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番外編1
あれから一年……02
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「えっ……どうして?」
テレビの画面には大きく小野電機工業の本社が映し出されている。
掃除のBGMに流すつもりで点けたが、突如現れた隆一郎の名に身体は固まり釘付けになる。
「…………ひどい」
かつて一度だけ話したことのある隆一郎の写真と共に出てきたのは、愛人で番でもあるオメガの身体に刻まれた傷の写真だ。
『小野隆一郎氏はAさんに発情促進剤を飲ませ、強制的に番契約を結ぶと、人権を無視した行為を何年にもかけて行ったというのです!』
語気の荒いレポーターの言葉に、ワイプで映し出されたゲストは眉をしかめている。そこへ人権派弁護士のコメントが始まった。
『すでに欧米ではオメガの人権と社会的地位についての法改正がなされています。こちらのフリップをご覧下さい。日本は先進国の中で最下位であり、最低限の権利しかオメガ性に与えていません』
わかりやすく○×で比較した表は、日本の憲法で許されているオメガの権利の少なさが一目でわかるようになっている。
樟はあまりにも世間知らずで、久乃に「ニュースをなるべく見ろ!」と怒られたが、その理由がわかった。以前の樟なら、こんな大ニュースがあっても知らないまま、自分は無価値だと酷い仕打ちすらも受け入れただろう。
家族によって世間から隔離された生活が長く、思い返しても驚くほどに常識がないのだ。それで耀一郞に迷惑をかけてしまうのが怖くて、意味がわからないかもしれないがとリビングで家事をする間はテレビを点けるようにしている。
だが今日のニュースの悲惨さに身体が動けなくなった。
「あれって……しちゃいけないことだったんだ…………」
自分がオメガだからしょうがないと受け入れてしまった過去を思い出して、ブルリと震えた。身体的暴力はアルファにのみ許されると憲法に記載されているなど、知りもしなかった。
兄が連れてきた人たちはみな知っていたのだろうか。
樟は首を振って思い出しそうになる辛い過去を飛ばそうとしても、脳裏に浮かんだ映像を完全に掻き消すことはできない。
ギュッと自分を抱き締めた。
あの頃よりもずっと肉が付いたが未だに細い腕は、次第にガタガタと震え始める。
樟は慌ててテレビを消し、耀一郞が用意してくれたスマートフォンを手に取った。この状況で外に出るのが怖い。登録した番号にかければすぐに繋がった。
『樟くん、どうしたんだ?』
樟の主治医である安井の番で、さらに配偶者である久乃の、変わらない明るい声が流れる。
ホッとして少しだけ震えが和らぐ。
「あの……耀一郞さんのお父さんがニュースになってて……」
『観た観た。なんだよ、俺たちが用意してたのとは違うヤツでビックリだ』
快活な笑い声が電話の向こうから上がる。内容に驚いて言葉も出ない。
なんせ隆一郎の印象は穏やかな初老の紳士だ。言葉は柔らかいし威圧することもない。ニュースで取り上げられるような非道なことをしている印象はどこにもないのだ。それが余計に樟は怖かった。
そして、そんな隆一郎の一面を久乃が知っていることにも驚きを隠せない。
『もしかして騒がしくて家から出られない?』
「まだ出てないのでわからないんですけど、でもそっちに行ったら迷惑がかかるかも……」
少し前からボランティアをさせて貰っているNPO法人の施設にまで記者たちが押し寄せたなら、他の利用者に迷惑をかけてしまう。
あそこに集まっているのは、みなオメガだ。好奇な目で見られるのをよしとはしないだろう。
傷を負っている人だってたくさんいる。
ただオメガに生まれたというだけで。
『わかった。こっちのことは気にしないで、引き籠もってろよ。食材の買い出しとかも不便になるだろうから、必要なものがあったら遠慮なく言ってくれ。あいつに持っていかせるから』
あいつ、とは番の安井のことだろう。
「そんなっ! 安井医師も夜勤とかで大変なんですから大丈夫です。きっと耀一郞さんがなにか考えてくれます」
『そう? でも困ったなら遠慮なく言えよ。世の中ってのは助け合いなんだからな』
「はい、ありがとうございます」
終話するころには樟の気持ちは随分と落ち着きを取り戻したが、もしこのマンションにまで記者が詰めかけていたならと考えると、気持ちがざわめく。
「しばらくは外に行けないな……」
以前のマンションよりもずっとセキュリティが強化されたここでは、住人が開けない限り部外者が侵入することはないと耀一郞が言っていた。
きっと、ここにいれば安心だ。
