丸いサイコロ

たくひあい@あい生成

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丸いサイコロ8

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 呆れてしまったのか、ほっとしたのか、悲しかったのか、ぼくには、ぼくの気持ちさえ、わからなかった。複雑な気持ちで、少しだけ、笑えた。口のなかが、酸っぱくなって、頭の奥が、痛む。


苦しくなって、痛くて、怖くて、全部が、どうでもいいような気がした。


「燭台は、上の、食堂に行くとこの廊下から移動させてきたんだよ。最終的にはここに来るって、わかってたからね」


「お前って、よくわかんないところで忙しいよな……って、おい、チャイムはどっから押したんだ。足音は」


「きみは、よくわかんないところで、鋭いね……それはまあ、今は後にして……っと」


──よっ、と館内に降り立つと、まつりはまっすぐにこちらに向かってきた。
そして、じっとぼくを見て、ぼくに技術があったら既に立体像が作れていそうなくらい、観察をしてから、ああ、と言った。


「裏口を使うときほど、つい表に立ちたがる――ってやつだね」 


「……ぼくを見て言うな」

意味がわからない。

「んー? えへへへ。で、えーっとね。えーっと。どうしようか……当初の計画が、すっからかんに抜けちゃってて、えーっと」


じろじろと周りの人物たちを見渡して、まつりは首を傾げた。毒気も何もなく、ただ、純粋に、ボードゲームの駒を、どう動かすかと思案を巡らすようにして、考える。

「ああ、わかった。だから、つまり……」

そして、そう言いつつ、服のポケットから、携帯電話を取り出し、どこかに連絡した。

 すぐにどたどたと、足音がして、その人が戻ってくる。それは、幼い少女だった。
紛れもなく。

「ヒビキちゃん……!」

「――ああ、寄るなロリコンめ」

しかも、とんだ誤解つきだった。冷たい目でぼくを一瞥してから、電話の相手にきゃんきゃん吠える。まったく、誰に何を植え付けられたんだ? いけないな。
――でも、生きている。ちゃんと、生きているんだ。ああ、良かった。

「貴様がチャイムだけ押させて、置いていくから、迷うところだったぞ!」

「おかえり、ちゃんと、見つけられたんだ。えらいえらーい」

まつりが、からかうようにほめたが、彼女は今度は、とくにコメントしなかった。あきらめの対応を見せている。早くも、学習したらしい。

「さみしい反応ー」

と思ったが、頬を引っ張られて、やっぱり『何をする!』 と叫んでいたので、そうでもないかもしれなかった。

「まったく、きみが余計なことをするから、手間をかけてしまった」

「余計って……」
 言い返そうとしたが、そういえば、確かに、何かを、忘れている気がする。
忘れまくっている気がする。

「なんだっけ……たしか、たしか……」

「――そうだ、おねぇちゃんは、お前に《裏切られた》ってわけじゃない。ちゃんと、知っているよ。悪かった。ただ、あの場では、そうする必要があったんだ」

「嘘……生きてる……ちゃんと、生きてる」

初めて、彼女が、取り乱した。コウカさんだった彼女は、今は、ただ、誰かを気遣う女性だった。

「自分の姉の、とはいってもこんな小さい娘が、知ってて協力していたって、気付いてどんな気分だった? それを気に病んで、誰かを攻撃したり、自殺したってどんな気分だったかな」

「え、あれ、自殺――の演技だったの?」

「演技……いや、ちょっと、違うが、半分くらいはな。ちゃんと、洋服の胸元に焦げ痕のメイクまで付けていたってのに、ロリコンには直視出来なかったらしい」

「いや、血がさ、多かったんだよ……」

「こいつは血のりに萌える性癖なんだ」

まつりが余計な情報を付け足してきた。ほとんどぼくで遊んでいる。
ヒビキちゃんは言うまでもなく、ドン引きしていた。
「よ、余計なことを言うなよ!」

「そこは否定を選べって……冗談で言ったのに」

そうだった。
落ち込んだついでに、ひとつ思い浮かんだ。

「あ――手紙……そうだ、手紙だよ。脅迫のやつ――」

「あー、えーっと。言わなかった? おかしいな。言った気がしてたけど。そうだね、過去に言っていたら、覚えてるから、こんな混乱はしなかったよね」

「ああ」


「──まず、この館をそう呼ぶ人が、限られてるってことは、きみにもわかってるでしょ? だから、そうだな、うん。書いたのは――そこに関わっていた人になるわけだね。ここで、姉というのが指すのは、おばさまなわけです」


「はあ……」


「そんで、それを再現したものを、ちょうど良さげだったので、このちびっこに送りつけたのでした」

 ちびっこってなんだよ!と文句を言われているが、まつりは不思議そうにぱちくりとそちらを見ただけだ。まるで、既に用意してあった答えを聞いてきて、代わりに喋っているみたいに、実感の伴っていない声だった。
 
いつだったか、ぼくは、あいつが、分厚いメモ帳を持っているのを見たことがある。腕に書くだけでは、足らないことも、あるだろう。
ちらりと隙間に見えた内容は、暗号じみていて、ぼくにはまったく理解出来なかったけれど、記憶の羅列を知識の記号として、読み込むという、その行為の大変さは、ぼくには想像を絶する。
何度も何度も、プログラムを、読み込んで読み込んで、読み込んで、修正して──
それは、どんな気持ちなのだろう。

「ああ、なるほど――そう、だったんだー……なるようになるかなって。どうだったところで、どうにもならないし」

どこか、残念そうな視線を向けられた。


「ちょっとは考えてよ。ばらまいた伏線を総スルーどころか斜めに大逆走って、まったくいい度胸過ぎるよ。問題からは答えが出せるけど、答えの中から問題が出せないってことかな」


「……いやね、ちょっとは考えたんだよ、ちょっとは。でも、なんていうのかな……むしろお前の存在が嘘だったんじゃないかと」


「話がえらく飛んだな。そして、そこは疑うなよ」


佳ノ宮家は、身内で物騒な兄弟喧嘩が絶えない頃があったらしい。連れてこい、と指示されたのが誰だったのかと聞けば……たぶん、まつりなのだろう。したっぱだったからねーと言うが、実際、身分というか……家族間でも、そういう類いは珍しくない光景だろうし。

今さらのように注釈だが、佳ノ宮まつりは、話を引っ掻き回して軌道をねじ曲げて、謎を作って、増やして帰る。そういうやつだ。ぼくは、たぶん、それに利用されて、遊ばれているだけなのだろう。
だけど、なんでか、こいつだからなのか――ぼくは、悪い気がしないようだ。

だって、それは決して『無意味』ではないのだから。

 こいつは、何かを隠していると思った。意図的に、そこに触れない話をしている気がした。だって、それだけでは、おそらく――噛み合わない部分があるのだ。だけど、ぼくもあえて触れない。

――でも、本当に、なんだったんだろうか。『あれ』は。なんて。

「見ていた限り、今回そこに触れたら、ショートを起こしそうだと思ったから、やっぱり、やめておいたんだ。あ、ショートニングじゃない方だぞ」

「……その注釈は、いらないな」

本当に、全くいらない。
心の内をなぞるように、まつりは言って、ぼくはつっこんでおいた。

しかしそれが、なんの話なのかは、ピンと来なかった。それよりも、そいつの顔色が、明らかに悪いことの方が、気になって仕方がなかった。

「……お前まさかさ、強制痛み止めみたいなこと」

「あー、うん。無理矢理起き出してきたのは確かだな。えーっと。もう、ごちゃごちゃしてきたな。えーっと。あ、そう、この人なんだけど……」


ぴし、と指さされたのは、相変わらず、存在があるんだか無いんだかな、兄だった。そういえばそうだった。うーん。ぼくが認識しきれていないのだろうか。
不愉快そうに、鉄パイプを持て余している。



