【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

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本編1

01.不幸せな結婚01

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 荘厳な雰囲気が漂うのは、ドームを抱く天井の高い教会。聖人を象ったステンドグラスから差し込むのは、梅雨の時期とは思えないほどに目映い光である。祭壇は赤く彩られ、深紅のカーペットは蒼い光を浴びて紫色へと変わっている。
 なんとも美しい色合いを醸し出しているのに、見ている人は誰もいない。
 オルガンの音と共に鳴り響いていた賛美歌が終わりを告げると、祭壇の前に立つ神父が聖書を捲った。使い古された表紙に描かれているのは日本語でも英語でもない。
 日本人ではないのが一目でわかる神父は、目当てのページに目を通すと穏やかに微笑んだ。

「本日の良き日、神と共にここにお集まりになった皆様で二人の門出を見届けましょう」

 イントネーションが僅かに異なる言葉に、式の始まりが静かに告げられる。名前しか知らない男の隣に立つだけかのに、緊張のあまり指を伸ばすことができず、震えるのを隠すようにギュッと握った。掌にうっすらと汗が浮かぶ。
 聖書の一節を読み始めた神父の言葉は、強張った身体に入る込むことができずそのまま風のように流れてゆく。

(僕……なんでここにいるんだろう)

 けれどここに立っていなければ、参列者席の最前列に座っている家族に怒られるだろう。それがなによりも怖かった。
 ちらりとも見ることができない程に隣からは威圧のオーラが放たれている。決して話しかけてくるなと言わんばかりの恐ろしい気迫に、菊池きくちしょうはこのまま消え去りたいと願った。

 人間一人が容易に消えることなどできはしない世界で、けれどどうしようもなく消えてしまいたかった。
 結婚についての説教をしていた神父が青褪めていく樟に微笑んでくれたが、緊張が解れるはずもなく、余計に肩が硬くなる。
 緊張を解せないと知ると、慣れた神父は何も言わず進行した。

耀一郞よういちろうさんのお相手、オメガって本当だったようね」

 説教の合間に漏れ聞こえてくる参列席からの声に、樟の細い肩がまたビクリと震えた。

「あの姿でしたら間違いなくオメガでしょうね……なぜあんなのが良いのか」
「耀一郞さんだったらもっと素敵な方と……ねぇ」
「けれどこの式を進めたのは耀一郞社長だったそうだ。見初めたのだろうね、あの容姿なら……」
「まあ、あなた。そんなことを言うなんてはしたないっ!」

 言葉一つ一つに樟は身体を縮込ませるしかなかった。
 二十歳前にようやく百六十センチまで伸びた身長は男にしては低く、身体も薄っぺらだ。肌の色は家族の中でも飛び抜けて白く、髪すらブリーチしていると疑われるほど色が淡い。そんな自分が嫌で、それがオメガの特徴の表れである事実に嫌悪する。

 この世界には、男女の他に第二性と呼ばれる三つの性がある。アルファ・ベータ・オメガの三つに分かれ、ベータが人口の九十五パーセント以上を占め、第二性による特徴はない。
 次に割合が多いのはアルファで、人口の三パーセント前後に上る。知力も身体能力も抜きん出ており、政治家や官僚と行った国家の中枢はアルファで占められ、男女に関係なくこの世界を動かしていると言われる優秀な存在だ。彼らの最たる特徴は、性別に関係なく陰茎を有していることだ。
 最後に人口の一パーセントに届くか届かないかほど数少ないのが、オメガである。男女ともに子宮があり、妊娠が可能だ。身体は細く長けた能力がないと言われ、社会の恥、無能、迷惑な存在とされ続けた。その理由は能力ではなく、成体になると三ヶ月に一度起こる『発情期ヒート』にある。オメガは発情期ヒートの際に特種なフェロモンが発せられ、生じる特有の香りに釣られて前後不覚になるのがアルファである。どれほど理知的で冷静なアルファであろうと、その香りを嗅いでしまえば繁殖衝動に駆られ、獣のようにオメガを襲ってしまう。
 アルファが作り上げたこの世界、彼らを惑わすオメガの存在は毒でしかない。
 そのため、長年人々の認識は「オメガは人間の出来損ない」であるのだ。
 同時に、妖婦(夫)と呼ばれ、かつてはオメガであるとわかった時点で娼館に売られるのが当たり前だった。

 自分がなぜそのオメガに生まれてきたのか、樟にはわからない。ただ、オメガとしての人生は辛いものでしかなかった。

(本当にここに立って大丈夫なのかな……怒られないかな……)

 父よりも兄よりもずっと長身で逞しい身体つきの男は真っ直ぐに背を伸ばしたまま声一つ発しない。ただ漏れ出る威圧感はさすがアルファとしか言いようがないほどに鋭く、オメガでもみそっかすの樟には痛かった。
 俯いて目を閉じて、時間が早く流れるのをひたすら待つ。
 神父の穏やかな声が教会の中へと響き、ドーム型の天井まで届いて再び地上へと降り注がれる。

「汝、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合いその命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 お決まりの誓いの言葉である。

(お願い……どうか、どうか……)

 祈るが樟の願いなんていつだって神には届かない。

「……誓います」

 何拍か置いてから小野おの耀一郞の地を這うような声が、静寂に包まれた空間を轟き、頭上へと登っていく。
 だがその声に温度はない。

(怖いっ……!)

 今日初めて会った彼がどうしようもなく怖かった。
 ずっと隠していた身体の震えが大きくなる。必死で表に出ないように自分を抑えようとしても一秒ごとに大きくなり、今にも音が立ちそうになって、あまりの恐怖に右手で左肘を押さえつけた。
 神父が樟を見つめ微笑みかけてきた。次はお前の番だぞと脅しているようであり、樟は彼の笑みすらピエロの仮面に映り、恐怖を増幅させる。
 イントネーションの異なる言葉がタラタラと流れ、同じ言葉を問いかけてきた。

「その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 呪縛である。
 本当に自分の人生を賭して尽くすことができるのだろうか。今日初めて会った人にすべてを委ねて大丈夫なのか。恐怖は増していく。
 なぜなら、耀一郞のことを樟はなにも知らないのだから。
 唇を開き、閉じた。
 それを何度も繰り返して、決意を示さなければならないとわかっていても、言葉が出てこない。たった五語。喉に閊えて飛び出せずにいる。

(僕なんかをこの人は……使の?)

 だって、樟はオメガだ。人間の出来損ないで子供を孕むことしかできない役立たず。そんな樟を抱えることによって生じる面倒をこの人に掛けていいのだろうか。
 同時に、耀一郞がどうして自分を選んだのすら理解できない。
 覚悟もないまま本当に誓っていいのか。
 恐怖に震えながら自然と顔が下がっていった。

「ゴホンッ!」
「チッ」

 参列席から突如上がった咳払いと舌打ちに樟は肩を跳ね上がらせた。聞き間違いでなければあの音は父と、兄だ。最前列でいつまで経っても言葉を発しない樟に苛立っているに決まっている。
 スーッと全身の血が引くのが感じられた。ここで言うことを聞かなければもっと恐ろしいことが起こる。なにをされるかわからない。
 震えたまま唇を開き、こびりついた舌を無理矢理に動かして、おぼつかない声で言うしかなかった。
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