スマートフォンは使わない。

大秦頼太

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スマートフォンは使わない。 後編

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 この現実離れをした生活も、どこかであの老婆が引き起こしているのではないかと思っていたが、それはどうやら杞憂だったようだ。そうなると、今の生活はとても幸運なのだろう。あの謎の老婆のお葬式をしてあげれば、いよいよすっきりとするだろう。
 父と母に連絡をすると、二人ともまるで興味がなく「忙しいから業者に頼んでくれ」という。それで手続きのために僕が行くことになった。そのことを施設の人間に伝えると、父親の委任状を持ってくるようにと言われた。
 何度かそんな手間のかかるやり取りをして、施設へと向かい謎の老婆の葬儀を手配する。
 施設の人間も葬儀の業者も未成年の僕がよっぽど珍しいのか何度もおんなじような確認をしてくる。それに嫌気が差して、殆どのことを任せきりにしてしまった。そのために葬儀費用などが結構な額になってしまったが、そのことで父に怒られるようなことはなかった。むしろ、もっとかけても良いというような言い方をされた。
 田舎にも親戚にも連絡はいかず、施設の人間が数人と業者の人間、そして他人の僕にあの謎の老婆は送られていった。
 あの人は結局何者だったのだろうか。棺の中で静かに横たわり、生前の不気味さなど無く、本当はこの人は本物のお祖母ちゃんだったのかもしれないのだという思いにも駆られ、自然と涙がこぼれ落ちた。お祖母ちゃんはどこに行ったのだろう。
 やがて僕らは死者とともに火葬場へ向かい謎の老婆が灰になっていくのを別の部屋でお昼ご飯を食べながら待っていた。やがて、係の人間が僕らを呼びに来て、燃え残った小さな骨を見た。壺の中にそれをしまい、あとのことは業者に全て任せ、僕は家に帰った。謎の老婆も都内の霊園に送られた。
 実家のマンションにたどり着くと、周辺に人だかりが出来てざわついていた。その中の一人がこっちを見て大騒ぎしながら近づいてくる。
「橋木さんの息子さん! 大変よ! 自殺なの! 自殺なのよ!」
 恐ろしい表情で近づいてくるオバサンたちが急に恐ろしくなって、逃げようとするがすぐに取り囲まれてしまう。
「きゅ、救急車は呼んだんですか?」
「もう死んでるわよ。誰か警察を呼んだみたい」
「やあね、マンションの価値が下がっちゃうわ」
 声がする方向に顔を向けてみるが、正直見分けがつかなかった。スマートフォンを取り出して父に連絡をする。
「忙しいんだ。お前がやっておいてくれ」
 またいつもと同じような返事だった。もう少し粘ろうとすると、電話は切れた。
 しばらくしてやって来た警察に話を聞かれ、知っていることはすべて話す。そして、警察の手配してくれた特別清掃会社の人に挨拶をして、その日が終わる。
 次の日、明け方に事故のような音が聞こえて目が覚めると、すぐに自宅の電話が鳴った。電話に出ると、物凄い早口の女の声で「外を見なさいよ!」と言われた。何だよと思いベランダから外を見るとマンションの下が騒がしい。人だかりができている。そこから大分離れたところで赤い服を着た人間が寝ている。違う。飛び降り自殺だった。
 電話が鳴る。驚く。恐恐出ると怒鳴り声だ。
「お前はここのマンションの持ち主だろうが、一体何をしてるんだ!」
 父はいません。と言っても理解してもらえずに怒号は受話器から溢れ続けた。とりあえず管理会社に雇われている管理人が来るまでに警察や消防に通報をすることにした。
 昨日と同じ警察関係者に囲まれ、清掃会社の人間に挨拶をして、父にも連絡をする。
「忙しいんだ。お前がやっておいてくれ」
