不遇な王の娘は邪神と騎士に愛を注がれる

高倉阿佐

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第1話

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月が高く登った夜半過ぎ、ミリアムは夜の帳を蝋燭の灯りを頼りに崩れた石畳を注意深く歩いていた。



「ミリアム様、こちらです」



暗闇から低い男の声が呼び掛けた。石塀に燭台を掛け木製の扉を開けると、黒い外套を纏った男が荷物を抱えていた。



「わあ…ギデオン様、こんなにたくさん…いつもありがとうございます」

「例には及びません。ミリアム様に必要な最低限のものしか…口惜しいですが、私はお渡し出来ませんから」



ギデオン──王宮の騎士は表情に悔しさを滲ませながら日用品や食料が入った袋をミリアムに渡した。騎士にとってはこの扉をくぐることの出来ないのも歯痒かった。

そんなギデオンの様子を少し困った顔で見上げていたミリアムは、懐から絹のハンカチを取り出し、ギデオンに渡した。



「以前頂いた、はぎれに刺繍をしたものです。受け取ってもらえますか?」

「私…に、ですか?」



一瞬驚いた様子のギデオンは、照れ臭そうに微笑むと懐にハンカチをしまう。



「ありがたく受けとります、ミリアム様」

「そう言ってもらえると嬉しいですわ。この場所を訪れるのはもう、ギデオン様だけですから」

「…………」

ギデオンは名残惜しそうにミリアムを見つめ、会釈をして去っていった。



受け取った荷物を抱え、ミリアムは廃墟同然の館へ向かった。



──王宮内の片隅、生垣と石塀の隔壁に閉ざされた廃聖堂の敷地、それがミリアムの住み処だった。

壁は崩れ敷石は剥がれた廃墟に、最低限の家具類があるだけの室内。それらがミリアムのすべてだった。



──ミリアムの両親は王と妃だった。しかし母親は別にいた。ミリアムは不義の子だった。実の母親は神殿巫女でありミリアムが五歳になるまで神殿で極秘に養育されていた。しかし王が倒れ王妃が実権を握るとミリアムは神殿から連れ出され王妃の元へ連れてこられた。王妃はミリアムを見るや憎々しげに言った。



「まあなんて可愛らしいの。白い肌に黒檀の髪、薔薇色の唇…本当に、あの巫女にそっくりで…あああ、見ているだけではらわたが煮えくり返りそうよ。ねえお前、この娘の顔をこれで切り裂きなさい」







──娘は王妃の侍従のナイフで顔を切り裂かれ、この廃墟に投げ捨てられた。廃墟は施錠され、一週間経ち王の不義の無惨な姿を見に来た王妃は驚愕した。

娘は──生きていた。切り裂いた筈の傷は塞がり、脱水症状を起こすなどしていたが命に別状はなかった。

この一件で王妃はミリアムを気味悪がり廃墟から出る事を禁じ、最低限の衣食住を保証されるが、それは籠の鳥となることを意味していた。五歳のミリアムには乳母がついたが昨年亡くなった。そのためミリアムは塀の中の廃墟で自活していたが、孤独の中ひとりぼっち…など思った事は一度もなかった。なぜなら──



「くんくんくん…肉…肉の匂い…我に献上するのだ!肉を!!」

「もう、ちょっと待っててってば、アーヴってば」

荷物の包みを破こうとする黒い毛玉をミリアムは片手で押し退けた。

「くっ…この愛らしい妖精の姿の我にこの仕打ち…」

「アーヴって妖精だったの…?てっきり使い古した雑巾の悪霊か何かかと」

「ぞっ…雑巾…だと…!?……不敬!!…余りにも不敬だぞ!?さすがにそれは」



発狂する毛玉を余所にミリアムが包みを開ける食料品──大きなパンの塊、ハムとベーコンにチーズ、野菜に果物、香辛料。石鹸等の日用品がずっしりと詰まっていた。その中に小さな可愛らしい香り袋と折り畳まれた紙片が挟まっていた。



