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「1」つ屋根の下
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「シンジ!」
背後からケイタの大きな声がして、シンジは振り返った。
夕闇の中でケイタが大きく手を振っている。
シンジも小さく手を振ってそれに応える。
今日、初めて家まで送ってもらった。
その道中、ケイタの家族のことを初めて聞いた。
仕事のためほとんどいない父親。
その父親に知られることなく生まれる前にいなくなった弟。
誰も知らないケイタの一面を見た気がした。
教室で、いつも大声で笑っているケイタとは違う。
口をしっかりと結んで、真剣な眼差しで遠くを見ている。
自転車の後ろに乗っていたから、ケイタの顔は見えなかったのだけれど、
なんとなく、ケイタはそんな顔をしていたんじゃないかと思う。
手を振るのをやめ、前を向いて歩き出す。
生まれた時から、何度となく見ている景色が広がる。
小山と小山の間を人為的に平らにして作られた敷地。
そこに佇む何棟かの色褪せた団地。
建物はずっと変わらず建っているけど、
夜になって明かりが灯る部屋の数は、
シンジが幼かった時よりも格段に減ってしまった。
切れかけてチカチカと点滅する街灯に何匹かの蛾が群がっている。
母と自分が住む棟まで来て、階段を登っていく。
エレベーターはない。
階段の両側に1部屋ずつ並んで5階まで続いている。
4階までフラフラと登り、左手にある部屋のドアノブを回す。
鍵がかかっていない。
やっぱり、母がまだいた。
ドアを開いた瞬間、濃厚なタバコの煙が全身を包む。
思わずむせそうになるのを堪えて、中に入る。
ダイニングチェアに片膝を立てて座っている母がこちらに顔を向けた。
キャミソールだけを纏った身体は細く、青白い。
化粧中らしく、片目は濃いアイシャドウが施されているけど、もう片方はすっぴん。
ピカソの人物画のように、均整を失った顔が煙の向こうでシンジを見つめている。
「ただいま。」
靴を脱ぎながら、シンジは俯き加減に言った。
フーッとタバコの煙を吐き出す音が聞こえる。
「あんた、バイトは?」
感情のこもっていない声で母が聞いた。
「ちょっと調子悪くて。
今日は休んだ。お店には言ってある。」
そう言い、シンジは母の前を通り過ぎて風呂へと向かう。
一続きの台所と居間しかないこの部屋では、
母がいるときに一人で居られる空間は風呂かトイレしかない。
母が夜の仕事に出るまで、あと少しの間、出来るだけ顔を合わせたくない。
それは、いつもシンジのことを目障りそうに見ている母にとっても、
母を極力刺激したくないシンジにとっても最善の策のはずだ。
「あんたさ。」
背後から母に話しかけられ、シンジは立ち止まる。
振り返らず、母の次の言葉を待つ。
「簡単にバイト休むんじゃないよ。
あんたの少ない稼ぎでも、生活の足しになってんだから。」
バイト先の店長のコウジさんがシンジを雇いたいと言ってきた時は散々しぶったくせに。
シンジはその言葉を飲み込んで、母に背を向けたまま言った。
「ごめん。明日はちゃんと行くから。」
そう言って、風呂場まで行き、風呂の蛇口をひねる。
大きな音を立ててお湯が出始める。
母がまだ何か言っているけれど、お湯が湯船にぶつかる音で聞こえない。
シンジは蛇口をもう一度思いっきりひねってお湯の勢いを強める。
さっきまで目の前で揺れていたケイタの大きな背中を思い出した。
もうそれは、すごく昔の出来事のように思えた。
ケイタと一緒に自転車で通った坂道とこの部屋とが同じ世界にあるのが信じられなかった。
ケイタに会いたい。
湯船の中に溜まっていくお湯のように、
シンジのそんな想いは胸の中で嵩を増していくのだった。
背後からケイタの大きな声がして、シンジは振り返った。
夕闇の中でケイタが大きく手を振っている。
シンジも小さく手を振ってそれに応える。
今日、初めて家まで送ってもらった。
その道中、ケイタの家族のことを初めて聞いた。
仕事のためほとんどいない父親。
その父親に知られることなく生まれる前にいなくなった弟。
誰も知らないケイタの一面を見た気がした。
教室で、いつも大声で笑っているケイタとは違う。
口をしっかりと結んで、真剣な眼差しで遠くを見ている。
自転車の後ろに乗っていたから、ケイタの顔は見えなかったのだけれど、
なんとなく、ケイタはそんな顔をしていたんじゃないかと思う。
手を振るのをやめ、前を向いて歩き出す。
生まれた時から、何度となく見ている景色が広がる。
小山と小山の間を人為的に平らにして作られた敷地。
そこに佇む何棟かの色褪せた団地。
建物はずっと変わらず建っているけど、
夜になって明かりが灯る部屋の数は、
シンジが幼かった時よりも格段に減ってしまった。
切れかけてチカチカと点滅する街灯に何匹かの蛾が群がっている。
母と自分が住む棟まで来て、階段を登っていく。
エレベーターはない。
階段の両側に1部屋ずつ並んで5階まで続いている。
4階までフラフラと登り、左手にある部屋のドアノブを回す。
鍵がかかっていない。
やっぱり、母がまだいた。
ドアを開いた瞬間、濃厚なタバコの煙が全身を包む。
思わずむせそうになるのを堪えて、中に入る。
ダイニングチェアに片膝を立てて座っている母がこちらに顔を向けた。
キャミソールだけを纏った身体は細く、青白い。
化粧中らしく、片目は濃いアイシャドウが施されているけど、もう片方はすっぴん。
ピカソの人物画のように、均整を失った顔が煙の向こうでシンジを見つめている。
「ただいま。」
靴を脱ぎながら、シンジは俯き加減に言った。
フーッとタバコの煙を吐き出す音が聞こえる。
「あんた、バイトは?」
感情のこもっていない声で母が聞いた。
「ちょっと調子悪くて。
今日は休んだ。お店には言ってある。」
そう言い、シンジは母の前を通り過ぎて風呂へと向かう。
一続きの台所と居間しかないこの部屋では、
母がいるときに一人で居られる空間は風呂かトイレしかない。
母が夜の仕事に出るまで、あと少しの間、出来るだけ顔を合わせたくない。
それは、いつもシンジのことを目障りそうに見ている母にとっても、
母を極力刺激したくないシンジにとっても最善の策のはずだ。
「あんたさ。」
背後から母に話しかけられ、シンジは立ち止まる。
振り返らず、母の次の言葉を待つ。
「簡単にバイト休むんじゃないよ。
あんたの少ない稼ぎでも、生活の足しになってんだから。」
バイト先の店長のコウジさんがシンジを雇いたいと言ってきた時は散々しぶったくせに。
シンジはその言葉を飲み込んで、母に背を向けたまま言った。
「ごめん。明日はちゃんと行くから。」
そう言って、風呂場まで行き、風呂の蛇口をひねる。
大きな音を立ててお湯が出始める。
母がまだ何か言っているけれど、お湯が湯船にぶつかる音で聞こえない。
シンジは蛇口をもう一度思いっきりひねってお湯の勢いを強める。
さっきまで目の前で揺れていたケイタの大きな背中を思い出した。
もうそれは、すごく昔の出来事のように思えた。
ケイタと一緒に自転車で通った坂道とこの部屋とが同じ世界にあるのが信じられなかった。
ケイタに会いたい。
湯船の中に溜まっていくお湯のように、
シンジのそんな想いは胸の中で嵩を増していくのだった。
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