丸いサイコロ

たくひあい

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丸いサイコロ7

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 何やら起動に時間がかかっているみたいなので、ぼくは空いた時間で、彼女の読んだ手紙の文面を思い出すことにした。あれはつまり、姉なる人物が、失踪しているということではないだろうか。
まつりは、エイカさんに会おうとしていた、と言った。しかし《姉》で、ヒビキちゃんの母親が、エイカさんだとすれば、会えるのか。
見つけるのは誰だ? 脅すのは誰だ?まつりは、なんと言った。──彼女《たち》の、秘密を知った?


『――あの子、本当に信じているのね!』

ふいに、はっきりした音声で、ファイルの再生が始まった。びっくりして、背後を見ると、まつりが、やはり無表情で、音量を調整していた。
「これって――」
「あの女だ。榎左記 里美」
「エノサキ?」
しっ、と言われて黙ると、女がザザザ、という波音に紛れた声で笑いだしたのが聞こえた。
『佳ノ宮家を敵にまわしたなんて知られたら、彼も別れたがるだろうし、私が、このことを本家に伝えれば、ぜーんぶ、あいつら、おしまいなのに。動機も充分! アハハハハ!』
「昔から、要注意人物だった。何があったかは、まあ――ここでは言わないが、親戚では、ある。あの家を、一番恨んでいたかもしれない」
『──あ、あんた、居たの?』
『い、いえ、あの、さっき、来たところです』
『ふうん……それよりさ、先週の』
 そこまでで、再生が終了した。
タイトルを覗くと、0001となっていて、まだ数個ファイルがあった。
「っていうかなんで、そんなデータが──そもそも、あのサイコロって」
「言ってなかったか」
他人に、無理に優しくするような、ぎこちない笑みを返された。
今さら、悲しくならなかった──というのは嘘になる。

「きみが小学生の頃──あのでかい屋敷の廊下で、まつりが拾ったものだ。あそこにいた誰かが、これで、情報を盗んでいた」

まつりは、平然と、そう告げた。そういやあの頃から、今に至るまで誰にも、中身は公表しなかったな、と付け加えて。それを聞いたとたんに、なんだか、喉元が熱くて熱くて、痛くなった。
聞きたくない、と思ってしまう。

「……わかった、わかった。もういい、昔のことなんて、思い出さないでくれ」
急に、口走った台詞に、自分も驚いた。まつりは、さらに不思議な顔をした。
体の温度が一気に下がったような気がした。
「なんだ、急に、どうしたよ、行七夏々都」
「べ、別に、その、なんとなく……」
「──へぇ、良くできた機械だね」
兄は、そう言って、マイペースに、コンピューターに繋がりっぱなしのサイコロを摘まむように持った。
今さらだが、廊下にコンセントがあって、廊下の真ん中で、機器を繋いで三人座り込んでいる形だ。少し、足が冷える。
「確か、これの製造は、結構前に終了してたってはずだけど。俺、結構そういうの買ってたからさ。実物、初めてみたな」
「販売終了より前に、持っていたんだよ。これを、今まで彼女が公表しなかったのは────まつりが、持っていたからだ」















 そのとき、誰が再生を押したのか、それとも、自然に流れたのか、突然、0002が開いた。

『聞こえますか──今日は──月……日、現在、16時くらいだと思います』

女の声だった。
ぽつ、ぽつ、と何かのノイズが挟まって、少し間が空いて、また話が聞こえだした。

『──告白することがあります。私、は────以前、彼、夏々都くんを、軟禁しました。榎左記さんに、唆されて、それに甘えました。────確かに、彼に、可哀想なところはありました。でも、本当は、私が、あんなことしたって、ダメだって、頭ではわかってたんです。
私──弱いから、彼女の、私も彼も、同時に救うことができるという言葉を、勝手な感情で信じて、盲目的で、愚かな行為をしました』

『……私は、今、どこかのおそらく、地下に捕まっています────眠らされて、気が付いたら、ここにいました。息が、詰まりそう。暗くて、静かで、怖い───もうすぐ、近くで工事が始まるのか、なにかの音がうるさいです────』
『昨日、遺書を、書かされました……私は、これから、自殺になるそうです。ある意味では、自業自得なのかもしれませんね』

奥で、カンカンと何か打ち付ける音が入っている。
ぼくは、体が指先から、すっと冷えていくのを感じた。頭が、ツンとして、痛い。心臓が早鐘を打つ。
足音が聞こえ始めると、しばらく、無音が続いて、最後に、違う誰かの声が、小さく入っていた。

『おい、本当に、ここに埋まってんのかよ……』

『……しっ、まだ、埋めてないわよ!』

ぼくのせいだ。ぼくのせいだ。ぼくのせいだ。ぼくのせいだ。
頭の中が、混乱して、怖くて、怖くて、冷たくて、痛くて、わからない。どうしていいかわからない。
ポケットの中の手紙を思い出す。本心らしくない、冷たい文面を思い出す。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
怖い!
何があっても受け入れようと決心したはずなのに、それは想像より重く、きつく、ぼくを縛り上げる。