「あれ……誰だった、かな。そう、えーっと……あ、あの、会社の人の……えーっと。あの、なんだっけ、そう……とりあえずさ、そこの人。今日の件で《代わりになるお土産》を送っておいたから、帰ってくれていいと、思うんだよ。指定パスワードは、7から始まるやつを……候補から――」



それを聞いて、兄も、納得したようだった。
――結局、彼はなんだったんだ?
たぶん、部屋に待機していたのは、本当なんだろうけど。だってあの家を、彼が知っているわけがないし。身内から遠ざかるためにあそこを借りているのだから。

「……わからんが、わかった。弟の歪む顔を見られて良かったぜ」

「そこは同感だね」


いや……同感しないでほしい。なんてやつだ、と怒るところじゃないだろうか。
最後に満面の笑みのまつりが、兄に一言二言、なにかを囁いてから、兄は帰って行く。楽しげな様子に見えたが。

――今度こそ、帰ったんだろうな?
車のエンジン音がして、遠ざかる。そういえば、ここって、車かバスで来なきゃならない距離だっけ。
って待て、車、一台しかとまってなかったよな。 ぼくたちは、バスに乗れってことか。


「で、ええっと……」

 彼女を見て、ぼくが、どう言ったものかと考えていると、ヒビキちゃんが、かばうように、目の前に出てきた。

「……いい。私が言う。『母さま』私は、確かめたいことがあって、ここに来ました。だから――あなたが仕組んだことを、そのまま利用させてもらいました」

 彼女は、《娘》を見ても何も言わなかった。ただ、気まずそうに、目を反らしているだけだった。



それが、何を意味するのかは、わからないが、少なくとも、目を合わせるだけの自信が、無くなっているのだろう。

《この人たち》が、双子、と積極的に言っていることに、ぼくも気付いていないわけではなかったが、その理由を考えるのが、つらかった。

双子の名前は同じ?
そして、それと別に、エイカさんの名前が出てきたが、しかしそれなら彼女は、双子には、含まれていないことになるが。
みつ子、と言わないのは、きょうだいとは別に、双子が生まれたということかと思ってしまいそうだったが。そこに《いるべき》なのは、双子と、その母、のみであって――――

結論を出したわけじゃないのに、そこまで考えて、なぜだか、嫌な予感がして、――つまり《そういうこと》なのかと、聞くのが――怖い気がした。

 母さまと呼ばれた彼女は、しばらく待たされていて退屈だったと言わんばかりの、壁に寄りかかった姿勢をやめて、起き上がった。

「でも、本当は──」

「まさか。《あなた》が、生きていたなんてね……」

ヒビキちゃんの問いを遮り、皮肉とでもいうような表情を浮かべて、笑う。心が痛むような笑顔だった。


 ヒビキちゃんは、やはり、まっすぐに彼女を見ていた。怯まない。問いの答えを待っている。


「──ええ。私も、あなたに対しては、そう思います。まさか、あなたが『母さま』だったとも、最初は思いませんでしたし。で、茶番は結構ですので、私が聞きたいことについて、確かめたいことについて、お答えしていただけますかね」

「……何を?」


「あなたは、どうして私を引き取ろうとしたんですか。それから──どうしてとらわれていたあなたが『脱走』出来たんですか」


──ん?
いつの、何のことかと考え、順番を整理しようと、ぼくは日付を思いだそうとした。だけど、頭の中でぼやけて消えた。数字や日付は、ごちゃごちゃして、ぼくには、よく、わからない。カレンダーを見たことも、そういえばほとんどなかったっけ。


「あなたは……何が言いたいの?」


「──ときどき会いに来ていた人が、ある日を境に来なくなったから、こっそりと会いに行ったことがあるんです。

 あの屋敷に入ったという噂は、私も聞いていましたよ。そのときは、ナナトって人がどうにかなってから、しばらく経っていた気がします。《その人と思われる人》が、お屋敷から出てきたので、付いて行きました。だけど──途中の道で、あなたが、出てきたのを見て、引き返しました。あなたは、あの人に何かをしたんですか?」


「……どうして、そう思ったの」

「それは……」


「違うよ。《彼女本人》は、それよりも前のことだ。この人は……」


まつりが、唐突に口を挟んだ。かと思えば、口を閉ざす。はっきりと言うべきか迷っているようだった。
 まつりがあえて言わなかったことに対し、彼女は頷いた。意外とあっさりしていた様子で、ふらふらと、立ち歩く。どこかに引っかけたのか、ワンピースの裾が、僅かにほつれている。


「──ええ。私は《あの女》を、殺した。なんでだと思う?」


誰も答えなかった。
じゃあきみは、と、なぜかぼくに振られた。答えられなかった。


 ぼくは理由なんて、興味がない。理由があっても、どうしようもないと思った。納得なんて、したくなかったし、考えるのも、あまりいい気分ではない。
『本当の理由』はいつだって、結局は《それらしい建前》の下に隠されることが多い。その理由なら、わかる。どうしようもないから。

「あなたが──守るため、ですか?」


「──まさか。あの家が嫌いだったからちょっと復讐しようと思ったの。でも、誤解しないでね。私が選んだのだから」


そうだろうか。不意に、たくさんの台詞、表情を思い浮かべた。彼女は、本当に、それだけだったのだろうか。

「──心配だったんじゃ、ないですか?」


 心配、という言葉は、あまり好きではないが、そう表現するしか浮かばない。彼女は、明らかに動揺した。

「……なんなの、脈絡がない話をしないでよ。失礼なやつ。あなたは、人の話を聞けって習わなかった?」

「さあ。ぼくみたいな、最初から壊れてるやつと、まともにお話してくれるような、優しい人なんて、ほとんど居ませんでしたから……そういう礼儀は、なかなか身に付いていないかもです」

まつりの方を見た。

 顔色が、さっきより悪い。微動だにせず、なんとか立っている感じだった。なんとなく、寒いのかなと思える。


 あら? とか、やっぱり無茶なんだってとか二人が言っているのが聞こえた。

「大丈夫、じゃない、よなあ。少し休め。命令だ。病院戻るなら電話する」

大丈夫? なんて聞いたら、適当に誤魔化されてしまうだろうと、決め付けてみるが、まつりは笑った。楽しそうに、どこか苦しそうに。

「ははははっ、良い身分だね……きみが、命令するとは。大丈夫、結構時間をかけたけど、もうちょいで、おしまいなんだからさ……もう、少しだけ、時間を」

 言っても聞かないよなと思って、とりあえず上着を脱いで頭に被せた。モゴモゴ言っている。内側には貼るカイロもついているし、少しくらいは暖かいだろう。

「なにを待ってる?」

「内緒」

赤ずきんみたいに、顔だけのぞかせて、そう言った。服の隙間から、そういえば持ったままだったロープが見えた。結局なあなあになって『懺悔させる』が完了していなかったように思うが。どうするつもりだったんだろうか。帰らせたのはこいつだから、案外、そこも抜けたのか?




