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3話
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そして迎えた仕事の初日。
再び訪れた屋敷の門の前で、テリィはそういえば呼び鈴がないのだと立ち往生した。
しかし今回はもう採用が決まっているのでそこまで遠慮することはないと、強めに門をノックしようとしたタイミングで、またしても門が開錠される音が聞こえブラッドが顔を出した。
「おはようテリィくん、荷物重くなかった?本当は下まで迎えにいけたらよかったんだけど、ごめんね」
「お気遣いありがとうございます、全然大丈夫です」
実際荷物はそこそこ重かったが(加えて毒物もあるので慎重に運んできた)、前回よりも薄着にして山道も一度往復して慣れた道だったのでさほど負担はなかった。
門を閉め施錠するブラッドに、なぜ前回も今回も自分が来るタイミングがわかったのか?と尋ねてみたが、「なんとなく」という一言だけではぐらかされてしまった。
しかしそんな会話の中で、屋敷内には社長のカロボスが好まないため監視カメラやセキュリティ装置が設置されていないということを聞き出し、テリィは内心安堵した。
例え人目のない場所でこっそりと毒を盛ろうとも、それを監視カメラなどに記録されていてはアウトである。
テリィも以前いた屋敷等では、表の仕事をこなしながら邸内の監視カメラの向きや位置、台数を調べるのに苦心したものであるが、ここではその苦労は必要なさそうだ。
「テリィくん」
「?………いえ、もう大丈夫です…」
屋敷に向かう時、ブラッドはテリィに声をかけるとスっと左手を優しく差し出してきた。
一瞬意味が分からなかったが、すぐに前回のやりとりを思い出すと、少し口を尖らせて不服そうに顔をそむけた。
庭に放たれている番犬達の危険さをつい恐れてしまい、手を繋いでしまったことで、どうやらブラッドからは頼りない…というよりは子供扱いされてしまったようである。
特にそれで仕事に支障が出るわけではないが、テリィにも一応男としてのプライドがあるため、今回は丁寧に断った。
「後であの子達にもちゃんと紹介するよ、顔と匂い覚えてもらえば襲われたりしないから」
逆に覚えて貰わないとゴミ出しもできないからね、と脅すような一言を付け加えられテリィは閉口する。
確かに暗殺を成功させても、一歩間違えて番犬達に八つ裂きにされた、では話にならない。
まずは標的のカロボスを含め、屋敷の人間達と番犬の信用を得るところから始めなくては、とテリィは奮起する。
(今回は住み込みだし、普通に勤めるよりは機会も多いはずだ)
広い玄関で靴を履き替え、豪華な調度品や装飾品はないが、隅まで掃除の行き届いた綺麗な廊下を通りそのまま二階に案内される。
二階は主に使用人たちの自室があるらしく、奥にあった一室の前で立ち止まると、ブラッドに部屋の鍵を渡された。
部屋のドアには既にテリィの名札が挿してあり、仕事の制服などもクローゼットに用意されているらしい。
荷物を置いて着替えたら一階に来るように伝えると、ブラッドは階下へと戻っていった。
渡された鍵を使ってドアを開け、中に入ったテリィは一瞬息を呑むほど圧倒された。
通常住み込みで働く使用人の部屋というのは、着替えと就寝さえできればいいといった場合が多く、一人に一室与えられることすら稀だ。
しかしテリィにあがわれた部屋は、そんな雑魚寝当然の部屋とはかけ離れた空間だった。
今まで働いてきた屋敷の主人の部屋にも引けを取らないほどの広さ。ベッドはテリィが縦横に十人並んでも寝られるほど大きく、机やクローゼット、棚などの家具も安っぽさとは程遠いものだ。
残念ながら窓から見える景色はほぼ真っ白の外壁の内側だけで解放感はなかったが、使用人一人に与えられるには分不相応なサイズがあり、テリィはなにかの間違いではないかともう一度ドアに挿された名札を確認した。