世間知らずな自分の、不用意な一言で耀一郞が窮地に陥るのは避けたい。
樟は掃除を終えると、ダイニングテーブルに腰掛け、持ってきたノートパソコンを開いた。少しずつ耀一郞に教えて貰い、今ではネットサーフィンができるくらいになった。耀一郞もまさかこの時代にパソコンどころかスマートフォンすら使ったことがない人間がいると想像もしなかったらしく、驚きながらもとても丁寧に教えてくれた。
ひらがな打ちで一文字ずつ人差し指でタイプして記事の表示を待つ。
「…………難しいことがいっぱい書かれてるな」
法律のページは難しい用語ばかりが並べられており、オメガの権利についてがぼかされているように感じる。発情が来る十代半ば以降、オメガは学校に通うのだって難しくなる。そんな状況で難しい言葉を投げかけられても理解が難しい。
家に閉じ込められていた樟には余計に難解で、読み進めるのが苦痛になり、ページを閉じた。なに一つ頭に入ってこない。ざわめいた心だけが置き去りになる。
嘆息して作業が手に着かないまま、時間だけが過ぎていく。
空の色が変わるのを見て樟はキッチンに立った。
疲れているだろう耀一郞が元気になれる料理をと考える。
「梅肉がいいかな……ちょっとお年寄り向けかもしれないけど……」
ささみとシメジを冷蔵庫から取り出して火を通す。茄子を素揚げして切れ目を入れて開き、梅肉と調味料で併せたささみとシメジを切れ目に沿って乗せればできあがりの簡単な料理を主食に用意すると、副菜に手を付ける。
夏の暑さに負けないよう、夏野菜をふんだんに使ったサラダに豆腐を混ぜ、酢をメインに味を調える。最後の一品はピーマンを炒めてごま油と鰹節で味付けをした後にごまを散らせば完成だ。
あとは耀一郞が帰ってくるのを待つだけだが、未だにスマートフォンのメッセージアプリに連絡が入っていない。帰りが遅くなるとメッセージを送ってくれるのに。
「今日は仕方ないよね、会社が大変なことになってるんだもん」
きっと一日気が休まらなかっただろう彼のために風呂を綺麗に洗い、いつでもお湯が張れる状態にしてから足を拭いて出ると、ポフンと大きな身体にぶつかった。
「ここにいたのか」
「耀一郞さん、お帰りなさい」
言い終わるよりも先に長身を屈め、唇を塞いできた。柔らかい感触に樟は目を閉じ自らも捧げるように少しだけ背伸びをする。逞しい腕が優しく、本当に包み込むように優しく背中に回り、服の下に隠した醜い傷跡が残る背中を撫で始める。
「んっ…………あっ」
テレビの画面には大きく小野電機工業の本社が映し出されている。
掃除のBGMに流すつもりで点けたが、突如現れた隆一郎の名に身体は固まり釘付けになる。
「…………ひどい」
かつて一度だけ話したことのある隆一郎の写真と共に出てきたのは、愛人で番でもあるオメガの身体に刻まれた傷の写真だ。
『小野隆一郎氏はAさんに発情促進剤を飲ませ、強制的に番契約を結ぶと、人権を無視した行為を何年にもかけて行ったというのです!』
語気の荒いレポーターの言葉に、ワイプで映し出されたゲストは眉をしかめている。そこへ人権派弁護士のコメントが始まった。
『すでに欧米ではオメガの人権と社会的地位についての法改正がなされています。こちらのフリップをご覧下さい。日本は先進国の中で最下位であり、最低限の権利しかオメガ性に与えていません』
わかりやすく○×で比較した表は、日本の憲法で許されているオメガの権利の少なさが一目でわかるようになっている。
樟はあまりにも世間知らずで、久乃に「ニュースをなるべく見ろ!」と怒られたが、その理由がわかった。以前の樟なら、こんな大ニュースがあっても知らないまま、自分は無価値だと酷い仕打ちすらも受け入れただろう。
家族によって世間から隔離された生活が長く、思い返しても驚くほどに常識がないのだ。それで耀一郞に迷惑をかけてしまうのが怖くて、意味がわからないかもしれないがとリビングで家事をする間はテレビを点けるようにしている。
だが今日のニュースの悲惨さに身体が動けなくなった。
「あれって……しちゃいけないことだったんだ…………」
自分がオメガだからしょうがないと受け入れてしまった過去を思い出して、ブルリと震えた。身体的暴力はアルファにのみ許されると憲法に記載されているなど、知りもしなかった。
兄が連れてきた人たちはみな知っていたのだろうか。
樟は首を振って思い出しそうになる辛い過去を飛ばそうとしても、脳裏に浮かんだ映像を完全に掻き消すことはできない。
ギュッと自分を抱き締めた。
あの頃よりもずっと肉が付いたが未だに細い腕は、次第にガタガタと震え始める。
樟は慌ててテレビを消し、耀一郞が用意してくれたスマートフォンを手に取った。この状況で外に出るのが怖い。登録した番号にかければすぐに繋がった。