──どうか貴方に安らぎと平穏がありますように。



丁寧に書かれた一文。署名はないが字でギデオンだと分かった。ミリアムは胸が張り裂けそうな思いだった。ギデオン様…



国王直属の近衛騎士の彼は少年の頃から王宮に仕え、王の側近の父と共にミリアムの住む廃墟に物資を届けてくれていた。

王妃からは交流も会話も禁止されていたが、ギデオンの父は束の間の子ども達のとりとめもない会話を、見て見ぬふりをしてくれた。父の後を継いだ今も、それは続いていた。



「どうか貴方に安らぎと平穏がありますように、か…ふん、腰抜けの子どもが文など、生意気な……!!」



……横でなにやら喚いている黒い物体は自身をアーヴと名乗る自称神だ。いや彼は嘘つきなのでその場で神だの妖精だの言動がころころ変わるので意味はないのだが。

アーヴはミリアムが廃墟に来る前から居たらしく、ミリアムの話相手になってくれた。しかしどうやらミリアム以外の人間には見られたくないらしく、世話をしてくれた亡くなった乳母の前には一度も現れなかった。今では新しい同居人かのように振る舞っているが…



「…なあミリアム、最近あいつの周りが騒がしいのを気が付いているか?」

「え…?あいつ…って、ギデオン様の事?」

「いや、分からないならよい。だが…くっくっくっ、ここにも届く程、匂いががぷんぷんしてくるわ…」



にやついているらしいアーヴを尻目にミリアムは荷物の振り分けを始めた。乳母がいた頃は家事を手伝うだけだったが今では生活の全てを担っているのだ。食料を厨房の貯蔵庫に収納し終わると寝室に向かう。



ミリアムの部屋は廃聖堂の中でも一番損傷の少ない場所だ。それでもすきま風も吹く有り様だったので乳母と共に織ったタペストリーやはぎれを縫ったカーテンを壁に掛けて風避けにしていた。

ベッドの横のサイドテーブルに香り袋を置き、ミリアムはベッドに潜り込んだ。

そこに毛布の中にアーヴも入ってきてミリアムはアーヴを胸に抱えるようにして横たわった。



「なあ…ミリアム、お前はこの生活で満足か?」

「え…満足かって…」

「お前が来てからもう十五年経つ。生活のすべは死んだ乳母から教えられてきたが、お前だってもう大人だ、外の世界を見たくないのか?知りたくないのか?」

「そんなのアーヴだって同じでしょ。あなたもここから出られないから私の話相手してくれているんでしょ?」

「………出られない…訳ではない」

「えっそうなの?じゃあどうして…」

「機を伺っている。その時が来たら…我はお前を娶ろうと考えている」

「えっ…やだ。汚い雑巾のお嫁さんとか無理」

「~~~ッ!!!だから我は雑巾ではないわ!!無礼者が!!…いや、この姿なら無理もないな。元の姿を知らないお前なら」

「アーヴは…私が可哀想だと思ってる?だから、私を娶るなんて言って私を喜ばそうと…」

「いや、そんな意図はないぞ。お前が美しい娘だからだ。後は…まあ、礼だな。我を解き放った事への」

「や、やめて、アーヴ…美しいなんて言わないで…」



ミリアムは怯えて黒い塊を抱く力を強めた。その身体は震えていた。



「おばあさんからずっと言われてきた…王妃様は王様を奪った女をずっと憎んでいて、その子どもの私も、憎んでいるって…外へ出ようとしたら今度こそ殺されるって…」



ミリアムは遠い過去の記憶を覚えていた。鬼のような貌の女性が命じて、男性がナイフをミリアムの額に突き立て引きおろしたのを。痛みと血に視界が遮られ、そこから記憶はない。目覚めたのはこの廃聖堂で、そして出会ったのがアーヴだった。



王妃の使いが廃墟に訪れるまで、ミリアムは捨て置かれていた。王妃はミリアムが死んだものと思っていたので、食料を与えられずミリアムは飢えた。それにどこからかアーヴは獣の肉を持ってきてミリアムに与えた。そして聖堂内の噴泉まで案内し、飢えをしのいだ。それから王妃の使いに発見され──どういう訳か、ミリアムの顔の傷は塞がっていた。



