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南瀬の義母、来訪

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 厳しい修行が連日続く中、南海藩の紋をつけた馬車がある日、上戸老人の屋敷の門前に横付けされた。庭で素振りをしていた修行者達が見守る中、馬車から降りてきたのは、青い地に赤い牡丹を散らした着物に黄金色の帯という華美な意匠を身に着けた婦人と、南瀬より少し年下に見える、大人しそうな少年だった。婦人は屋敷を見回し、その質素さを軽蔑した様子で、口元を歪めた。
「上戸殿に取次ぎを。南海藩の藩主婦人と、跡取りが来ましたとお伝えなさい」
 使用人に命じる声は居丈高だった。皆の注目が南瀬に集まる。南瀬は悔しそうに唇を噛んでいた。
 上戸老人は少年達に素振りを続けるよう伝え、屋敷の中に戻った。礼服に着替え、客間で客人を迎えるのだろう。藩主の一族を迎えるのだ。いち修行者としてやって来た少年達は例外として、それなりの礼を尽くす必要があった。南海藩の藩主婦人とその息子らしき少年は、使用人に丁寧に案内されて、傲然と胸を張りながら屋敷の中に入っていった。
 少年達はしばらく、言われたとおりに素振りを続けていたが、やがて屋敷の中から金切り声が聞こえてくるに当たって、手を止めて顔を見合わせた。
 やがて女性の使用人達に肩を捕まれ、押し出されるようにして、婦人が屋敷から出てきた。その後を上戸老人が苦い顔で歩み出てくる。南瀬の異母弟はキョトンとした顔で母の後についてくる。
「どうしてだめなんです! 私の子の方が、ずっと優秀なはずです!!」
 玄関から出された婦人は、庭に南瀬の姿を認めてキッと睨み、そして己の子に目線を落とす。
「いただいたお手紙では、南瀬は優秀な成績を収めており、このままいけば御前試合にも選抜されるとのことでしたね? それを、私の子の南都(みなと)にすげ替えていただきたいだけですわ。南都の方が、ずっと優秀な成績を収めるに決まっていますもの」
「だったら最初から、ご子息を修行に寄越せばよろしかった」
 上戸老人の言葉に、婦人は眉を吊り上げた。
「命の危険さえあると噂の修行に、うちの可愛い息子を送り出せるものですか! あなたは御前試合に南都を推薦さえすればよろしい、それがあなたの名誉にもつながるのです!!」
 南瀬が耐えかねたように進み出て声を張り上げた。
「義母上、失礼な真似はおやめください!! 上戸殿は代々皇家の武芸指南役を務め、皇の信頼も厚いお方です。そんなお方に、南海藩の恥を晒すような真似を──!」
 婦人が南瀬を睨む。その顔はまるで般若のごとく、あらん限りの憎しみと侮蔑が籠もっていた。
「おだまり!! 通行手形は渡したでしょう、あなたはさっさと南海藩に戻り、あの離れに籠もっていればよろしいのです!!」
 南瀬は青ざめる。だが、引くことはしなかった。
「帰りません。あなたが何を言おうと、長男は俺だ。あなたの裏工作にも関わらず、俺に味方してくれる家臣とて、未だ多くおります。この御前試合で俺が好成績を収めれば、趨勢は決まる。もはやあなたとて、俺に手出しはできない。──それに」
 南瀬がちらりと北風を見た。
「俺は、この修業で見聞を広げました。ただ藩主の座にしがみつきたいだけじゃない。藩主として民を守りたい。それが俺の義務だと、思い出すことができた。──そして俺の民を、あなたには任せられない。ここ数年の理不尽な増税は、南海藩を疲弊させている。そしてあなたは、藩の財政も顧みず贅沢三昧だ」
「それが何? 南海藩はもう長いこと安泰にやってきたのです。民とて、今は不平を言っても、いずれ今の税に慣れるでしょう。そして、藩主婦人たるもの、身なりを整えることとて仕事のうちだわ」
 話は平行線だ。二人が決してわかり合えないことは、傍から見ているだけでよく分かった。
 しばし沈黙の中でにらみ合いが続いていたが、やがて北風が腕を組んで、口を開いた。
「──なら、決闘でもしたらどうです?」
 南瀬と婦人が、同時に北風を見た。北風は言葉を続けた。
「その子が南瀬よりもいい成績を収めると確信しているのなら、南瀬とその子を戦わせて見ればいい。勝ったほうが御前試合に出る、それでいいのでは?」
 婦人は扇を広げ、口元を覆って、何か沈思する。我が子が南瀬に劣るなど考えたこともなかったが、こんな子どもの口車に乗るのも癪だった。
「──決闘にはそれなりの手続きと立会人が必要でしょう」
 婦人はそう言うが、北風は平然としていた。
「最低でも三藩の承認が必要ですが、ここには北塵藩の時期藩主である俺、塵北風。東蘭藩の時期藩主、東蘭丸。西蓮藩の時期藩主、蓮西條がいる。この三人が承認し、上戸殿が立会人となれば、問題ないでしょう」
 その言葉に、婦人はようやく、貴族も多く集まっている衆目の場で、お家騒動を繰り広げていたことを思い出したようで、狼狽した様子で視線をうろつかせた。
 蘭丸は重々しく頷き、西條は、「勝手に巻き込むな」と文句を言いつつも、拒否はしなかった。皆一丸となって取り組んできた修業の場に突然現れた乱入者への反発心は、皆持っていた。
 そして、おそらくこの場の誰もが、南瀬が負けるなど想像もしていなかった。
 少年達の視線が、上戸老人に集まる。決着を着けさせてやってください、と彼らの視線は雄弁に述べていた。
 上戸老人はしばし腕組みをして目を閉じ、沈思していたが、やがて諦めたように首を振り、決闘の場を整えるよう、使用人に命じた。

