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勝利のその後に

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「いてて……」
 寒凪は北風の木刀に打たれた腹を押さえながら、ガリガリと頭を掻く。
「しょうがねぇな、全員合格だ。──自分ひとりじゃ敵わん敵に挑まにゃならん時ってのは、いつかかならず来る。そんなときに協力し合えない奴らは、単独でどれだけ強くてもいっそ害だ。上戸の爺さんは、おまえらにそれを教えたかったんだろうよ。まったく、その白羽の矢を俺に立てるのは勘弁してほしかったけどな」
「──聞いていいですか。あなたほどの魔法士が、なぜ流民街に?」
 真剣な顔でそう聞いたのは南瀬だった。寒凪は一旦はさぁな、と誤魔化そうとしたが、南瀬のまっすぐな目線に根負けして、語りだした。
「皇都の軍にいて、あちこちに派遣された。分かるんだよ。自分たちが派遣される場所が、裕福な土地、皇族や貴族に賂を出せる余裕のある土地ばかりだってな。そうじゃない土地の者達は助けを求めても得られず、どんどん流民が増えていく」
 遠くを見つめる寒凪の瞳には、人々の嘆きが、慟哭が、そのやるせない感情が映っていた。
「民を助けたいと思って軍に入った。その自分を裏切りたくなかった」
「──俺は認めない」
 西條がポツリとそう言う。
「瘴病病みは穢れだ。土地が穢れるのは、その土地の者が土地の管理を怠ったからだ。勤勉に働き、土地を病ませなかった者達が富むのは当然だろう。だから、流民なんてものは──」
「自業自得、か?」
 責める風でもなく、寒凪が後を続けた。
「お前がそう教えられてきたのは分かる。だがな。おまえはもう、自分の目で見たことの真偽を判断できる年なんじゃないか?」
「……っ、試練は終わった、俺は上戸殿の屋敷に帰る!!」
 西條は足早に立ち去ってしまう。東丸が頭を下げた。
「申し訳ありません、ご無礼を」
「いや」
 寒凪はかぶりを振った。
「人の価値観とはなかなか変えられないものさ。動揺している分だけ、あいつには見どころがある。おまえらももう帰っていいが、時任の義弟、おまえは少し待て」
「ふえ?」
 この上何かあるというのだろうか。

 一人残された北風に、寒凪は厳しい目を向けた。
「……時任とは、共に国を変えよう、民のために尽くそうと、幾夜も語り合った。なのにあいつは、怪我が治った後も皇都の軍に戻らず、地方藩主の婿に収まり、大義を捨ててのうのうと暮らしてやがる。裏切り者だとそう思った」
「そんなわけない!!」
 北風は思わず叫んでいた。
「義兄さんが、自分の信念を曲げるわけがない。大体、貧しい北塵藩にいるより、皇都の軍の方がずっと裕福に暮らせたはずだ。それに、俺は見てきた。あの人は、俺の姉さんを除けば、誰よりも民のためを思い、尽くしてきた人だ。義兄さんにはきっと何か考えがあって──!」
 言い募る北風を、寒凪はひらひらと手を振って静止した。
「今は、俺にもそう思える。お前を見たからな。お前の剣には確かに、時任の教えた跡が見える。──あいつが哀れな孤児から藩主の座を掠め取ろうとしているという噂は、どうやら真実ではないらしい」
 そんな噂が流れてたんかい。
 北風が目を丸くする間に、寒凪は厳しい顔になる。
「だが、気をつけろよ。あいつが大義を捨てていないというのなら──あいつは、その大義のために、何であろうと利用し、どんなことでもするだろう。あいつのことを、いつでも味方だとは思うな」
 義兄さんはそんな人じゃない、と反射的に反駁したくなるが、寒凪の声音の真剣さに、北風は言葉をつぐんだ。
「腕を出せ」
 と寒凪は北風に命令し、北風は特に何も考えずにそれに従う。寒凪は懐から黒い金属の輪を取り出し、北風の腕にガチャンと嵌めた。
「ええっ!?」
 飾り気のないそれはさながら手錠に見えて、北風は青ざめる。寒凪はそれに構わず、
「魔力を放出してみろ」
 と告げる。言われたとおりに魔力を高めてみると、嵌められた腕輪に、青く幾何学模様が浮かび上がった。そして、北風は気づく。高めた魔力の大半が、その腕輪に吸収されていく。北風の身体に残った魔力はごくわずか──人並み程度だ。
「そのくらいの魔力量なら、制御が効くだろう。何か魔術を使ってみろ」
 北風は胸がドキドキと高鳴るのを感じた。生まれてこの方、まともな魔術を打てたことなどない。だが、今なら──!
 掌を掲げる。魔力の光が、魔法陣の形に収束していく。
「光よ──!」
 光を灯す、ただそれだけの魔術。誰もが子供の頃に習う、一番単純な魔術だ。それでも、どれだけ繰り返しても、北風にはできなかった。だが今、まばゆい光が炸裂し、北風の輝く瞳を、紅潮した頬を照らした。
 やがて光が収まってからも、北風は身体の震えを押さえられなかった。ぎゅっと握りこぶしを作る。
「やった……やった、やった、やったああっ!!」
 ぴょんぴょんと飛び上がって歓喜の声を上げる。それを寒凪は呆れたように見ていた。
 ようやく落ち着いた北風は、寒凪を振り向く。
「寒凪さん、これ、もらっていいの?」
「ああ。『何かあったら俺に頼れ』と、時任がそう言ったんだろう。……戦友に頼まれたとあっちゃあな」
 照れたように目線をそらした寒凪からは、もう、一片の敵意も感じなかった。
 腕輪を見下ろせば、真っ黒だった腕輪は、わずかに青みがかっているようだった。
「その腕輪は、おまえの魔力を吸収すればするだけ、青みを増す。逆に魔力が足りなくなったときは、そこから魔力を引き出すこともできるが──まぁ、おまえの魔力量じゃ必要ないかもしれんな」
 門外漢の北風にも、これが、魔法具作りの匠、寒凪蛹の力作であることが分かった。
 深々と頭を下げる。
「寒凪さん。本当にありがとうございました!」
「おう。……また、いつでも来い」