まつりが、そばに寄り添うように、ぼくに話しかける。

「……変更したんだよ。これを聴いたときは、やっぱり、こんな風に、きみが傷付くと、思っていたから」

首を振る。
どんなに怖くても、痛くても、自分を責めることになっても、これは、隠してはならないことなのだと、思う。


「どうりで、あの手紙、おかしかったんだよ、なんか──」

声が、震える。泣きそうだった。まつりは、ぼくの左頬を引っ張った。励ましてくれているのだろうか?
痛いよ。

「それで、これに、最後の方入っていた音声についてなんだけど」

まつりは、笑わない。
冷たい目をして、兄を見ている。

「最後の……入っていたのは、あなたの声だ。そうだろう?」

兄は、一瞬だけ、動揺したような気がした。しかしなぜこれに、彼女の撮っていた記録に、兄の声が?

どうして、まつりはそう思うのだろうか。ぼくは、先ほど聞いた音声の最後の方を思い出そうとしてみる。『本当に、ここに埋まってんのかよ』『まだ、埋めてないわよ』
頭の中には、何度やっても文章しか浮かばない。
《本物》が《そこ》に居ないからだ。

兄の動揺したような態度から、何かがある気もしなくはないが―─しかし、それはほんの一瞬だけだった。
「ははっ……ははは、あは、アハハハハ! それだけなら、それだけならな、いくらでも、誤魔化せるんだ」

さすがに切り替えが速い。彼がこういうときに立ち回りが上手いのは、昔からだ。どんなときでも自分が助かるために、状況を把握して、うまく知恵を絞れる。
まつりは黙った。俯いて、髪に隠れた表情は、わからない。 少しだけ、肩が揺れた。髪の隙間から、耳と、口が見え隠れする。
そして──そこで、気付いた。


(あれ。こいつ、もしかして笑ってる……?)


「ふふ、そう、だね。これだけなら、ね……。ああ、もういいや。変更だ。もうちょっと、面白くなってから、改めて話すことにしたよ!」


「……はったりなんだろ、どうせ」

「さあねぇ。どっちだとしても、こちらに困ることはないんだ、お兄さん。成功と失敗、最初にどちらも想定して準備しておけば、どちらにしても予定通りってわけ」

「たいした預言者だな」

「ありがとう、あはははっあはははっはははっ!」

まつりは、壊れている。
いつもより、もっと、歪んでいる。そうしたのは、そうさせたのは、やっぱり、ぼくなのだろうか────にた、とまつりは笑った。ぼくは、嫌な寒気がした。兄に距離を詰めていくまつりは、全く、こちらを見なかった。いや、何も見ていないようだった。

「言うことはそれだけ? 俺は、もう帰るけど」


「……ははっ……ねぇ、お兄さん。お兄さんお兄さん。まつりは、あなたが、行七夏々都に、加えていた制裁も知っているし、その理由も知っているし、あなたが、義理のお兄さんってことも、知っているんだよ。あなたより価値が出来るのは、そりゃあ、本物だから、仕方がないよねぇ……」

会話が、頭に入らない。体が、拒絶している。
なにを、いっているか、わからない。知らない言語のように感じる。
ぼくは、知らない空間に取り残されたのだろうか。


「おいおい、なんの話だよ、いきなり」


「……ふふ、ふふふっ、実は、もともとね、最近、身内がここの工事の取り決めをしていたようなんだけどさ、突然、上から止めが入ってさあ。なんでかなって思っていたけど……お兄さんは最近、常にこの家を見張っているようじゃないか」


「証拠も……ないのに、たいした狂言者だな。呆れるよ。お前は、バカなのか」

「わざわざ作ってやった隙に、のこのこと現れて、あっさりと気絶させられたようなうっかりさんに、言われると、実に恥ずかしい気持ちだね、ふふ……」


二人は、なんの話をしている?
二人が、どうして、ここにいる。ぼくは、ぼくは、どうして、何があった。
だいたい、ぼくはただ、久しぶりに外食をしたってだけで────あれ?

「……あの子を、連れて帰る約束自体は、本当にあったんだがなあ」

「あー、そうだろうとも。でも、まあ、仕事が減って良かったですねーお兄さん」

「減ったのは手柄だ。誰かが邪魔したからな」



「待てよ、この人は、ここに泊っていたんだろ? だから、その……」

「スーツについてか? ただ単に、俺が着替えたんだよ」

なんのために。
それを、聞くことが、許されないような気がして、ぼくは聞けなかった。
──汚れたから、着替える。
誰が言ったわけでもなく、なんとなく、そう思っているぼくがいた。でも、深く考える気はない。

というか、まず彼はどうして、ここに来ていたのだろう。どうして、隠れていたはずなのに、今になって出てきて、目的なんて明かしているんだ?
なにがしたいんだよ。
どれが、本物なんだよ。
そうだよ、ぼくには、わからない。個人の、他人のことなんて。周りがぼくの行動原理がわからないように、ぼくも──彼らのことを──全く見ようとしていなかった。
残酷な現実、差異を見るのが、悲しい。悔しい。苦しい。だから、見なかった。
 あえて皮肉みたいに言うなら、互いに『わかりあうことはない』ということを、わかりあえていたのかもしれない。