「どーうも、あんたらって、私をぞんざいに扱うのが好きみたいな気がするんよね……誰か忘ーれーてないですかー?」

もう一人の、コウカさんが後ろから、心持ち足音大きめに出てきたので、ぼくは、ああ、と思った。
なかなか来てくれなかったのはなぜだと、理由があるにしろないにしろ、意地悪にもなりたくなる。
が、それも面倒なので、聞いた。

「その懐中電灯を取りに行って、入れ替わってきたわけですか?」

「いやー、入れ替わってきたわけじゃないんよ。別に。たまたまっていうかね?」

やけに、けらけら笑う人だった。笑う人は、好きだ。どうも、笑われてしまうとまあいいかと思いそうになる。もう一人のコウカさんだった人が、冷めた目をして、彼女に聞いた。

「あなた《この姿のあの子》が意図的に殺されたって、最初から知っていたのよね? どうして、私が居たのに、その、ずっと、つっこまなかったの?」


「ああいう空気、めんどいし。私苦手なんよねー。それに、別に《死んでない》じゃん?」


どういうこと! と、とうとう顔が真っ白な彼女が、むしろいたたまれなくなってきた。ぼくも少なからず驚く。


ただし、表情は切り離されて全く動かなかったが。何度目かわからない沈黙が訪れかけたが、それを破ったのは、密やかな笑い声だった。

「くすっ」

震えているのかと思ったら、まつりが、笑っていた。黒くて、冷たい笑み。歪みきった笑い。

「……あははは。あはははっ!」


 無邪気で、狂気的な笑い声が、反響する。こいつが待っているものが、少し、予想出来てきたような気がして、ぼくは、なぜか寒気を感じた。

「ごめんね、なんでもないんだ……っふふふ、くははっ。だけどさ、おまえはあそこに行ったはずだよ? 引き返したけれど、また、そこに行ったんだよね」


 まつりが、急に饒舌になり始める。こいつが酒を飲むかは知らないが、まるで酔いが回ったかのような陽気な感じだった。どこか邪悪だけれど。

お前、と言った、小さな女の子に目線を合わせて、にこにこと笑っている。ヒビキちゃんは、カタカタと震えながら、青ざめた。

「なんで、そんな……こと」

「もちろん、ちゃんと、記録は、残していたから、ね。気が付いたのは、最近になるけれど。あのヘアゴムを、室内に逃げた鳥を狙って撃ったのも、ばっちり映っているよ、カメラに」

カメラ?
あったかな、そんなの。
気になったが、今の空気では聞けなかった。それにしても。

「鳥を、どうして」

ぼくが呟いて、他の二人も、本当なのかと様子を伺う。

「た……確かに、もやもやして、もう一度、行った……ごめんなさい。そしたら見覚えがあるような鳥が、ペンダントを付けて飛んでいるのを、あの日、見たんだ。雨があがった頃だったからか、なぜか低めに飛んでいたし、私は、視力が良かったから、はっきりわかった。あれは、あのペンダントは、あの人が、大事にしていたから――だけど、私は飛べないし、焦って、咄嗟に……当たるとか、当たったところでとか、可哀想とかは、焦ってて、その」


「そう。でも、まったく当たらなかったんだね。鳥は、窓の隙間から中に逃げ込んだ。ひとつひとつが、それぞれ別のところに落ちて、なくなる。おまえはそれで、どうした?」

「さ、探そうとして……――そしたら、なにか、すごい物音を聞いた。びっくりして隠れて、見えないように暗い場所にしゃがんでいたら、足音が、遠くなって、居なくなった。
あそこは『部外者は使わない』って感じの建物で、なのに、怪しい感じの人たちが来ていて「逃げる」とか「急げ、やばい」とか言ったから――わ、私のせいで、そいつらが逃げたなんて、知られたらって……! 忘れよう忘れようって……怖かった」


最後の方が、彼女の緊張もあってか、よくわかりづらかったが、それだけ、思い詰めて来たのだろうと思うと、口を出せない。
言えなかった。と、彼女は言った。ぽつりと、青ざめていた顔を、今度は真っ赤にして、それでも泣き出したりしない辺りが、強い子なのだと思った。


「でも顔とかは、見てないんだよな? この場所もさ、人目に付かないように配慮しているから、普通の人からじゃ、そう簡単には聞き出せないんだ。だから調べたんじゃなくて、知っていたんだろうなあってのは、なんとなく思っていたんだけれど、その犯人の様子辺りを探りをいれても、本当になにも知らないようだったからねぇ……。まあ、むしろ、よく無事でいてくれた、ってものだね」

「……ご、ごめんなさい、それに、鳥を、あんな――は、恥ずかしくて――」

一個は庭に、もう一個は廊下に。庭にあったものも、まつりが兄から拾ったのをもらったので、今は家にある。廊下にあったのは、2番目の部屋の引き出しに。

「うん。でも、たぶん、おまえせいじゃないな。ヘアゴムが落ちた程度の音に、気付いたような感じじゃない。もし、そうだったら、おまえを探して引きずり出すまでは帰らないだろうから。あいつら」

「あいつら、とはやけに親しげだな」

「妬いてる?」

あははは、と自分でウケている。楽しそうなやつだ。
「何をだよ。あ、そうだここ、火を付けて大丈夫だったのか?」

「あー、うん。昔ならね、ストーブのための灯油とか置いてたけど……」

「ふうん」

あれ?
なんで、ぼくは、納得したような気分になるんだ。
ここの地下なんて《知らないはず》なのに。




<font size="4">23.外された信頼、優しい夢</font>

 頭のなかで、過去に聞いた会話が巡っていた。なんだかぼんやりする。……って、またか。
意識が、うまく回らない。体が熱い。頭のなかで聞いても、聴覚は働いているそうだと、なにかの授業で、確か、習った気がした。

『つまりね、あの場所は、スキャンダル……つまり醜聞を、徹底的に嫌っているわけだよー。醜いこと、ものを排除したがって――結局最後は自分で崩壊しているけれどさ』

それは例えば、隠したいような、存在で、誘拐じみた排除で、殺人の黙認。

『まあ、でも良く捉えれば、うまく付け込んでも耐えうるくらいの力か、何か対等か不当な立場の差があるとか《火の粉が自分たちに飛ぶような事態》だったなら、あるいは、全力で、なんとかしようとしてくれるかもねって』

 あの辺りでの噂の回りようには、恐ろしいものがあって、優しそうな老人に住所とか名前を聞かれたってその人の本質を見分けられないと、簡単に罠にはまってしまう。ただの世間話だから、と、何も考えずに答えるわけにはいかないらしいのだ。
人を信じる上で、まず信じないことが大事。

なんていいながらぼく自身は、世間話なんてしたことがないから、これは人からの言葉である。
そもそも、ほとんど誰とも、まともに会話をしてもらえたことがないし、必要性もなかったから。

とにかく、だから大抵は、うまく答えるか、答えないことを選ぶんだそうだ。例外として、特別気に入られる、などがある、らしい。これを言っていたのは母さんで、母さん……うん。確か、母さんで。あれ。顔が思い出せない。

『何が言いたいか、わかる?』

わかる。何が言いたいかは、充分わかるよ。だけど。
……なんでそう言いたいか、わからないよ。

だって、それじゃあまるで――――


「……のわぁ!」

何かが肩に触れて、思わず、変な声が出てしまった。今回は、別に、寝ていたわけではない。意識が、ちょっと小旅行をしていただけなのだ。


 廊下に立っていたぼくは、改めて、ここに来てだいぶん時間が経っていると思った。あまり、ぐっすり眠れたような気がしておらず、とにかく眠たい。

しかし何をどうやれば、この話し合いは終わるのだろうか。投げっぱなしというか、あまり目的が見えなくなってくるというのは、案外つらいものだった。
あいつの、彼女らの目的はなんなのだろう?


「……ふは、あははははっ、あははははっ、あはははは!」

 いきなり、電池が切れかけているようにまつりがふらふらとぼくに斜めに寄りかかってきていた。重たい。近くに来て気付いたが、なんだかそいつからは、そこはかとなく、アルコール臭がした。誰だよ、なんか飲ませたの。それともこいつが何か持っていたのか?

