【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

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本編1

03.気付かぬ現実02

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 耀一郞は思い切り息を吐き出した。

(今日は疲れた……が、まだ続くな)

 仕事納めの日、社の一大イベントでもある慰労会が盛大に行われている。小野電機工業と取引のある会社の担当や社長を招いたこの会は、下請け企業やパートナー企業との結びつきを強めるために毎年行われている。
 自社だけで成長したのではないと社員に伝えるのと同時に、社長である耀一郞が各社の担当や社長に礼を述べる場でもある。
 祖父が始めたこの慰労会は、今現在も会社を成長させる礎となっている。

 それゆえに一瞬も気を抜くことができないため、終盤になれば精神的な疲れが湧きあがってくる。連日の業務も溢れかえる勢いで押し寄せてきて、耀一郞に休まる時間はなかった。
 もう三日も自宅のベッドで寝ていない。
 ゆっくり眠りたい欲求はあれど、切望はしていなかった。
 家に帰れば樟がいて、これ見よがしに料理がダイニングテーブルに並べられているに違いない。精神的な嫌悪を味わうくらいなら会社で寝泊まりした方が気が楽である。
 幸い、社長室の横にはシャワールームが儲けられており、ソファを簡易ベッドにすることもできる。秘書に言えば着替えもすぐに用意されるので不便はない。

 ただ、その一部始終を秘書が父に報告している事実が秘かなストレスにはなっているが。そろそろカムフラージュのために家に帰るしかないのか。気が重い。
 樟のことを思い出したと同時に、その製造元が会場の扉から入ってくるのが見えた。福福しい腹を無理矢理にスーツに詰め込んだ姿は滑稽だが、耀一郞を見つけて浮かべたいやらしい顔すらも、卑しさが滲み出ている。

(蛙の子は蛙か)

 媚びを売ろうと近寄ってきた姿に、樟のオドオドとした様子が重なり、静かな苛立ちが湧きあがる。

「これはこれは小野社長、ご無沙汰しております」
「菊池社長も、いつもありがとうございます」

 いつにも増して鉄面皮で対応すれば、「おや?」と驚いた顔をして周囲を見回した。
 表情を緩めないのには理由があるが、この場で露骨に口にすることではない。

「来年も良いお付き合いができることを願っております」

 言葉に含ませてみたが、伝わっているのかいないのか、菊池はニヤけた顔をして
「こちらこそ来年もごひいきに。いやあ、それにしても盛大な慰労会ですなー。さすがは小野電機工業さんですよ。うちもあやかりたいものです、はっはっは……」

 豪快に笑って自分がここにいるんだとアピールし始める。
 耀一郞にとってこの上なく近しい存在であると見せつけたいのだろうが、笑顔すら浮かべない己の婿にまたしても「おや?」と首を傾げた。

「あれがなにか粗相をしましたでしょうか」

 惚けた顔で見上げてくるのを、鉄面皮でちらりと見た。

(何も理解していないのか、この頭は)

 どのような構造になっているか理解できないが、薄い頭頂部を隠すように僅かに残った髪で覆うその隙間から、蛍光灯の照り返しを受ける。
 じぐりと胃が痛み出した。
 年末商戦の忙しさに加え、立て続けのトラブルの対応に余儀ない今、怒りが湧きあがっている中で、危機感のない菊池社長の物言いは不快でしかない。

「オメガというだけでも親の顔に泥を塗るというのに、すべてがどんくさくて本当に済みません。いやぁ、我が子とは思えないほどの愚鈍で……長男はアルファじゃないかと思うほど優秀なんですけどね」

 いきなり話しだしたのは樟のことだ。
 耀一郞はスッと目を細めた。だが菊池社長は気にせず揚々と語り出す。どれほど自分に似た長男が優秀かを華美な形容詞で飾り立て、ベータであるのが惜しいと熱弁を始める。
 それに比べて樟は不出来だと並べ立てた。

「オメガなんて恥でしかないですよ。あっ……いやいや小野社長があいつを気に入ってくださったのは嬉しい限りです。やはりうちは御社にとって大事な取引先なんだと気を引き締めておりますが、あいつがどれだけ我々の足を引っ張るか、気が気ではなく……本当にご迷惑をおかけして恥ずかしい限りです」

 まるで、自分の会社が優秀だから耀一郞は娶ったのだと勘違いしているようだ。
 何を思い違いをしているんだ、この男は。
 頬を紅潮させて唾を飛ばすように喋る男に、醒めた気持ちになる。
 条件が良かっただけで、菊池製作所を特別に思っているわけではない。思い違いも甚だしいというのに、未だに意気揚々と長子を使って自分を持ち上げては樟を貶める。

 いや、樟ではない。オメガ性を貶めているのだ。親だというのに。
 一気に嫌悪感が増し、目の前の男が醜い化け物に映る。
 これが樟の親か。
 仕事で対面していた時とは違った顔を覗かせ始めた菊池社長は、童話の中に登場する姿を消せ人間の言葉を発する猫のようにいやらしい笑みを浮かべた。。

「ところで、あちらの方でもちゃんとお役に立ててますかな? それくらいしか秀でたところがありませんからなぁオメガは」
「……下世話だな」

 彼が人格者だとは思っていない。だが人の親だというのにこれほどの卑しさはなんだ。こんな人物が樟の親だというのか。
 結婚式での怯えた表情を思い出す。声を発するのも震え、終始オドオドとしていたのは耀一郞の態度に対してだけではなかったのかもしれない。参列席の様子を意図して見はしなかったが、耀一郞が想像するような親子関係ではなさそうだ。
 ここまで子を貶める親がいるのだろうか。
 耀一郞もまともな家庭で育っていないが、菊池家は自分が思い描いていた親子関係ではないと容易に想像できる。
 地を這うような声に菊池社長はハッとし、慌てて媚びを売り始めた。

「いやいや。そろそろ孫の顔を見たいという親心でございまして。変な意味はありませんよ、ええ」
「そうですか。御社にお願いしてます電子部品、一度見直しをお願いします」
「最高のパフォーマンスで納入いたします、それはもう」

 脂汗をブランドもののハンカチで拭い、菊池社長はそそくさと離れていった。
 果たして耀一郞の言いたいことをきちんと汲み取っているかも怪しい態度だ。

(蝶よ花よと育てられたのではないのか)

 中小企業の経営者の子として生まれたオメガならば、利用価値は高いと思うのではなかったのか。少なくとも菊池社長は樟のことを金のなる木として見ていないのは、今のやりとりで嫌というほど理解して、初めて樟へと意識を向けた。
 自分の配偶者は今までどのように生きてきたのだろう。
 調査資料だけではわからない部分が気になり始めた。

(あいつは……どんな顔をしていた?)

 それすらも思い出せない。
 耀一郞は手にしたグラスをグッと握り絞めた。心の中のなにかがぐらつくような感覚に、焦燥が募る。
 もしかしたら大事なことを見落としているような……設計段階では完璧だと思ったがいざ開発の段になって予想し得ない不具合に直面した時と似た感覚だ。
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