 それより、と声がかかる。なにかが、わかったような、そんなことを、まつりは言った。


「──もう少し、捉えるべき情報は、絞っていいんじゃないかな。関係ないものまでごちゃごちゃしてたらそのまんまの道筋が、見えなくなるだろう。寄り道も、悪くはないけど」

今になって──今になって?
様子を見ていたようなことを言う。いや、そういえば、最初の辺りから、まつりは言っていたっけ。
ぼんやり、思っていたら、まつりは言った。
呆れるような、憐れむような、優しい目をしていた。

「誰のせいにもしない、誰も疑いたくない。さっきから、きみの視点があっちこっちに広がるのは、そういうことだろうって思うんだ。現実を把握したくないんだって。『自分のせいにしなくて良いこと』は拾って、自分を追い込むのにさ」

「なにを、言ってるんだよ? 誰かが悪いって、いつ、そんな話に」

「犯人がわかったところで、その犯人の気持ちもわかってしまう気がして、誰も責められない、そういう奴なんだろうね」

「ち……違う、わからないから、わからないから……知りたいと、思ってしまうんだ。誰にも知ろうとされなかった、突き放された頃のぼくを、重ねてしまうから──」

勝手に、守ろうとしてしまう。
怖くて、痛くて、悲しくて、どうしようもなかった頃を、思い出してしまう。


スプーンが飛んできた。
特に、意味があったわけじゃないんだろう。ただ、遮りたいという衝動だったんだろう。
ゆっくり視界に捉えて、柄の部分をしっかりと手のひらの真ん中に包んだ。
ある程度の余裕をもって、それを行えた。大丈夫、ぼくは、落ち着いている。


「なるほど、優しい、って、わりと、そういうものってこともあるかもね。重ねてしまうものや、わかってしまうことがあるから、守ろうとしてしまう──だと、しても……さ。それ、じゃ」

なにかが、床を打ち付ける音がした。なにかが、なんなのか、一瞬、判断出来なかった。
目線の先、視界に、さっきまで話していた人の姿がないことに、数秒かけて、ぼくは気付いた。さっきから気配がしていないと思ったが、いつの間にか兄は帰っている。

 やられた。と思った。《過剰な出血》が《嘘》だとしても、それを嘘にすることで、傷自体を誤魔化されてしまっていたらしい。

安心してしまって、全く、気付くことが出来なかった。まつりは、ずっと痛みに耐えていたのだろうか。しかしそこまでして、ここに留まり、稼ぎたい時間が、あった、ということ────?

 なにか、見逃している気がするのに。なにか、なにかを──気付けていない。

「……起きてる?」

足元に倒れた人物に、声をかけてみたが反応がない。顔が、青白い。無理なんて、しないでくれと一方的に思ってしまうのは、そうまでしたかった、という根性を、貶してしまうことになるのだろうか? それでも──無理なんてしないで欲しかったのに。


「……どうしよう」

誰か呼んでくるべきか、と考えながら、もう一方で、回想を進め、同時に考える。
慌てる、悲しむ、という回路は、とっくの昔に、滅茶苦茶になっていて、こういうときも心の底から動揺出来ない自分は、冷酷なのだろうかと考える。考えても、どうにもならない。


「そうだ携帯――は、携帯してなかったな、そういえば」

――携帯。
脱走。
彼女は、脱走を知らない?彼女は――過程を知るだけで真相を、知らない?

「すごい音がしたけど、大丈夫!?」

白いワンピースのコウカさんが、慌てたように、中に入って来た。
そのとき、あれ、と思った。
 なにか、引っ掛かる。
彼女が、最初にも、こんな風に出てきたときの、違和感。

「大丈夫、かわかりません。通報、してもらえませんか、電話、持ってなくて」
「わかりました」

彼女がどこかに駆け出して行く。どこだろうと、壁で見えなくなるギリギリまで目で追うと、使うのは鍵室にある電話のようだった。しばらくして、彼女は戻ってきた。

「『これ』は繋がっていない」

と言って。




<font size="4">20.いづれ実行出来るなら、真実と同じ</font>


 ぼくは優しいを超えて、病的なのだろう。でも、そうせずにいられない。覚えている限りのことは、出来る限りのすべて、寝覚めを悪くする結果にしたくなかった。狂っていたって、これ以上、狂いたくない。
明確に思い出せるなら、根本を変えるしかない。覚えることがあるほど、その中で、まだ変えられそうな余地がある記憶を、あら探ししてしまう。


