【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

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番外編1

あれから一年……03

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 合わさっていただけなのに、耀一郞が僅かに開いた樟の唇の合間をペロリと舐めた。それだけで期待に痺れが走り、自分から唇を緩める。できた隙間から耀一郞の舌が滑り込み、樟の舌を舐めた。
 思わず漏れた声が種火となり、耀一郞の大胆さが増した。先から奥まで何度も往復して擽ってくる。だというのに感じるのは身体が溶けるような甘さだ。しがみ付いていなければすぐにでもしゃがみそうになる。耀一郞もわかっていて、背中を撫でていた手を樟の腰に回し、支えては口づけを深くする。

 いつもならベッドに入ってからする深いキスに翻弄され、唇が離れる頃には樟の色の薄い肌は紅潮し、視界はうっすらと涙が滲んでいた。
 硬い表情がデフォルトの耀一郞が、この時ばかりは甘く眦を下げる。腕の中で力なく凭れかかる樟の柔らかい髪に唇を落として「チュッ」と小さな音を立てた。

「もう風呂の準備ができているなら、一緒に入るか」

 頷こうとして、慌てて身体を離した。途端に重心が後ろに下がりすぎて尻餅をつく。

「あぶないっ……立てるか?」

 咄嗟のことで支えられなかった耀一郞はすぐに隣にしゃがみ、怪我がないかを確認してくる。
 こういうときだ、とても大切にされていると実感するのは。
 尻餅をついたくらいで怪我なんてしないのに、耀一郞は自分が近くにいて樟になにがあるのをとても怖れる。

「大丈夫です……あの、今日は忙しかったんですよね」
「どうしてそう思うんだ?」
「朝のニュースでお義父とうさんのことが流れてました。番に暴力を振るっていたって……あれで会社の前が映ってて……」

 耀一郞は数度瞬きをして、それから少しだけ――よく見なければ分からないが――困った顔をした。

「テレビを観たのか……いや、観るなという意味ではない」
「僕は……その、あまり常識がないから、ちゃんとニュースを見るようにって久乃さんに言われてて」
「あの人らしいアドバイスだ。父のことは事実だし、無理矢理に番にされた人たちに酷いことをした。本人は警察に拘留されているから、会見ができないので、近々私が記者会見を行う予定だ」
「どうして耀一郞さんが……関係ないのに……」

 自然と眉尻が下がる。耀一郞が酷いことをしているわけでもないのに、なぜ彼が矢面に立つのだろうか。
 ひょいと樟の身体を抱き上げて、パウダールームに置かれてある椅子に下ろした。丁寧に怪我がないかをチェックし、一通り問題ないことを確かめると柔らかい樟の癖のある髪を撫でる。

「会社のためだ。会長が非人道的なことをしたんだから当然だろう。お前は心配しなくていい」
「でもっ!」

 近頃テレビを観て知ったのだ、記者会見をすれば必ず攻撃をされると。どんな些細なことでも鬼の首を取ったように皆から攻められる。隆一郎がしたのなら本人が責められるべきで、息子である耀一郞が矢面に立つ必用などない。

 怖いのだ、耀一郞が誰かに悪意を向けられるのが。
 樟は長い間、オメガというだけで家族に虐げられてきた。すべての悪意をぶつけられた。家庭という狭い世界でも多勢に無勢だ。どんなに頑張ったところで、声を大きく上げて批難した人間が勝つのだ。

 公の場となったら、その声はもっと大きく刃となって耀一郞を切り裂くだろう。なにせ、口を開いている人間は自分が正義の鉄槌を下しているのだと信じて疑っていないのだから。それが相手に非があるかもわからないままで。
 どれほどの人が耀一郞を責めるかわからなくて、ただただ怖い。

「安心しろ。お前が怯えることはない。ただしばらくは周囲がうるさくなるから、なるべく外に出ないようにして欲しいんだが、困ることはあるか?」

 ああ、やはり耀一郞は優しい。
 最初に樟の不安を拭おうとしてくれる。
 ギュッと握り合わせた指にさらに力を入れ、コトンと逞しい肩に額をぶつけた。

「…………食材が……」
「そうだな、このままでは買い物も不便だろう。ネットスーパーや食材の宅配を利用しようか。そうだな、それがいい」
「はい。久乃さんが安井医師に運ばせると言ってくれたのですが、お断りしました」
「……そう、か」

 一瞬にして声のトーンが落ちた。

(ああ、まただ。でもしょうがないよ……うん、しょうがない)

 樟は強く逞しい肩に顔を埋め、湧きあがる不安を凌ごうとした。
 安井の話となると、耀一郞は不機嫌になる。きっと、慕っていた久乃を取られたようで面白くないのだろう。
 久乃は耀一郞にとって親のいない家でずっと傍にいてくれた人で、心の支えだったと言っていた。本当は耀一郞が久乃の番になりたかったのかもしれない。

 当然だ、久乃は悲しい過去があったのに、引きずらず明るく生命力に溢れている。口は悪いが自分の言いたいことを常に周囲に伝え、その中でも周囲への気配りを忘れない、とても完璧な人だ。
 オメガであることを抜きにしても、誰もが惹かれる魅力に溢れている。
 だから、耀一郞は彼の番である安井のことが気に入らないのだろう。

(それでも……僕は耀一郞さんの傍にいたいな)

 耀一郞が許してくれるなら、ずっと傍にいたい。
 発情不全の治療を受けているが未だに成果が現れていないこの身体では、魅力など存在しないだろう。しかも身体は傷だらけで、飛び抜けて美しい容姿でもない。

(もっと僕が綺麗なオメガだったら良かったな)

 久乃のように誰もが目を奪われるほどの美しさなら、耀一郞も少しは樟だけを見てくれたかもしれないが、残念ながら綺麗と称されたことは一度もない。むしろ年齢よりもずっと年下にみられることの方が多い樟では太刀打ちどころか、同じ土俵に立つこともできない。
 それでも優しくしてくれる耀一郞の傍にいたいと願うのは贅沢だろうか。

(久乃さんの身代わりでもいいから……)

 卑屈になってしまう心のまま身体を預ければ、耳朶を甘く食まれた。

「あの……ご飯、できてますっ」
「そうか。樟の作るものは美味いが、今日は風呂を先にしてもいいか」
「はい……すぐに用意を……」
「その必用はない。湯が堪るまでこうしていればいいんだ」

 耀一郞は樟の服を脱がせると自らも大胆に着衣を脱ぎ捨てバスルームへと引っ張り込んだ。







 オメガの男性体は、発情期でなければベータの男と何一つ変わらない。その器官は濡れることもなければ欲することもしないし、当然子も成せない。長大なアルファのそれを受け挿れるようにはできていないため、交わるには充分な準備が必要になるが、頻回は推奨しない。
 病院で安井からそう説明されていても、耀一郞と交わるのは樟にとって幸せなことだった。
 幸福な性体験をしたことがない樟を、怖がらせることなく常に悦びで包み込んでくれるからだ。この一瞬だけは自分が愛されているのだと実感できる。誰かの身代わりではなく、出来損ないのオメガでも愛してくれる人がいるのだと、勘違いできる。

 バスルームで前戯とばかりに指と舌で身体を溶かされ、火照ったまま味のわからない食事を摂り、すぐさまベッドルームへと連れ込まれた樟は、逞しい身体の下で汗まみれになった。指一本動かすのですら億劫で、熱い吐息を何度も吐き出すが、堪った熱はちっとも収まらない。
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