しかしやはり間違いなく名札はテリィの名を示しており、クローゼットの中にもしっかりとサイズのあった制服が用意してあった。
予想外のことに困惑してしまいそうになるが、ブラッドを待たせていることを思い出し、荷物を床に置いてすぐに着替え始めた。
おろしたてのアイロンのかかったYシャツにベスト、綺麗に磨かれたローファーと白いラインがワンポイントになっているソックスと、そしてなぜかハーフスラックスが架かっていて、ブラッドが着ているようなジャケットはなかった。
(やっぱりなんか子供扱いされている気がする…)
基本使用人というのは白と黒を基調とした服で統一され、メイドや下男を含めて肌を出すような服であることはない。
しかしテリィに用意されていたのは簡易的な制服でタイなどもなく、着やすさと動きやすさを優先したような服だった。
とはいえわざわざ自分のために発注してくれたであろう制服に不満を持つのも不謹慎であるし、むしろ自分の主目的が暗殺であるというのにここまで好待遇であることに多少の申し訳なさを感じながら、テリィは手早く着替えを済ませ、ブラッドの待っている一階へと急いだ。
すでに10時を回っていたため他の使用人たちは各々仕事についているらしく、顔合わせは昼の休憩時に、ということになった。
テリィは屋敷の地図が表示されたタブレットを渡され、それを見ながら屋敷の各部屋を案内される。
一階は社長であるカロボスの仕事部屋と書斎、寝室などのカロボスのための部屋の他、調理場や食堂、洗濯場などの共用の場所、応接室や宴会室、大広間などの客人のための部屋(滅多に客人はこないらしいが)、あとは主にブラッドがつかっているという執務室などがある。
地下はワインセラーと食料貯蔵庫の他、別階段で行けるもう一カ所の地下には運動のためのジムやプール、大浴場などが備えてあり、仕事時間以外なら自由に使っていいのだという。
そして最初に案内された調理場で、テリィはこの屋敷で初めてブラッド以外の人間と出会った。
「ハスク、今日から働いてもらうテリィくん」
「あぁ、今日からだっけ?昼飯は準備していいんだよな?」
「うんお願い、…シュナは?」
「犬達に肉やりにいったよ、じゃあテリィよろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
ハスクと呼ばれた男は調理の手を止めることなく、片手間といった様子で簡単な挨拶だけ済ませると、再び大鍋に視線を戻していた。
「シュナは庭か、…じゃあ丁度いい、犬達に顔合わせしておくか」
ブラッドは独り言のように呟くと調理場の勝手口から外へと踏み出した。
テリィがブラッドに続いて庭に出ようとした時、丁度1人の青年が調理場に戻ってくるところだった。
ブラッドが口を開くよりも早く、その青年はテリィを見てぱっと目を輝かせると、すぐに走り寄ってきて両手を掴み、ぶんぶんと上下に激しく振り回した。
「テリィ?テリィだよな!?俺シュナ!よろしく!」
「よ、よろしくお願いしま…」
「あはっ!ほんとに俺より小さい!いやー、俺今までここで一番の下っ端でさぁ、新しく来る奴が俺より年下って聞いて楽しみにしてたんだよ!でも聞いてた歳の割にはちっちゃくない?俺がお前くらいの時はもっと大きかった気がするんだけどなぁ、ちゃんと食べてる?ハスクも俺もご飯多めに作ってるから遠慮せずおかわりしろよ、あ、食べるだけじゃなくてちゃんと体も動かせな?今度テニスしようぜ!最近始めたんだけど結構難しくてさ、それともサッカーとかの方がいい?サッカーならヒュー達もできるから一緒に…」
「シュナ!さっさと戻って手伝え!魚腐るぞ!」
一切返答の隙のないマシンガントークが炸裂する中、真顔になっているテリィを助けたのは先ほどの調理場から聞こえたハスクの怒号だった。
