俺はニートでいたいのに

いせひこ

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第一章:剣姫の婿取り

剣姫の妹

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 決闘から数日経った日の午後、イリスは自室でリーリアとリバーシで勝負していた。

「黒34、白30。私の勝ちですね」

 最後に白の駒をイリスが置いて数枚黒駒をひっくり返すが、最終的な数を数えて彼女の専属侍女は無慈悲にそう宣言した。

「このやり方だと駄目って訳ね。やっぱり隅を取れないと難しいわね」

 どちらも手加減抜きで打ち合い、イリスが敗北した訳では無かった。
 あくまで二人は、このゲームの必勝法を探っていた。

「シンプルなルールながら奥の深いゲームです。経験者に勝つには、正攻法ではやはり無理でしょうね」

「それだけを根拠にアイツがこのゲームを出してくるとは思えない。必ず必勝方があるはず……」

 この手の盤上遊戯には、必ず定石というものが存在する。
 そして、その定石を知らない人間は、知っている人間にほぼ確実に勝てない。

 ゲームのルールを聞いただけで定石を思いついてしまうような天才ならば別だが、イリスもリーリアもそのような自惚れはなかった。

「この間のじゃんけんの事を考えれば、必ず必勝の策を用意しているはず。経験でも、頭脳でも負けていては勝てるものも勝てないわ」

「……お嬢様、見方を変えてみませんか?」

「どういう事?」

 再勝負の準備をしながら、イリスは先を促す。

「この勝負は捨てましょう」

「何故!?」

「一つの決闘を一つの勝負と捉えるのではなく、12回の決闘で一つの勝負と考えましょう。お嬢様が一度でも勝てれば、この勝負は勝ちです」

 イリスは決闘に勝利したのち、それ以後の決闘では一対一の武術対決を提案するつもりだった。
 そうなれば、万に一つもレオナールに勝ち目は無い。

 仮に実力を隠しているのだとしても、これまでに見た身のこなしから、イリスには及ばないと断言できた。

 それさえも餌だと言うなら、最早イリスには勝ち目は無かった。
 ならば、それは考えの外に置くべきだ。

「ですのでこのゲームは捨てます。定石通りに打ち、相手の出方を見ましょう」

「それで、何がわかるの?」

「レオナール様の知能の底を見ます」

 じゃんけんもそうだが、何より最初の決闘に負けたのは、レオナールの実力をはっきりと理解していなかったからだ。
 相手がどれほどの実力を持っているのか正確に知らなければ、対策を練る事もできない。

「なるほど。今のうちにアイツの実力を把握する事に務めるのね」

「はい。今ならまだ午前のデートと目覚めのキスだけで済みます。しかし、この先はどのような傷を負うかわかりません」

「デートでも無いし、き、き、き……もしないわよ!」

 現在イリスがレオナールから要求されているのは午前中を共に過ごす事。
 そして次の決闘に負けたら、朝レオナールを起こす事も追加される。

 間違いなく、レオナールは徐々に要求をエスカレートさせていくつもりだろう。

 今ならまだ、負けてもスキンシップで済む段階だ。

「このゲームは非常に奥が深いゲームです。一朝一夕に実力が身に着くものではありません。仮に必勝法が存在しなかったとしても、長く遊んでいる、というだけで有利になります。経験の差が絶対的な実力の差となるのです」

 それこそが、必勝法であるとリーリアは言う。
 それはイリスが剣術で挑むのと同じなのだと。

 剣術にも必勝法がある訳ではない。
 しかし、イリスはレオナールと戦えば、必ず自分が勝つと思っている。

 何故ならそれだけの実力差があるからだ。

「実力差のあるゲームで勝負する事こそが必勝の策、だとするなら、確かにただそのゲームを練習しただけでは、次のゲームに勝てるはずがないわね」

「はい。知るべきは今目の前にあるゲームではなく、一月後にお嬢様の前に座るレオナール様です」

「その通りだわ。でもね、リーリア」

 黒先手であるためリーリアが先に打ち、それに応えるようにイリスが打つ。

「相手の実力を探るためにも、相応の実力を身に着ける必要があるわ」

「その通りですね。では、一通りこれまでに発見した定石をおさらいしましょうか」

「それより、端を取らずに勝てるかどうかやってみない?」

「そんなことをすると自分の実力もわからなくなりますよ」

 長年共に過ごして来て、厚い信頼関係で結ばれている主従がリバーシの勝負を続けていると、突然扉が開かれた。
 リーリアは腰を浮かせて扉とイリスの間に立ち、イリスは剣に手をかけた。