 過去を引っ掻き回したって、何もかもが、既に変わっているのに。後悔以外はそこにないのに。




 現在、昼間送ってもらってきたのと同じ車の中で、ぼくはぼんやりと、片方のコウカさんと話をしていた。密室。甘いにおい。目が回る。



「……姉さんが、あれから帰って来なくて、だから私は、あなたに聞いたの。別荘はどこってね」


「……ここ、だと、ぼくは、思っていました。その日は、あなたも、あなたを……コウカさんだとも、思っていましたよ。ぼくは、人が変わっても、そのときに、そこにいて、なおかつそっくりだったら、見分けが、つかない。似た人が、屋敷内にいるからこそ、あの日に、コウカさんが監禁されたとも思わなかった」

 細かい違いなら近付けば、分かるかもしれないが、ほとんど知らない女の人にそんなに距離を詰めることなど、ぼくはできない。

只今、彼女が近くの病院に、電話(部屋のやつだ)をし、すぐに来た救急車を見送って、病院で少し説明など(事件性がある話にすると、この場合ややこしいのだと、彼女が無理矢理のような事故話をでっちあげていた)
が終わってから、帰りの車内で、彼女と話をしているところだ。

「私も……あなただけじゃなく、誰にも気付かれなかった。本当に、そっくりだったもの。嘘でしょ、ってくらい、気付かれなかったわ。あの家の方だって、特にどっちがどっちか、わかっていなかったしね。居なくなっても、代わりは居たし。小さな女の子――あの子も、エイカの異変なんて、気付いていなかった。だから――――途中からは、私が、姉に代わった」

「ヒビキちゃん、は──じゃあ、あなたを」

あなた。自分で言ってから、ひどく胸が痛んだ。

『──あなたは、誰』

 病室の映像と、そこにいる人物の言葉が浮かんだ。振り払うように、あわてて口を開いて、続きを言おうと、した。
『……いろいろ、あったからね』

『お前は、そのとき、どうしてたんだ? どうして、そんなことを、知ってる?』
『お茶を、飲んでいたかな。外が、急に騒がしくなって、みんなが上に行ったから、代わりに、地下の書庫に行こうとしていた』


ふいに、そんな会話を思い出す。なんで、このタイミングで。
──ん?
外が、急に騒がしくなった?

ぼくは、誰にも見られずに、半分くらいは自分の意思で、付いていったし、中の人にバレた様子も、その時点ではなかったはずだ。
なにに騒がしくなっていた?
っていうか、ぼくの思っていた『そのとき』と、あいつの思っていた『そのとき』がずれていないか。

「コウカさん」

「なんですか?」

「……もしかしたら、その」

「いいえ、違う。その夕方にね、あなたが居なくなったから、って、あなたの母様が、お屋敷に来たのよ。それで、一騒ぎあったみたい。門限を過ぎているにしても、あまりに遅いって。地下に行こうとしていたまつりさんは──でも、そこで、気付いたんじゃないかな。そこにいるあなたに。それから、たぶん、慌てて戻ってきて、適当に事情を作って場を収めた」


たぶん、その場面で、うちにいます、なんてあの屋敷の中の人が言ったりしようものなら、ますます事態が大きくなるから。
屋敷の人はほとんど真相を知らないし。


「まさか――でも、だとしたら……」

ぼくは、咄嗟に脳内で推測を組み立てていく。
でも、やっぱり、なにかが抜けているみたいだ。どうも、何かが、ずれている気がするのに。見逃してきたことが、たくさんあるような気がするのに。

 先に来ていたエイカさんは、来賓館で、既に殺されている。それには兄が、関わっていて、榎左記さんが、関わっていて……

だめだ、わからなくなってきた。これでは、不十分だ。なにか引っ掛かるのに。不自然なのに。

なぜ、彼女の居場所を、榎左記さんが知っているか、とか、そんなこと以前に、もっと根本的なことが。
大切な、ことが。
 急に、じわりと痛みが押し寄せてきた。胸の奥に、耳に、目に、頭の深い場所に。

『あなたは──』

あなたは、あなたは、あなたは、あなたは。
その言葉、たった一言が、絶望のような優しさで、希望みたいな残酷な響きで、鼓膜から、脳髄までを、支配する。
病室、ベッドの横のボタン。腕の番号。テレビ。
ベッドの上に座って、きょとんとこちらを見る目。
布団。毛布。棚の位置。消毒のにおい。そこにあるかのような映像が、消えない。
そんな目で、見るなよ。
やめてくれ。

「……帰りますか?」

コウカさんは、言った。
車は、赤信号で停止中。
どこに、という問いかと考えたが、聞く気にならなかった。
ぼくは、顔を上げそうになって、うつむいていたことに気が付く。泣きそうにはなるのに、やはりぼくには、泣くことが出来ないようだ。
どちらとも取れるように、ぼくは返事を返した。

「……はい、確かめたいことがあるので、来賓館に、もう一度、寄ってください」

信号が青になった。
車は再び走り出す。

「コウカ、それから、少年、お帰りなさい」

「……はい、ただいま、帰りました」

館に戻ると、もう一人のコウカさんは、食堂で紅茶を入れていた。
ポットから注がれるそれは、甘い香りがして、心が安らぐ。彼女は、用意していた人数分のカップにお茶を注ぎ終わると、蓋を被せて、少しだけ待ってね、と言った。