 と言われる。ため息をついて、家を出る。少し離れたところで食事をすることにした。正直なにも食べる気にはならなかったが、適当に入った定食屋で、何かを頼んだ。何を食べたのかは覚えていない。そして、家に帰るとマンションの敷地に入るところで「バン」と何かが地面に叩きつけられる音を聞いた。何かではなく、この音も人間だと思った。また自殺者だ。人が集まっているところに向かい、その現場を遠くから見る。
 やはり飛び降りだった。倒れて血だまりの中に突っ伏している男はサラリーマンだろう。スーツがぐっしょりと自分の血で染まっていく。野次馬の中の誰かが言った。
「もうこのマンション、ネットの中で自殺の名所になっているのよ」
「やだぁ、気持ちが悪い。引っ越そうかしら?」
「うちもそうしたいわ。でも、すぐに良い条件の部屋が見つかればいいけど」
「困るわぁ。管理会社はなにしてるのかしら」
「あ、橋木さんちの息子さんよ」
 一斉に視線がこちらに集中する。妙な汗が出てくる。
「おい、お前。これ以上、自殺者が出たら俺たちはお前を訴えるからな」
 なんでだよ。自殺する人間と僕は関係がないだろうが。
「そうよ。このマンションのオーナーの息子のくせに、もっと管理会社にしっかり言いなさいよ!」
 みんな勝手な言い草だ。喚き散らしたくなった時に、警察の人が現れた。
「大丈夫? 3回も連続で続くと気持ちが悪いね」
 警察の人も清掃業者の人間もどこかよそよそしかった。すべてが終わり、部屋に戻るとネットで地域の掲示板を確認する。調べてからそのことを後悔した。本当にうちのマンションは自殺の名所と噂されるようになっていた。腹が立ってきたので、父に電話をする。
「忙しいんだ。お前がやっておいてくれ」
 いつもと同じセリフにとうとう頭にきて爆発した。
「自分で来て見てみろよ!」
「忙しいんだ。お前がやっておいてくれ」
 父の声に違和感を覚える。なにか変だ。大丈夫なのか聞いてみると、また同じ言葉が返ってきた。
「忙しいんだ。お前がやっておいてくれ」
 怖かった。疲れているから返事をするのも面倒くさくなったのだろうか。
「父さん、お祖母ちゃんはどこに行ったんだろうね?」
 すると、電話の向こうからカリカリという音とともに父の声が繰り返し聞こえてきた。
「忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ。忙しいんだ。お前がやっておいてくれ」
 怖くなって通話を切る。少し落ち着いてから母に連絡をする。通話状態になって話しかけようとした瞬間、父の声が聞こえてきた。
「忙しいんだ。お前がやっておいてくれ」
 スマートフォンが壊れているのかと思った。画面を見て通話の相手を確認する。間違いなく母だ。しかし、聞こえてくる声は父の声だった。
 バン!
 外から地面に人が叩きつけられる音。僕はもう何がなんだかわからなかった。父の声のするスマートフォンを握りしめながら、外を見に行く。
 バン!
 少し離れたところでまた誰かが飛び降りた。父の声はまだ聞こえていた。通話を切って、警察に連絡をする。また自殺です。また自殺。
 ドン!
 今度は家のドアだった。誰かが叩くか蹴るかしたようだ。ゆっくりとドアに向かう。ドアの鍵とチェーンを確認して、覗き穴からドアの外を見ようとすると、マイナスドライバーの先端が飛び出してくる。危うく目を突かれるところだった。後ろに転び、後付さりする。
「工具貸せ! ドアを開けんぞ!」
 向こう側から若い男の声がする。もう何がなんだかわからなくなって、力が入らなくなった足を引きずりながらベランダに逃げていく。ガリガリとかガッチンとかそういう音が聞こえて、郵便の穴から太い腕が突き入れられる。振り返りベランダに出て、窓を締める。身を隠すがこんなところにいたんじゃすぐに見つかってしまうだろう。隣の家のベランダに逃げ込めばなんとかなるかもしれない。外を見る。自殺者の側には人だかり。下まではそうとな高さがあり、万が一にでも足を滑らせたら生命は助からないだろう。隣のベランダに行くには確実に体を外に出さなければいけない。
 緊急避難用の壁を破る方法もあるが、それだとやって来た声の男にも気づかれてしまう。部屋の中に姿が見えないように気を使いながら、ゆっくりと外に向かう。