 上戸老人の屋敷に戻れば、すでに夕飯の時間が終わろうとしており、慌てて飯をかきこむ。部屋に戻って、南瀬と孝太に腕輪を掲げて見せる。
「……というわけで、これからは俺もガンガン魔術を使えるようになった!」
 得意満面に鼻を鳴らす北風に、南瀬は冷静だ。
「あれほどの魔力量を制限するとは、もったいなくも思えるな」
「確かに」
 孝太まで同意するので、北風は苦笑した。
「もちろん、いつも南瀬がついていてくれて、俺の代わりに魔力を制御してくれるなら、そっちの方がいいけどな」
 今度は南瀬が目を丸くした。思わずというように目を泳がせ、その頬はやや紅潮している。
「……まるで、一生の相棒になってほしいと言っているようだな」
「え」
 思いがけぬ言葉に、今度は北風が照れてへどもどする。
 互いに目を合わせぬまま挙動不審な動きをする北風と南瀬に、孝太は呆れて半眼になった。
「……なに、この空気」
 思わず呟くが、応えはなかった。
 そこに、部屋の外から
「失礼いたします」
 と丁寧な声がかけられた。
 襖を開けると、上戸老人の使用人が丁寧に頭を下げた。
「皆様に届いたお手紙をお配りしております」
「やあ、ありがとう」
 北風は分厚い封書を受け取った。嫌な予感とともに封を開けると、果たして、べったりとくっついてピースサインをする姉と義兄の写真が現れた。
 一瞬気が遠くなったのを抑え、とりあえず見なかったことにして手紙の方を読む。
「愛する弟、北風へ。元気にしていますか? 姉さんは毎日あなたのことを心配しています。
 それはそうと新婚旅行は最高です! 皇都には外つ国の技術や文化がどんどん入ってきて、とても珍しいの。
 一度街でチンピラに絡まれたんだけど、晴臣さんがあっさりやっつけてくれてね。そのカッコいいことといったら……」
 延々と続くのろけに北風は途中で読むのをやめた。続いて義兄からの手紙を広げる。
「やあ義弟よ、おまえなら修行をやり遂げると信じている。
 それはそうと、皇都でも我が妻の愛らしさは際立っている。道行く男がみな彼女を見つめているようで、俺も気が気ではなく、いっときたりとも彼女から目を離さないようにしている。まあ彼女の愛らしさでは、元々目を離すことなど不可能だが……」
 北風は再び手紙を閉じた。深いため息をつく。
 そんな北風の様子を、孝太は心配そうに見守っていた。
 政敵と噂される姉夫婦からの手紙だ。途中で読むのをやめ、あんなに苦渋に満ちた顔をするなんて、きっと酷いことが書いてあったのだろう。
 また、南瀬の方を見やれば、彼もまた厳しい顔で手紙を睨んでいた。手は木製の板を弄んでいる。手紙に同封されていたものだ。
「……ようやく通行手形を送ってきたかと思えば……様子を見に来る、だと? なんのつもりだ」
 南瀬の声には、抑えきれない苛立ちと怒りが籠もっていた。
 孝太自身には手紙は来ていない。上戸翁の家に手紙を送りつけるなど、孝太の家族にとっては恐れ多くて仕方ないのだろう。また、孝太の家の家計では郵便代とて馬鹿にならない出費になる。孝太も気にはしなかった。ただ、家族のために修行に励むのみだ。
 気のいい孝太は、この同部屋の仲間達が、少しでも穏やかな気持ちで修行に励めるよう、ただ祈るのみであった。
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