「浮かない顔をしているね、何かあったん?」

「コウカさんが連れ去られた間、あなたは、どうしていたんですか?」

「……私は、連れ去られてないよ?」

「あ……そうでしたね、その間、あなたはヒビキちゃんに、会っていたんですか」

「……そうだね。《最後》に、ヒビキちゃんに会ったのは、私。でも、私は二人ほどは性格が似ていないからね。彼女に言ったよ。『もう、ここに来てはいけない』って。もともと、そういう契約でもあったし」

「それで」

「彼女は、あなたが妹さんか、って聞いたよ。そうだって言った。エイカのことを聞かれたから、知らないって言った。――ああ、確か、きみなら、何か知ってるかもって言ったよ。それからは、来なくなったかな」

「……ぼくは、そのとき、彼女に、なにか、会うことがあったんでしょうか。思い出せないんです。どうしても」

紅茶を差し出された。
ぐいっと飲んだ。思ったより、熱かった。
ごちそうさまです、とぼくは言った。

「……さあ、私には、わからないな」

「私にも、わからないよ?」

 二人のコウカさんは、苦笑いのように嘲笑いのように、笑っていた。なにか、知ってるようで、なんにも知らないような、怪しさがあった。

「きみは、確かめたいことがあるんじゃなかったの?」

「ええ……わかりましたよ、だいたいは」


投げやりにいって、ぼくは二階へと急ぐ。急ぎのようがあるから、というよりは、ただただ、居心地が悪かったからだ。


「ヒビキちゃん」

廊下まで進んでから、確信はないけど、ぼくは彼女を呼んだ。なにも、返って来なかった。

「ヒビキちゃん。ヒビキちゃん……」

やはり、なにも、返って来なかった。わかっていたような、いなかったような、曖昧な気持ちで、ぼくは、奥へ奥へと進む。
食料庫について、扉を抉じ開ける。鍵がかかっていたようだが、力を込めれば、それなりには、開かなくもなかった。僅かに出来た隙間から、棒の代わりに、近くの掃除用具入れのモップを差し込んで、無理矢理隙間を広げる。

そのとき、激しい音がして、衝撃に驚いたぼくは咄嗟に後ろに離れた。
何かが、どこかに転がったような音がして、場が静まる。突然のことに、驚いたぼくは、しばらくその場から動けなかった。

「――さっきのは、ほとんど空気だよ。なっ、この方が、早いじゃん?」

なにが、なのかぼくにはよくわからないことを言いながら、ジーンズ姿のコウカさんが笑う。
しゃがんで、ヘアゴムを拾い上げた。さっき転がったのはこれだったらしい。
 彼女は《何を》使ったのかは見せなかった。さっさとズボンのポケットにしまいこむと、食料庫の入り口に手をかけた。既に鍵が壊れているのか、簡単に開いた。

「――残念だけど《これ》をしたのは、私でも、もう一人のコウカでもない。それは、それだけは、わかって欲しい」

扉が開いて、油みたいなにおいがした。だけど、思っていたとおりというか《あのとき》みたいなにおいはしない。

「ぼくは、疑っていたなんて、言っていませんが……」

「疑いそうだったからね。先手というやつだよ」

「……そうですか」


昼とはいえ、真っ暗なその部屋は、少しひんやりしていた。ここも、地下に続く階段がついている。15度くらいに保たれていたはずだ。
足が震えなかったかと言えば、嘘になる。進みたくないような気持ちの方が、正直、大きかった。
それでも、ぼくは、《そのこと》を確かめずにはいられなかった。

「あ、明かりになるようなもの……持ってきてもらえませんか?」

今さらのように気が付いて、ぼくは彼女に聞いた。
彼女は、曖昧な笑顔を浮かべ、待っててと言って奥に走っていった。
地下の階段をのぞき込む。あのお屋敷の中の場所とは違って、ここはよく冷える。上着をしっかり着直して、そのそばにしゃがんだ。扉を閉めていくせいで、本格的に真っ暗になってしまったが、また開ければいいので、ひとまずは気にせずに、闇の中に座り込む。

そのときだ。
背中を、誰かに押された気がした。
闇が、ぼくを飲み込む。
美しい七色の幾何学模様が、ぐるぐると視界に広がる。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、赤、青、黄色の、三角や丸を、しばらく眺めているうちに、それらは弾けた。

一瞬の夢から覚めて、しかしまだ、体が闇を漂う。 これが、いわゆる、タキサイア現象、というやつだろうか。
脳の錯覚とされているのだけれど、危機に陥ったときに、情報処理速度が一時的に上がるんだかなんだかで、空間が止まって見えるらしい。
(ただ、昔ある実験で、スカイダイビングか何か、危ないことをしながら、被験者に数字を見せたが、正確に読み取れない、というものがあったとまつりが言っていた。危機感を覚えてなかったのかもしれないし、結局よくわからない)