 力が抜けた体がぐいぐいぼくを潰しにかかるのを、反対に押しながら、呟く。体が冷たいと思っていたが、今は充分暖かくなっていた。

「……やたら元気だと思ったけど。どこで何を摂取したんだよ」

「うえー? おっかしいなーあ……《痛み》はすぐに慣れてしまってあんまりきかなかったしぃ……いっそ酔いでもいいからとにかく意識のかくあんが実行できれあ! そえだけ……記憶がもつ……はず……って」

 ろれつも回らないまま、ぱたり、と動かなくなったので、なるほどそんなことを考えてたのか、とか、一旦部屋に寝かせてくるべきかな、とか考える。力が抜けた人間は、重たい。


そういえば、わざわざ《普通なら不必要な手間》をかけているのには、そっちの理由もあるのか。
さすが、一度で同時にいろんなことを考えているやつだった。
『人間関係』『人物相関図』なんかに使われるべき情報網が、こいつの場合は『複数の事柄の利害関係』とかになっていても、驚かない。



 ヒビキちゃんが、複雑な表情で、まつりを眺めて呟く。全く動かない。これだと、屍のようだ。

「……こいつは、ずいぶん、私のためにも、無理をしてくれた。すまなかった」
そのわりにこいつ呼ばわりなのだなあと思ったが、案外、他の人を指すための単語、みたいな感じにしか思っていないのではないだろうか。

「……私はお姉ちゃんを、探していた。……それは、本当なんだ。あれから帰って来ていなかった。
だから、『あの手紙』が来たときに、呼ばれた気がした。まるでこいつに会えと、言われているようだったんだ。そして、私は、こいつがどこかにやったのでは、と最初は思った。だけど、それは違ったみたいだな」

手紙か。手紙……どうも、引っ掛かるけれど。

「あれは、つまり、あの屋敷のおばさまを連れてこいっていう、まつりへの指示で――って、まさか、おじさまが、あいつに、この場所に連れて来させたのが、原因?」

「……何のだ?」

言えない。言う気もしなかった。ぼくだって、最初は理解出来なかった。

「……まあ、いい。私は、最初は本当の母に会いたかったんだ。でも食事の途中で『どうやらお姉ちゃんが既に死んでいる』と、言われ、理由を聞いたら、貴様が最初に言ったようなことを言われたよ。それにしても、狂気だ。あいつは、生きる狂気だった……怖かった」

なにやら、既にトラウマを植え付けられていたらしい。彼女はそのときには自殺ということにしておきながら、どうやら他殺されている。けれど、その音声を聞いている際にも、ヒビキちゃんはいなかったし……その間、どうしていたんだろう。
あの場には、兄がいた。
そういえば、彼女と、何か話していた。まつりも、彼に、何か話していた。

なんなのだろう?
ぼくは、何を隠されていて、何を見つけるべきなんだろうか。

 ――ヒビキちゃんの言われたことが、どこまで本当のことを言っていたのかは、わからないが、あのときに最も試されていたのは、実は、ぼくではないのかとも思ってしまったりする。
まあ、もしかしたら、いろいろと兼ねているのかもしれないけれど。

ああ。そういえば、あのとき、手当ての跡も、なんにも見えなかったけど。もしかして、だから余計に騙されたのかな。
『僅か』しか見えていなかったとしても、傷が、服で隠れた部分だとは、まさか思わない。念には念を入れられたのか? そこまで隠す理由なら、単にプライドだろうけど。


 熊かなにか狩ってきたみたいにまつりを支えて廊下を歩きながら、ぼくがぼんやり呟くように語ると、近くを歩いていた彼女は、静かな目をして言った。
「あなたは、信頼、してるのね」

「まさか。まるっきり信じていないだけです」

よくわからない、という顔をされた。それもそうだろう。

「……ぼくの記憶違いがなければ、そのペンダント、お屋敷に居たときは、同じ形のを二人が付けていましたよね」

 彼女の、首に下がるそれを指す。彼女は軽蔑するような視線で言った。見ないでというかのようにペンダントを握りしめる。

「おそろいだったのよ」

それがどうかしたか、という威圧を感じる。


「――傷の位置も、錆びた場所も、色合いも、欠けた部分もすべて一致するのは、ひとつだけでしたが、二人はまるで、ときどき入れ換えるように付けていました」

 彼女の目付きが、呆れたような、『面白い、奇妙なやつがいる』というようなものに変わった。みんな、こんな目をする。この人も、そちら側。だから、あんまり、人に言わないのだ。


「細かい違いまで覚えてるって? わかるわけないじゃない。単なる思い違いじゃないの。それか、ただ間違えて」

「……それは、ないんです。あなたは、どうして『それ』を付けているんですか? ここに居た彼女が、あのとき《最後に持っていたはず》の方のペンダントを」

 まるで、『死者から』奪ったとでも言うように。
断言なんかしてみても、示せるものなんてないのにと、寂しくなったが、あえて強気に出てみた。

 彼女は、ますます混乱したらしい。半ば癇癪のようにして、ぼくを睨み付ける。

「いい加減にして、わけがわからない。あなたは、そもそも、最後に《ここで連れ去られた人》が、どうしてそれを付けてたって言えるわけ」


 ……なんだか申し訳なくなってきた。うまく説明できないと、わかっていることにはならない。だけど、そのスキルはどうやらぼくから欠如していた。


「ああ。すみません、いっつも、説明が足りないみたいなんですよね……。おかしいな、何が足りないのかな。えーっと……そこは、感覚ですね」

「感覚?」 

「あー、いや。えっと……」


 やばい。選んではならない選択肢を選んでしまった気がする。まるで助け船のようにヒビキちゃんがよく通る声を出した。聞きたくない、とでもいうようだった。


「細かいことなんて、あとでいい。今だって、わかっただろう。私を引き取った理由に、この人が思い当たれないということは、少なくとも《当時のこと》を知らないってわけだ」


「当時?」


「彼女の恩師だか、なんというか。彼女の知り合いが、ある難しい病気になったことが発覚していたんだそうだと、今そこに抱えている毛皮が言っていた。私は、その話題に、関与していたらしい」


 確かに、そいつはまるで上着の塊みたいになってはいるが、散々な言われようだ。起きろ。


「……中身もあるぞ。今電池が切れてるけど」


「比喩だ」

「比べてるの?」


突っ込みかたがいまいちわからない。

 沈黙になりかけたが、ピンポン、と間の抜けた音がして、どたどたと複数の足音が駆け上がってきた。音の低さからして、男性のものだった。

「到着遅れました、すみません!」

「失礼します!」

程なくして、どこかの制服(そういう組織にお世話になるような機会は、なかなか無いし、よく知らない)を着た彼らは、あわただしくぼくらのところにやってきて、すばやく彼女のみを拘束した。

「え?」

ヒビキちゃんが驚きの表情をしていた。隣のコウカさんは戸惑いの表情をして、すぐに納得した。《彼女》自身は、やや困惑していた。


「……もしかして、条件、だったん? 榎左記を殺害した人を見つけて、差し出すってことが《解放》の第一条件で、まつりんのやりたかったことのひとつ――」

 ちら、と彼女が、棺桶を見て呟く。言うのを躊躇ったんじゃなくて、自分の口で言わせたかったのか。
あの女の方を殺したの、と。どうせ《今日に限っては確実に》録音か録画されていそうだし。


 突然、ヒビキちゃんが身じろぎした。そして呟く。悲しそうな声だった。

「そう、あのとき。私が聞いたのは、声だけだ……だって――――」

「え、何か、言った?」

思わず聞き返すが、ヒビキちゃんは既に口をかたく閉じていた。

「待って……人違い、人違いよ! 私は、違う!」



 誰も、何も言わなかった。どう言えばいいのかも、わからなかったし、言う必要性も、部外者のぼくにはわからない。


 彼女らは、それぞれ、考えるところがあっただろう。どんどん、引きずられて彼女は見えなくなる。制服の人が、一言二言、まつりに礼を述べていた。隣を見ると、ヒビキちゃんがうつむいて、ひたすら床をにらんでいる。悔しそうに。

