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流民街へ

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 流民。定住することなく放浪する民らは、はるか昔からいた。遊牧を営む一族もかつては流民に数えられていたが、多くの遊牧民族らは今は通行手形を得、国から正式な許可を得て旅をしている。
 流民が大きな社会問題になったのは最近のことだ。発端は何を隠そう、北塵藩を襲った「隕石の夜」だ。
 巨大な隕石が流星のごとく次々と北塵藩の大地に降り注ぎ、その地と人々を焼き払った。その天変地異は、北塵藩だけでは終わらなかった。それを発端に、他の藩でも大なり小なり、地震、竜巻、大嵐などの天災に見舞われ、それまで国を覆い、鎮めていた結界が、大きく揺らいだのだった。結界の揺らぎから、大地の穢れが湧き出す。
 穢れの湧いた土地は農作物も育たず、水も汚れ、とても住めたものではない。国の魔術師が各地に派遣され、穢れを払い、結界を繕った。が、とうてい追いつかない。人々は選ぶしかなかった。その地に留まり死んでいくか、逃散して流民となるか。
 そうして流民は増え続けていった。放浪の先々で盗賊行為を働く者、不法に土地を占拠する者、流民が原因となった諍いは枚挙に暇がない。
「──ったく、なんで俺が、流民街なんて汚らしい場所に行かなきゃならねぇんだ」
 そんなわけで、流民達を蛇蝎のごとく嫌う者も多いのである。
 その気持は分からなくもないし、その考えを責めもしない。が、よりにもよって流民の子どもの前でそんな台詞を吐く西條を、北風は軽く睨んだ。流民の少女──カナと名乗った──は、すっかり西條に怯えてしまい、北風の背に隠れる。北風はその背を軽く叩き、安心させるように笑った。
 東丸と南瀬は、少女のことは北風に任せることにしたらしく、時折地図を確認しながら黙々と歩む。
「カナ。君の家は、まだ遠く?」
「もうちょっとだよ」
「──君は随分健脚なんだな。もう随分歩いた気がする」
 それでもやがて、遠目にその街が見えてきた。粗末な小屋が密集している周りに、畑らしきものが広がっている。いずれ、不法に占拠した土地だろうが、もう長いこと彼らはそこで暮らしているのあろう。畑には実りがあった。
「あそこで、上戸殿の知り合いだという魔法士に会って、『試練』とやらを受けなければならないのだな」
 東丸が重々しく頷く。
「寒凪蛹<かんなぎ さなぎ>、皇の直属軍にいたこともある、高名な魔法士だが──なぜ流民街になどいるのだろう」
 南瀬が首を捻るが、答えを知っている者は誰もいない。
「ん~」
 北風は頭を掻く。皇都の事情には疎い北風だが、寒凪の名は知っていた。──というか、この修業に出立する前、義兄から聞かされていたのだ。だが、それがこの試験にどう影響するかは分からない。他の面子にはまだ黙っておくことにした。代わりに、カナを見下ろす。
「カナ。寒凪蛹さんていう人の家、知ってるかい?」
「知ってるよ。案内してあげる!」
 カナがぱたぱたと小走りに走り出し、道の先で四人に手を振り、早く来いと呼んだ。