落下するならさっさとすればいいのに、長い間、浮いているみたいだった。

 ……頭のなかで、オルゴールみたいな音が聞こえてくる。今度は闇以外は、見えなかった。
楽しそうな曲なのに、とても寂しくなるそれを、止めることも出来ずに聞き続ける。誰かの言葉を、ふいにまた、思い出した。

『家が自ら手をかけるわけにはいかないし……もし、都合が良く《外部からの侵入者》でもやってきて、誘拐でも起こったら、足取りが掴めません、終了! って考えたんだろうね』

『念のために、入れかわってたのさ。ここにいるのはコウカって名前のエイカで、居なくなったままなのは、エイカって名前の、コウカだ』

『わけがわからない……何のため? それに、やってたのは一人だろ? どうして、コウカさんも、エイカさんも、両方が、連れ去られたみたいなこと……』

『……んー、片方は、上の指示で誘拐されて、もう片方は、こちらでこっそり保護されたんだよ。まあそれも、形は誘拐そのものだったみたいだけど』

──ああ、さりげなく、無視していたけど。そうだったな。

 おまえはああ言ったけど、相変わらず、なんで知ってるんだろう。いや、それはともかく、おそらくは念のために入れ替わっていたわけじゃない──

あいつから抜けている事象。補足。期待された記憶。──でも、もう、それ自体も、無意味になってしまったのかな。


 咄嗟に、頭を庇いながらようやく、ぼくは倒れる。別に運動ができるわけじゃないけど、受け身は特に、苦手だ。
しかしなんとか腕と背中を少し擦りむいたものの、ほとんど無傷で、床に投げ出されたようだった。

「いたた……」

思わず、今の感情を口にした。我ながら、本当に痛いのかというような、棒読みだ。起き上がる。どこまでも、薄暗くて、このまま、眠ってしまいそうである。


 薄暗いところは、苦手だ。昔から、どうにも眠くなってしまう。

「……小学校三年、行七夏々都。将来の夢。ぼくは、大きくなったら、オーライってやる人になりたいです。ヒーローの乗るやつをチェックしたり、したいです」

眠くなってくるのを防止すべく、一人暴露大会を始めてみた。小学生のときの作文の内容、そのままだ。しかし、コウカさんは、まだ来ないのだろうか。あれから、10分以上は経ったような気がする。

「しかし、思っていたより、グサグサと刺さるな……」
自分に突っ込みを入れる勇気はない。小学校の頃のぼくは、こんなに純粋だったのだろうに、今のぼくは、それを信じることが出来ない。

「……それから、ぼくは、怪獣を誘導したいと思います。うまく手なずけて、かんばんむすめになってもら───やめよう。傷口が広がる……」

明かりはないかと少し考えて、頭をひねって、上着の中をごそごそ探す。特に、これといったものは見当たらない。

右足の靴を脱いでみた。癖でなにかを仕込んでいるのは、実は本当のことだ。そして、それはズボンではなかった。形でバレるし、落としやすいから。
あと、素足に擦れる感じが──なんでもない。


確かなにかあったぞと、探して、出てきたのは袋に丁寧に入れたマッチと、短い線香。二メートルくらいの細い紐もある。

「……うん」

少々複雑な気分になりながら、火をつけて、足元を照らす。思っていたよりは、明るくないが、眠気は覚める。ぶつかりながら歩いていると、燭台を見つけた。なんだか、ついているような気持ちになるが、そういえばもともと、燭台はここにあった。
線香がなくなり、爪がすり減りそうだったので、慌てて火を移す。これまた、短い蝋燭があった。





<font size="4">21.凝視する四秒間</font>

 だいぶん明るくなったぞと、ぼくは探索を開始した。空のワインセラー。それから、それから……ほこりをかぶった、大きな木箱が置いてある。
――人が、入りそうな。
head、とfootが、上と下にそれぞれうっすら書かれている。これは、棺? 
そっと、開けてみようとして、頑丈な鍵に気が付いた。

「開かないよな……」

開かない、で思い出したが、彼女はまだ来ないのだろうか。なんだか、ぼくにおあつらえ向きの部屋と言わんばかりだ。

「……この中で眠る気はないなあ」

動かそうとしてみたが、どうも動かない。たぶん『中身』が入っている。
嗅覚がぱっと働かなくて、においがしているのかは不明だ。

立ち上がると引きずって歩けたりしないかと不謹慎なことを考えそうになって、そうだ上の鍵は、かかっていないのだからと、ひとまず帰ろうとして、あれ、と思った。

燭台に火をつけてから、思った。咄嗟に、火を消す。さっき見た位置を把握しているから、暗闇でも、もうぶつからずには済みそうだけど。なにかが、まずかったような気がする。