「なあ、ヒビキちゃん」

「……なんだ」


 やけに苛立った声が返ってくる。それでも、ぼくは聞かなければならなかった。

「……いつの話だ? さっきの話って」

「さっきってなんだよ! 貴様は空気を読めないのか? 今、くだらない話なんて!」

怒鳴られてしまった。
──ぼくは少し、羨ましいと思った。不謹慎な意味ではなくて、誰かを思って、まっすぐに悲しんだり、怒ったり出来ることが。
その人の為だけに、出来るのが。

「でも、ごめん、大事なことなんだ」


「はあ? 今どう大事なんだよ! バカになんて付き合えない!」

 なんだか怒りを買ってしまったらしく、意地でも答えない感じになってしまった。うーん。難しいなあ。これが年頃ってやつかな。


「……うにゃ」

どうしたものかと考えていたら突然、謎の声がした。そして、ガッ、と毛皮が……違った、ほとんど背負ったみたいなまつりが、背中に膝蹴りを食らわせてきた。

「う……んん? なんだ……」

寝ぼけているんだか、頭を押さえながら、きょとんと考えている。地面にかろうじて倒れなかった体勢のぼくを見て、そこで何してるの? とでも言いたげだ。……しまった、油断していた。

「あ、起きた? 良かった。お前さ、いつのことか知らんが、こいつと何か話したの?」

「んん……何を求められてる? っていうかどこだ、ここ……帰る……ねる」


「それがさ、お前が、来るって言ったから、来たんだよ。ここにいる人も」

「あー。そう……なるほど、うん……いたっ!? なに……なにこれ。いたたたたたた! 身体中痛い!? えっなんで? うう……っていうかなに、誰なのこいつら。何かあったの? だめだ……動けないよー」

パニックだった。一人でわたわたしている。が、ぼくの知る、いつもとは違った。なんと、すぐに、立て直したのだ。

「……あ、あれ。ちょっと、思い出した。そうだった。体に刻んだら、ちょっとは、持つらしいな、なるほど。痛いから、あんまり楽しくないけど……。で、なんだって?」

「ヒビキちゃんが、さっき言ったんだ。『当時は彼女の知り合いの病気が発覚した頃だった』って、お前から聞いたらしい」





「――え?」

 驚いた顔。初めて聞いたように、目を見開いていた。半ば、予想していたが、だとすれば、やっぱりそうだ。まつりは少しして、嬉しそうに口だけで笑う。

「ははっ、そうか。なんだ。理解出来た。やっと。あははっ」

「これで『確実』になったか?」

「ああ、そうだね! 近くはなったよね。なんだ、ある意味自分自身が、死角かー。気が付かなかったな」

上機嫌で、言う。
ヒビキちゃんは、まつりのある意味では残酷な面を、知らなかっただろうし、先ほどのやりとりが、どういうことかも気付いていないかもしれない。抵抗を示すような、難解な顔をしていた。
残ったコウカさんが、もう少し説明して、とぼくに言ったけれど、うまく言えるかわからないので、微妙な口ぶりになる。


「……ぼくは、榎左記さんを知らない。あそこには、出入り禁止になっていたはずだし、彼女に会ったことがなかった。彼女もまた、ぼく自身には、面識がない。まずこれが、最初の前提。そんなぼくを、さらって来ようとする《指示を出していた》でしょうか」


「……え、それは、出さないんじゃない?」


「当時は、彼女の恩人さんの、病気が発覚して、騒ぎだったそうですね。ぼくが軟禁される以前に、あの子は引き取られています」


「……じゃあ、病気を直すのに、必要で、その娘から、標的を変えた? とか」

「……どうでしょうね。そもそも標的の扱いなんでしょうかね。それにしても検査とか、ぼくもここ最近は受けていませんが。

置いておいて、また最初に戻りますが、どうしたら、榎左記さんが『面識がないぼくを軟禁する指示をエイカさんに確実に出せる』かということです。

 それからそうまでして、ぼくである必要はどこにあると思いますか? メイドさんたちでもぼくを全員知っているわけじゃないですよ」


「えーっと『勤めているでかい屋敷の、向かいにある家の息子の、ちっちゃい方』っていうか……えーっと、ちっちゃければ良かったとか?」

ちっちゃいちっちゃい言うな。

「……、まあ、確実に示せる立場、役職、顔や体型、住所氏名など個人情報に頼る方が『人に示すには』確実かもしれないですね。
 それから、ぼくである、または、それに近い特性を持つ必要があるから、そうすることになります。だけど、そこまでしたくせに、ぼくも結局は簡単に逃げ出していますね。

 まさかやる気が無かったとは言わないでしょうが。地下から逃げるって、結構大変なんですよ。難易度は、時によってでしょうが、そんなドラマみたいに行かないです。排気溝があっても、小人さんじゃないですし。入り口もひとつだし。壁なんて壊せません。天井を開ける、ってのも、運動が得意でないので──というかまず、ほぼ石壁でしたし。回りくどくなってすみません、とにかく上にほとんど人がいなかったんですよ」

ちなみにどうして病気の人がいたことを前提にするかっていうのは、彼女は、聞かなかったが、まあ──そこまで意味はない。
意味が無いって意味で、ある、って感じだ。


「……ああ、そうだな。上で騒ぎがあったから、皆、外に出ていたらしい」

まつりがふいに口を挟んだ。
「……誰かが、誘導したって、ことになるけど、まあこれはわりとどーでもいい」


「そうかなあ……えーっと、だからその、ぼくのことを知って、ぼくを連れ去るように言うとしても、そもそも情報提供者が要るんですよ。これは、難しいんですが、えーっと、なんて、いうかな……《情報がある、という情報》自体がないと情報は引き出せないですから。まあ、これも一旦置いておきますが、その一度以来、ぼくが狙われることはありませんでした」

「ただバレたからじゃないの?」

「彼女が……その人の病気のために、動いていたとするなら、ヒビキちゃんか、ぼくにはあるような条件が必要なら、次に取る行動なんて、懲りずに狙うか、次の標的を探すか、諦めるか、その他、って、なりますが、また別の人の個人情報を探す、って《彼女になら》よほど運がないと、簡単に出来ないはずです。手間がかかるなら、もう一度ぼくを狙うことも視野に入れた方が早いです。親もあれですし、チョロい子どもでしたから、難しくないです……あれ? なんの説明してたっけ」

「つまり、彼女がきみを意図して狙うのだとしたら屋敷内に、もともと、一番の協力者がいた、または、彼女に持ちかけて協力を依頼したってことになるよーって話だよ。大丈夫か? 内通者がいるんならその辺りは難しくない。ただし、それなら彼女の目的はそこにはなかっただろう」

なんでそんなに短くまとめられるんだ。

「まあ問題はそこではなくて──」

言いかけたときだった。


<font size="4">24.生き延びる死人</font>

「じゃーん、来てしまいましたー!」

 突然、1番目の部屋のドアが開いて、誰かがこちらに歩いてきた。銀縁の眼鏡をかけた人だった。コウカさんに似ている。服装は、暖かいポンチョみたいなやつだ。わざわざ来るなって言ったのにとまつりがぼやいている。

さっきまでのんびり歩いていたぼくらの、今の目の前の部屋から、手を振っている。

「……うふふふ。あの音声、びっくりしたでしょう? 死んだって思った? カンカンカンカンって音がね、モールス信号をちょっといじった感じの改良版になっててね。『わ・た・し・は・ふ・じ・み』って! 私を見てくれた? ねぇねぇ」

もっと伝える文面はなかったのだろうか?
まつりはなにか嫌そうな顔をしていた。


「──嫌なことを思い出した……もっと早く気付いていればあのとき絶対断っていたのに……あんなつまらないパシり役……」


「何があったか知らないが、仲間関係が垣間見えるな……」

ヒビキちゃんが、珍しく、まつりに同情の目を向けている。真っ暗な目をして気味悪くぶつぶつ言っている。

「あいつも、苦労してるんだよ、たぶん……そっとしておいてやろう、さもなくば命が危険だぞ、っていうか、あれ? 誰だ」

彼女はぱたぱたとほこりを立てそうな勢いで、カーペットを踏みつけてぼくに向かってきた

「エイカねぇさんでーす。元気にしてた? してたよね、夏々都くん、久しぶり! うふふふ、可愛い! 成長したね、背が縮んだ?」 
「そこは伸びたか聞いてください……いや、聞かないでください」

