犬小屋の暗殺者

ニガヨモギ

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2話

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卓上の小さなノートパソコンに表示されている様々な薬品とその分量。
テリィはアパートの自室で、その分量と計量器を慎重に見比べ、僅かな誤差も発生しないように混ぜ合わせていく。

テリィの暗殺スタイルは、標的の私生活に潜んで毒を盛る。所謂毒殺である。
体術や運動神経に自信の無いテリィのような人間でも、毒を盛るのに成功しさえすればほぼ確実に相手を死に至らしめることができる。

しかし毒殺というのは歴史を見ると非常にポピュラーな暗殺方法である反面、現代社会においては非常にリスクの高い手法である。
科学の発展している現代では司法解剖によって毒殺であることは容易に特定されてしまうし、そして被害者に毒を盛ることができた人物を絞り出せば、この場合テリィは高い確率で容疑者リストにあがってしまうのである。
たとえ暗殺に成功したとしても、すぐ容疑者として疑われてしまうのであれば、そんなものは暗殺ではなくただの殺人である。
しかしテリィが今調合している毒は、そんなリスクを限りなく0にしてしまえる魔法のような毒物だった。

テリィの亡くなった父親はとある大きな製薬会社に勤めていた。
しかし3年前、その製薬会社が研究・開発していた新型ウイルスの特効薬を会社の上役達が成果を急ぐあまりロクな臨床実験もないまま複数の患者へと投与したのだ。
結果、投与された患者10名のうち2名が副作用により死亡。5名が神経麻痺などの後遺症を残す最悪な結果となってしまった。
そんな不祥事の責任をなすりつけられたのが、当時新薬開発の担当責任者だったテリィの父親であった。
彼は開発中の新薬の投与には何度も反対していたものの聞き入れられず、会社ぐるみで上役達の罪については隠蔽し、捏造された責任問題でテリィの父ひとりに世間からのバッシングが集中したのだ。
当然会社にはいられず、テリィをつれて逃げるように住んでいた街を離れたが、次第に精神を病んで強い酒に逃避するようになり、その約1か月後テリィに「すまない」とただ一言だけの遺書を残してこの世を去った。
父を亡くし茫然自失としたまま遺品を整理している時、テリィは父の部屋のノートパソコンに彼の仕事の研究データが大量に残されているのを発見した。
彼が研究・開発していたのは病気を治すための新薬であったが、そのデータの中に研究中の副産物として人体に有害な成分、つまり毒物のデータも大量に入っていた。
そんな父の研究データを半分も意味や内容がわからない中ぼんやりと眺めているうち、テリィの中でふつふつと沸き上がってきたのはドス黒い復讐心だった。

その後テリィは家にあった父の残した研究データや様々な薬学の本を読み漁って1人黙々と開発と実験を繰り返し、僅か1年で1つの毒物を完成させた。
その毒は経口摂取すると数時間かけて血液に浸透していき、赤血球を連鎖的に破壊していく。
そうすると人体は十分な酸素の循環が出来なくなり、頭痛や意識障害の症状が出始め、体の異変に気付いた頃にはもう手遅れとなって死亡するという、血液毒の中でも非常に強力な劇物である。
さらに恐ろしいのは、この毒が服毒したものを死に至らしめたあと、体内で分解されて毒物の痕跡が一切残らないところであった。
分解された毒物の成分は体内にあっても不自然のないものへと変化し、解剖されてもまず特定されることがないという、まさに暗殺のためにうまれた毒物である。
しかも致死量はコップ一杯の水に1、2滴程度であり、小瓶などでどこにでも持ち歩ける上、毒自体も透明無味無臭であるため、対象に気付かれたり怪しまれることもない。
そして服毒から症状が発現し死に至るまでに半日以上の猶予があるため、コップや水差しなどの毒を盛ったものの証拠を隠滅するにも十分な時間があるのも優れた点だ。

薬を完成させたテリィはまず手始めに素性を偽って、父が勤めていた製薬会社の社長の男の家に使用人として潜り込み、僅か3日で毒殺に成功した。
続けて当時父親の上司で、新薬開発部の部長をしていた男の家にハウスキーパーとして潜入し、彼が愛飲していたという健康ドリンクに毒を盛って、こちらもたった数日で毒殺に成功した。
どちらも警察に事情を聴かれたものの、遺体には外傷がないうえ薬物反応などもなく、結局どちらも「変死」として扱われ、テリィの素性についても深く追求されることはなかった。

父の墓前で復讐が終わったことと、人を助ける為の父の研究を利用して人を殺めるものをつくってしまったことへの謝罪を済ませ、テリィは達成感と喪失感がないまぜになった息を漏らした。

