18 / 23
18
「5」月の風
しおりを挟む
「お父さん、いなくなったの?」
自転車の後ろでシンジが聞いた。
そうじゃない。
ケイタは思う。
シンジの親父さんのように、突然いなくなって、
そのまま行方知れずになったんじゃない。
それに比べたら甘っちょろいのかも知れない。
でも、家に父親がいない。
その共通点で十分じゃないか。
どんな慰みの言葉も、同情の言葉も、
シンジの前では薄っぺらいセリフになる気がする。
だったら…。
「いなくなった訳じゃない。
うちの父ちゃん、ショーシャマンなんだ。」
やや間があって、シンジの声が後ろからした。
「ショーシャマンって、あの?
しょ・う・しゃ・マン?」
発音が違うと言いたいらしい。
どこまでも真面目なやつ。
「そう。商社マン。」
発音にはとりあえず納得したのか、シンジは黙っている。
しばらく続いた上り坂が終わって、今度は下り坂。
サドルに座り直し、重力に自転車を任せて坂を下っていく。
「それでさ、今はアメリカで単身赴任中。
その前はフィリピンとか、ベネズエラとか。」
シンジがそれぞれの国について考えを巡らせるのを待つ。
耳元で風切り音が心地よくなっている。
この3週間弱、ずっと自転車の前と後ろで会話しているせいか、
シンジの顔を見なくても、なんとなく考えていることが分かるようになってきた。
「だから、1年に一回帰ってくればいいかなって感じ。
長い時は2年半、帰ってこないこともあった。」
こんな話をするのはシンジが初めてだ。
野球部の連中にこんな話をすると、しんみりして終わりそうで嫌なんだ。
上っ面だけの同情の言葉を掛けられるのはもっと嫌だし。
「電話とかで話さないの?」
こんなに言葉のキャッチボールをシンジと出来たのは
多分、初めてだ。
「話さない。
あの人、俺たちに興味ないんだよ。」
「俺たちって?」
「母ちゃんと俺。
それから、弟。」
またシンジが黙る。
多分、家族一人一人のイメージを膨らませている。
「弟がいるんだね。」
シンジが弟の姿を想像している。
輪郭をつけ、色を塗り、表情を付けて。
「いないよ。もう、いない。」
またシンジが黙る。
「生まれる前に、いなくなった。
リューザンってやつ。」
りゅ・う・ざ・ん
と訂正されるかと思ってわざと言ったのに、シンジは黙っている。
「弟が生まれてくる前に死んじゃったことも、
あの人はずっと知らなかった。
母ちゃんが教えなかったんだ。」
「なんで?」
シンジがぼーっとした声のトーンで聞いた。
「だって、弟が出来たって分かっても、
電話口で、そうか、の一言だけだったんだぞ。
それから、弟がお腹の中からいなくなるまで、
一度も母ちゃんの体調や弟の成長を聞いたことがないんだ。」
下り坂が終わり、大きなカーブを曲がるとシンジの住む団地がある、らしい。
ここに団地があるなんて知らなかった。
カーブの両側はどちらとも小山になっている。
木が何本か寂しく立っているだけで、山肌が丸見えだ。
「ものすごく久しぶりに家に帰ってきたとき、
やっと弟がいなくなったことに気づいた。
その時も、そうか、の一言だけ。」
