【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

文字の大きさ
42 / 66
番外編1

あれから一年……02

しおりを挟む
「えっ……どうして?」

 テレビの画面には大きく小野電機工業の本社が映し出されている。
 掃除のBGMに流すつもりで点けたが、突如現れた隆一郎の名に身体は固まり釘付けになる。

「…………ひどい」

 かつて一度だけ話したことのある隆一郎の写真と共に出てきたのは、愛人でつがいでもあるオメガの身体に刻まれた傷の写真だ。

『小野隆一郎氏はAさんに発情促進剤を飲ませ、強制的に番契約を結ぶと、人権を無視した行為を何年にもかけて行ったというのです!』

 語気の荒いレポーターの言葉に、ワイプで映し出されたゲストは眉をしかめている。そこへ人権派弁護士のコメントが始まった。

『すでに欧米ではオメガの人権と社会的地位についての法改正がなされています。こちらのフリップをご覧下さい。日本は先進国の中で最下位であり、最低限の権利しかオメガ性に与えていません』

 わかりやすく○×で比較した表は、日本の憲法で許されているオメガの権利の少なさが一目でわかるようになっている。
 樟はあまりにも世間知らずで、久乃ひさのに「ニュースをなるべく見ろ!」と怒られたが、その理由がわかった。以前の樟なら、こんな大ニュースがあっても知らないまま、自分は無価値だと酷い仕打ちすらも受け入れただろう。

 家族によって世間から隔離された生活が長く、思い返しても驚くほどに常識がないのだ。それで耀一郞に迷惑をかけてしまうのが怖くて、意味がわからないかもしれないがとリビングで家事をする間はテレビを点けるようにしている。
 だが今日のニュースの悲惨さに身体が動けなくなった。

「あれって……しちゃいけないことだったんだ…………」

 自分がオメガだからしょうがないと受け入れてしまった過去を思い出して、ブルリと震えた。身体的暴力はアルファにのみ許されると憲法に記載されているなど、知りもしなかった。
 兄が連れてきた人たちはみな知っていたのだろうか。

 樟は首を振って思い出しそうになる辛い過去を飛ばそうとしても、脳裏に浮かんだ映像を完全に掻き消すことはできない。
 ギュッと自分を抱き締めた。
 あの頃よりもずっと肉が付いたが未だに細い腕は、次第にガタガタと震え始める。
 樟は慌ててテレビを消し、耀一郞が用意してくれたスマートフォンを手に取った。この状況で外に出るのが怖い。登録した番号にかければすぐに繋がった。

『樟くん、どうしたんだ?』

 樟の主治医である安井やすいの番で、さらに配偶者である久乃ひさのの、変わらない明るい声が流れる。
 ホッとして少しだけ震えが和らぐ。

「あの……耀一郞さんのお父さんがニュースになってて……」
『観た観た。なんだよ、俺たちが用意してたのとは違うヤツでビックリだ』

 快活な笑い声が電話の向こうから上がる。内容に驚いて言葉も出ない。
 なんせ隆一郎の印象は穏やかな初老の紳士だ。言葉は柔らかいし威圧することもない。ニュースで取り上げられるような非道なことをしている印象はどこにもないのだ。それが余計に樟は怖かった。
 そして、そんな隆一郎の一面を久乃が知っていることにも驚きを隠せない。

『もしかして騒がしくて家から出られない?』
「まだ出てないのでわからないんですけど、でもそっちに行ったら迷惑がかかるかも……」

 少し前からボランティアをさせて貰っているNPO法人の施設にまで記者たちが押し寄せたなら、他の利用者に迷惑をかけてしまう。
 あそこに集まっているのは、みなオメガだ。好奇な目で見られるのをよしとはしないだろう。
 傷を負っている人だってたくさんいる。
 ただオメガに生まれたというだけで。

『わかった。こっちのことは気にしないで、引き籠もってろよ。食材の買い出しとかも不便になるだろうから、必要なものがあったら遠慮なく言ってくれ。あいつに持っていかせるから』

 あいつ、とは番の安井のことだろう。

「そんなっ! 安井医師せんせいも夜勤とかで大変なんですから大丈夫です。きっと耀一郞さんがなにか考えてくれます」
『そう? でも困ったなら遠慮なく言えよ。世の中ってのは助け合いなんだからな』
「はい、ありがとうございます」

 終話するころには樟の気持ちは随分と落ち着きを取り戻したが、もしこのマンションにまで記者が詰めかけていたならと考えると、気持ちがざわめく。

「しばらくは外に行けないな……」

 以前のマンションよりもずっとセキュリティが強化されたここでは、住人が開けない限り部外者が侵入することはないと耀一郞が言っていた。
 きっと、ここにいれば安心だ。
 世間知らずな自分の、不用意な一言で耀一郞が窮地に陥るのは避けたい。

 樟は掃除を終えると、ダイニングテーブルに腰掛け、持ってきたノートパソコンを開いた。少しずつ耀一郞に教えて貰い、今ではネットサーフィンができるくらいになった。耀一郞もまさかこの時代にパソコンどころかスマートフォンすら使ったことがない人間がいると想像もしなかったらしく、驚きながらもとても丁寧に教えてくれた。
 ひらがな打ちで一文字ずつ人差し指でタイプして記事の表示を待つ。

「…………難しいことがいっぱい書かれてるな」

 法律のページは難しい用語ばかりが並べられており、オメガの権利についてがぼかされているように感じる。発情が来る十代半ば以降、オメガは学校に通うのだって難しくなる。そんな状況で難しい言葉を投げかけられても理解が難しい。
 家に閉じ込められていた樟には余計に難解で、読み進めるのが苦痛になり、ページを閉じた。なに一つ頭に入ってこない。ざわめいた心だけが置き去りになる。
 嘆息して作業が手に着かないまま、時間だけが過ぎていく。
 空の色が変わるのを見て樟はキッチンに立った。
 疲れているだろう耀一郞が元気になれる料理をと考える。

「梅肉がいいかな……ちょっとお年寄り向けかもしれないけど……」

 ささみとシメジを冷蔵庫から取り出して火を通す。茄子を素揚げして切れ目を入れて開き、梅肉と調味料で併せたささみとシメジを切れ目に沿って乗せればできあがりの簡単な料理を主食に用意すると、副菜に手を付ける。
 夏の暑さに負けないよう、夏野菜をふんだんに使ったサラダに豆腐を混ぜ、酢をメインに味を調える。最後の一品はピーマンを炒めてごま油と鰹節で味付けをした後にごまを散らせば完成だ。
 あとは耀一郞が帰ってくるのを待つだけだが、未だにスマートフォンのメッセージアプリに連絡が入っていない。帰りが遅くなるとメッセージを送ってくれるのに。

「今日は仕方ないよね、会社が大変なことになってるんだもん」

 きっと一日気が休まらなかっただろう彼のために風呂を綺麗に洗い、いつでもお湯が張れる状態にしてから足を拭いて出ると、ポフンと大きな身体にぶつかった。

「ここにいたのか」
「耀一郞さん、お帰りなさい」

 言い終わるよりも先に長身を屈め、唇を塞いできた。柔らかい感触に樟は目を閉じ自らも捧げるように少しだけ背伸びをする。逞しい腕が優しく、本当に包み込むように優しく背中に回り、服の下に隠した醜い傷跡が残る背中を撫で始める。

「んっ…………あっ」
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

【完結】君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが…

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか

まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。 そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。 テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。 そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。 大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。 テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...