ある意味、泣きたくなってきた。なんだか、納得する。そうだ、そういう人だと、これが本人なのだと、しっくりくるようだった。おかしいな。

「――あ、そうだその前に、まつりんは、やっぱりダメダメですね! もっと早くて良いやり方があるでしょうに」

彼女は突然、いけませんよっ! みたいな感じでダメ出しを始めた。まつりはなんのことかわからず、きょとんとしている。
ぼくにもわからない。

「……なんの話ですか」 
「さっきの、お兄さんの話!」

「ああ。あれは、これでいいんだよー。なるべく、時間はゆっくりかけないといけなくてさ」

「なんの話だよ」

「……んー、そうだね、おじさまとおばさまが、ここに、税金を払いたくないって――まあ、ちょっと、過去にそんなこともあってさ。
何で儲けたのかは知らないけど。──まあとにかくそれについても、同時に調べていたんだけども。あの人は、うまくやるよね……人の隙間に滑り込むのが、うまいって感じ。ちょっと気にくわないことがあったし、その話題でこっちに呼んでみたら、あっさり来てくれたよ。まあ念押しってあんまり役立たなかったけど、確実性は大事だからね。まあ、彼自身にも、他に目的があったらしいんだけど」

「それで……埋めたの?」
「さあね。まあ、身内の話はあんまり――しない方がいい。あんまり、言いたくなかったからな。細かいところは想像に任せるよ。それに、あながちそれにも関わっていないわけじゃないというか……完全にそうじゃないわけじゃないからまあいいかなと」

あれ?  なんだろう。じゃあ、もしかすると。
――また、騙されて、いた?
おかしいな。どこか、納得が行かない。
なんで、わざわざぼくに……
というかあのタイミング?

「……で、誰だったの」

まつりが聞いて、エイカさんがそっちを見る。
なんの話かはぼくにはよくわからないが、これは知らなくてもいい気がする。

「その《彼》」


「あー、だろうねぇ……じゃ、帰る。聞きたいことはだいたい聞けたしね。あと、あんまり出てこないでくれる? どんな格好してようが、わかるから」

「え、寂しくない?」

「黙ってろ」

「むしろ私が寂しい! ……お茶しましょう」
 
二人がコントみたいな会話をしているなかで、ぼくはぽつんと考え込んでいた。さっきから、どうにも、なにかを誤魔化されている感じがあるが、やっぱり思い当たることが出来ない。──ん?  あれ?
『最初に言ったようなこと』って、ぼくはあの子に話したっけ。それに、まつりがあのとき言った『彼女』って、それじゃあ──


「それならやっぱりあの人たちを連れて来たのもそうなるのかな。あー、だったら分かりやすくていいね。《彼女と共通の話題がある》人は、限られるからね」

まつりが話をしているが、あまり頭に入らない。ぼんやりする。

「あ、そうそう。帰って来ていなかったのは、勿論、彼女が逃げていたからだよ。あれから、あそこに入ってもらっていると、こっちとしても手が出せないから、一度、逃げてもらったんだ。なにより直接聞きたいこともあった。あっちはあっちの担当がいるからね」
「……わざと」

「ん?」

「わざと、なのか……」


 ヒビキちゃんの悲しそうな声が聞こえて、少し、はっとする。まつりはなんのことか、わかっていないようで、少し考えてから、そうだねと言った。




「目に見える結末を与えた方が、少しは口が軽くなる。《終わった》と思った方が、話してくれるものだから。ときに、どんな優しい言葉よりね。意味がある無意味ってところかな。ただし、使い方を間違えちゃいけない」

深いのかよくわからないことを言って、まつりは静かに小さな彼女を見ていた。二人の間に、何か他にも、いろんなやりとりがあったのだろうか。ヒビキちゃんは、それを聞いて、静かに、しかし悔しさを込めて言った。

「あのひと……知らないことを、知っていた。だから」

突然、叫び声が上がった。ぼくの背後にいた、コウカさんだった。

「な、なに!?」

気が付けばその腕に、まつりがどこからか出したロープを巻き始めている。逃げる間もなかったようで、彼女はすっかり拘束されてしまっていた。ロープに深い意味はなかったんだろうか?

「──うん。優秀な子だね。そうそう。そういえば、あの死体が誰かについて、あの場で直接的に言ったのは、おまえだけだったなあ。ずっと、あれから変装し続けていたおまえだけだ。──あ、助かったって思ってた? そんなわけないよね」


 きょとんと『わんちゃんお散歩行く?』とでも聞きそうな、純粋な目でまつりは彼女を覗き込む。
怒ったり、笑ったりもせずに。

「……あの死体って、別に、それに、あの場にいたらそう思」


「目線がそっちに動いたのも、おまえだけだった。中身入りだって知ってたよな。──まあ、こんなことしなくっても、お前のしたことは知ってたんだよ」


「な、仲間だろ! だから、見逃してくれたんじゃ」

 ああ、とまつりは言葉を切った。それから、子どもを諭すような優しい笑顔で言う。

「そういうのって──大っ嫌い」

     □

「……あなたちって、本当にいちいち言葉が足りてないのね」

 このうすら寒い夜に、わざわざバルコニーでお茶を飲むのは何でだろう、と思ったが、いつの間にかお茶会になっていた。


果たして女性は寒さに強いのだろうか。


  彼女は、どこか裏っかわの方の部屋に居たらしいが、誰も来なかったようで、つまらないので途中から大きい部屋を使おうと思ったが、やはり誰も来なかったらしかった。


 本来の母、という彼女と再会したはずらしいヒビキちゃんだが、どこか嬉しそうではあった。

とはいえ、いきなりは話すことが浮かばないのかお茶を飲みながら、黙って彼女を見守っている。

「必要ないんですよ。ある程度があれば」

「あら、でも、それだと誤解されまくりじゃない? 周りから」

「あなたみたいな人がわかってくれるならまあ、いいんです」

きゃっうまいのねーとか言っているが、別にぼくは、そんなつもりではなかった。複雑な表情になってしまう。

「あーあー、誰かさんのせいで、最悪……いたたたっ……死んだことにすりゃあ、わざわざ会わずに済んだのに、いたたた……」

まつりの記憶が持ち続けるというのは、ぼくには奇跡みたいで、だけど、苦しむ顔を見るのもあまり楽しいものではなかった。

「結構ざっくりいってんだな」

「痛みは、生命の危機だからね……細かいこと、考えにくく、なるし……長年の推測の成果、だな。根本的に解決してないけど。と言っても、概要と、一部のことは、抜けている」

「あの……結局……どういうことで、どうして生きてらっしゃるんですか?」

ヒビキちゃんが聞いた。
エイカさんが、クッキーを紅茶に浸しながら答える。ここだけ切り取ると、優雅な絵だった。

「まつりんは、そもそもあなたを私に会わせたくなかったのよ。それに──榎左記さんを殺害した彼女は、私が死んだことを知っていて、犯行したらしいの。だからね、ややこしくなるから引っ込めって。彼女もいなくなったし、出てきたの」

「全っ然答えてないぞ?」

「黙りなさい。私が生きてた理由? それは簡単。死んだことにしなさいーって言われて、ここに住んでたの。まつりんが『お金のことで、バラされたくないことがあるはずだ』って脅して借りきってね。でもそろそろ限界でねー。更なる脅しが……」