カーブの真ん中あたりに差し掛かると、道の向かいに大きなカーブミラーが立っていた。
その前を通り過ぎる瞬間、自分たちがミラーに映ったのが見えた。
シンジは顔を上に向け、空を見上げているみたいだった。
頭をがくんと後ろに倒している。
表情は分からない。
「そんな父親だからさ、
いないようなもんだろ。」
カーブが終わったところで、左手に団地の入り口が唐突に現れた。
角が丸まった縦長の石に団地の名前が彫ってある。
ケイタはその前で自転車を停めて、中を見渡した。
入ってすぐに貯水槽やら、ゴミ捨て場があって、
奥の方に何棟かの住居がひっそりと立っている。
途中、街灯は点々と立っているけど、
いくつかは明かりがついていないし、
いくつかはチカチカと点滅している。
「今日はありがとう。」
自転車を降りたシンジがいつもの調子でボソッと言った。
さっきまでの話についてのコメントは一切言わない。
ケイタはそれが嬉しかった。
自分がシンジの両親について何も言わなかったように、
シンジも自分の家族については何も言わない。
二人にとって、家族の「あれこれ」に関しては
誰に何を言われても、全然意味をなさないんだ。
お互いの「あれこれ」を分け合っている。
それだけで十分。
慰め合う必要なんてない。
「今日はしっかり寝ろよ。
明日、再テスト前の最後の仕上げだからな。」
もうすぐ、シンジに勉強を教わる3週間が終わる。
「うん。」
それだけ言って、シンジは背中を向けてトボトボと歩き出した。
薄暗く埃っぽい地面の上にシンジの影が伸びている。
街灯が点滅するのに合わせて、浮かんだり、消えたりを繰り返す。
「シンジ!」
ケイタは大きな声で呼んだ。
シンジがゆっくりと振り返る。
ケイタは何も言わずに手を降った。
思いっきり腕を動かして、大きく振る。
少しの間固まっていたシンジだったが、
肩のあたりまで片手を上げて、ゆらゆらと手を振った。
そして、すぐに手を下ろして、また歩き出す。
ケイタも手を振るのをやめて腕を下ろす。
少しだけシンジの後ろ姿を見送って、自転車を漕ぎ出す。
今来た道を戻りながら、大きく深呼吸する。
普段、物事を深く考えない。
考えたって仕方ないことが、この世界にはあるから。
考えても、考えても、割り切れない割り算みたいに、
どうしたって綺麗な答えが見つからないことがある。
だから、考えない。
でも、シンジのことはずっと頭から離れない。
もう一度大きく深呼吸。
肺と頭の中に風を送り込む。
5月になったばかりの今日の風は少し湿っていて、
雨が多くなる季節が近づいていることをケイタに知らせていた。
自転車の後ろでシンジが聞いた。
そうじゃない。
ケイタは思う。
シンジの親父さんのように、突然いなくなって、
そのまま行方知れずになったんじゃない。
それに比べたら甘っちょろいのかも知れない。
でも、家に父親がいない。
その共通点で十分じゃないか。
どんな慰みの言葉も、同情の言葉も、
シンジの前では薄っぺらいセリフになる気がする。
だったら…。
「いなくなった訳じゃない。
うちの父ちゃん、ショーシャマンなんだ。」
やや間があって、シンジの声が後ろからした。
「ショーシャマンって、あの?
