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呪われた子 7
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夜の森を進む足に力は無い。何か見えないものによって背中を押されている感覚だ。いや、草原から死の誘いを受けて引きずり込まれようとしているのかもしれなかった。
森の裂け目から覗くうっすら見える空の星だけが唯一の救いに見えた。
「レハは殺されたのか」
だが、何のために。脱退署名を書かせたならレハを殺す必要は無いはずだ。それでマムル様にだって金が入るはずだ。それほどに魔晶石が欲しかったのか。
「腹が、減った……」
こんなことなら家畜小屋で寝ていたほうがましだったとさえ思ってしまう。皮袋の中に詰め込んだ堅パンや干し肉を思い出すと後悔が押し寄せる。口の中を舌で探してみたところでもはや干し肉の影すら追うことは出来なかった。舌が張り付きわずかな水分の奪い合いが起ころうとしていた。
「村に戻って、話せばわかってくれるんじゃ……」
頭を振る。村に戻れば確実に殺されるだろう。選ぶべき道を間違えたのだ。家畜小屋を出なければ良かった。見に行かなければ良かった。マムル様の家に行かなければ良かった。そうすれば何も起こらなかった。
「いてもいなくてもいい人間……」
育った村に親がいないというだけで、人はこんなにも粗雑に扱われるのか。牛と同じように飼われ、叩かれて笑い合う友達もおらずに育たなければならないのか。
何度も後ろを振り返りながら、それでも草原を目指す。
マムル様は温情で村に置いていてくれたわけではなかったのだ。いつかこんな日が来たとき利用するために、そのためだけに生かしておいたのだ。
レハですら、そうだったのだ。世界を巡る夢を抱いても、マムルの支配から抜け出すことなど出来なかったのだ。わずかな金を費やして学んでも、外に出ることすら叶わなかった。
足がもつれ下草の中に埋もれる。セヴルの目から涙が落ちる。
悔しい。
右手に枯れた枝が触れた。力強くそれを握り締め、下草をなぎ払う。下草は、横一線にきれいな切り口を見せて地面に落ちる。セヴルは枝を投げ捨てた。
「あの時、レハの言うように一緒に旅をすることにしてたら、あいつは死ななかったのかな? それとも二人とも殺されてたのかもな」
ゆっくりと立ち上がり再び歩き出す。時折、木にもたれ足をさする。
そうして歩き続けているうちに目の前が開けた。森が、終わりを告げたのだ。
なんて明るいんだろう。
うっすらと空が白んでいる。見上げれば、夜は再び反転し、太陽が大きくなろうとしていた。
「朝が来る」
森の奥を、来た道を振り返る。
「町へ向かう道で、俺が見つからなければこっちに来るはずだ。捕まったら殺される」
草原に足を踏み入れる。
このまま大声を上げて蟲の餌になってしまえば楽になれる。
セヴルは、大きく息を吸い込んだ。草のにおいが思いとどまらせる。
「(このままで終わるもんか。今死ねばマムル様だけが得をするんだ。そんなこと間違っている)」
ゆっくりと音をさせないように草原の中を進む。ガラクタがいたるところに転がっている。売り物にならなくても今のセヴルに使えるものが残されているかもしれない。
セヴルはガラクタを拾っては捨て、また拾い使えそうなものを集める。
「(食べ物……)」
転がっている袋に手を伸ばす。だが、開くことに躊躇する。
わずかに漂う匂いが吐き気を誘う。顔から遠いところで袋を開く。恐る恐る中を見てみると先客がいた。うねうねと動き回る蛆虫が腐った食べ物に群がっていた。草の中に袋を投げ捨てて他の物を探す。
めぼしいものは折れた剣と鞘。バックルの無いベルト。輪っかが二個。何も入っていない皮袋。臭い木製の水筒だけだった。右の肘で押さえながら、器用にベルトを締め、左手で装備を整える。それがすんでしまうとセヴルは右手に折れた剣を握り締めて草原を切り裂きながら先に進んでいく。
「(別の森を探して、村を見つける。……それから、輪っかと交換で食べ物を貰う……)」
繰り返し呪文のように頭の中でつぶやき続ける。
右手に持った剣で草を切り分けて進む。折れた剣は、切れ味までは失っていないようだった。刃に触れた草は、風に巻かれて飛び去っていく。
蟲は出なかった。
「(水、みず……)」
体を前に倒し、転びそうになる前に足が出る。その繰り返しで、何とか歩き続けているような状態だった。
どこに向かっているのかはわからない。足を交互に前に出す。今のセヴルにはそれしか出来なかった。
頭上の太陽は、いまや草原を歩くセヴルにとって最大の敵になっていた。光が大きくなるにつれセヴルの出足は明らかに衰え、左右へぐらつかせた。