それを聞いたシュナは「やべ」と一瞬バツが悪そうに声を漏らしたものの、反省したそぶりはなくすぐに笑顔に戻って「後でなー」とテリィに声をかけ、弾丸のように調理場へと帰っていった。
台風のように過ぎ去っていった青年を見送り、ブラッドの顔に視線を移すと、彼のテンションに慣れているのか今ので紹介が済んだと判断したようで「じゃあ次行こうか」とさらりと流して再び歩き始めた。
あんなに落ち着きのなさそうな人も働いているのか、とテリィは一抹の不安を感じながらも、あまり離れすぎないようブラッドの後を追った。
庭に出てしばらく歩くと、2人の前に一匹の白い犬が現れる。
そしてその犬にブラッドはまるで同僚にでも声をかけるような態度で話しかける。
「今の時間はチャーリとカインとディルだっけ?新しい子紹介したいからみんな呼んでくれる?」
犬を飼ったことがないテリィは、彼らがどれほど人語を解するものなのかわからない。
しかし目の前の犬はブラッドの言葉を理解したようで、その場に座りこみ「ワンっ!!」とひと際大きな声で吠えた。
するとその一吠えに反応したらしい犬達が次々と2人の前に集まり、まるで訓練された軍隊のように一糸乱れず横一列に並び、その視線は全てテリィに注がれた。
どの犬もテリィと同じくらいかそれ以上の大きさを持つ大型犬で、確かにこんな犬に襲われたらひとたまりもないだろうと息を呑んだ。
「じゃあテリィくん、1人ずつ順番に撫でてあげて、それで顔と匂いを覚えてもらうから」
ブラッドに声を掛けられ、テリィは手始めに一番近くにいる白い犬の頭におそるおそる手を伸ばす。
「チャーリ」
テリィの手が犬の毛に触れた途端、後ろにいたブラッドの口から先ほど聞いた犬の名前らしきものが聞こえる。
さらによく見ると全員の首輪にしっかりとそれぞれの名前らしきものが刻印されていた。
「よろしくね、チャーリ…くん?」
「うん、オスだよ全員」
その後も違う犬に触れる度にブラッドが確認のために名前を教えてくれるので、テリィはすぐに7匹の名前と特徴を覚えることができた。
どの犬も毛質や毛量に違いはあるが、さらさらふわふわと極上の毛布のような触り心地で、既に顔と匂いを覚えて貰うという目的は終わっているのに、今までほぼ犬と触れ合ったことのないテリィは頬を緩ませて犬を撫で続けた。
しかし勤務時間中なのでブラッドもいつまでもそんな時間を許してくれるはずもなく、「戻ろうか」と声をかけてテリィの頭をぽんぽんと撫でるように叩く。
若干の名残惜しさを感じながらも当然仕事が優先なので、テリィは緩んでいた頬を引き締めて立ち上がった。
「じゃあ次は社長の仕事部屋行っておこうか」
「は、はい!」
「あはは、そんな緊張しなくてもいいよ、良い奴じゃないけど悪い奴じゃないから」
社長の仕事部屋、つまり暗殺の標的であるカロボスの自室。
そして使用人としてはテリィの雇い主にあたる人物ということであり、どちらの意味でも粗相をして印象を悪くするようなことは許されない。
結局この屋敷で一番の権力者であるカロボスの気に障れば、鶴の一声でクビ、というのもありえないことではないのだ。
ブラッドの少し不安になる物言いに緊張が払拭できないまま、すぐに「社長室」と書かれた部屋にたどり着いてしまい、心の準備ができないままノック音が響き渡る。
しかもブラッドは中から返事が返ってくる前に「社長いるー?」とフランクを通り越したかなり礼を失した態度で部屋に足を踏み入れる。
カロボス。社長と声をかけられた男を初めて目の当たりにして、テリィは呼吸を忘れるほどの緊張感に見舞われる。
「ブラッドか、なんか用?」
心臓を高鳴らせながら緊張のピークを迎えているテリィをよそに、カロボスはブラッドの態度に気分を害した様子もなく、こちらもかなりフランクな態度で、パソコンに向けていた顔を上げた。
「ほら、こないだ話した新しい子連れてきたよ」