「それだと、今までどうしてたかしか説明してないぞ。あと脅しとか人聞き悪いこと言うな。ちょっと、その──、優しい人だから、お願いしただけだよ」

「あなたって人のことなら理解出来るのね……」



 まるい木のテーブルに置かれた紅茶は、セイロンの……なんかよく知らないやつだった。少し、独特の苦みがある。熱かったので、湯気をぼんやり顔に当てて冷ましていると、怪我人(なのかもわからないが)のくせになぜかハイなまつりが違う話題を提供した。切り替えが突然だ。

「あっ、にしてもあの演技には、笑えたな……なにより、あの将来の夢は素敵だったぞ」

「うるさいなあ」

ふふふふと、ヒビキちゃんも笑いを堪え切れないでいる。エイカさんはテープあるよね、録音ばっちし!? とか言っている。
……つらい。

「兄にさ、言われたんだよ『ぼくがいると都合が悪かったんじゃないか』って。それで最初はそうなのかーって思ったんだけどさ……ぼくがいると都合が悪かったんだとしたら、どうして《ぼくのときは》殺さなかったんだ? ってこととか……だって、難しくなかっただろ。うーん。うまくは言えないけど、それは、ぼくと関わりがあるからか、またはそうするとまずいから……あれ、なんか違うな、ぼくは本当にそう考えたんだっけ? えーっと、とりあえず、あれは、なんか直感的に嘘っぽいと思って、でもあの場はあいつに合わせるしかないかなと……」

もっと違う要素があったはずなのだ。それに所持品の確認なんて、一度もされていないし、ぼくはあれをもらって帰っていない。見張っていたくらいなら、わかるんじゃないだろうか。
昔のことなので、ぼくも、一瞬は、もらって帰ったかなと考えたけど。
っていうか、あいつはなんで突然ぼくを突き落とした?

『――残念だけど《これ》をしたのは、私でも、もう一人のコウカでもない。それは、それだけは、わかって欲しい』

そもそも彼女は先走っていた。ぼくが考えていたのは、別のことであって、彼女の思っていたことではなかったのにな。それ以前に、既に彼女の中ではボロが出ていた、と考えることになるけど。きっとあいつが片付けたっぽいし。
そんで余計に彼女に信頼されてたんだろうに。
それでもまだ残っているかも、とは思ってしまうくらいには、不安があったのかもしれない。

 まあ、突然自分たちの名前を出すなんてのに、引っ掛からないわけじゃないんだけど────

「これなかなか面白いから、また今度焼き増ししておくよー」

わー、やったー、とエイカさんが喜んでいる。
っていうか、誰も聞いちゃいねぇ。あとどっから監視出来るんだ? いつからそんなシステムが。

「なあ……ぼくをいたぶって楽しい?」

「楽しい!」


いい笑顔だった。
ああそいつはなにより、と受け流して、ぼくは再びぼんやりすることに決めた。関わるだけ無駄だ。結局兄は何をお土産にしたんだ? まつりは、あいつに何を言ってたんだ?
いろいろ、わからない。
エイカさんが誰に向かってなのか、話を再開する。フリーダムな人たちだ。

「──でね、犯人を探す気なんてなかったまつりんは、最初っから『どちらでもいいから、酷くいじれば』なんかそれとなくわかるーって考えたのね。悪趣味だから」

「……悪趣味で悪かったな」

「それに、私が死んだんだーって諦めてもらうには、なんかそれっぽくする必要があるのね。それとついでに、悪ノリした。ああ、そもそもね、私が、どちらか榎左記里美本人を、殺害してるかもーって最初に言っていたのよ。最近、ここで、白骨みたいなのが見つかって、ね」

「──えっ、そう、なの?」

 知らなかったようだ。そして自力で解いていたらしい。いらないことさせやがってと言いたげな目をしている。


「……あ、そういえば工事の人には、言うのを待ってもらってるーってのも、なんか聞いてたな最近。しかもおじさまが、なんだか焦ってるんだっけ。あれ、これは違う話か」


「さあね?」


「……、こほん。だって私、そのときはもう、ここに《生きる死人》として住んでたし。《あの場所》にいると、なにかと面倒だからね。ちょくちょく部屋は変えていたけど」

そこで切って、ヒビキちゃんを見つめる。彼女はどこか不思議そうに、体を背けた。

「まあ、確かに最後に娘を、思い出したと思うわ。違う意味では。……って、あなたまさか本当になにも覚えてないの?」

それはつまり、情報を盗んだ、と言われた二人のうち、片方の彼女だ。彼女は《あの人》の方を既に殺害している。それは、もちろん榎左記さんではなく、《あの人》だ。

「──ねぇ、あなた私に関すること、忘れ過ぎてない? どうしてつまずくところが、そこなの!?誰も、つっこまないのはなんでだったの?」

「え──ああ、えっと……その、なんででしょう? なんか……小さい子に泣かれてると……」

「あ……だとしたらあの軽い報告書が、書き間違ってるかも。結構、覚えてないし、あんたのこと」

急に、エイカさんの表情が、険しく変わった。

「……え? なんで、今持ってる? それ」

「いや、頭に入れてるー」
  内容を聞いて、ますます彼女は深刻な表情に変わっていた。


「そう。だとしたら……変わってるわね、一部。順番も、ちょっと、違う」


まつりも、複雑な表情で考え込んでしまった。心当たりを検索しているんだろうか。

「……そうじゃないかと勝手に進めておいたけど。やっぱりそうか。おそらく、あれが足りないし、2と……3の手前にも、あれが入る、のかなあ……」


気付いたことがあったので、空気を破ってしまうと思うが、さりげなく質問してみる。

「……あのペンダント、やっぱり、部屋に置きっぱなしにしてたんですか? なにか重要なヒントかと思っていました。だってあれの傷が一致するのを付けてたのは、《死んだはずの》あなたですし……」

そういえば、悪趣味なら、この人も負けていないと思う。大したことじゃない、と思っているのだろうか。いや、別に今さらどう言われたって、どうしようもないけれど。もし、あの話自体が嘘だったなら、だいぶんぼくも、なんというか──複雑だ。
他人行儀な態度でも、ちょっとは許してほしい。
彼女はもっと打ち解けて欲しそうだが、距離を感じる。

「──ああ、そうね。落としてたのかしら。あれ、あなたたちの話からすると、あのとき、あの子が知らせるはずだったんじゃない? 私が生きてるって。
でも、それも叶わず、鳥が室内廊下に落としたのかしらねぇ。あのまま、拾ってどこかの部屋に置いたと思ってたけど。今度はまた、中に入った誰かが間違えて付けちゃったのかな? っていうか、ん? どうしてあのペンダントのことがわかるの? 気持ち悪い!」

……なれてるけど、さ。傷付くなあ。やっぱり。
それにしても、生きていると知らせることが出来ていたら、変わったんだろうか。彼女たちの何かが。


「──あれ、だとしたら、最後の、あっちのコウカさんは──誰を?」

ヒビキちゃんが話を変えてくれて、助かった。
まつりが、ぼんやり考え込んだまま、呟いた。

「名前は、言えないけど、恩人、かな」

ぼくは思っていた。鳥って結局何者なんだ、と。

「……で、本当はどうしてわかったんだ?」

「え?」

またしても話が変わった。ぼくはなんのことかと首を傾げる。ごき、と嫌な音がした。こっているらしい。なんとなく恥ずかしくて、後ろに手を添える。

「あんな状況だけなら、別になんとも言えないだろ。榎左記里美だと断言するなら、わりと、はっきりした物が必要じゃないか」

「えーっと。言ったらさすがにドン引かれるレベルのことなんだよ。まじでこいつ何、って言われて傷付いたことあるのに、今さら、わかってたって言えるわけがない。普通の人なら、見ないことだからね……そういうのは証明には使えないだろ?」

