり消えたりするもんだとすら思っていた。

「あらお上手」

 おれがたっぷり1時間ほどかけて、湖のほとりで火を起こすことに成功すると、ソフィアは皮肉たっぷりに微笑んだ。

「湿気ってたんですよ」

 おれは額に滲んだ汗を拭って、ソフィアと一緒に食事をつまむことにした。
 ハンカチの上に並べられた保存食は燻製肉だけでなく、瓶詰めのピクルスや、塩漬けのレモン、ソフィアの大好きな梨のコンポートやジャムもあった。実はおれの大好物でもあったため、このコンポートとジャムはその晩のうちになくなってしまった。
 おれたちは自分たちの置かれた状況や、これからも続くであろう苦難から、なるべく目を逸らし続けられるように、どちらからともないが、明るく振舞うことを心掛けていた。そしてそのためには、腹いっぱい飯を食うことが大事だった。たとえそれで携行食の3分の1以上がなくなったとしてもだ。

 空になってしまった瓶に一匹、足元を歩いていた松虫を入れておいて、おれとソフィアは寄り添って焚き火にあたった。秋の夜長は少し冷えたし、毛布は一枚しかなかったから。

「懐かしいわね、この場所も」ソフィアが湖を眺めながら呟いた。

 おれの視線の先には静かな、静かな水面は鏡のように、その先に広がる風景を映しこんでいた。
 周囲に広がる森と、その先にそびえ立つオービルの山々、すべるように広がった山裾の下には、昨日より大きな望月が、居心地悪そうに漂っていた。
 言われてみれば、どこかで見たような風景だったが、おれが思い出せずに唸っていると、ソフィアは大きく溜息をついて「狩猟場!」とぶっきらぼうに言い放った。

「ああ、狩猟場」その単語でおれはようやくここが、王都テルムから北西に位置する、王族専用の狩猟場であることに気づいた。それと同時にあの忌まわしき過去も鮮明に蘇ってきた。

「この狩猟場で、リュカと初めてお話したのよね」
「そうでしたっけ」これはもちろん知らないふりだ。
「狩りの途中でフルニールと喧嘩して、落ち込んでいたあなたを慰めたわ」
「あれはフルニールのやつが全部悪いんです」

 確かにおれはあの日、時と場所をわきまえず、王の御前でフルニールと大喧嘩を始めてしまったが、原因はすべてフルニールにあった。
 おれとフルニールで牡鹿を追っていたときにそれは起こったのだ。

 狩りと言っても実際は、武芸大会で活躍した騎士たちを、貴族連中にお披露目する目的がほとんどで、狩猟は騎士としての伝統を重んじただけの儀式的なものに過ぎなかった。つまり半分やらせみたいなもんだ。獲物は最初から捕まる運命にあったし、おれたちの役目はただ牡鹿を、指定された場所まで追い込むだけでよかった。にも関わらず、フルニールはまるで妖精種でも相手にするかのように、全力で馬を駆り、牡鹿に向かって槍を放ったのだ。そして槍は外れて、木の幹に突き刺さった。
 おれはその槍の柄を避けきれずに、落馬した。

 気がついたときには、この湖畔沿いに並べられた天幕のひとつで横になっていた。あの時はちょうど対岸の方だったかな? 痛む頭を押さえて外に出ると、もうパーティーは始まっていた。テーブルには王国中から集めた様々な種類の酒と、豪勢な料理が並べられていた。料理人は真剣な顔つきで獲れたての獲物を調理していく、奴隷たちは次々と申し付けられる客人のわがままで、せわしなくテーブルの間を駆け回っていた。

「よう、気分はどうだ?」

 貴婦人たちの熱っぽい瞳に取り囲まれていたその美丈夫は、おれに気がつくとニコッと笑いこちらへやってきた。

「ふざけろフルニール、やっていいことと悪いことがあるだろう」
「なあに、周囲の受けは最高だったぞ。まさか気絶までしてみせるとは、恐れ入ったよ」
「なんだと、お前もこの場で恥をかかせてやろうか」
「無理だよ、あんな情けない姿、狙ってできるもんじゃない」

 おれたちは周りに気づかれぬよう、小さな声で喋っていたが、その剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、客人たちが遠巻きにこちらを観察しているのが見て取れた。でもおれたちにとってはあくまで、普段からしている喧嘩の延長線でしかなかった。

「おれに負けるのが怖いのか、お坊ちゃん」おれは腰の剣に手をかけてフルニールを挑発してみた。
「怖いだと? 望むところだ、今日こそどっちが上かはっきりさせてやろう」

 フルニールは従者に合図し、愛用の両手剣を持ってこさせた。
 王国騎士でこんな巨大な両手剣を使うものは、ほとんど居なかったのと、見た目とは正反対の壮烈な戦い方で、フルニールは当時から目立つ存在だった。対しておれはレイピアほどではないが、どちらかというと細身の剣を好んだ。古臭いと馬鹿にされることもあったが、おれは伝統的な王国剣術が好きだったからだ。最近流行の両手剣を使うやつはどうにも好きになれない。
 周囲はざわめき立ち、おれたちを取り囲むようにして見物しだしたが、誰も止めようとはしなかった。騎士の一人が、これを使えと言っておれに盾を渡してきた。円形の小さめの盾で、おれが一番好きな形のやつだった。