「そっか、別にわざわざ連れてこなくてよかったのに」
「そう思ったんだけどね、まぁ屋敷の案内するついでだし」
「はっ、俺はついでかよ」
軽口を言い合う2人を見て、テリィは彼らの関係がただの社長と部下、主人と使用人ではないことに気付いた。
なぜか案内されてやってきた自分がここにいるのが場違いなような気がして、所在なさげに俯いていると、いつのまにか目の前までやってきていたカロボスに上から見下ろされていた。
「あ、あの…よろ、よろしく…」
身長こそブラッドほどではなかったが、それでも小柄なテリィからみれば十分すぎるほどの長身で、端正な顔立ち、睨みつけるような切れ長の瞳と、口を開いた時にちらりと見える鋭い犬歯がテリィの体を竦ませる。
未だ解けない緊張と目の前で見下ろされている威圧感の中で、テリィは懸命に挨拶の言葉を紡ごうとするが、驚くほど舌が回らない。
緊張感、威圧感、恥ずかしさ、居たたまれなさと様々な気持ちにのしかかられ、ついにテリィは閉口し、顔を赤くしながら顔を俯かせ、目を合わせられなくなってしまう。
「名前なんだっけ?」「テリィ」「ちゃんと働ける歳?」「大丈夫っぽい」「家族は?」「兄弟無し、両親も他界してる」「犬達に合わせた?」「済んでる」
石のように固まっているテリィの上で、2人の一問一答がやりとりされている。
そんな中、テリィは平静を取り戻そうと内心必死になっていた。
このままではロクに挨拶もできない人間だと心象を悪くしてしまう。自分は殺し屋なのだと自らに言い聞かせ、小さく深呼吸すると、ゆっくりと顔を上げてカロボスをしっかりと見据える。
「…今日からこちらでお世話になるテリィです、よろしくお願いします旦那様」
深々と頭を下げ、ようやくきちんとした挨拶ができたと安堵したテリィだったが、再び顔をあげるとそこには鳩が豆鉄砲を食ったような、ぽかんとした顔があった。
なにか変なこと言ってしまったかと不安になり視線をブラッドの方に移してみると、そこにも驚いたように口を半開きにしている姿があった。
状況が読めず、再び居たたまれなさを感じて俯いてしまいそうになるテリィの耳に聞こえたのは、突然の噴き出すような音だった。
「ぶっ…!あははははははは!!旦那様!旦那様だって!あははははははは!!初めて言われた!!」
お腹を押さえながら自分の足をバシバシと叩き大笑いするカロボス。
そんなに可笑しい言い方だっただろうかと、もう一度ブラッドに視線を移すと、お腹を押さえながら小刻みに震えており、表情は見えなかったがこちらも笑っていることは明らかだった。
「いやー、いいねー旦那様、似合わねーしガラでもないけど、なんかちょっとイケない感じがするな」
「え、えっと…ではなんとお呼びすればよろしいですか?」
以前勤めていた屋敷等ではほぼ旦那様で統一されていたが(既婚・未婚関係なく呼んでいいらしい)、カロボスという男は呼ばれ慣れていないらしく、しっくりとこないようだった。
だからといってここまで笑うことはないだろうと不満を感じたが、それを顔には出さずにテリィが尋ねると、カロボスは笑い過ぎた呼吸を整えながら「そうだな」と思案し始めた。
「『社長』が呼ばれ慣れてるけど、折角だから他の呼び方も面白そうだな」
「ハスクなんてまんま『カロボス』呼びだし、たまに『おい』とかで呼んでるもんな」
「お前だって『社長』って呼ぶのほぼニックネームだろ」
そして2人でああでもないこうでもないとテリィを放置したまま議論を重ね、やがてカロボスは一つの答えにたどり着いた。
再び訪れた屋敷の門の前で、テリィはそういえば呼び鈴がないのだと立ち往生した。
しかし今回はもう採用が決まっているのでそこまで遠慮することはないと、強めに門をノックしようとしたタイミングで、またしても門が開錠される音が聞こえブラッドが顔を出した。
「おはようテリィくん、荷物重くなかった?本当は下まで迎えにいけたらよかったんだけど、ごめんね」