「あ。まさか、部屋に行ったときに、タンスを開けて……」
「……あ? ああそうだ引き出しは開けたかもな」

ひい、とヒビキちゃんが逃げている。まつりは楽しそうに、クッキーを一口で食べた。……ちゃんと噛みなさい。じゃなくて。

「うーん、そうだな。《変わっても変わらないもの》ってあるだろ?」

苦し紛れで、ぼくは言った。カップの紅茶を飲み干す。辺りはだんだん冷えてきた。

「……だから、一緒に生活したことがあるか、または、その子のプライベートについて知ってるんだな、ってあの人にだけは、思っていたんだけどね。ああ、ヒビキちゃんはなんでわかったの?」

目をそらされた。
答えたくはないようだった。ふいに、思い付いたことが気になったので、まつりに確認してみる。

「で、本当はあの紙ってのも、別の意味で――――」

『あなたが逃げたことで、私が連れさっていたことがあなたからバレて、私たちの関係も、あの作戦も、そのうち公になってしまうと思ったから』

意味をくんでくれたのか違うのか、思わせ振りに目を閉じると、まつりは笑った。

「……さあね?」



















<font size="5">25.真っ白な本当</font>

 薬のにおいがする。
白い部屋。
思考を麻痺させるような、清潔な空間。
スライドのドアをゆっくり開けて、その重みをなんとなく感じながら、ぼくは、その奥の、白くて柔らかな布団を見つめる。そこには、あいつが眠っていた。

それはまったく動かない。手や足もほとんど揺れない。規則正しい寝息だけは聞こえるので、生きていると安心出来るけれど。

――あれから、まつりは眠ってしまった。とても唐突だった。考え込んでいるのかと最初は思ったが、さすがに動かなかったし、体温が下がって来たので、慌てて病院に行ったのだ。

まだ覚めないのだな、そうだね、と、だけ交わして、ヒビキちゃんと二人で、ただ、まつりが起きるのを待っていた。
ふいに、思い出したようにヒビキちゃんが口を開く。

「――そうそう、こいつが、お前が眠っているときに、言っていた」

「なんだって?」


「『どうしてここに死人がいるとわかったのか』だったか『《二人》居なくなっている、ってどこかで話したっけ?』みたいなことだ。自分が知らないことをよく覚えているから、前に話したっけと、そういう気がしたけど、って」

「ああ、うん、そうなんだよ……」

あれ。なぜだ。
なぜぼくは、確信みたいなものがあった?
情報があるという情報。
なにか音声らしいものがぼんやり頭に流れてくるが、どうしてそんな感覚になっているか、よくわからない。
『実験』血濡れの、少女。地下室。それから、それから……
『二人で』『部屋』
『期待している』『記憶』ぼくの記憶────
やめて。……いやだ。

「それにしても私はびっくりしたな。いつも来ていたお姉ちゃんが、突然二人になっていたんだ。私を騙していたんだなと、本人は死んでいるというし、混乱した。それから……あれにもびっくりした。そいつが、どこやらに片付けていたが」

「あれって?」


眠っているまつりの腕が、ゆっくり力なく下がってきた。文字が書いてある。
『骨』

──骨? 

なんだこいつ、皮膚に骨って書くなんて、変わってるなあ。

「で、私は思ったんだが──前に二人で来たことがある、には続きがあったんじゃないか?」

ヒビキちゃんは言った。
なにか、それこそ確信めいた瞳で、ぼくに問う。
見ぬふりをしたことがあるんだろう、と。

「……これがデジャヴ……ああ懐かしい」

「茶化すな」

にらまれた。
──とはいえ、ぼくは何度思い出しても、何事もなかったとしか、言えない。
だって、何事もなかったのだ。

「……じゃあ聞くが、何を食べた?」

ロッカーの隣、隅っこにある丸イスに座りながら、彼女はぼくに問う。まっすぐな目で。

「何を食べて、何をした? それは何時だった、いつ眠った? どんな会話をした?」

えーっとと、記憶をかき回す。何を食べた……何を?あれ。眠ったのは22時くらい……いや、最後に時計をみたのがそうか?
食べた、と思うが、何を?

「あれ。眠って、ない……」

そうだ、震えながら、明日が来ることを願うようにして、ぼくは、ずっと布団をかぶっていた。あの日。

『怖くない、怖くない……』
一人の部屋で、ずっと呟いたりして。

「──って、いやいや、そんな昔のこと、覚えてるわけないじゃないか!」


「こいつは、知っているはずだと言っていたぞ。目撃者を、探しているやつが、いるって」
  
あの日、二人で訪ねた日の順番を考えると……ぼくが軟禁されて、逃げて、それから少しして、コウカさんがさらわれて、エイカさんの件があるその辺りの日時になるはず。
……その日に、なにか、あった?

頭のなかで、うまく繋がらない。そもそも、どうしてぼくらは、ここに来たんだ。それにエイカさんがあそこに、その時期に住んでいて、彼らに出会うような場所にいたなら、それを見ていなかったのか。もしかしたら、その中の数人か、彼らにしか会っていない?
いや、だったらなんで、彼女がやったとわかるんだ?

……なんだか考えれば、考えるほど、空回りしていく気がする。

 いっつも、そうなのだ。ぼくには、何も見えていない。



『それは違う』

 とりあえず切り替えようと病室を出て、目を閉じると、声が聞こえた。思わず、左右に振り返って、通行人に変な顔をされる。
誤魔化すように笑ってみたが、誰も気に止めなかった。
その言葉には続きがある。何度も聞いた。

『ひとつのことがいちいち見えすぎて、埋もれちゃうんだよ。どれが大切か、わからなくなる。全部を疑問にする必要なんてない。もっと、力を抜けばいいのに』

誰かの言葉。それは、労りも優しさも感じない、むしろ、疑問でならないと言った口調。
……ああ、うるさいな。もう。
嬉しいような、苛つくような、複雑な、けれども懐かしい気分だ。

 手すりつきの壁に寄りかかりそうになり、慌てて退くと、車椅子とすれ違った。あまり広くない廊下なので、スペースを作るためにやっぱり壁に押されてきて、ちょっと申し訳ないような気分になる。

「……どうかしたのか?」
ヒビキちゃんが不思議そうに、廊下に出てきた。
なんでもない、と言ってから、電話を貸してくれないかと聞いたら、いやだと言われた。うーん。

「ろっくを解除するとバレるだろう」

お、おう。
じゃあ見ないからーとか、そういう攻防をしたって、時間の無駄だろうと判断する。多分そういう問題ではないのだから。そこに関しては、似たような性質があったやつを知っている。

だいたいぼくが携帯していないのが悪いのだし、ずるずる引き下がるのは格好が悪いだけである。ええと、電話、あったかな……

「あ、そういえば公衆電話、1階ロビーだったな。良かった。入る前に辺りを見といて」



なんだかんだで、1階ロビーまで降りてきて、電話をかけようとしたが、携帯電話じゃないのだ、と思い、手を止める。

「やっぱり、どうかしたのか? 番号を忘れたか」

「あの。ペンとか、ない?」

「おやつのチョコペンがあるが、筆記用具ならないな。どうかしたのか? メモなんて必要なのか?」

「おやつは取っといてくれ」

 昔から音声で覚えた数字を、思い浮かべながらボタンを押せないのだった。出来なくはないが、えらく時間をかけてしまう。人がいる手前、それは困るだろう。《見ながら》押すなら、まだマシだ。

 ついでにいえば学校で、お前は電子機器も使えないのか! と怒られて、なんだか居残りしていたことがある。史上初だとか散々言われた。
 詳しい理由は、ぼくだってどうもわからないが。
 
 ちなみに携帯電話なら名前や履歴で適当にかけられたのだ。しかしずいぶん前に、逆に開いてへし折ったばかりだ。矢印でも書いておくべきかな。

深い理由は聞かずに、ヒビキちゃんがわかったと答えて、入り口近くの駐車場まで二人で歩いた。


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洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

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