後ろから気配がして、ランプを持った男が入って来た。楽しそうな、軽い足取りが、まっすぐに向かってくるのがわかった。

「――そう、ここにね、飼っていたんだよ。おれの、実験体」

「実験、体……」


その顔を、しっかり認識することが、ぼくには難しかった。意味不明な、図形や記号が、その顔を覆って、理解させないようにしている。吐き気がした。

「……防犯システムに穴があった頃は、良かったよ。ある日突然、工事が始まってさ、あいつには、会えなくなって」

「……これは、なに」

「……知らない。ずいぶん前からあったぜ? 中身もこのままだ」

「これの、実験って、なに」

「あ、おれはやってはいないよ?――そりゃ、死体からどんな風にお化けが出るかーとか、そういう、可愛いもんだよ。ガキの発想だったからな。いろいろしてな、見にきていたよ」

「ぼくを突き落としたのは――」

「俺だよ、なぁちゃん?」

「おまえは――」


「大好きな、兄貴だよ、なぁちゃん」


冗談だとしても笑えなかった。
だいたい、なんでここにいる? 帰ったんなら帰れよ。


「お前は、あのときのことを、探ってるんだろうが、難しく考えなくても――お前が連れ去られた理由はさ、ただ単に、お前が都合が悪いからだと、俺は思ったよ?」

「なんだよ――都合ってなんだよ、あの人は、ただ、言われて……」

怖い。
だけど、何が怖いのか、もうわからなかった。自分が、誰に何を言っているのかも、今どこにいるのかも、わからない。
足がすくんで、動けない。身体中が震えて、叫ぶことも出来ない。
せめてもの理性を保つため、喋りかけるのが、精一杯だった。


「そう、榎左記さん。彼女はお前がいると、都合が悪かった。それだけ。他の事情なんて、オマケだよ、ただの」 

「――ま、待てよ、なんで、そんなことがわかるんだよ。だいたいどうして――」

サイコロの絵が、脳内に浮かんだ。あいつが、笑っていた。
――ぼくに、見せてくれた。

「……あ、もしかして」


「心当たりがあるなら結構だな。でも――その後の監視とかは、真面目にしていなかったみたいだよな。お前を逃がしたことがバレて、なによりも焦ったのは、榎左記さんだった。彼女が絡んだと言えば、彼女にいろいろと集中してしまう」

兄は、楽しそうに、語る。それは、容赦なく言葉を突き刺すような語りかただった。
心当たり、とは違う、ひらめきだったのだが……すべて聞いているわけにいかなくて、ぼくも遮るように、合わせて喋る。


「……エイカさんだけ、または第三者に擦り付けるには『あのデータ』があってはならなかったんだな。双子の中に、持っている人がいると考え、エイカさんを《自殺》させてから、あれこれ手出しをしたものの、二人は持っている様子がない、と」

「――養女である小さな女の子が、実母にこっそり会いに行っていたことを、彼女は知っていたんだか、なんらかで知ったんだかわからないが、ある日《そのこと》に目をつけた――そう考えてみると、単純だろ。さっさと終わらせようぜ。いくら引き延ばしても、いつかは、終わらなきゃいけないんだよ、弟。終わらない優しさは、ただ、しのいでるだけだ。それとも、いちいち原因にあの人が関わるから、そうするのかな」

「……お前の声が入っていたのは、共犯ってことで良いのか?」


「譲らないねぇ。ああ、そうだな……そう、かな。彼女にも、同情するところが、あったからね。じゃ、話は終わりだよ――」

長い筒が、ぼくの方を向いた。どこから見つけたのか、それは鉄パイプだった。

 ひきつった顔で、固まっていたぼくは、兄の攻撃を避けることが出来ないと、覚悟した。
――しかし、それは、幸いにも実行されなかった。


「――それは、ちょっとだけ、違うね」

後ろから、声がかかったのだ。

「……私はね、バレたのよ。大奥様に。そして、怒りを買ってしまったの。ああいう機械なんかじゃなくて、《この目》で見てしまった秘密があった。その内容は言えないけれど――始末されかけたことがあってね、助けてくれたのがまつりさんだった。何が言いたいかって――わかるかしら」
「……そう。本当に?」


 兄は、ただただ、愉快そうに、にやついていた。
コウカさんは、むっとした様子だ。というか、最初にここに来たのは、黒いシャツを着ている方のコウカさんではなかったか。
まあいいや、ちょうどいいのかもしれない。

「どういう意味?」

彼女はひきつった笑みで聞き返す。ぼくは少し考えてそれから、体が恐怖を和らげていると気付いた。
今は、動くことが出来そうだ。黙って階段をのぼる。小さく息を吐く。ようやく役目が、終わった。
それから、言った。
まっすぐに、目を見て。

「今は、あのペンダント、付けてないんですね」


 彼女は、揺るがなかった。まっすぐに、ぼくを見返した。

「なにを、言ってるの。たったそれだけで、《人違い》されたらたまったもんじゃないわ」



「――いえ、今のは、当たり障りのない、挨拶です。もちろん、それだけなんかじゃありません。でも――そうですね、あなたが認めてくださるには、何が大きな証拠になるでしょうか」

「――って、だから、どうして、私が疑われるの」

「……さあ、どうして、なんでしょう。予感ってやつですかね」

「ふざけないで」

「ごめんなさい。ふざけていなかったら、ぼくはとっくに死んでしまいます……うまいこと、あなたが認めるような証拠が出せるかは、わかりませんが――そうだな――少し、待ってくださいね」