しょ・う・しゃ・マン?」
発音が違うと言いたいらしい。
どこまでも真面目なやつ。
「そう。商社マン。」
発音にはとりあえず納得したのか、シンジは黙っている。
しばらく続いた上り坂が終わって、今度は下り坂。
サドルに座り直し、重力に自転車を任せて坂を下っていく。
「それでさ、今はアメリカで単身赴任中。
その前はフィリピンとか、ベネズエラとか。」
シンジがそれぞれの国について考えを巡らせるのを待つ。
耳元で風切り音が心地よくなっている。
この3週間弱、ずっと自転車の前と後ろで会話しているせいか、
シンジの顔を見なくても、なんとなく考えていることが分かるようになってきた。
「だから、1年に一回帰ってくればいいかなって感じ。
長い時は2年半、帰ってこないこともあった。」
こんな話をするのはシンジが初めてだ。
野球部の連中にこんな話をすると、しんみりして終わりそうで嫌なんだ。
上っ面だけの同情の言葉を掛けられるのはもっと嫌だし。
「電話とかで話さないの?」
こんなに言葉のキャッチボールをシンジと出来たのは
多分、初めてだ。
「話さない。
あの人、俺たちに興味ないんだよ。」
「俺たちって?」
「母ちゃんと俺。
それから、弟。」
またシンジが黙る。
多分、家族一人一人のイメージを膨らませている。
「弟がいるんだね。」
シンジが弟の姿を想像している。
輪郭をつけ、色を塗り、表情を付けて。
「いないよ。もう、いない。」
またシンジが黙る。
「生まれる前に、いなくなった。
リューザンってやつ。」
りゅ・う・ざ・ん
と訂正されるかと思ってわざと言ったのに、シンジは黙っている。
「弟が生まれてくる前に死んじゃったことも、
あの人はずっと知らなかった。
母ちゃんが教えなかったんだ。」
「なんで?」
シンジがぼーっとした声のトーンで聞いた。
「だって、弟が出来たって分かっても、
電話口で、そうか、の一言だけだったんだぞ。
それから、弟がお腹の中からいなくなるまで、
一度も母ちゃんの体調や弟の成長を聞いたことがないんだ。」
下り坂が終わり、大きなカーブを曲がるとシンジの住む団地がある、らしい。
ここに団地があるなんて知らなかった。
カーブの両側はどちらとも小山になっている。
木が何本か寂しく立っているだけで、山肌が丸見えだ。
「ものすごく久しぶりに家に帰ってきたとき、
やっと弟がいなくなったことに気づいた。
その時も、そうか、の一言だけ。」
カーブの真ん中あたりに差し掛かると、道の向かいに大きなカーブミラーが立っていた。
その前を通り過ぎる瞬間、自分たちがミラーに映ったのが見えた。
シンジは顔を上に向け、空を見上げているみたいだった。
頭をがくんと後ろに倒している。
表情は分からない。
「そんな父親だからさ、
いないようなもんだろ。」
カーブが終わったところで、左手に団地の入り口が唐突に現れた。
角が丸まった縦長の石に団地の名前が彫ってある。
ケイタはその前で自転車を停めて、中を見渡した。
入ってすぐに貯水槽やら、ゴミ捨て場があって、
奥の方に何棟かの住居がひっそりと立っている。
途中、街灯は点々と立っているけど、
いくつかは明かりがついていないし、
いくつかはチカチカと点滅している。
「今日はありがとう。」
自転車を降りたシンジがいつもの調子でボソッと言った。
さっきまでの話についてのコメントは一切言わない。
ケイタはそれが嬉しかった。
自分がシンジの両親について何も言わなかったように、
シンジも自分の家族については何も言わない。
二人にとって、家族の「あれこれ」に関しては
誰に何を言われても、全然意味をなさないんだ。
お互いの「あれこれ」を分け合っている。
それだけで十分。
慰め合う必要なんてない。
「今日はしっかり寝ろよ。
明日、再テスト前の最後の仕上げだからな。」
もうすぐ、シンジに勉強を教わる3週間が終わる。
「うん。」
それだけ言って、シンジは背中を向けてトボトボと歩き出した。
薄暗く埃っぽい地面の上にシンジの影が伸びている。
街灯が点滅するのに合わせて、浮かんだり、消えたりを繰り返す。
「シンジ!」
ケイタは大きな声で呼んだ。
シンジがゆっくりと振り返る。
ケイタは何も言わずに手を降った。
思いっきり腕を動かして、大きく振る。
少しの間固まっていたシンジだったが、
肩のあたりまで片手を上げて、ゆらゆらと手を振った。
そして、すぐに手を下ろして、また歩き出す。