「おね~~~さま、ただいま戻りましたよ~~」

 間延びした声でほんわかとした笑顔を浮かべて、一人の少女が部屋に入って来た。
 その少女を見て、リーリアとイリスは前進から力を抜いた。

 リーリアはそのまま立ち上がり、頭を下げる。

「おかえり、アウローラ。いつ戻ったの?」

「今朝早くですわ。夜通し馬車に揺られておりましたので、先程まで眠っておりましたの」

 少女の名前はアウローラ。イリスの三つ年下の妹だった。

「あら? それはリバーシですわね? 視察先で見かけて是非遊びたいと思っておりましたの。我が領にも、遂に文明が入ったのですか?」

「実家を未開の地のように言わない。私のものじゃないわよ」

 リバーシの練習のためにレオナールから借りているものだが、レオナール本人は既にあげたつもりだった。

「ふぅん、そうそうお姉様、聞きましたわよ。遂に結婚なさるそうですわね」

「遂にって何よ」

 まだ14歳であるイリスの結婚適齢期はむしろこれからである。

「それに、まだ結婚するって決まった訳じゃないわ」

「ええ、噂になってましたわよ。ソルディークの『剣姫』が自分に相応しい婿を選ぶために決闘騒ぎを起こしている、と」

「な!? ぎ、逆よ、逆! 私は嫌なのに、向こうがどうしてもって言うから、決闘に勝てば結婚するって事になったの!」

「けれど、外から見れば、お姉様が婿を選んでいるようにしか見えませんわよ」

 実際、レオナールとの結婚が嫌だから決闘をしているので、婿を選んでいると言われれば反論しにくい。

「に、ニュアンスが違うわ! それだと私が色んな男の中から、婿を選んでいるみたいじゃない!? どっちかって言ったら、結婚を申し込んで来た相手が、相応しいかどうかを確かめている感じよ!」

「ふふ、まぁそうですわよね。お姉様が男性を漁るなんてことなさるはずがありませんもの」

「言い方……」

「でも仕方ないと思いますわよ。やはり世間から見れば、武門の名家ソルディークの長女。『剣姫』と謳われる実力の持ち主、ソルディーク一と言っても過言ではない美しさの持ち主……」

「それは貴女の方でしょ」

「私の場合は可憐と言います」

「あっ、そう……」

 自分が醜女だとは思わないイリスだが、自分の事を可憐だと言い切る妹の気持ちが理解できなかった。

「そんなお姉様と、名門エルダードの人間とは言え三男の結婚です。どちらに主導権があると思うかは明白ですわよね」

「うう……」

 確かに縁談を申し込んで来たのはエルダード家からなので、ある意味でその見方は間違っていない。
 だが、実際にはこの縁談が破談になって困るのは経済的に困窮しているソルディーク家の方なのだ。

 そう考えてみると、何故レオナールの側から決闘を言い出したのかわからなくなる。

「それは、あれよ。閨を共にして寝首を掻かれたくないからだって言ってたわ」

 せめて結婚に納得して貰わなければ困るのがレオナールだった。
 正直、望まぬ結婚を強引に推し進められた時、閨で首に刃物を突き立てるのは、相手ではなく自分に対してだろうとイリスは思っていた。

 それならいいか、と思われても困るので、イリスは言わないが。
 合法的に破談に持ち込める方法があるのだから、そちらを頼った方が良いに決まっている。

「ところでお姉様、私もレオナール様にお会いしたいのですけれど……」

「ん? まぁ、いいけれど、そうね。明日の午前なら私もいるから、その時に挨拶しなさい」

「んふふ、なんだかんだ言って仲良しなのではないですか」

「決闘に負けてそれを強要されてるだけよ」

 嫌らしい笑みを浮かべる妹に、イリスはうんざりしたような口調で言った。
 しかし、耳と頬が赤い。

「あ、お姉様駄目ですわよ」

 照れた事実を隠すかのように、強めに駒を打とうとしたイリスを、アウローラが止める。

「そこに打ったら負ける、とまでは言いませんが、不利になりますわよ?」

「え……? 貴女、このゲームやったことあるの?」

 知っているような口ぶりではあったが、同時に、やったことが無いとも取れる口ぶりでもあった。

「遊んだ事はございませんわ。遊んでいるところを何度か見ただけです。ですので、ルールを覚えている程度ですわね」

「……どうしてこの手がダメだと思うの?」

「そこに置くと確かに四枚取れますが、その後、リーリアに三枚取り返されてしまいます。こちらなら、三枚しか取れませんが、相手は一枚しか取り返せません」

「…………」

 事も無げにそんな事を言うアウローラと盤上を暫く交互に見たあと、イリスは口を開く。

「その調子で、ちょっと助言して貰えないかしら?」

「はい、いいですよ。あとで遊ばせてくださいね」

「むしろ、貴女とリーリアが勝負しているところを、解説を交えながら見せて貰いたいわ」

 アウローラ=ディック・ソルディーク。
 彼女はイリスの妹であり、ソルディーク家の『賢姫』と謳われる才女である。
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