そして、ぼくは、燭台に火を付け直す。誰も何も言わなかった。ゆっくりと、上着に突っ込んでいた手紙の、《裏側》を、火に近づける。
さっき、嫌な予感がしたの自体は本当なのだけど、罠だとしても、そうするしかないような気がした。
んー。消さなきゃ良かったかな。

 ──さっき、この紙を、持っていたんだった、と気がついて、もしかしたらと、思ったのだ。だが本当に、そうなるなんて、ぼく自身も、あまり期待していなかった。予想もしていない。気まぐれだ。

しかし、紙の一部分だけが焦げてきて、じわじわと線を描きだしたので、行動は無駄にならなかったらしい。
すべてが出てきたとき、いろんな意味で脱力感に見舞われた。すぐに火を消す。

 彼女は、紙を覗いて、なっ、とか残念そうな声で絶句しているし、兄らしい人物に至っては、腹を抱えての大爆笑だった。なんだか、もう、わからない。
あの、シリアスっぽい文面の裏が、これだ。

『ナーンテネ!(>_<) やーいやーい!』

……いったい何歳なんだよ、あいつ。


「あれ……まだ、なんか、あったっけ……」


 そこまで言ってから、考えて口に出した部分と、考えずに口にだけ出した部分、考えたけど言うまでもないと置いた部分、どっちがどっちで、どれがどうだったのか、わからなくなった。頭の中で聞く声は、どれもおんなじなのだ。
台本みたいに、頭に名前を付けて喋らないと混乱する。

さっきまで、懇切丁寧に説明していたような、ざっくり一部分しか言ってなかったような。えーっと。

「ごめん、わからない」

「……う、えーっと。だから、これが見つかるので、あなたは、この場所に来ることにしたわけですよね」

まるで頼りない。
というか、この部分に関しては、彼女が彼女でない証拠とは言えないのだが。
どう伝えればいいのだろう。

 そんな感じがする、と、理由もわからないのに、答えの方から、既にあるような感覚にばかり、頼っていた。
あーあ……だめだな、これじゃあ。本当に、ぼくは──

 ぼくが、思わずうつむいたときだった。ピンポン、とチャイムが軽快に音を立てたのが、地下でもわかった。

「ひゃっほー! お取り込み中、失礼しまーす!」

……え?
思考が、一瞬、停止する。どたどたと、足音が、こちらに近づく。

<font size="4">22.撹乱する隠蔽、価値の存在</font>

「――なんていうか、相変わらずみたいだね、きみは。途中まで、楽しんでたけど、大事なことが抜けすぎて、もはや、どうにも突っ込めない」


間違いない。この口調は、あいつでしかないだろう。だけど、病院で寝ていたはずじゃ……


「……まつり、お前、なんで」


「ずっと監視していたに決まってるじゃないか」

決まってたのかよ。


「……いや、待って。傷は?」


「あれ? あんなの安静にすれば平気。ちょっと栄養が足んなかったから、ショックが起きただけみたいで点滴打ってもらってきたぜ!」

――なんていうか、よくわからないノリだった。体調回復後なんかは、だいたい、こんなノリだ。むしろ、調子の合わせ方を、忘れているのかもしれない。


「えーっと。ぼくのこと、わかる?」


「んー……知らないよ。だれのことも知らない。だけど、別に、どうでもいいよ。そんなの。あっ、燃やしたんだ。そうそう《その手紙》は偽造品ー。本物はね、まあ――秘密かな。用意が大変だったらしいよん。当時のは、ちゃんと《消した》って思ってるはずだもんね。偽物の偽物を。アッハハハ!」


「で、お前……どっから、話してるんだ?」


地下を抜けて、食料庫のドアを開けて出てくると、
廊下に置かれっぱなしの、抽象的な銅像から、溌剌と声が出ていた。悪趣味なスピーカーだ。

「ふふふ、やっぱり、揃えてみると、楽しいなあ。予想外の発言も聞くことが出来たので、満足でーす。ちなみにだけど、そこにあった、ときみが予想したものはないよ。きみを裏切るのも、楽しいからね。気付かれる前に、先回りしてきたの」

「この会話自体が、先回って伝わらないぞ……っていうか、腕に、入院用のブレスレットみたいなの付けてたじゃん! きちんと覚えてるぞ」

なんていうか……ぼくは、手続きや説明の場にはいかなかった。椅子に座っていただけである。
ややこしくなるから、と言われて。
……何がだろう。

「うー。すぐ戻るって」

ぶち、と接続が切れる音がした後、ワインセラーの裏の方から、声がした。
覗いてみれば、ひょこっと顔を出したのは、寝癖で髪が乱れたままの、まつりだった。

「やっほー! ここは、井戸跡があって、外に通じてたんだよ! 点検用梯子つき! 入り口がだめなら裏口っていうだろ?」

「言わない。あー……ああ。裏側に、そんな通路、あったんだ……」
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