アーヴは命の恩人だ。そして今まで寄り添ってくれた。だが、この聖堂は王宮内にあって、王宮には王妃がいる。あの忘れることの出来ない、冷たく、熱く、引き裂かれ刺さるような痛みをもう一度受けたなら、今度こそ死んでしまうだろう。



「……アーヴ、私は王宮の事なんか何も知らないけど、ギデオン様のお話では王妃様は王宮の権力を今も握っているんですって。でも王子達も大きくなって、権力を明け渡せば私は自由になれるかもしれない。王妃様は私を嫌っているけど、彼らは私なんて興味ないだろうし…」



「…お前、それまで解放されるのを待つのか?

…王妃が権力に固執して、王妃が死ぬまで待つかもしれんのだぞ?」

「うん…その時は私もおばあさんかもね…でも私は何も出来ない訳じゃない。料理も掃除も洗濯も裁縫も織物も何でも出来る!!ここでも、王宮の外でも…だから、私は大丈夫。心配してくれてありがとう、アーヴ」

「…………」



アーヴはなにやら考え込んでいるが、ミリアムの朝は早い。聖堂の空き地に植えた野菜の面倒や水汲み、朝食の用意もすべて自分の仕事だからだ。一日中仕事に追われていれば煩わしい事は考えなくて済む。今は、それでいいのだ。



「…お前は、あの男をどう思っている?」

「え、ギデオン様の事?…親切で、礼儀正しくて、背が高くて、綺麗な顔で…手がごつごつしてる、努力家な方…かな」



ギデオンは美男子だ。金褐色の髪、高く真っ直ぐな鼻梁、引き締まった表情、輝くような深い青い瞳…あの瞳に見つめられ微笑まれたら、誰でも頬を染め彼を直視出来ないだろう。それはミリアムも同じで、だがその思いは決して明かすことはないと心に決めていた。



「…我は知っているぞ。お前はあの男に懸想しているのを…隠さなくていい、お前のような外界から隔絶されて育った娘には目の毒だろうよ、あの男は…正直、我の妻になる者に近づかせるのもいやだが、我は寛容な神だ、ミリアム、お前にあれをやろうと思う」

「………は?」



……何を言っているか分からない。確かにギデオン様に惹かれていないといったら嘘になるが、あれをやるってどういう話だ?



「アーヴ、あなたが何を言っているか分からないのだけど」

「よいよい、これから先の話よ。だが言っておくが我はあれよりも美丈夫だ」



思わず吹き出したミリアムはベッドの上で見悶えた。朝は早いのに、寝れなくなる冗談はやめて欲しい。なにやら不機嫌そうなアーヴは気にしないで眠りについた。



──それから一月後、王宮は、多くの屍と、血の海に染まることになる。



連日騒がしかった王宮が静寂に包まれ、空が白んできた頃、怒号と絶叫、悲鳴や叫び声があちこちから上がった。

ミリアムは怯えたが聖堂は周囲を高い隔壁に巡らされているため状況がわからない。数日前からアーヴの姿も見えなくなっていた。もしかしたら聖堂の外へ出たのかもしれない。以前アーヴは聖堂の外へ出られると言っていた。外の様子を窺いに出て巻き込まれてしまった…考えただけで血の気が引いた。



「ミリアム様」

びくりと身体が震えた。しかしその声がギデオンのものであるのに気がつくとほっと胸を撫で下ろした。



「ミリアム様、私です…ギデオンです…もっと早くにこちらに向かいたかったのですが…手間取ってしまい、申し訳ありません」

「ああ、ギデオンさま……っ!!…ぎ、ギデオン様…それは…」

「ああ、ここへ来る途中で戦闘があったもので…気が付きませんでした」



ギデオンの頬には返り血が掛かり、騎士の装束は赤黒い血がべっとりとこびりついていた。そしてギデオンの表情。頬が緩み上気した顔は普段のギデオンとあまりにかけ離れた姿だった。そして、ギデオンは扉をくぐり抜け、聖堂内に足を踏み入れている。許されないことだ。それを、事も無げに犯してしまっている。