 上戸老人の屋敷の庭、急遽整えられた決闘の場に、上戸老人は立会人として、北風、蘭丸、西條は各藩の代表として立っている。少し離れて、他の修行者達が見守っている。
 南都は、その場に自分の味方がいないことを感じたのだろう。不安そうに母親を見やり、母から力強く頷かれて、仕方なく木刀を持ち直した。
「南都。──本当は、おまえ自身には恨みはない」
 南瀬は異母弟に語りかける。語りかけられた方の異母弟は、ぼんやりとした表情だった。
「だが、俺と南海藩の将来のためだ。悪いが、何一つお前に譲るわけにはいかない」
 ややあって、南都は口を開けた。
「何を言っているの、義兄上。藩のものは全部僕のものになるって、母上が言っているのに」
 無垢とすら言えるその声音に、南瀬は唇を引き結び、目を閉じた。再び彼が目を開いた時、その眼差しには憐れみすら籠もっていた。
 上戸老人が号令する。
「構えろ」
 南瀬が木刀を構える。南都も、のろのろとそれに続いた。
「──始め!!」
 最初に踏み込んだのは南瀬だった。激しい猛攻に目を見開きながらも、南都はそれをなんとかしのいだ。さすがに、南瀬を差し置いて跡取り教育を受けていたというだけのことはある。剣才もあるのだろう。母親が期待をかけるだけのことはあるようだ。
 ややあって、今度は逆に南都が攻勢をかけ、南瀬がそれをしのぐ立場になる。さすが剣技で有名な海家の剣、柔にして剛、変幻自在の剣筋に、南瀬も防御一辺倒になる。
 が、この国の正式な決闘では、比べられるのは剣技だけではない。魔術を使うこともまた、許されている。
 南瀬は機を待っていた。口の中で、小さく呪文を口ずさみながら、準備ができるその時を。
 そして、そのときは来た。南瀬の足元が、魔力の光を放つ。南瀬の足跡がいつの間にか、魔法陣を描いていたのだ。
「──疾れ」
 発動した魔術の光が、南都の身体を包み、その肌を灼く。十分に手加減はしたのだろうが、南都は天を仰いで悲鳴を上げ、剣を取り落した。魔術の発動が終わった時、南都は尻餅をついてボロボロと涙を零し、その目にもはや戦意はなかった。
 ここに、勝敗は決した。上戸老人の号令が響く。
「やめ!! 勝者、海南瀬!!」
 わあ、と少年達の中から歓声が上がる。仲間が勝利したことを喜ぶ声だった。
 そんな歓声を断ち切るように、バシッと何かを叩きつけるような音がする。婦人が扇を地面に叩きつけたのだ。
「巫山戯ないで!! 剣技の国南海藩の跡取り同士の決闘で、魔術なんて──!!」
「では、皇家に不服を訴えられますかな、ご婦人」
 上戸老人の声は落ち着いていた。そんなことはできないのを百も承知なのだ。魔術を使うことは、決闘において正式に認められた権利。それを不服と訴え出て認められるわけがない。そもそも、実態はともかく、今の正式な跡取りは南瀬なのだ。この決闘を表に出せば、その簒奪を企てた罪を、逆に問われるかもしれなかった。
 婦人は青ざめ、震える声で、
「覚えておきなさい」
 と言い残し、まだ声を上げて泣いている南都の腕を掴んで立ち上がらせると、屋敷を出て馬車に乗り込む。
 去っていく馬車を見送りながら、少年達は再び歓声を上げ、南瀬の背を代わる代わる叩いた。西條ですら、そっぽを向きながらも、うっすら笑みを浮かべていた。
 最後に南瀬に歩み寄ったのは北風だった。北風は微笑って片手を上げ、
「カッコよかったよ」
 と言った。南瀬もそれに笑い返し、
「当然だ」
 と応えた。
「それより、次だぞ、北風。──俺とお前の将来を賭けた御前試合。せいぜいお互い、カッコいいところを国に見せつけよう」

 数日後。御前試合への推薦者が発表された。
 東蘭藩 東蘭丸。
 南海藩 海南瀬。
 北塵藩 塵北風。
 西蓮藩 蓮西條。

 以上、四名である。
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