「(村を見つける……。村を……)」
だが、ついに地面に前にのめるように倒れた。
「(生きることなんてどうでもよかったのに……)」
土が口の中に入る。それを唾と一緒に吐き出す。
「もったいね。貴重な水だったのに」
声を出した。一瞬、ドキッとしたが、うめきながら仰向けになる。
太陽がまぶしかった。昼に向かってこれからどんどん大きくなっていくはずだ。ゆっくりとまぶたが落ちていく。
「このまま死ぬなら悪くないかもな」
「ダメだよ。人の家の庭で勝手に死なないでくれ」
不思議な声が頭上から聞こえてセヴルは飛び起きた。自分にまだこんな力があるのかと驚いた瞬間、乾いた鈍い音がして、セヴルはうずくまった。
「いきなり起き上がってくるとは、なんて粗忽者だ」
不思議な声の人物も頭を押さえてうずくまっているようだった。
「誰だ?」
セヴルは声のほうに折れた剣を向けながら視力が完全に戻るのを待った。二人が同時に同じことをしゃべっている。
「私はバリュフ。ここに住んでいるものだよ」
「もう一人は?」
「今は一人だ」
「声が二人分聞こえてくる」
「あぁ、私には二枚の舌があるからね」
「え?」
セヴルは相手を確かめる。草原の中に一人の農民風の男が立っている。確かに周りを見回しても誰もいない。草も背が低く誰かが隠れていればそれがわかるはずだ。近くに民家が見えた。
「はじめまして。私はバリュフ。人によってはステレオ・バリュフ、二枚舌のバリュフとも呼ぶがね。君は?」
バリュフという男の声は重なっている。本当に奇妙な声だった。
「……セヴル」
バリュフはセヴルの格好を見て、哀れっぽい視線を向けてくる。
「見たところ……。負けちゃったようだね」
「そういうわけじゃない」
「あれ? 兵隊さんじゃないのかな? だよね。そんなに強そうでもないし。まぁ、どっちでもいいけど」
バリュフはセヴルに背を向けて歩き始める。セヴルは慌てて呼び止める。
「あ、ちょっと」
呼びかけられるとバリュフはあっさりと振り返る。
「なんだい?」
「声を出して平気なのか? 蟲は来ないの? それと、近くに村はない?」
「質問は、一つずつ確実にした方がいいよ」
バリュフは優しく笑った。セヴルは少しだけ楽になった気がした。
「この近くに村はない?」
「一番近い森の中にあるが」
「どっち?」
バリュフはセヴルの歩いてきた方角を指差す。振り返ったセヴルは、軽く笑う。おそらくマムルの村だ。もう戻るわけには行かない。
「次に近いのは?」
「んー、二日くらい歩けば、あっちかな? あれ? あの村は潰れちゃったんだっけ……」
「二日か」
セヴルが考えているうちにバリュフは近くの民家に向けて歩き出す。セヴルはすぐに追いかける。だが、足が思ったようについていかない。
「ちょっとちょっと」
「なんだい?」
「話が終わらないうちに歩き出すなよ」
「あぁ、すまない。お昼ご飯のことを考えていてね」
昼ご飯。その甘美な響きがセヴルの空腹中枢を刺激した。体中に稲妻が走り、セヴルの腹の虫を鳴かせた。
セヴルは皮袋の中から輪っかを一個取り出すと、バリュフの目の前に出す。
「これ上げるからさ。何か食わせてよ」
「蟲除けか」
バリュフは興味がないような口調だった。
「(蟲除け。だから蟲にあわなかったのか)」
驚きを隠しながら輪っかをさらに押し出す。
「……そ、そう。蟲除け」
「これが無いと君が困らないか?」
「も、もう一個あるからさ」
「一個で草原を旅するのも大変だよ」
「そうなの?」
バリュフは、笑顔になった。
「二個あれば夜も寝られるって言うけど、試したことはないね」
「まぁ、それだけ貴重な蟲除けだけど、あんたに上げるからさ。飯を食わせてよ」
「私には必要ないかな、それ」
「え? なんで?」
「蟲除けの魔術が使えるからね」
不思議な声を持つこの男は、魔術師だったのか。セヴルは妙に納得した。
「魔術? あぁ、だから舌が二枚なのか?」
「それは関係ない。舌が二枚なのは生まれつき」
「変なの」
セヴルの一言にバリュフはひどくショックを受けたようだった。
「そうだよね。変だよね……。だからこうやってひっそりと誰も来ないようなところで、弟子と静かに暮らしているわけさ……。しかも魔術師なんて人からつめたーい目で見られるもんだから、ますます人との交流がなくなってさ。もう本当にブルー……」
がっくりと肩を落としながらバリュフは歩き出す。その口から出るため息は深くセヴルもどうしていいのかわからずに立ち尽くしていた。
バリュフが突然振り返った。
「あれ? うちで飯食べるんでしょ?」
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