『樟くん、どうしたんだ?』
樟の主治医である安井の番で、さらに配偶者である久乃の、変わらない明るい声が流れる。
ホッとして少しだけ震えが和らぐ。
「あの……耀一郞さんのお父さんがニュースになってて……」
『観た観た。なんだよ、俺たちが用意してたのとは違うヤツでビックリだ』
快活な笑い声が電話の向こうから上がる。内容に驚いて言葉も出ない。
なんせ隆一郎の印象は穏やかな初老の紳士だ。言葉は柔らかいし威圧することもない。ニュースで取り上げられるような非道なことをしている印象はどこにもないのだ。それが余計に樟は怖かった。
そして、そんな隆一郎の一面を久乃が知っていることにも驚きを隠せない。
『もしかして騒がしくて家から出られない?』
「まだ出てないのでわからないんですけど、でもそっちに行ったら迷惑がかかるかも……」
少し前からボランティアをさせて貰っているNPO法人の施設にまで記者たちが押し寄せたなら、他の利用者に迷惑をかけてしまう。
あそこに集まっているのは、みなオメガだ。好奇な目で見られるのをよしとはしないだろう。
傷を負っている人だってたくさんいる。
ただオメガに生まれたというだけで。
『わかった。こっちのことは気にしないで、引き籠もってろよ。食材の買い出しとかも不便になるだろうから、必要なものがあったら遠慮なく言ってくれ。あいつに持っていかせるから』
あいつ、とは番の安井のことだろう。
「そんなっ! 安井医師も夜勤とかで大変なんですから大丈夫です。きっと耀一郞さんがなにか考えてくれます」
『そう? でも困ったなら遠慮なく言えよ。世の中ってのは助け合いなんだからな』
「はい、ありがとうございます」
終話するころには樟の気持ちは随分と落ち着きを取り戻したが、もしこのマンションにまで記者が詰めかけていたならと考えると、気持ちがざわめく。
「しばらくは外に行けないな……」
以前のマンションよりもずっとセキュリティが強化されたここでは、住人が開けない限り部外者が侵入することはないと耀一郞が言っていた。
きっと、ここにいれば安心だ。
世間知らずな自分の、不用意な一言で耀一郞が窮地に陥るのは避けたい。
樟は掃除を終えると、ダイニングテーブルに腰掛け、持ってきたノートパソコンを開いた。少しずつ耀一郞に教えて貰い、今ではネットサーフィンができるくらいになった。耀一郞もまさかこの時代にパソコンどころかスマートフォンすら使ったことがない人間がいると想像もしなかったらしく、驚きながらもとても丁寧に教えてくれた。
ひらがな打ちで一文字ずつ人差し指でタイプして記事の表示を待つ。
「…………難しいことがいっぱい書かれてるな」
法律のページは難しい用語ばかりが並べられており、オメガの権利についてがぼかされているように感じる。発情が来る十代半ば以降、オメガは学校に通うのだって難しくなる。そんな状況で難しい言葉を投げかけられても理解が難しい。
家に閉じ込められていた樟には余計に難解で、読み進めるのが苦痛になり、ページを閉じた。なに一つ頭に入ってこない。ざわめいた心だけが置き去りになる。
嘆息して作業が手に着かないまま、時間だけが過ぎていく。
空の色が変わるのを見て樟はキッチンに立った。
疲れているだろう耀一郞が元気になれる料理をと考える。
「梅肉がいいかな……ちょっとお年寄り向けかもしれないけど……」
ささみとシメジを冷蔵庫から取り出して火を通す。茄子を素揚げして切れ目を入れて開き、梅肉と調味料で併せたささみとシメジを切れ目に沿って乗せればできあがりの簡単な料理を主食に用意すると、副菜に手を付ける。
夏の暑さに負けないよう、夏野菜をふんだんに使ったサラダに豆腐を混ぜ、酢をメインに味を調える。最後の一品はピーマンを炒めてごま油と鰹節で味付けをした後にごまを散らせば完成だ。
あとは耀一郞が帰ってくるのを待つだけだが、未だにスマートフォンのメッセージアプリに連絡が入っていない。帰りが遅くなるとメッセージを送ってくれるのに。
「今日は仕方ないよね、会社が大変なことになってるんだもん」
きっと一日気が休まらなかっただろう彼のために風呂を綺麗に洗い、いつでもお湯が張れる状態にしてから足を拭いて出ると、ポフンと大きな身体にぶつかった。
「ここにいたのか」
「耀一郞さん、お帰りなさい」
言い終わるよりも先に長身を屈め、唇を塞いできた。柔らかい感触に樟は目を閉じ自らも捧げるように少しだけ背伸びをする。逞しい腕が優しく、本当に包み込むように優しく背中に回り、服の下に隠した醜い傷跡が残る背中を撫で始める。
「んっ…………あっ」
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