「お気遣いありがとうございます、全然大丈夫です」
実際荷物はそこそこ重かったが(加えて毒物もあるので慎重に運んできた)、前回よりも薄着にして山道も一度往復して慣れた道だったのでさほど負担はなかった。
門を閉め施錠するブラッドに、なぜ前回も今回も自分が来るタイミングがわかったのか?と尋ねてみたが、「なんとなく」という一言だけではぐらかされてしまった。
しかしそんな会話の中で、屋敷内には社長のカロボスが好まないため監視カメラやセキュリティ装置が設置されていないということを聞き出し、テリィは内心安堵した。
例え人目のない場所でこっそりと毒を盛ろうとも、それを監視カメラなどに記録されていてはアウトである。
テリィも以前いた屋敷等では、表の仕事をこなしながら邸内の監視カメラの向きや位置、台数を調べるのに苦心したものであるが、ここではその苦労は必要なさそうだ。
「テリィくん」
「?………いえ、もう大丈夫です…」
屋敷に向かう時、ブラッドはテリィに声をかけるとスっと左手を優しく差し出してきた。
一瞬意味が分からなかったが、すぐに前回のやりとりを思い出すと、少し口を尖らせて不服そうに顔をそむけた。
庭に放たれている番犬達の危険さをつい恐れてしまい、手を繋いでしまったことで、どうやらブラッドからは頼りない…というよりは子供扱いされてしまったようである。
特にそれで仕事に支障が出るわけではないが、テリィにも一応男としてのプライドがあるため、今回は丁寧に断った。
「後であの子達にもちゃんと紹介するよ、顔と匂い覚えてもらえば襲われたりしないから」
逆に覚えて貰わないとゴミ出しもできないからね、と脅すような一言を付け加えられテリィは閉口する。
確かに暗殺を成功させても、一歩間違えて番犬達に八つ裂きにされた、では話にならない。
まずは標的のカロボスを含め、屋敷の人間達と番犬の信用を得るところから始めなくては、とテリィは奮起する。
(今回は住み込みだし、普通に勤めるよりは機会も多いはずだ)
広い玄関で靴を履き替え、豪華な調度品や装飾品はないが、隅まで掃除の行き届いた綺麗な廊下を通りそのまま二階に案内される。
二階は主に使用人たちの自室があるらしく、奥にあった一室の前で立ち止まると、ブラッドに部屋の鍵を渡された。
部屋のドアには既にテリィの名札が挿してあり、仕事の制服などもクローゼットに用意されているらしい。
荷物を置いて着替えたら一階に来るように伝えると、ブラッドは階下へと戻っていった。
渡された鍵を使ってドアを開け、中に入ったテリィは一瞬息を呑むほど圧倒された。
通常住み込みで働く使用人の部屋というのは、着替えと就寝さえできればいいといった場合が多く、一人に一室与えられることすら稀だ。
しかしテリィにあがわれた部屋は、そんな雑魚寝当然の部屋とはかけ離れた空間だった。
今まで働いてきた屋敷の主人の部屋にも引けを取らないほどの広さ。ベッドはテリィが縦横に十人並んでも寝られるほど大きく、机やクローゼット、棚などの家具も安っぽさとは程遠いものだ。
残念ながら窓から見える景色はほぼ真っ白の外壁の内側だけで解放感はなかったが、使用人一人に与えられるには分不相応なサイズがあり、テリィはなにかの間違いではないかともう一度ドアに挿された名札を確認した。
しかしやはり間違いなく名札はテリィの名を示しており、クローゼットの中にもしっかりとサイズのあった制服が用意してあった。
予想外のことに困惑してしまいそうになるが、ブラッドを待たせていることを思い出し、荷物を床に置いてすぐに着替え始めた。
おろしたてのアイロンのかかったYシャツにベスト、綺麗に磨かれたローファーと白いラインがワンポイントになっているソックスと、そしてなぜかハーフスラックスが架かっていて、ブラッドが着ているようなジャケットはなかった。
(やっぱりなんか子供扱いされている気がする…)
基本使用人というのは白と黒を基調とした服で統一され、メイドや下男を含めて肌を出すような服であることはない。
しかしテリィに用意されていたのは簡易的な制服でタイなどもなく、着やすさと動きやすさを優先したような服だった。
とはいえわざわざ自分のために発注してくれたであろう制服に不満を持つのも不謹慎であるし、むしろ自分の主目的が暗殺であるというのにここまで好待遇であることに多少の申し訳なさを感じながら、テリィは手早く着替えを済ませ、ブラッドの待っている一階へと急いだ。
すでに10時を回っていたため他の使用人たちは各々仕事についているらしく、顔合わせは昼の休憩時に、ということになった。
テリィは屋敷の地図が表示されたタブレットを渡され、それを見ながら屋敷の各部屋を案内される。
一階は社長であるカロボスの仕事部屋と書斎、寝室などのカロボスのための部屋の他、調理場や食堂、洗濯場などの共用の場所、応接室や宴会室、大広間などの客人のための部屋(滅多に客人はこないらしいが)、あとは主にブラッドがつかっているという執務室などがある。
地下はワインセラーと食料貯蔵庫の他、別階段で行けるもう一カ所の地下には運動のためのジムやプール、大浴場などが備えてあり、仕事時間以外なら自由に使っていいのだという。
そして最初に案内された調理場で、テリィはこの屋敷で初めてブラッド以外の人間と出会った。
「ハスク、今日から働いてもらうテリィくん」
「あぁ、今日からだっけ?昼飯は準備していいんだよな?」
「うんお願い、…シュナは?」
「犬達に肉やりにいったよ、じゃあテリィよろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
ハスクと呼ばれた男は調理の手を止めることなく、片手間といった様子で簡単な挨拶だけ済ませると、再び大鍋に視線を戻していた。
「シュナは庭か、…じゃあ丁度いい、犬達に顔合わせしておくか」
ブラッドは独り言のように呟くと調理場の勝手口から外へと踏み出した。
テリィがブラッドに続いて庭に出ようとした時、丁度1人の青年が調理場に戻ってくるところだった。
ブラッドが口を開くよりも早く、その青年はテリィを見てぱっと目を輝かせると、すぐに走り寄ってきて両手を掴み、ぶんぶんと上下に激しく振り回した。
「テリィ?テリィだよな!?俺シュナ!よろしく!」
「よ、よろしくお願いしま…」
「あはっ!ほんとに俺より小さい!いやー、俺今までここで一番の下っ端でさぁ、新しく来る奴が俺より年下って聞いて楽しみにしてたんだよ!でも聞いてた歳の割にはちっちゃくない?俺がお前くらいの時はもっと大きかった気がするんだけどなぁ、ちゃんと食べてる?ハスクも俺もご飯多めに作ってるから遠慮せずおかわりしろよ、あ、食べるだけじゃなくてちゃんと体も動かせな?今度テニスしようぜ!最近始めたんだけど結構難しくてさ、それともサッカーとかの方がいい?サッカーならヒュー達もできるから一緒に…」
「シュナ!さっさと戻って手伝え!魚腐るぞ!」
一切返答の隙のないマシンガントークが炸裂する中、真顔になっているテリィを助けたのは先ほどの調理場から聞こえたハスクの怒号だった。
それを聞いたシュナは「やべ」と一瞬バツが悪そうに声を漏らしたものの、反省したそぶりはなくすぐに笑顔に戻って「後でなー」とテリィに声をかけ、弾丸のように調理場へと帰っていった。
台風のように過ぎ去っていった青年を見送り、ブラッドの顔に視線を移すと、彼のテンションに慣れているのか今ので紹介が済んだと判断したようで「じゃあ次行こうか」とさらりと流して再び歩き始めた。
あんなに落ち着きのなさそうな人も働いているのか、とテリィは一抹の不安を感じながらも、あまり離れすぎないようブラッドの後を追った。
庭に出てしばらく歩くと、2人の前に一匹の白い犬が現れる。
そしてその犬にブラッドはまるで同僚にでも声をかけるような態度で話しかける。
「今の時間はチャーリとカインとディルだっけ?新しい子紹介したいからみんな呼んでくれる?」
犬を飼ったことがないテリィは、彼らがどれほど人語を解するものなのかわからない。
しかし目の前の犬はブラッドの言葉を理解したようで、その場に座りこみ「ワンっ!!」とひと際大きな声で吠えた。
するとその一吠えに反応したらしい犬達が次々と2人の前に集まり、まるで訓練された軍隊のように一糸乱れず横一列に並び、その視線は全てテリィに注がれた。
どの犬もテリィと同じくらいかそれ以上の大きさを持つ大型犬で、確かにこんな犬に襲われたらひとたまりもないだろうと息を呑んだ。
「じゃあテリィくん、1人ずつ順番に撫でてあげて、それで顔と匂いを覚えてもらうから」
ブラッドに声を掛けられ、テリィは手始めに一番近くにいる白い犬の頭におそるおそる手を伸ばす。
「チャーリ」
テリィの手が犬の毛に触れた途端、後ろにいたブラッドの口から先ほど聞いた犬の名前らしきものが聞こえる。
さらによく見ると全員の首輪にしっかりとそれぞれの名前らしきものが刻印されていた。
「よろしくね、チャーリ…くん?」
「うん、オスだよ全員」
その後も違う犬に触れる度にブラッドが確認のために名前を教えてくれるので、テリィはすぐに7匹の名前と特徴を覚えることができた。
どの犬も毛質や毛量に違いはあるが、さらさらふわふわと極上の毛布のような触り心地で、既に顔と匂いを覚えて貰うという目的は終わっているのに、今までほぼ犬と触れ合ったことのないテリィは頬を緩ませて犬を撫で続けた。
しかし勤務時間中なのでブラッドもいつまでもそんな時間を許してくれるはずもなく、「戻ろうか」と声をかけてテリィの頭をぽんぽんと撫でるように叩く。
若干の名残惜しさを感じながらも当然仕事が優先なので、テリィは緩んでいた頬を引き締めて立ち上がった。
「じゃあ次は社長の仕事部屋行っておこうか」
「は、はい!」
「あはは、そんな緊張しなくてもいいよ、良い奴じゃないけど悪い奴じゃないから」
社長の仕事部屋、つまり暗殺の標的であるカロボスの自室。
そして使用人としてはテリィの雇い主にあたる人物ということであり、どちらの意味でも粗相をして印象を悪くするようなことは許されない。
結局この屋敷で一番の権力者であるカロボスの気に障れば、鶴の一声でクビ、というのもありえないことではないのだ。
ブラッドの少し不安になる物言いに緊張が払拭できないまま、すぐに「社長室」と書かれた部屋にたどり着いてしまい、心の準備ができないままノック音が響き渡る。
しかもブラッドは中から返事が返ってくる前に「社長いるー?」とフランクを通り越したかなり礼を失した態度で部屋に足を踏み入れる。
カロボス。社長と声をかけられた男を初めて目の当たりにして、テリィは呼吸を忘れるほどの緊張感に見舞われる。
「ブラッドか、なんか用?」
心臓を高鳴らせながら緊張のピークを迎えているテリィをよそに、カロボスはブラッドの態度に気分を害した様子もなく、こちらもかなりフランクな態度で、パソコンに向けていた顔を上げた。
「ほら、こないだ話した新しい子連れてきたよ」
「そっか、別にわざわざ連れてこなくてよかったのに」
「そう思ったんだけどね、まぁ屋敷の案内するついでだし」
「はっ、俺はついでかよ」
軽口を言い合う2人を見て、テリィは彼らの関係がただの社長と部下、主人と使用人ではないことに気付いた。
なぜか案内されてやってきた自分がここにいるのが場違いなような気がして、所在なさげに俯いていると、いつのまにか目の前までやってきていたカロボスに上から見下ろされていた。
「あ、あの…よろ、よろしく…」
身長こそブラッドほどではなかったが、それでも小柄なテリィからみれば十分すぎるほどの長身で、端正な顔立ち、睨みつけるような切れ長の瞳と、口を開いた時にちらりと見える鋭い犬歯がテリィの体を竦ませる。
未だ解けない緊張と目の前で見下ろされている威圧感の中で、テリィは懸命に挨拶の言葉を紡ごうとするが、驚くほど舌が回らない。
緊張感、威圧感、恥ずかしさ、居たたまれなさと様々な気持ちにのしかかられ、ついにテリィは閉口し、顔を赤くしながら顔を俯かせ、目を合わせられなくなってしまう。
「名前なんだっけ?」「テリィ」「ちゃんと働ける歳?」「大丈夫っぽい」「家族は?」「兄弟無し、両親も他界してる」「犬達に合わせた?」「済んでる」
石のように固まっているテリィの上で、2人の一問一答がやりとりされている。
そんな中、テリィは平静を取り戻そうと内心必死になっていた。
このままではロクに挨拶もできない人間だと心象を悪くしてしまう。自分は殺し屋なのだと自らに言い聞かせ、小さく深呼吸すると、ゆっくりと顔を上げてカロボスをしっかりと見据える。
「…今日からこちらでお世話になるテリィです、よろしくお願いします旦那様」
深々と頭を下げ、ようやくきちんとした挨拶ができたと安堵したテリィだったが、再び顔をあげるとそこには鳩が豆鉄砲を食ったような、ぽかんとした顔があった。
なにか変なこと言ってしまったかと不安になり視線をブラッドの方に移してみると、そこにも驚いたように口を半開きにしている姿があった。
状況が読めず、再び居たたまれなさを感じて俯いてしまいそうになるテリィの耳に聞こえたのは、突然の噴き出すような音だった。
「ぶっ…!あははははははは!!旦那様!旦那様だって!あははははははは!!初めて言われた!!」
お腹を押さえながら自分の足をバシバシと叩き大笑いするカロボス。
そんなに可笑しい言い方だっただろうかと、もう一度ブラッドに視線を移すと、お腹を押さえながら小刻みに震えており、表情は見えなかったがこちらも笑っていることは明らかだった。
「いやー、いいねー旦那様、似合わねーしガラでもないけど、なんかちょっとイケない感じがするな」
「え、えっと…ではなんとお呼びすればよろしいですか?」
以前勤めていた屋敷等ではほぼ旦那様で統一されていたが(既婚・未婚関係なく呼んでいいらしい)、カロボスという男は呼ばれ慣れていないらしく、しっくりとこないようだった。
だからといってここまで笑うことはないだろうと不満を感じたが、それを顔には出さずにテリィが尋ねると、カロボスは笑い過ぎた呼吸を整えながら「そうだな」と思案し始めた。
「『社長』が呼ばれ慣れてるけど、折角だから他の呼び方も面白そうだな」
「ハスクなんてまんま『カロボス』呼びだし、たまに『おい』とかで呼んでるもんな」
「お前だって『社長』って呼ぶのほぼニックネームだろ」
そして2人でああでもないこうでもないとテリィを放置したまま議論を重ね、やがてカロボスは一つの答えにたどり着いた。
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これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
身代わり閨係は王太子殿下に寵愛される
雨宮里玖
BL
僕なんかが好きになっちゃいけない相手なんだから……。
伯爵令息の身代わりになって王太子殿下の閨《ねや》の練習相手になることになった平民のラルス。伯爵令息から服を借りて貴族になりきり、連れて行かれたのは王太子殿下の寝所だ。
侍女に「閨事をしたからといって殿下に恋心を抱きませんように」と注意を受け、ラルスは寝所で王太子殿下を待つ——。
アルファの王太子×厩係の平民オメガ
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
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