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修行開始!

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 太陽はすでに中天に。うららかというにはいささか強い陽光が少年たちの肌を灼く。
 上戸老人は少年たちを睥睨する。
「どうした、もう立てないのか」
 地面に座り込んだままの少年たちは、顔を上げることすらできず、ぜいぜいと息をつくのが精一杯だ。
 北風<ホクカ>はなんとか顔を動かして隣の南瀬<ミナセ>を見やる。
「なぁ……俺たち、死ぬんじゃないか?」
 そのささやき声に、南瀬からは一瞥だけが返ってきたが、その目線は雄弁だった。
 うるさい、黙れ、余計な体力を使わせるんじゃない。
 北風は肩を竦めた。

 上戸老人の修行は、まずは体力育成として、屋敷の裏山を走り回るところから始まった。駆け上がり、駆け下りるのを繰り返す。それだけならまだ良かった。犬の姿をした魔術機械<からくり>をけしかけられ、それに捕まったものから山の麓に連れ戻され、最初からやり直しだ。
 やむなく、木の上に登ったり岩場を伝ったりして犬から逃げる必要があり、余計に体力を使う。それだけで疲労困憊だった。
 しかし、屋敷に戻ってしばしの休憩と水分補給の時間が与えられたかと思えば、今度は剣の型の修行。一分の歪みもなく型どおりに剣が振るえるまで、徹底的に剣筋を矯正され、素振りを繰り返す。すでに疲れ切った身体にこれは辛く、小一時間もすれば、ほぼ全員が立ち上がれない状態となっていた。
 南瀬が歯を食いしばり、地面についた手に力を込める。ゆっくりと立ち上がっていく彼に、北風は目を丸くした。
「……俺は、まだやれます……!」
 それは鬼気迫ると言っていいほどの表情だった。そんな南瀬を見て、他の者達も顔を見合わせる。そして、負けてはいられないとばかりに、一人、また一人と立ち上がっていく。
 弱々しく足を震わせながら立つ南瀬のその背を見て、群れの王だ、と北風は思う。南瀬がみんなを引っ張っている。それは、かつての焼け野原で皆を率いた姉の背に重なった。
 幼かった北風が何も考えず憧れ、尊崇していた姉の背。本当はまだ自分にこそ庇護が必要だったはずの、幼い少女の背。本当は北風が守らなければいけなかったはずなのに、そうとは気づけなかった、その背。
 気がつけば、北風も立ち上がっていた。南瀬の隣に並ぶ。南瀬が北風を見た。二人の目線が一瞬だけ合って、外される。
「よし! では素振りをもう百回──その後に休憩、昼食とする!!」
 安堵のざわめきが場を満たした。

 昼食は食堂に焼き魚や煮物、漬物などが大皿に山盛りにされ、各自好きなように取って食べる形式だったが、多くの少年らは疲労のせいで胃袋がひっくり返りそうだと、申し訳程度の少量を皿に乗せている。
 そんな中、周囲が驚くほどの量を皿に山盛りにしているのが、なんと孝太だった。食い詰め農民の彼にとって、食べ物とは食べられる時に食べられるだけ食べるべきものなのであり、目の前の美味そうな料理の数々を放っておくなどもはや大罪なのだった。
 同室の三人はなんとなく同じ食卓についたが、南瀬は感嘆と呆れの入り混じった視線を孝太に注いだ。
「……すごいな」
 孝太は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いや、北風だってそれなりに食べてるじゃん」
 孝太と南瀬の視線を浴びた北風の皿には、確かに、孝太ほどの量ではないものの、とりどりの料理が並べられている。
「いや、食べるのも戦いのうち、食わない者は戦場で生き残れないって、いつも義兄さんに言われてたからさ。俺も心がけてるんだ」
 北風がそう言うと、南瀬はややしんみりとした顔をした。
「そうか……北塵藩の亡くなった兄上方の教えなのだな」
 いや、生きてる方の義兄だけど。そもそも死んだ実兄たちとは仲悪かったし──と北風が説明しようとしたところ、例によって、意地の悪い声がかけられた。
「はっ! 貧乏人共は意地汚くよく食うなぁ! しかも、農民と同席かよ。さすが、焼け野原の名ばかり藩主には、格式ってものも必要ないらしいな!?」
 振り返ればそばかすの少年──蓮西條<レンサイジョウ>が、こちらを見てニヤニヤ笑っていた。北風はげんなりする。
「今は同じ修行仲間だ、農民も藩主もあるか。おまえこそ、上戸翁の屋敷でそんな風に尊大に振る舞っていたら、西蓮藩の評判に関わるぞ」
 西條が自分では料理を取りに行かず、気の弱そうな少年にあれこれ指図して料理を取りに行かせているのを、北風は見ていた。
 西條は怒気に顔を赤く染めた。
「てめぇ……いっぱしの藩主ぶりやがって、なんにも無い焼け野原がようやくなんにも無い草っ原になったくらいで、北塵藩ごときが西蓮藩と同格のつもりかよ!?」
 北風は眉根を寄せる。
 確かに、北塵藩は復興して間もなく、賑やかな市場も、贅を凝らした街も、何もないに等しい。だが、希望がある。この先を信じて歩く人々の笑顔がある。それを馬鹿にされるいわれはなかった。
「二人共、よせ。修行中に騒ぎを起こすな──特に西條、おまえだ」
 止めに入った南瀬を、西條は鼻で笑う。
「同病相憐れむってやつか? 南海藩じゃ残飯食わされてるらしいな、名ばかりお坊ちゃま?」
 北風が西條に掴みかかろうとするより、南瀬が北風の腕を掴む方が早かった。
 同時に、怒声が飛ぶ。
「うるせぇぞ!! 飯の時間くらいゆっくり休ませろ!!」
 怒鳴ったのは、ひときわ頑健な体つきをした大柄な少年だ。東蘭<トウラン>藩の蘭東丸<ランヒガシマル>、と誰かが呟く。東蘭藩といえば、皇都を取り巻く四方四藩のうち、最も繁栄した豊かな藩だ。西條も怯んだ様子を見せる。東丸の前の皿には、孝太と張り合う量の料理が山盛りにされていたから尚更だ。
 それで騒ぎは一旦終わりを見せ、まだピリピリとした緊張感を残しながらも、全員、黙々と箸を口に運んだのだった。