 流民街は、案外に活気のある街だった。街の中央を貫く道は市になっていて、どこかから手に入れたらしい魚の干物や肉、布や魔法具に至るまでが軒先に吊り下げられている。ちょっとした闇市になっているのだろう。流民街の外から訪れたらしき者達も、外套の頭巾を深くかぶって顔を隠し、怪しげな魔法具の店の前で、何やら交渉している。
 そんな中、明らかに身なりと育ちのいい少年四人は胡乱な目を向けられた。
「おい、なんだありゃあ」
「坊っちゃんがたよぉ、遊びに来るところじゃないんだぜ!」
 そんな野次が飛ばされて、西條がなんだと、と激高しそうになるのを、東丸と南瀬が両脇から抑える。
 カナはすいすいと人混みを泳ぐように進み、四人はついていくので精一杯だ。表通りから裏路地に入り、いくつかの角を曲がれば、もう方角が分からない。
「ここだよ」
 カナが指し示したその小屋には、小さな緑色の看板がついている。魔法士がここで開業しているという証だ。
 カナはさっさと扉を開け、中に向かって声をかける。
「蛹おじさぁん」
 すると、中からのっそりと大柄な人物が現れた。ざんばらな髪、無精髭に覆われた顎を何故ながら、大儀そうに歩いてくる。
「なんだ、カナ。またばあちゃんの具合でも悪くなったのか……って、なんだ、おまえら」
 皇都でも有名な人物、という前評判からは想像もしていなかったうらぶれた様子に目を丸くしていた少年たちは、誰何されて慌てて我に返る。
 口火を切ったのは東丸だ。
「名乗るのが遅くなり、失礼いたしました。私達は、上戸彰敏殿のもとで修行を受けている者です。上戸殿の命により、寒凪殿をお尋ねさせていただきました」
「あと、迷子のカナを送り届けに」
 補足したのは北風だ。
 寒凪は少年たちを見、そしてカナを見る。頭を掻いて、けっ、と吐き捨てる。
「上戸の爺さんにつきあう気はなかったが──カナのばあちゃんには、何かと食事のおすそ分けに預かってるからなぁ。まぁ、入れよ」
 狭い小屋の壁には、様々な魔法具が所狭しと吊り下げられており、北風は興味津津で眺めた。他の三人は居心地悪そうにしている。この小屋は、今まで彼らの生活圏には存在しなかったほどの粗末さなのだろう。
 ちゃぶ台の前に座るよう促され、カナが勝手知ったる厨とばかりにちょこまかと立ち働いて、茶渋のついた欠けた茶碗で茶を出してくれた。北風は礼を言って一口飲み、南瀬と東丸もおずおずと後に続いたが、西條は茶碗に触るのも嫌だとばかりに手を付けようとしない。
 カナはちょこんと寒凪の隣に座り、寒凪も追い出そうとはしないまま、ちゃぶ台に肘をついて、四人を睨めつけた。
「で? ここに来たってことは、おまえ等が今の所の成績優秀者ってことか。はっ、上戸の爺さんの修行も、程度が落ちたもんだ」
 わざと怒らせようとしている口調だったが、その声には酒精も感じられた。
「──程度が落ちたかどうかは、ご自身でお確かめいただければ」
 静かにそう言ったのは南瀬。こんな粗末な小屋の中でも、彼のぴんと伸びた背筋には高潔さと気品があり、北風は感心する。
「吠えたな。お前の名は」
「海南瀬です」
「他の三人は」
「蘭東丸」
「……蓮西條」
 東丸は豪胆に、西條は渋々といったように名乗る。そして、全員の注目が北風に集まった。当然、名乗らずに済ますわけにはいかない。北風は寒凪から目をそらし、ぽつりと呟いた。
「……塵北風、です」
 寒凪がカッと目を見開いた。
「そうか。おまえが──時任の義弟とやらか」
 時任とは、北風の義兄、塵晴臣の旧姓である。そして、時任晴臣もまた、皇都で活躍し、名を馳せた剣士。寒凪蛹と面識があってもおかしくない──というか、ものすごく面識があったと、出立前に義兄に聞いた。
 寒凪がジロジロと見定めるように、北風を見る。
「時任の義弟。俺のことは、時任からどう聞いている」
「義兄が皇都の軍にいた時の同期で、数々の戦場を共にした戦友だと。上戸殿の弟子のお一人でもあり、俺が上戸殿のところで修行を受けるにあたってはきっと力になってくれるだろう、何かあったら頼りなさい──と」
 声はだんだん細くなる。
 義兄からその話を聞いた時は、まさか寒凪のもとで試練を受ける羽目になるとは思わなかった。他の三人から、贔屓だと思われないだろうか。特に、家人らの支援さえ受けられずに自力でこの修業に参加した南瀬に、過保護だと思われないだろうか。そんなことが気になる。
 低い唸り声がした。それはやがて、哄笑へと変わった。
「はっ、ははは、あっはははは、はっはっはっはっ!!」
 驚いて見守る少年たちの目の前で、寒凪は腕組みをし、天を仰いで大きく笑っていた。
「戦友だと!! 言うに事欠いて!! あの裏切り者が!!」
 寒凪は北風達に向き直ると、ちゃぶ台に拳を振り下ろした。ちゃぶ台は大きくきしみ、真っ二つに割れる。落ちた茶碗が割れて、熱い茶が膝にかかった。
「あっち!?」
 少年たちは慌てるが、寒凪は気にもとめない。
「いいぞ。試練とやらを受けさせてやる。──特に、塵北風。時任の義弟。お前には、絶対に容赦はしねぇ」
 寒凪の口は歪んだ笑みを浮かべているが、その目は血走っている。

 ──あの、義兄上。
 あんた一体、何やらかしたんですか?
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