「さあ、参りましょう」

「え?」



ギデオンに手を取られる。彼の革手袋も血に濡れており、その手を振りほどきたいがギデオンはそれを許さなかった。



「やっと、やっとなのです、貴方を解放出来る…貴方をあるべき場所にお連れすることが出来る…ああ、長かった、そして──今日がその日なのです…ミリアム様」



ギデオンの熱っぽい、ギラギラした鬼気迫る表情にその場を逃げ出したい一心だったが彼の腕は鋼のように固くミリアムを逃がさない。



「で、でもどこへいくのですか?」

「それはもちろん、玉座の間──貴方が座す場所です」









──初めて見る外の世界は……地獄だった。道のあちこちに折り重なった兵士の死体が転がっており、王宮の廊下を歩くと流れ出る血で滑るのではないかと言うほどだった。



「今まで話せませんでしたが、私は何年も前からクーデターの準備をしてきました。騎士団と、王家と上級貴族連中に不満や怨みを募らせる下級貴族達、商人や市民など…首都だけでなく、地方にも。正統な王の血筋が旗印だからこそ、ここまで賛同を得る事が出来たのです」

「正統な王の血筋…?」

「……ええ、ミリアム様、私は──先王の子なのです。ああ、分かりやすくいうと、貴方のお父上の兄が私の父に当たります。私も、貴方と同じ私生児の産まれなのですよ…ですが王妃の子はすべて王の種ではない…継承位はこちらにある。協力者のお陰でここまで来ることが出来た」

「協力者…?」

「さあ、着きました、ここです」

「……?!」

ギデオンが足を止めた両開きのドアは半開きになっており、その隙間から死臭が流れてくる。ここまでの道のりも充分凄惨な光景が広がっていたが、この先には何があるのか。ミリアムは震えが止まらなかった。そんなミリアムの気持ちも知らないギデオンは扉を開ける。

──あまりにも悲惨だった。天井のフレスコ画も、壁に掛けられた肖像画も、総金糸のタペストリーも、絨毯もすべて血に塗れていた。そして玉座から引き下ろされただろう倒れている女性に、ギデオンは剣を突き刺した。



「ギデオン様!?何をなさるんです?!やめて下さい!!」



ミリアムの声も、ギデオンには届いていないらしく剣を何度も振り下ろし続けている。



「父上、母上、私はやりました…父上を誑かして退位させ、母上を死に追いやり、ミリアム様を奴隷同然の身に落とした、この穢れた、地獄の女を、我が正義の剣で突き刺し、切り裂き、柄頭で潰して、潰して、潰して…もう人の形も成さない、肉の塊に成り果てた…臓物を撒き散らした醜い姿にしてやりましたぁ!!

あは、あはは、あっはははは!!」

「ギデオンさま…ギデオン様…もう…お止めになって下さい…」



今まで見たこともないギデオンの残虐な、狂った姿にミリアムは気を失いそうになった。しかしここで彼をそのままにしてはいけない。しかしどうすれば…そう考えているとどこからか視線を感じた。



玉座の横に座り込む、青い長髪に青い身体の男。その視線は真っ直ぐにミリアムに向けられていた。



布を腰に巻いただけの奇怪な姿の男に震える声でミリアムは声を掛けた。



「あの…もし、あなたもギデオン様の仲間の方ですか?どうかギデオン様を止めて頂けませんか?」

「止めなくてよい。その男は積年の怨みを晴らしている最中だ。好きにさせよ」

「……えっ?!」



男の声には聞き覚えがあった。聞き覚えどころではない。その声はミリアムと長年友情を育んだ友の声そのものだった。



「その声…うそ…でも…いいえ…」

「やっと気付いたか。我はアーヴ。いや、お前にはきちんと名乗ろう。我が名はアーヴァド。この地に王と巫女に封じられた、大いなる古き神よ」

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