 午後は魔法の授業だった。地面に描かれた巨大な魔法陣は、強大な重力を発生させるもので、発動すると同時に全員を地面にへばりつかせた。指示はいたって単純、『立ち上がれ』。だが、それほど簡単なことではない。立ち上がるためには、全力全霊の魔力を身体に巡らせ、さらにそれが重力と反発するよう制御しなければならなかった。
 魔力の強大さのために魔力の制御が苦手な北風はこれには悪戦苦闘し、とうとう立ち上がることができなかった。北風ののたうち回った場所は地面が大きく抉れてしまい、その後片付けをするよう厳命された。南瀬と孝太が手伝ってくれたが、終わる頃には三人ともすっかり土で汚れ、風呂の時間は終わりかけており、慌てて風呂に駆け込んだ。
 風呂は大きな檜風呂だ。普段は使われていないが、客人が来るときや、こうして武術指南を開く時に使うらしい。湯はまだ熱く、湯気を立てており、烏の行水のような慌ただしい入浴でも肌は紅く温まった。
 三人が湯に入る頃には、もう湯船には他に一人しか残っていなかった。その少年は、茹で蛸のように真っ赤になりながら腕組みをし、なにかに耐えるように口をへの字にして湯に浸かっていた。がっしりと筋肉質の、頑健な体つき。それは、東蘭藩の蘭東丸だった。
 北風と南瀬、孝太は顔を見合わせる。昼間の仲裁の礼を言いたい。が、東丸の様子は、どうも取り込み中に見える。
 迷ったが、北風が声をかけることにした。騒ぎの元凶としての責任を感じたのだ。
「あの……昼間は止めてくれてありがとう。危うく騒ぎになるところだった」
「俺は、どちらの派閥にも属しない」
 礼の言葉への返答は、あまりに唐突で、北風は目をパチクリと瞬かせた。
「は?」
「皇都では今、新たな『大神官』をお前の義姉、元皇女、北塵藩の塵六実と、西條の父、元皇子、蓮二葉<レン ニヨウ>のどちらを任命するか紛糾中だ。実績と実力なら塵六実、地位と勢力なら年長者でもある蓮二葉と言われている。が、東塵藩はその問題について中立を保っているし、俺は、おまえがその問題についてどのような立場をとっていようが、一切関知しない」
 ──どのような立場も何も、まったくの初耳なのですが。
 『大神官』とは、国で随一の魔法士に与えられる称号である。選ばれたものは国を鎮め、護るための神事を執り行う、責任重大な立場になる。同時に、与えられる権限も相当なものだ。
 どうやらその地位を巡った争いが、西條が北風を──北塵藩を敵視する原因らしい。
 北風の心は乱れた。
 姉さん、そんなことになっていたのか。本当は気弱で、重責には震えてしまうような姉さんが、そんな話を持ちかけられて、思い悩まなかったはずがない。どうして俺に教えてくれなかったんだよ。何もできなくても──話を聞くくらいはできたはずなのに。
 それともその役目は、すでに義兄のものになっているのだろうか。
 思い悩んでいた北風だが、東丸が立ち上がって立てた、ザバン、という水音に我に返る。
「あ、ありがとう。──もしかして、それを言うために俺を待っていてくれてたの?」
 茹で蛸になってまで湯船に浸かり続けていた理由が自分なら、ちょっと申し訳ないと思う。
「いや。それとは関係ない。風呂とは、己との戦いだ。──分かるだろう」
 分かりません。
 どうやらこの蘭東丸は、相当な変人らしかった。
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