ケイタも手を振るのをやめて腕を下ろす。
少しだけシンジの後ろ姿を見送って、自転車を漕ぎ出す。
今来た道を戻りながら、大きく深呼吸する。
普段、物事を深く考えない。
考えたって仕方ないことが、この世界にはあるから。
考えても、考えても、割り切れない割り算みたいに、
どうしたって綺麗な答えが見つからないことがある。
だから、考えない。
でも、シンジのことはずっと頭から離れない。
もう一度大きく深呼吸。
肺と頭の中に風を送り込む。
5月になったばかりの今日の風は少し湿っていて、
雨が多くなる季節が近づいていることをケイタに知らせていた。
0
あなたにおすすめの小説
告白ごっこ
みなみ ゆうき
BL
ある事情から極力目立たず地味にひっそりと学園生活を送っていた瑠衣(るい)。
ある日偶然に自分をターゲットに告白という名の罰ゲームが行われることを知ってしまう。それを実行することになったのは学園の人気者で同級生の昴流(すばる)。
更に1ヶ月以内に昴流が瑠衣を口説き落とし好きだと言わせることが出来るかということを新しい賭けにしようとしている事に憤りを覚えた瑠衣は一計を案じ、自分の方から先に告白をし、その直後に全てを知っていると種明かしをすることで、早々に馬鹿げたゲームに決着をつけてやろうと考える。しかし、この告白が原因で事態は瑠衣の想定とは違った方向に動きだし……。
テンプレの罰ゲーム告白ものです。
表紙イラストは、かさしま様より描いていただきました!
ムーンライトノベルズでも同時公開。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
先輩たちの心の声に翻弄されています!
七瀬
BL
人と関わるのが少し苦手な高校1年生・綾瀬遙真(あやせとうま)。
ある日、食堂へ向かう人混みの中で先輩にぶつかった瞬間──彼は「触れた相手の心の声」が聞こえるようになった。
最初に声を拾ってしまったのは、対照的な二人の先輩。
乱暴そうな俺様ヤンキー・不破春樹(ふわはるき)と、爽やかで優しい王子様・橘司(たちばなつかさ)。
見せる顔と心の声の落差に戸惑う遙真。けれど、彼らはなぜか遙真に強い関心を示しはじめる。
****
三作目の投稿になります。三角関係の学園BLですが、なるべくみんなを幸せにして終わりますのでご安心ください。
ご感想・ご指摘など気軽にコメントいただけると嬉しいです‼️
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する幼少中高大院までの一貫校だ。しかし学校の規模に見合わず生徒数は一学年300人程の少人数の学院で、他とは少し違う校風の学院でもある。
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語
嫌いなあいつが気になって
水ノ瀬 あおい
BL
今しかない青春だから思いっきり楽しみたいだろ!?
なのに、あいつはいつも勉強ばかりして教室でもどこでも常に教科書を開いている。
目に入るだけでムカつくあいつ。
そんなあいつが勉強ばかりをする理由は……。
同じクラスの優等生にイラつきを止められない貞操観念緩々に見えるチャラ男×真面目で人とも群れずいつも一人で勉強ばかりする優等生。
正反対な二人の初めての恋愛。
従順な俺を壊して 【颯斗編】
川崎葵
BL
腕っ節の強い不良達が集まる鷹山高校でトップを張る、最強の男と謳われる火神颯斗。
無敗を貫き通す中、刺激のない毎日に嫌気がさしていた。
退屈な日常を捨て去りたい葛藤を抱えていた時、不思議と気になってしまう相手と出会う。
喧嘩が強い訳でもなく、真面目なその相手との接点はまるでない。
それでも存在が気になり、素性を知りたくなる。
初めて抱く感情に戸惑いつつ、喧嘩以外の初めての刺激に次第に心動かされ……
最強の不良×警視総監の息子
初めての恋心に戸惑い、止まらなくなる不良の恋愛譚。
本編【従順な俺を壊して】の颯斗(攻)視点になります。
本編の裏側になるので、本編を知らなくても話は分かるように書いているつもりですが、話が交差する部分は省略したりしてます。
本編を知っていた方が楽しめるとは思いますので、長編に抵抗がない方は是非本編も……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる