銀河太平記

武者走走九郎or大橋むつお

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序・1『北京秋天』

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銀河太平記

序・1『北京秋天』      

 

                                                             
 梅原龍三郎の『北京秋天』が好きだ。   

 
 北京の秋、抜けるような青空に三条ほどの雲が走っている。壮絶なまでの蒼空が主題なのだろうが、雲を描くことによって、天の高さと勢いのある蒼さを憧れと共に表現している。

 大陸への憧れは、子どものころに梅原の『北京秋天』を観てしまったせいかもしれない。

 街路の真ん中で馬(オートホース)の手綱を緩めて見上げている空は、この『北京秋天』にそっくりだ。現実に見えている三筋の雲は天然ではなく日本に向かうパルスジェットの飛行機雲なんだが、主題は秋天の蒼空だ。

 祖国には不満らしい不満は無いが、この大きな蒼空にだけは勝てない。

 残念なことに、この蒼空は北京ではない。

 北京よりも東北、山海関の北に広がるマンチュリアの首都、奉天だ。北京を首都とする漢明国とマンチュリアは一触即発の状態で、三日前から本格的に邦人の引き上げが始まっている。現今の東アジア情勢では、のんびり北京で蒼空を仰ぐことは出来ない。北京政府からすれば敵地である奉天で『北京秋天』を想うのはなんとも皮肉なことだ。さっきの飛行機雲は一機はアメリカへ、もう二機は日本に引き上げる本日の最終便だろう。

 ……三機とも無事に着けばいいが。

 漢明はアンチパルス兵器を揃えている。パルスエンジンを無効化する種々の兵器だ。こいつにぶちのめされたらパルスエンジンは瞬時に停止する。航空機の場合、それは墜落を意味する。

 もう、ほとんどの民間人は国外に出ている。ドイツとフランスは二日前に完了している。日本は国が近いせいか、千人前後が残っている。非合法を含めば、もう少し。ま、非合法は保護の対象ではないが。

 何百年たっても日本人というのは呑気なものだ。どこかで、自分だけは大丈夫と思ってしまうのだ。

 もっとも、駐留軍司令の俺自身が天壇街路をのんびりと馬を進めている。マンチュリアに残っている平和主義者や不器用者や義務の犠牲者やボンクラどもに安心感を持たせるため、漢明には『本気で戦争する気はない』と思わせるためだ。軍が緊張したところを見せれば、この草原の多国籍国家は三日と持たないだろう。

 来たるべき戦いに敗れれば、マンチュリアは漢明国とロシアの草刈り場になる。個人的にはマンチュリアに未練はない。ただ、この国がいずれかの支配を受け、あるいは分割支配されても、日本は悪者にされる。収奪と圧政を敷いたというでっち上げが行われ、二百年前と同じく数十年に渡って糾弾される。それだけは避けなくてはならない。

 祖国に不満は無いと言ったが、実は不安がある。

 陛下のお身体が思わしく無いのだ。陛下は聡明な方で、俺と同様なお気遣いをされている。

 そもそも、五十四年前、先帝の御代に為されたマンチュリア建国そのものに懐疑的であられる。満州国の轍を踏むことはないかと三度に渡って御下問があったという。

 しかし、御即位間もない陛下は十七歳、明治大帝以来歴代天皇は政治・軍事には容喙されない。むろん憲法にも抵触する。

 その陛下が御病床に臥せっておられる。国民には御快癒の兆しありと伝えられているが、もう長くはない。畏れ多いことだが、次を考えなければならない事態になっている。

 陛下は折に触れて『マンチュリアはどうか?』と苦しい息の中でのご下問があると聞き及んでいる。御聡明な陛下はマンチュリア敗戦の後がしっかりとお見えになっているのだ。

 だから、この戦は絶対に負けられない。憲法改正もままならなかった暗黒の昭和・平成に戻してはならないのだ。

「児玉さん、まだ逃げないのかい?」

 いつの間にか間を詰めてきた孫大人が馬を寄せてくる。

「ああ、北大街に馴染みの女がいるんでな」
「人間の女か?」
「ああ、度胸があるのか馬鹿なのか」
「人間、止した方がいい。ロボットがいいよ。ロボット女なら裏切ることも嘘つくこともないからね。児玉さんには世話になったから、ロボット女なら世話するよ」
「ロボットは、うちの兵隊だけで充分さ。これから行くのも説得だ。もう生身の人間がのんびりしている状況じゃないからな」
「戦争にはならないんじゃないのかい? 児玉さんの乗馬姿は、そう見えるよ」
「任務でなあ、いちおう人間には避難勧告が出ている。孫大人の国もだろうが」
「アハハ、わたしロボットだからね(^▽^)/」
「何を言う、脳みその半分は人間のままだろうが」
「お見通しだね児玉さんは。全部ロボット化できるといいんだけどね、今の技術じゃ……PIと言ったかな、人格移植まではできないからね。日本がやってくれるなら、日本に帰化してもいいよ」
「断る。おまえさんみたいなのに来られたら、日本の経済は五年も持たない」
「失礼な!」
「怒ったか?」
「わたしなら、一年で呑み込むよ(o^―^o)」
「クソッタレが」

「グハハハ」

 妖怪じみた高笑いを残して馬首をひるがえした。

 あいつ、笑うふりをして鞍壺の荷物を見せた。粗末な麻布に包んであるが、あれは骨壺だ。

 あんな男だが、見込みのある若者を国籍に関わらず面倒を看るという道楽がある。この争乱で亡くなった若者がいるんだろう。

 それも日本人。

 そうでなければ、あんなやり方で、俺に――日本に連れて帰ってくれ――とは示さないだろう。

 すまんな、無事に日本に帰れるとは思わんのでなあ。まだ、孫大人の方が生き残れる確率が高いんだ。

 数秒後には漢明やロシア、ひょっとしたら、マンチュリアに色気を持っている国の全てに、駐留日本軍司令官の情報の80%は筒抜けになってしまうだろう。

 まあ、20%が秘匿できれば十分だ。

 20%の半分は俺自身にも分かっていないが、分かっていないことが人間の証でもある。

 北大街が迫ってきた。

 もう一度秋天を見上げる。

 先ほどの飛行機雲はとっくに霧消しているが、茜の空に、それとは別の航跡が伸びている。

 火星への定期便だ。

 俺も孫大人も、所詮は地球人。これから戦争を起こそうとしているクソッタレどもの一人なのだ。

 自嘲したくとも、そういう人間的な湿度は毛ほども無いが、気持ちが宇宙(そら)に向いている奴は、ちょっと羨ましい。

 
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