「やめなさい!」
 下から声がする。見ればおばさんがこっちを見て喚き散らしていた。
「自殺なんてしちゃダメよ!」
 その声に野次馬たちが一斉にこっちを見る。そして、声をかけてくる。その騒ぎに気が付いたのか実家の部屋の窓が開く。顔を出したのは見知らぬ男だった。手にはマイナスドライバーを握りしめていた。目止めが合うと男は目を見開いて怒鳴った。
「逃げんじゃねえよ!」
 僕の体は既に半分が隣の家のベランダ側に行っている。このまま何事もなければ逃げられるだろう。だが、男はそうさせてくれなかった。無理やり足を捕まれ、引きずられる。あっと思った時には世の中が逆さまになっていた。幸い、男が足を掴んでいたので落ちてはいなかった。
「あなたよくやったわ! 離しちゃダメよ!」
 下からはオバサンたちの声援。
「おい、そいつもういいわ。捨てろ」
 別の声が聞こえた。
「下の目がこっちに移っちまった。そいつを落としてまた野次馬の目をそらして逃げるぞ」
「わかった」
 という会話が終わらないうちに僕は掴まれていた足を離されて空を飛んでいた。上下の判断が付かないうちにあっという間に地面が近づいてくる。
 バン。
 一瞬で、真っ暗闇。目を開けると白く明るい空間に赤い花が花瓶に刺してあった。横になっている僕を覗き込んでいる人がいた。
「おばあちゃん? ずっとここにいたの?」
 お祖母ちゃんは優しく笑って、赤い花を花瓶から抜いた。
「ここはどこ?」
 僕の問いに答えること無くお祖母ちゃんは赤い花をむしゃむしゃ食べ始める。花は血の滴る肉で出来ていた。お祖母ちゃんは肉を食べ終わるとあの謎の老婆に変わっていた。そして、僕の方へゆっくりと近づいてくる。黄色い歯を笑うように見せながら、僕のふくらはぎに噛み付いた。
 その痛みで目が覚める。どこかのベランダのようだった。身を捩っていた反動で足を離された時に投げ込まれる形になったのかもしれない。全身が痛み、とても動ける状態じゃなかった。それでもなんとか手を動かして、その家の窓をノックする。カーテンが引かれていたが、誰かいればラッキーだった。
 カーテンが開き、窓が開くと、赤いシャツを着た父が汗だくの状態で立っていた。手には糸鋸のようなものを下げていた。
「カズキ。父さんは忙しいって言わなかったか?」
 うん。言ってた。と返事をする。薄暗い部屋の中が見えた。母さんが床から頭を出している。
「一緒にいたんだ」
「ああ。後でお前も呼んで、やろうと思ってたんだ」
「家に泥棒が入ったんだ」
「そうか」
「父さん何を持ってるの?」
「のこぎりさ」
「違うよ。反対の手」
「ああ、母さんの手だ。忙しいって言いながら若い男を作ってたんだよ。とんでもないだろ? 金儲けもしないで、男を作ってたんだ」
 目が慣れてくると部屋の中に母さんが散らばっていた。
「ねえ、もしかしてお祖母ちゃんがどこに行ったのか知ってるの?」
 父は、母さんの手を見て答える。
「看護師が食ったのさ」
「父さんは母さんを食べるの?」
「いや、バラバラにしてからさらに細かくしてトイレに流すつもりだった。お前も一緒に流してやるから寂しくないぞ」
「僕、思うんだ。あのお婆さんは、本当はお祖母ちゃんだったんだって」
「何?」
「死んだ時に何か力を手にしてそれで瞬間的にどこかに移動した。生き返る力を使いすぎて姿が変わったんだよ」
「お前、頭がおかしくなったのか?」
「ヨシオ叔父さんは力の使い方を知って宝くじを当てた。そして、力を使いすぎて死んだ。お祖母ちゃんは叔父さんを食べて力を回復しようとした」
「カズキ、何を言ってるんだ」
 僕はスマートフォンを操作する仕草をした。今、手の中には何もないけれど。
 ブン。
 父がマンションの外に向かって飛び出していく。
 バン。
 オバサンたちの悲鳴。

 みんなごめん。僕はもうスマートフォンは使わないことにするよ。
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