せめてこれからは真っ当に生きていこう。父のように誰かを助けるための薬を作れる勉強を始めるのもいいかもしれない。

そんな前向きな目標を持ち始めていた矢先、テリィは見つけてしまったのだ。
自分と同じように会社に詐欺の罪をなすりつけられ自殺した男。その娘の悲痛な叫びを。



その亡くなった人間が勤めていたとある会社の男を調べてみると、各所で悪評の絶えない人物だった。
起業した会社は所謂ブラックであり、過剰労働が当たり前で社員の鬱や体調不良は日常茶飯事。それでいてロクな福利厚生もなく、仕事中の事故も一切労災が認められないという地獄のようなところだった。

そんな折見つけたのが、お金を払って殺人を依頼し暗殺を斡旋するアンダーグラウンド的な掲示板だった。
通常ならマフィアなどが自前で雇っている殺し屋という存在だが、そういった組織に属していないフリーの殺し屋に一般人・個人が匿名でリスクに応じた金額を支払って依頼することができるというものだ。

興味本位でその掲示板の書き込みを見てしまったテリィは唖然とした。
世界にはこんなにも憎しみと殺意が満ちているのかと。
勿論中には「彼氏が浮気をしていた」とか「〇〇の家の車が邪魔」などというくだらないものもあったが、やはり多かったのは誰かの悪意によって恋人や家族を失った遺族からの悲痛な叫びだった。
この時点で既に2人の人間を手にかけているテリィの倫理感は破綻しかけていたが、書き込まれた大量の嘆きと殺意を目の当たりにしたことがきっかけで、完全に善悪の価値観が歪んでしまった。

「これも誰かを助けることになるのかな…」

テリィは譫言のように呟くと、また黙々と毒物を調合し始めた。
誰かの殺意を肩代わりすることが、その人を救うことになるのだと信じて。



噂に聞いていた通り、標的の男は本当にロクでもない人間だった。
社員や従業員を薄給で働かせて搾取した金で悪趣味な豪邸を建て、成金根性丸出しにしているくせにメディアなどにはいい顔をして「社会貢献がしたい」などと歯の浮くようなおためごかしをしていた。
当然その邸宅で働いている使用人なども人間扱いしておらず、癇癪持ちですぐに手を出したり物を投げたりなど日常茶飯事だった。
そんな様子を数日観察していたテリィは、僅かに残っていた罪悪感すら消え失せ、男の吸っている葉巻に毒を染み込ませ、翌日男の死亡を確認した。
邸宅の主人である男の突然死に屋敷中がパニックになる中、テリィは例の掲示板を通じて依頼者に仕事の完了を報告し、依頼の金の受け取りを確認すると、後は淡々と通常業務に戻った。
この時は警察も彼に恨みを持つ人間が多かったため他殺の線を疑っていたようだが、証拠が無いため結局遺体を「変死」としか扱えず、事件性はないものと判断され、捜査もすぐに打ち切られた。

これがテリィが初めて仕事として暗殺を行った事件である。
その後テリィは流石に自分が関わった場所で変死や不審死が続くと怪しまれると思い、日雇いの仕事や短期の仕事を転々とし、多少ほとぼりがさめた頃に今回の仕事を見つけたのである。
この暗殺依頼システムの良いところは、殺し屋側が明確に仕事の依頼を受けない点にある。
例えば暗殺の依頼を見つけ、ターゲットに近づいてみたが、四六時中隙が無く依頼の実行が無理だと判断すればそのまま諦めればいい。
逆に暗殺に成功すれば、依頼者に真っ先に連絡することができるのは殺し屋本人なので、報酬の受け渡しのトラブルも少なく、自分の力量にあった仕事を選ぶことができるのだ。
テリィの場合でいえば、表向きは使用人などをして標的に近づき毒殺の機会を窺うというものであるため、万一毒を盛っている現場を見咎められない限り、殺し屋だとバレる危険性は限りなく低い。
それで先述のように隙が無く暗殺が難しければそのまま使用人の仕事を続ければいいだけである。
仮に隙を窺っている間に他の殺し屋に先を越されようとも、それは暗殺の報酬が手に入らないこと以外はノーリスクである。

「よし、完成」
完成したコップ半分ほどの毒を小瓶に小分けにし、しっかりと蓋を閉じて作業台を清掃し、マスクと手袋、ゴーグルを外す。
本来なら毒を作るのと同時に解毒剤もつくるべきなのだが、テリィの知識ではさすがにそこまでのことはできない。
故に万が一自分の口に入ったり、傷口や粘膜に毒が付着してしまったら助かる術がないため、より慎重にならなければならない。
テリィは小さな箱に小分けにした毒を収め、大きな鞄に私物を詰め込んでアパートを引き払う準備も始める。
その手はわずかな緊張を孕んではいるものの、どこか淡々としていて、もう人の命を奪うことの抵抗は感じられなかった。
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