『獣の王』

今野 真芽

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第四章

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 儀式の夜は、ちょうど満月だった。月明かりが差し込む大広間で、サリナは宝石の嵌め込まれた玉座に座っていた。傍らにはアニスが、王妃として控えていた。飾り気のない格好だが、よく休んだおかげか疲れも和らいだ様子で、月明かりに照らされたその美貌は際立っていた。その華奢な姿態がまた、サリナの毛皮と筋肉に覆われた巨体を大きく見せていた。
 列席した獣達の多くは新たな王を見上げながら、つい先日、この大広間で行われた凄惨な殺戮と食事について思い出していた。だが、血の一滴までが舐め取られ、残された羽根や骨も、アニスの手によって片付けられていて、その痕跡はすでに欠片もなかったので、それはサリナの知るところではなかった。
 猿が高らかに儀式の始まりを宣言する。
「ここに、新たな『獣の王』をお迎えした! 王より、この森の新たなる規律について宣言が為される!」
 サリナは玉座から獣達を見回した。兎、山羊、狼、鹿。多種多様な獣達がいる。彼らの目には確かな理性の光があり、元は人間だということもうなずけた。
 サリナは、王城で侍従に教えられたとおり、語りだす。
「獣たちよ。私が『獣の王』である間、おまえたちに人間への手出しは許さぬ。おまえたちは決して森を出ることなく、森へ立ち入った旅人は無傷のまま森の外へ案内しろ」
 そして、自分なりに付け加える。
「そして、我が妻であり王妃、アニスに対しては、私と同様の敬意を払うように」
 アニスは目を瞬かせて、少し驚いたようだった。
 獣達はそれぞれのやり方でひれ伏し、新たな王への恭順を示した。
 だが、そこで口を挟んだ者がいた。猿であった。
「王よ。人間への手出しは許さぬとおっしゃった。それはいかなる理由あってのことでしょうか」
 それは、侍従に教わった儀式の手順にはない言葉だった。サリナが黙っていると、猿は言葉を続けた。
「この儀式の間、王は臣下の問に必ず応えねばなりません。それが決まりです。どうかお応えください、王よ」
 初めて聞く決まりだ。猿はわざと説明しなかったに決まっている。サリナは少し考え、そして答えた。
「人間は徒党を組み、知恵を使う。敵に回し、森に毒を流されるような事態になれば、たとえ我らが死なぬとも、我らが森が穢されることは必至である。今、人間とは互いに不可侵の関係を築けている。ならば、この状態を維持するのが合理的な判断というものだ」
 猿は小さく舌打ちした。『人を殺すのはよくないことだ』などと綺麗事を抜かせば、『それは人の論理で、獣の論理ではない』と反駁してやれたのに。
 だが猿は、諦めず続ける。
「おお、恐ろしい。それでは王よ。いざ、森に毒を流されたその時は、いかにすればよろしいのか」
「その時は、改めてお前たちに命じ、この森を出て、我らの力を知らしめることを許す」
 猿は歯噛みした。だが、なおも諦めない。
「では王よ。アニス王妃は契約によりモリブ村から参られた。その契約が結ばれた理由をお伺いしたい」
 サリナはそれを知らなかった。だが、隣のアニスが玲瓏たる声で語りだした。
「そもそも、初代の王ハールーンがこの森に立ち入ったのは、モリブ村の者達が、『獣の王』にそそのかされてハールーンを騙したからでありました。モリブ村の者達はその責任を取り、『獣の王』に妻を捧げること、森の獣達に捧げものを続けることを誓い、契約と為したのです」
 サリナはアニスを見、アニスは黒曜石の瞳でサリナを見つめ、頷いた。サリナは猿に向き直る。
「我が王妃、アニスの語ったとおりである」
 猿は悔しそうに唸ったが、それ以上質問を続けることはなかった。
「……これにて、儀式は終了する。みな、新たなる王に忠誠を!」
 獣達が声を揃えた。
「忠誠を!!」
 サリナの腕に嵌められた──どういう仕組みか、熊の巨体となっても食い込んだり壊れたりせず、ちょうどいい大きさになった腕輪が、赤黒い光を放ち、その光は大広間に広がった。
 光が収まった時、腕輪は元通りの銀色に戻っていた。だが、そこに刻まれた薔薇はわずかにその色を変色させていた。ちょうど、血を一滴だけ垂らして、それが滲んだような、そんな色に。

 獣達は、儀式を終え、宮殿からそれぞれのねぐらに帰る間に、新たなる『獣の王』について話し合った。
「女が『獣の王』になるのは前代未聞だが、なかなか頭が良さそうだ」
「あの猿も、警戒しているんじゃないか。儀式の間に質問をするなんて、今まで一度もなかった」
「──あの猿、我慢が効かなくなっているんじゃないか。『獣の王』を殺すことに味を占めて」
 それきり、誰も何も言わなかった。
 繰り言も恨み言も、すべて飽きた。
 すべては繰り返しだ。『獣の王』が即位することも、それが森で暴虐を振るい、やがては獣に堕ちて、皆でそれを喰らうことも。
 此度の『獣の王』こそ、我らを解放してくれるのではないのかと、そんな淡い期待を抱く者は、すでにこの森にいなかった。

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