「私が立会人になろう」見物客のざわめきにまぎれてジル王がそう言うと、ざわめきは歓声に変わった。

 おれは剣で盾を打ち鳴らし挑発する。決闘開始の合図になった。フルニールは半身に構え両手剣を肩に担いで、いつでも振り下ろせるようにしたまま、じりじりと距離を詰めてきた。おれは盾を前に出し重心を低く構える。右手の剣は外に向け、剣先でリズムを取る。互いの手の内は知り尽くしていたから、純粋に全力を尽くすしかなかった。

 間合いに入った瞬間、フルニールの両手剣は暴風を巻き上げながら、おれに襲い掛かった。おれはその軌道を盾でほんの少しだけいなして、フルニールの懐にもぐりこむ。フルニールは中途半端な間合いならいっそのこと潰してしまおうと、剣を振りぬいた力を利用して肩口から体当たりをしかけてきた。おれは闘技場の獣を相手にするかのように、マントを翻してそれをかわし、フルニールの背中に一撃をおみまいしてやった。しかし、それは背負うように構えたフルニールの両手剣に阻まれた。

 フルニールは飛び退き、距離を取って仕切りなおそうとしたが、そうは問屋が降ろさない。おれはもう1段階速度を上げて詰めより、それを阻止する。有効打にならなくてもいいから、とにかく攻撃を出し続けて自分のペースに持ち込んだ。フルニールは後ずさりしながら、なんとか急所だけは守っていたが、おれが繰り出した中途半端な一太刀を弾いたのをきっかけに、無謀にも前進を始めた。
 巨大な両手剣で体の中心付近を守りながら、じりじり距離を詰めていく。バインドになれば不利になるのは目に見えていたため、次はおれが嫌って後ずさりすることになった。それでも攻撃の手は休めなかったが、後ろに下がりながらでは、速度も威力も話にならない。それを見抜いたのか、フルニールは守りを捨てて両手剣を振り回しながら突進してきた。その剣圧は剣を振りぬく度に増していき、受けてしまったおれの盾を粉砕した。

 いくらしたと思ってる! 後ろから騎士の悲鳴が聞こえる。使いものにならなくなった盾をそいつに向かって放り投げ、結局おれの方から後退し、フルニールもそれに応じる形で、仕切りなおすことになってしまった。

 その一瞬の剣戟に、観客たちから拍手と歓声が沸き起こる。フルニールはところどころから血が滲んでいたが、こんなのかすり傷だと言わんばかりに、その長い金髪を優雅になびかせながら、歓声に手を上げて応えた。おれは外傷こそなかったものの、盾を持っていた左腕は、しびれて使い物になりそうになかった。
 おれは負傷した左腕を後ろに隠し、剣は体の前で垂直に構える、切先は相手の喉元を向き、剣を握る手のひらを祈るように見つめた。

 今や儀礼式にしか使うことのない、古い時代の構えだった。歓声がざわめきに、そしてだんだんと消えていく。これから繰り出される連撃を知っているフルニールだけが、緊張した面持ちで向き合っていた。
 おれが地面を蹴ったのと同時に、フルニールも雄たけびをあげた。

 結果は――まあ、皆さんのご想像にお任せするとしよう。




「あの時のリュカの剣技、すごく綺麗で格好良かった」

 おれが焚き火を見つめながら、決闘での立ち回りを反芻していると、ソフィアが気を使って慰めてくれた。

「格好良くなんてないですよ、無様なもんでした」
「そんなことないわ! 父も感心してた、ここまで古典剣術を使いこなす騎士は見たことないって」
「貴重な意見ありがとうございます」

 おれがニヒルに口元をゆがめると、ソフィアは「本当のことよ」とおれの肩をつついた。
 焚き火に赤く照らされたソフィアのその顔は、いつもより翳りを帯びていて、少し色っぽく見えた。やわらかい髪は微かな風でもすぐに揺られて、乳房のふくらみの間を行ったりきたり忙しそうだ。

 湖は静か過ぎたし、一度会話が途切れると、沈黙はより一層強く感じられた。
 天気の話をするような雰囲気ではなかったし、ソフィア相手に愛を語り合う勇気もなかった。となるとお前の出番だぞ、おれは空き瓶をつついて、中で眠りこけていた松虫を起こしてやった。
 松虫が不満を訴え鳴き始めると、それにつられて草葉の陰に隠れていたコオロギたちも鳴き出して、小さな演奏会が始まった。

 苛めちゃだめ、ソフィアは瓶をひっくり返して、松虫を外に出してしまったが、松虫はすぐには逃げ出さず、おれたちのために、長い間その場で歌い続けてくれた。

「明日はきっといい日になるわ」

 それを眺めながらソフィアが呟く。
 おれだってそう願いたかった。昨日より今日が素晴らしい日だと、シロップスの神官たちが説くように、明日だってきっとそうあるべきなんだ。もちろんその次も、そのまた次の日も。

 おれはソフィアと肩を寄せ合い目を閉じた。この娘を不幸にする権利なんて誰にもないと感じた。神々ですら許されることではないな。
 だがおれは、今日起こったことに対するやり場のない憤りを、どこにぶつければ事態が好転するのかすら、分からなかった。

 徐々に眠気が強くなっていき、夢と現実が曖昧になっていく中で、どうかお幸せにと言うルドマンの、最後の姿が脳裏をよぎった。おれもこのときばかりは、誰よりも強く願った。
 神々はいつもおれたちに無関心で、たまにおせっかいを焼いたかと思えば裏目に出るような役立たずばかりだったが、今回ばかりは祈るしかなかった。
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